新元号、『日本』

ほてー。

第1話

「新元号は、『日本』であります」


 全国民は、この新元号に対して、特に驚きもしなかった。それ以前に、関心すらなかった。閑散とした渋谷のスクリーンに、その中継が映し出された時、スクランブル交差点は、ただ赤信号へ変化したまでである。

 時代の移行を横目に、日雇いの中年は、渡鴉のように仕事をしていた。物心のついていない無邪気な連中は、その我が国名をただぼんやりと連呼するのであった___



 昨年の大型台風が、渋谷の109の「1」を吹き飛ばし、所謂「マルキュー」へと姿を変えた。この呼び名は米新聞社の揶揄から始まったのだが、当の日本人は、もうなすがままにつつきを食らっている。そもそも、修復する気さえないのだから___


 かつて世界一の乗降客数を誇った新宿駅には、名前のない無数のプラットホームと、緑に埋もれて所々姿を露出している線路がある。世界一無駄の多い駅であろう。

 荒廃したシャッター商店街が、眠らなかった歓楽街、歌舞伎町である。夜になると、「歌舞伎町」の入口の看板が、うつろうつろに発光する。腰を曲げた老婆が、「いらっしゃい」と弱々しく呟いているようである。


 目を引く大型ポスターやメイドのチラシ配り、歩行者天国の喧騒は、今の秋葉原からは面影を消している。こちらも米新聞社______ひょっとすると、英新聞社だったかもしれない______が、「冬枯原」と皮肉った。なるほど、外国人は、香嵐渓の紅葉のような、かつての絢爛たる電気街を「秋葉原」と捉えたようだ。

(もっとも、昨年の豪雨で巴川は氾濫し、香嵐渓の紅葉のために足を運ぶ日本人はいなかったのだが)



「新元号は、『日本』であります」


 ドラマやアニメの最終回が、その作品名となったりするように、この新元号は、我が国の終焉を明確に表現してみせた。日本人が、余命宣告を受けたも同然であった。

 どうか夢であってほしいと願ったりもするのだが、必然的過ぎる最期へのシナリオに、日本人は皆、どうも己の無力さを痛感するばかりだった。


 どれほど悲観と絶望に苛まれたとて、どうすることもできないという空疎な悟りと、不可抗な終末が待つだけである。


 つめたい風が、頬をなでる。

 季節は、移り変わろうとしている。

 日本人が絶望に打ちひしがれている間に、そして日本が滅び尽きた後も、季節はいたずらに流れゆくのだ。


 始まりの春が来て、雨が降り、

 暑苦しい夏が訪れ、

 心地の良い秋は瞬く間に消え、

 鋭く冷たい冬が来て_____



 そうか、日本は、終わらないのだ。

 どうしようもなく無力なのは、

 余命宣告を受けたのは、

 滅亡へと向かうのは、

 _____僕だ。




[完]

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新元号、『日本』 ほてー。 @hote-

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