境界世界の白い君

出汁巻きチョコバナナ

私と君はそこにいた

沢山の人の声。車の排気音。街頭広告の音。全てが混然とした雑音に目を開けば私は交差点のど真ん中に倒れていた。


「は?」


わけがわからないまま立ち上がる。


するとシャランと涼しげな音を立てて何かが足元に落ちた。


拾い上げてみるとそれはどこにでもあるような鈴で手のひらを転がすと音を立てる。


自分の持ち物にこんなものはあっただろうかと思い出そうとするとずきりと頭が痛む。




チリン




転がしてもいないのに鈴が音を鳴らした。


すると痛みが嘘のように霧散する。


そういえば、と思い出す。


こんな交差点の真ん中で立ち止まっているのに誰ともぶつからないし奇異の視線を向けられることも無いおかしな現状を。


「あ、あの!」


思い切って横を通り過ぎるサラリーマン風の男性に声を掛けてみる。


すると男性は何も聞こえないかのように私を無視して歩いて行ってしまった。


同じように数回声掛けをしてみたけれど誰も反応を返してくれない。


「なんで……私が見えていないの?」


おもわず独り言を呟いてしまう。


チリンと手の中で鈴が音を立てた。


音と合わせるように周囲の影が波打つ。


波は次第に大きくなって一つの形を取る。


大きな獣だ。


ライオンのようなたてがみに牙、背には悪魔の羽が生えている。


「ひぃ?!」


現実的じゃ無いそれは私に向かって唸り声をあげた。


逃げなきゃと本能が訴えて来るけれど恐怖で体が動かない。


このまま影の化け物に喰われてしまうのだろうか。


そう考えた所で腕を引かれた。


「え?」


「ぼーっとしないで、死ぬよ。走って」


その言葉に私の体は正直に従って走り出す。


私の腕を掴んで先を行くのは雪のように真っ白な女の子だった。


腰まで延びた綺麗な白髪がさらりと風になびいている。


背後からは影のバケモノの唸り声が聞こえたけど、気にならなかった。


ようやく出会えた私を認識してくれる人物の登場に嬉しさが優ったからだ。




女の子は暫く走り続けていくつかのビルの隙間を通り抜けるとようやく立ち止まった。


そこでやっと私の腕を掴んでいた手を離してくれる。


「つい助けちゃったけど次は自分でなんとかしてよ」


白い女の子はそう言うと立ち去ろうとする。


「あ、ま、まって!」


慌てて手を掴んで引き留めた。


「なに?」


至極面倒そうに私の方を振り向いて立ち止まる。


「助けてくれてありがとう!あれはなんなの?なんであなたには私が見えるの?」


「いっぺんに聞かないでくれる?ていうか鈴持ちのくせに自分がどうしてここにいるかわかってないの?」


「う、うん。気がついたらさっきの場所で倒れてて、鈴もいつのまにか持ってたの!」


「はぁ?」


信じられないといった感じで白い女の子は私を見た。


「本当に何もわからないの!だからどういうことなのか教えて欲しいの、お願い!」


私が必死に頭を下げて乞うと白い女の子は呆れたのか大きくため息をついて近くの段ボールの上に座る。


「ここは境界世界って呼ばれてる。現実と非現実の境界線の場所だよ」


「現実と非現実の境界線……?」


現実は分かる。


でも非現実がわからない。


「拡張現実(AR)システムって聞いてことくらいあるでしょ?眼鏡とかで見せる景色を変えてみせる技術のこと」


私は頷いた。


最近急速に普及したそれは街頭広告の飾り付けに使われたりウィンドウショッピングのモデルに使われたり……用途は様々だ。


かくいう私も何度か買い物で使用している。


「それを使うと何億分の1の確率でバグに巻き込まれる。それが今のあなたの状態」


「え」


「わかりやすく言うと意識のみの状態で現実と少しズレた場所にいるってこと」


「ゆ、幽体離脱みたいな……?」


私の言葉に白い女の子は満足したようで大きく頷いた。


「私ってば死んじゃったの?!」


「“まだ”死んでないよ。意識のみの状態でさっきの化け物……私はバグって呼んでるんだけどアレに喰われたら体も死ぬ。ゲームで言う所のゲームオーバーってやつ」


さっき影の化け物に喰われていたら本当に死んでいたのを頭が理解したのか体が震える。


「助かるにはどうしたらいいの……?」


「君は鈴があるから簡単だよ。その鈴から伸びる祈りの糸を辿ればいいんだ」


「糸?」


言われてみれば薄っすらと糸が鈴に結ばれているのが見える。


この薄い糸を辿れば助かるんだ……


「君はいいね、その糸は君の無事を願う人がいると見えるんだ。危険が迫れば音を鳴らして知らせてくれるし。でも願う人居なければ鈴も、糸も現れないから君は幸せ者だ」


ここには鈴を持たない人が何人もいる。と白い女の子は言う。


「……もしも鈴が無かったらどうなるの?」


恐る恐る聞くと白い女の子は座っていた段ボールから立ち上がった。


「君みたいな子から“鈴を奪う”そう考え行動する」


白い少女の視線の先には恐ろしい表情でこちらを睨む男性が立っている。


「やぁ、君はまだ生き残ってたんだね」


まるで友人のように気軽に声をかける白い女の子に男性は殺意のこもった視線を向けた。


「テメェのおかげで何度も死にかけたがな!俺は死ぬわけにはいかねぇんだよ!鈴を手に入れて俺は帰るんだ!!」


そう言って男性はポケットからナイフを出してこちらへ向けてきた。


「……何度も言うけど僕は鈴を持っていないし、君に鈴が無いのは君の帰還を待つ人がいないからだよ」


「そんなわけあるか!!嫁が俺の無事を願わないわけがない!それにそっちの女は鈴を持ってるんだろう?それさえあれば俺は帰れるんだ!!!」


男性がナイフを構えて走り寄って来る。


突然のことに体が動かない。




「させないよ」




そう言って白い女の子は横からナイフを持つ腕を掴んで男性に足払いをかけて上から押さえつけることで無力化する。


あっという間の出来事だった。


「ぐぅ、!なんでだ!!テメェは誰の味方でもないんだろうが!俺がそいつを殺して鈴を奪ってもテメェには関係ねぇはずだ!なのになんで邪魔するんだよ!!」


「関係ない、ね……でも、彼女は鈴持ちだ。救われる価値がある。鈴無しの君や僕には価値が無いように、ね」


シャリン……


2人が話している内容を黙って聞いているとまた鈴が音を鳴らした。


「お前、バグを連れてきたな」


白い女の子が難しい表情で男性に言った。


「ははは、お前も、そいつも道ずれにしてやる!!!」


狂ったように男性が笑うとその影が波打ち巨大な影を形作り始める。


「ひっ?!」


影はさっきの化け物より巨大で恐ろしい影の化け物になった。


まるでドラゴンのような姿をしている。


バグとよばれるそれは大きな口を開けて白い女の子と男性に向かって噛み付いた。


「いやぁ!!」


白い女の子だけ飛び退く事でそれを避けることが出来た。


しかし地面に組み伏せられていた男性に避ける余裕は無くドラゴンに喰らい付かれてしまう。


「見るな」


そう言って白い女の子が視界を遮ってくれたが男性の断末魔までは遮れなかった。


「ひぃいが、ぎゃああああああああっ!」


ばきんごきんと堅い物が噛み砕かれている音と断末魔が耳に反響する。


気がつくと体が震えていた。


「あれが鈴無しの末路だ。今の内に逃げるぞ」


体は震えていたが白い女の子に手を引かれると体は素直に走り出していた。


「今の人、死ん、で……」


「あぁそうだよ。今のバグに意識を喰い殺された。体も今頃死を迎えているはずさ」


「私、私は……どうなるの……あの人みたいに死ぬの?」


気がついたら口を出ていた言葉に一瞬だけ白い女の子が手を掴む力を強める。


まるでそうはならないと言ってくれているようで安心できた。




バグから逃げた私達は鈴から伸びる薄い糸を辿って一つの場所に辿り着いた。


そこは真っ白な病室だった。


二つあるベットのうち一つに私の体が寝かされている。


ベットサイドには母がいて私の手を握って眠てしまっていた。


「そっか、祈りの糸って……お母さん……」


一気に目頭が熱くなる。


「ここまでくればもう大丈夫だ。あとは自然に体に戻れる」


そう言って白い女の子は私の肩を叩いた。


「よかったな優しくていいお母さんで」


「う、ん」


「じゃあ、私はここまでだ」


そして白い女の子は病室を出て行こうとする。


「待って!なんで助けてくれたの?」


「なんでって……待ってる人がいるってわかったから、いや違うな……可愛いって思ったからつい助けてた」


思っていなかった返事に一瞬ぽかんとしてしまう。


すると白い女の子の表情がだんだん赤くなっていった。


「あ、ありがとう?」


「わ、忘れろ!どうせもう会うことなんてないんだからな!!」


「あ、待って待って!最後に名前を教えて!私は東條春とうじょう はる。あなたは?」


「雪だ……水瀬雪みなせ ゆき。じゃあな!!」


その言葉を最後に雪は見えなくなってしまった。


かわりに引き寄せられるように意識が遠くなっていって最後には視界がブラックアウトした。




私が目を覚ますとお母さんは泣いて喜んで、ついでに心配をかけるなと叱られてしまった。


目覚めた事でいくつか検査を受けさせられて何も異常が無いと分かるとすぐに退院になる。


少ない荷物を纏めている時、病室に知らない人が入ってきた。


ぴっしりとスーツを着たイケてるおじさんだった。


おじさんは私と目が合うと軽く会釈をしてくれる。


「退院、ですか?」


「あ、はい」


「そうですか。おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「……君のお母さんに会った時に聞いたんだが、君はARグラス着用中に事故にあって意識不明になったと聞いたが間違いないかな?」


「あ、はい。そうらしいです」


どうやら今回の原因はARグラスでウィンドウショッピングの最中に飛んできたバスケットボールが頭に当たった事らしいと聞いた。


「うちの子、といっても親戚の子なんだがこの子もARグラス着用中に車同士の衝突に巻き込まれてしまってから意識が戻らなくてね……」


そう言っておじさんは隣のベットにかけられていたカーテンを引いて中の人物を見せてくれた。


「あ……」


「……君が目を覚ましたと聞いて、この子も目覚めればいいのにと思ってしまったよ。すまないね」




そこには真っ白な子がいた。




私を助けてくれた白い女の子が痩せ細った姿で点滴を打たれながら眠っている。


気がつけばふらりと近付いて点滴の無い方の手を握っていた。


「この子は、何時頃から目覚めていないんですか?」


私が問えばおじさんは「2年」と答えた。


「ご両親とか、誰か他に手を握ってくれるような人は……」


「いないよ……姉夫婦は事故の時に亡くなっている。親権は死守したが事故に気づけなかった私にその子に触れる資格はないんだ」


事故が起きた2年ものあいだあの子は、雪はあの世界で生き抜いていたの……?


助けを求めていたの?


雪、雪……私はここだよ。ここで雪を待ってるよ人がいるよ。


そう心の中で呼び掛ければ何処かでチリンと鈴の鳴る音がしが気がした。


私は手を離す。


「急にすみません……なんか他人事と思えなくて、お見舞いにきてもいいですか?」


「あ、あぁ構わないよ。雪も友達が出来たと喜ぶかもしれないからね」


「ありがとうございます」


それから私達はお互いに連絡先を交換した。




私は毎日のように病室に通い手を握っては雪の無事を願った。


こうすることでいつか祈りの糸が雪に届けばいいと信じて。


そして季節が巡り春が来る頃、雪の堅く閉ざされていた瞳は開いた。


一番最初に私を映した瞳は呆れていて、瞬きで一粒の涙をこぼす。


「バカだなぁ……」


「そうだね。お帰り雪」


私が言うと雪は嬉しそうに笑顔になる。




「ただいま。春」






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