ピート

 

彼女を好きだと気付いたのは、いつからだろう……雨の日になると、ふと頭をそんな事がよぎる。

入社二年目、同僚の綾乃とは、たまに飲みに行ったりする仲だ。不況で小さな会社という事もあり、同期入社は俺と綾乃の二人だけだった。互いに愚痴をこぼしたり、相談したり……綾乃を初めて送った日もこんな雨の日だった。



「雨、降りはじめたな。今日は車で出勤して正解だったよ」その日、俺は珍しく営業が早く終わり、書類を片付けていた。

「黒須君、今日車なの?同期の頼み、送ってよ。」向かいの席で綾乃が手を合わせて、そう言った。

「いいけど、仕事早く終わらせろよ。俺の方はそんなにかかんないぜ」実際、普段営業している俺はデスクワークの仕事はさほど多くない。資料を作成したりするのは、持ち帰りで自宅でしていた。その方がソフトも処理速度も充実しているからだ。

「待たせるのは、いい女の特権なのよ」いたずらっぽく笑うと綾乃はデータの入力を再開した。

「わかったよ、待ってるから、入力ミスするなよ」さてと、アポはとってあるし、明日必要なものは……家でまとめてあるから、朝一でプリントアウトするだけだな。


「黒須君、お待たせ。けっこう待たせたかな?」すまなそうに時計を確認している。

「いい女の特権なんだろ?待たせたんだから夕飯ぐらい付き合えよ。もう用意してあるなら、仕方ないけどな」茶化すように俺は答えた。

「仕方ない、付き合いましょ」笑顔で綾乃は答えた。



「今日は、いい日だ」食事を終え、車を走らせるとそうつぶやいた。

「はぁ?何、言ってるの?」

「いい女と食事ができ、更に家まで送る事ができる。いい一日じゃないか?」真面目な顔で答える。

「黒須君……?はぁ~……そんな事言ってるから、彼女できないのよ」ため息をつくとあきれ顔で綾乃は続ける。

「仕事もできるし、ルックスも悪くないのに……何かがずれてるのよね、黒須君ってさ」

「そうか?俺は本当にいい一日だと思ったんだよ」

「くどいてるの?」

「……夜の海でも、見に行こうか」答えをはぐらかすと海岸に向って、車を走らせた。



『綾乃が好きだ』なんて簡単に言えたらな。

「黒須君……」

「うん?」気まずいのか、さっきから黙ってばかりだ。

「どうするの?雨降りの荒れてる海見て?」困惑げにそう言う綾乃の顔は、別に俺を警戒しているワケではないようだ。

「そうだな……帰るか」下心がなかったワケじゃないけど、こんな風景じゃムードもあったもんじゃない。

綾乃はどう思ってるんだろう?会社帰りに飲みに行くけど、仕事の話ばかりだよな……お互いの事、考えてみるとよく知らない。




黒須君、何したかったんだろう?本気だったのかな?……さっきのセリフ。



「ねぇ、黒須君。今晩空いてるかな?相談があるんだけど……」

「空いてるけど、車だから酒は無理だぞ。飲まないでも聞ける類の話なら付き合おう」

「飲まないと聞けない話は何なのよ?」綾乃が顔を近付ける。

「会社の愚痴、こっちも言いたくなるからな」ボソっとそうつぶやくと綾乃は吹き出した。

「アハハ、そりゃそうよね。でも、そんな話じゃないわよ。アルコール抜きの方がいいわ」

「じゃ、俺は直帰にしとくから、終わりしだい連絡してくれ。近くの喫茶店にでもいるからさ」

小声で伝えると営業に出掛けた。早く切り上げて、自宅で資料まとめる予定だったけど……ま、明日は休みだしな。話、か……何だろう?



営業を終えると会社から少し離れた本屋に入った。ここなら、もし見つかっても文句言われないしな。うん?雨か……また送る口実ができたかな?




「お待たせ」綾乃が駆け込むように車に乗った。

「いい女の特権なんだろ?仕方ないさ」

「もう……言わないでよ」少し困ったような顔で綾乃がつぶやいた。

「俺はいい女だと思うんだけどな……」そうつぶやく。

「え?」

「さて何処に向えばいいんだ?」はぐらかした、何度も言えない……。



「黒須君って、彼女いるの?」食事を終えると話は唐突にはじまった。

「なんで?」

「貴方を好きな娘がいるのよ」

「誰?」

「聞き返すって事はいないのね?」少し意地悪に綾乃が微笑む。

「いないけど、……好きな娘はいる」

「誰?」

『綾乃が好きなんだよ』簡単に言えない言葉だ。入社した時からずっと見てた。

「答えてくれないって事は私が知ってる娘なのかな?」

「ノーコメントだ、その娘には悪いけど断ってくれ。誰とも付き合う気がないんだ」

「好きな娘がいるのに?」不思議そうに訊ねる。

「ああ、付き合わない」目の前にいるんだよ、その好きな娘は……その娘が紹介してくるって事は脈ナシって事か……。

「そう、いい娘なんだけどな……」

「しつこいぞ。話が済んだなら帰ろう。送るよ」

「駅でいい、一人で帰るよ」なぜか、哀しげな顔をしてる。仲のいい娘だったのかな?

「その娘には、ごめんって伝えてくれるかな?」

「わかったわよ」



綾乃は数ヵ月後会社を突然辞めた。何の話もなく、会社に出勤すると昨日付けで辞めたとの事だった。引継ぎは知らないうちに済んでいたそうだ。周りには直接話すから、内緒にしてほしいと口止めしていたんだそうだ。携帯は解約してあり、家を訪ねたが転居した後だった……。



「黒須さん、コレ……綾乃さんに渡すように頼まれたんです」

綾乃と仲良くしてた後輩から渡されたのは一枚のMOだった。





「黒須君、何も言わないで辞めてしまう事許してね。」

自宅に戻り、立ち上げると綾乃の姿が映しだされた。

「今更なんだけどね、黒須君が好きだったの」

「!?」

「実家で縁談があります。父が世話になった方からの話で断るわけにもいかないの」

「な、なんで……」

「雨の日、相談と言ったあの日の事、覚えてるなか?告白するつもりだったんだけど、好きな娘がいるって言われて…でも、気持ちだけは伝えておきたくて、こんな卑怯なやり方で伝える事になってごめんなさい」

綾乃の実家どこだ?クソッ、何で知らないんだ……。

「黒須君、本当にごめんね。伝えない方がいいとはわかってるんだけど……。好きな娘がいるなら、伝えた方がいいよ。黒須君、もてるんだから、きっと大丈夫だよ。皆、私と付き合ってるって思ってたのよ」画面の綾乃が瞳を涙でにじませた

「元気でね、どこかで会ったらお茶でもしようね。さよなら……」綾乃の瞳から涙がこぼれる前に画面は途切れた。




雨の日……初めて送ったあの日……ほんの少しの勇気があれば。あの夜、誰なのか聞いていれば……。

携帯を手に取るとすぐに上司に電話をする。

「課長、夜分すいません。藤井さんの実家の連絡先わかりますか?」

「わかるが何だ?急に?」

「その……ケンカしまして、携帯切ってあるんですよ。」

「ったく仕方ない奴だな……いいか……」慌ててメモをとる。

「ありがとうございます。その、できたら明日から何日か休みも……」

「……独り言だからな。祖母さん、倒れた事にしといてやるから、話合わせろよ。明日以降の急ぎの仕事とアポ取ってる客先、顧客との取引状況のデータを俺宛てで送信しとけ。嫁さん奪ってこいよ」ぶっきらぼうにそう言うと課長は俺の返事も聞かないで電話を切った。

すいません課長、恩にきます。時刻表は……夜行で行けるな。朝一で迎えに行くからな。




「もしもし、藤井さんのお宅ですか?黒須といいますが、綾乃さんはご在宅でしょうか?引き継いだ仕事の件で至急聞きたい事があるんですが……」まくしたてるように一気に伝えた。

「黒須君……何で?」

「綾乃か?聞きたい事があるんだ」

「聞きたい事?」

「過去形になってしまったのか?」

「えっ!?何が?」

「気持ちだよ。俺は綾乃が好きだぞ。入社した時からずっと見てた。つまらないすれ違いなんかで終わりにしたくない」堰をきったように言葉が……気持ちがあふれる。

「私ね……好きな人がいるの」

「そ、そうなのか…」駄目か……そうだよな。

「雨の日になると、その人を思い出すの」

「!?そ、それって」

「今日も思い出してた。縁談、明日なの」

「まだ間に合うよな。今、家の前にいる。車の中だ」

「仕事は?」

「休暇もらった。課長命令なんだ、嫁さん連れて帰る事……だって」

「本気?」

「奪ってこいって、でも気持ちに嘘はないぞ」

「黒須君……」

「待ってる。過去形になってないならきてほしい。そのまま挨拶しに行く」





雨が降ると思い出す、初めて送ったあの日を……すれちがってしまったあの日を……そして彼女を迎えに行ったあの日を……。



数ヵ月後、俺と綾乃は結婚した……。雨の中、俺たちは将来を約束した……

これからも雨が降るたびに思い出すんだろうな……たくさんの思い出を重ねながら。




Fin

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ピート @peat_wizard

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