ワニ
イジス
ワニ
朝、ユウ太が登校すると教室が騒がしい。いくつかのグループに分かれてワイワイガヤガヤやっている。
「なにか事件か?」
「転校生がやってくるんだ」
ちょうど入り口近くにいた吉沢秋彦が説明した。二人は席がとなりの親友である。
「本当かよ!」
どこかの学校から知らない生徒がやってくる。新しい出会いである。それでみんなが興奮しているわけだ。
いったいどんな生徒だろう。
「女子だったらかわいい子がいいな」男子のグループから熱っぽい声が聞こえた。
ホームルームの時間になり、担任教師の小倉なつみ先生が、なぜかワニを連れて入ってきた。
小倉なつみ27歳、趣味はクラシックバレエだし、顔もまあまあ、白金高輪駅前を歩いているお姉さん風にお嬢様っぽい。が、男とはさっぱり縁がないらしく、ひまなときは理科の実験棟でさびしくフラスコを振っている。そんな女だ。だが、しかし、だからといって、ワニを彼氏代わりに連れ歩くこともなかろう。おまえは男子生徒のあこがれなんだ、情けないぞなつみ!
なつみファンクラブのユウ太は胸のなかで一人いきって嘆いた。
「今日からみなさんと一緒に勉強することになりました、黒子大留さんです」
なつみ先生は連れてきたワニを紹介した。
教室中に「?」が飛び交った。
かたい鱗に覆われたガニ股の爬虫類である。転校生というにはものすごく無理があった。
「みなさん驚かれたでしょう。でもちがいます。この姿はほんとうの黒子さんではないのです。黒子さんはある事情から魔法をかけられてしまっているのです」
「ちょっとまて」
ユウ太が首をふった。教育者がそんなでたらめを言っちゃだめだろう。魔法をかけられてワニの姿をしている転校生なんてだれが信じるんだよ。
「はじめまして黒子大留さん。わたしクラス委員の南波です。二年三組を代表して歓迎します」
南波由衣が立ち上がってあいさつをした。
「おいおい、どういうつもりだ。どう見たってワニだろ」
ユウ太がその南波由衣の背中へ声を掛けた。
「何言ってんのよ、いま先生が説明したじゃないの。黒子さんは魔法をかけられているのよ。フルーツバスケット見てないの? 黒子さんにも物の怪が憑いているのかも。それに八犬伝の犬川荘介だってそうだし、動物の姿をしている人ってざらにいるんじゃない」
「世間じゃよくあることらしいぜ、ユウ太」
秋彦が隣の席からもっともらしく頷いてみせた。
ほかのクラスメイトも、
「魔法ってこわいな」
「魔女にさからってワニにされたのかな」
みな、由衣と同様、なつみ先生の説明をあっさり真に受けてしまっている。
ユウ太は唖然とした。
「どこまでアニメに洗脳されてんだよ」
「ユウ太はみないのか? アニメ」
「俺はみねーよ、アニメなんて子供が観るものだろ!」
唾をとばして言った。
休憩時間になった。ワニがのしのし歩き回っている。が、教室のようすはいつもと変わらない。
ユウ太は近づかないようにしていた。
「こわいの? ユウ太くん」
秋彦が顔を寄せてきた。
「ふつう怖いから。大型の肉食爬虫類だし」
「でも女子にはそうでもないらしいぜ」
見ると、女子たちがワニを囲んでしゃがみ込んでいた。
「黒子さんて腕太いんですね、前の学校では部活は何をなさっていたんですか?」
「何月生まれか教えてくれますか、わたし十一月のさそり座です」
「なんであいつ、女子に人気なのだ」
「ゴツゴツしたかたい表皮、長い鼻に大きく裂けた口。凶悪そのものだ。が、見ようによってはダンディーな男っぷりだと言えなくもない」
秋彦が腕組みして言った。
「なるほど。中学生の女子といえば、まだ『彼氏にするならパパみたいな人がいい』などというような子供だから、そういう大人の雰囲気にあこがれるってわけか」
「つまり、俺たちにはないものを求めているという」
「うむ、うむ」
そんなことをしゃべりながら、二人ともちょっとさびしくなった。
午後の授業は体育である。クラスの体育係であるユウ太は、クラス対抗水泳リレーメンバーを鉛筆を転がして決めていた。
「ユウ太くん、ずいぶんテキトーに決めてるねえ」
秋彦がメンバー表を覗き込んできた。
「どうせ一組には勝てないんだから、だれでもいいじゃん」
ユウ太が投げやりになるのも無理はない。競争相手の一組は学校の代表選手ばかりである。今まで一度も勝てたことがないのだ。
「一組の方々はおれたち三組を『どんくさ三組』って呼んでるだろ。くやしいから一度くらい勝ってみたいけどさ」
「無理無理、どうやっても勝てる相手じゃないねえ」
秋彦も事情を心得ている。
「そうそう、そういうこと」
二人がともにうなだれたそのとき、メンバー表を載せた机の上に、ひょいと顔を出した者がいた。ワニの黒子である。
「あ、そうだ。ワニは泳ぎが得意だぞ!」秋彦がいきなり叫んだ。
ややあって、秋彦の言いたいことに気が付いたユウ太がはたと手を打った。
「黒子くん、もしよかったらリレーに出てくれないか!」
黒子は鼻から息を出して「GUUUU」とうなずいた。新しく加わったクラスのために一肌脱ごうという顔つきである。
敗戦必至の希望のなかった戦いに、光が差し込んだ。
プールサイドに一組から三組の選手が勢ぞろいした。一組の担任は、熱血体育教師の山県先生である。
「優勝はもちろんだが、三組には一往復以上の差をつけないと勝ったことにならないぞ」と、スタート前から勝負は決まっているという顔で、スタート台に並んだ自分のクラスの選手に檄をとばしていた。
ばかにされて腹が立つが、いつも一組には勝てないのだから何を言われてもしかたがない。応援に来ていた女子もなつみ先生も、黙って山県の大きい声をきいていた。
ところが、一着でゴールに戻ってきたのは三組だった。
余裕でレースも見ずに、ゴルフの素振り練習をしていた山県はこの結果に呆然とした。
ビリケツ候補だった三組は、最終泳者黒子の泳ぎでそれまでの劣勢を一気に挽回し、常勝軍団一組を抜き去ってしまったのである。快挙を果たした黒子は野生の雄叫びを上げ、三組の応援団はお祭り騒ぎだった。
「バンザーイ、バンザーイ!」
教室にもどっても三組は黒子を胴上げしていた。そこへ、怒りにふるえた山県が飛び込んできた。
「おい卑怯だぞ。どこからそんなワニを連れて来たんだ。今回のレースは無効だからな、没収試合だ。冗談じゃない、こんなズルをされて黙っていられるか!」
「ちがうんですよ、山県先生」
クラス委員の南波由衣が、ニコニコ顔で前へ出た。
「先生はまだご存知ないのですね。黒子さんはワニではないのです。ちゃんとした人間なのです。それが、ある事情で魔法にかけられてしまって。ええと、どんな事情でしたっけ、なつみ先生」
由衣がなつみ先生をふりかえった。そういえば黒子がワニになった『ある事情』をまだ誰もきいていなかった。
クラス全員の視線を受けて、しかし、なぜかなつみ先生は何も答えず、ただひたいに汗を浮かべて笑っていた。
「このワニが人間だって? 魔法をかけられた? そんなおとぎ話を信じているのは南波、お前だけか。それともこのクラスの全員がそう信じているのか」
肩をそびやかして山県がみんなを見渡した。
本当のことだから「はい」とみんなが返事した。
「お前ら小学生か? 児童会のお知らせとか家に持って帰っているのか? 中学生だぞ中学生。魔法をかけられてワニになりましたなんて話を本気にしてんじゃねえよ!」
「ひどい、でも黒子さんは」
由衣が顔を真っ赤にした。
「ワニだという証拠がある。これを見ろ」
山県が指さしたのは、黒子の足に下がった一枚のタグだった。「PRADA」とある。
「ハンドバッグ会社のタグを付けてるんだ、ワニに決まってるじゃないか」
反論を許さない決定的証拠だった。プラダお墨付きの上質のワニ皮である。これはもうワニにちがいない。
魔法を信じていた三組の純粋なこころは爆死した。しかし、しかたがない。真実はいつも一つなのだ。
山県は黒子をつかまえようとした。
「このワニは先生が没収する。いいな」
が、黒子は口を大きく開けて拒んだ。鋭い牙が捕獲者を威嚇する。
さすがの熱血体育教師も手が出せない。
「ちくしょう。なんて危険な動物だ。覚えてろ、猟友会を呼んできてやる」
捨て台詞を吐くと、走って出て行った。
教室ではまだ、黒子が唸り声をあげて身構えている。その姿はたしかに、大型の獰猛な爬虫類にちがいなかった。
山県が連れてくるといった猟友会とは、猟銃をもった軍事オタのおっさんたちの集まりである。合法的な機会があれば、相手がクマだろうが鹿だろうが弾をぶっ放す荒くれた連中である。
まもなく山県がその猟友会をたのんで戻ってくるだろう。黒子の命があぶない。しかし、黒子は本物のワニだった。駆除されるべき対象であり、それを止める手段はない。
「これでいいのかしら」
女子の一人が道徳の道に迷ったかのような、か細い声をだした。
「だからって、俺たちに何ができるっていうんだ!」
男子の苛立った声が、それをかき消した。
だれもが何か重大な岐路に立たされた気持ちで悩んでいた。クラスは重い空気に満たされた。
「黒子をどこかに隠すんだ! みんな」
声を上げたのはユウ太である。
「でも本物のワニだったんだから、しかたないよ」
秋彦がかなしげに微笑んだ。
「ワニだってわかったら、お前はだまって見捨てるのか!」
黒板の前の教卓に、三組がはじめて勝ち取ったレースの勝者の証、黄金のトロフィーがキラキラと輝いていた。
クラスに名誉と歓喜をもたらしてくれたのが、ワニ。いっときは黒子というクラスメイトであったことを、秋彦も、そしてクラスのみんなも思い出した。
「ワニだってかまうものか。黒子はおれたち三組のヒーローなんだ!」
ユウ太のことばに、クラスの全員が震えた。
「そうだ、大事なクラスメイトを、猟友会なんていう殺戮団に渡すわけにはいかない」
生物の種の垣根を超えた愛である。人間もワニも、元をたどれば地球創世記の混沌とした海に漂っていた原始生物だ。同じ先祖をもつ仲間である。世界は家族かも知れぬ。
教室がにわかに活気づいた。が、そのとき廊下から、誰かが急ぎ足でやってくるはっきりした音が聞こえた。
山県先生にちがいない。もう戻って来たのか、まだ黒子を隠す場所さえ決めていないというのに。やっぱり駆除されてしまうのか。黒子の運命をおもってユウ太は目の前が暗くなった。
だが、教室の戸を勢いよく開けて飛び込んできたのは、小倉なつみ先生の双子の姉、小倉ふゆこだった。ゆたかな巻き毛の瞳の大きな美人女優である。水曜ドラマで主人公の刑事の恋人役をやっているお茶の間でおなじみの顔だ。バラエティーショーのゲストとしても人気があって、好感度ばつぐんの人気女優である。たしかプラダ銀座店のポスターにも顔がでかでかと出てたっけ。
「クロちゃん、こんなところにいたのね、探したのよ!」
「あの、お知り合いですか?」
ユウ太が首をのばしてきいた。女優とワニの黒子と、いったいどういう関係なのだ。
「無事だったね、クロちゃん。心配したのよ」
小倉ふゆこはひしと黒子を抱きしめている。
「ふゆこさんのペット。だったようだな」
無視されてぽつねんとしていたユウ太を、秋彦が気遣った。
「だな」
ユウ太が咳払いして応えた。
「さあ、お家に帰りましょう、わたしのかわいいペットちゃん」
「みなさんがクロちゃんの面倒を見てくださったのね、ありがとう」
小倉ふゆこがみんなに向かってていねいに頭を下げた。
お礼をいわれてみんなが戸惑っていると、
「お姉ちゃん、わたしの部屋にクロちゃんを忘れて帰るのやめてよね!」
なつみ先生がつかつかとやってきた。
「留守番させておいたら何をするかわからないし、ペットショップは預かってくれないし、困るんだから」
「だって酔っぱらっちゃったのだもの。でも、今度から気を付けるわね、なつみ。それより、クロちゃんを学校へ連れてきたりして、大丈夫だったの。騒ぎにならなかった?」
さすがにワニが危険な動物だということは認識しているらしい。
「平気よ。ワニじゃなくく魔法をかけられた転校生だって説明したら、素直に信じてくれたから」
「え? 魔法って、そんなことを中学生が信じたの?」
小倉ふゆこが教室を見回した。お礼を言ったさっきのまじめな顔つきとちがって、今にも笑いだしそうな表情である。
山県先生にも言われたことだが、こう追い打ちをかけられるとさらに恥ずかしく、みなは各々に顔を赤らめた。
「俺は信じなかった」
そのなかで、ユウ太だけが胸を張って首をふった。
ライフル銃を担いだ一団と一緒に山県先生がやってきたとき、すでに小倉ふゆことワニのクロちゃんは教室からいなくなったあとだった。
代わりに、ユウ太と秋彦が理科室からはこんできたナイルワニの剥製が床に放り出されてあった。
「山県先生は、猟友会のわしらを担ぎなさったのかね」
あっけにとられている山県先生を猟友会のおやじたちが囲んだ。山県先生はあわてて言い訳をしながら、逃げるようにして教室から退却して行った。
それから数日が経ったある日、体育係のユウ太がまたメンバー表の上に鉛筆を転がしていた。今度はグラウンドでの陸上リレー競争である。
これも水泳のときと同様に、一組が毎回優勝している。なにせ四人のメンバー全員が陸上部に所属しているのだ。それに比べて三組に陸上部は一人もいない。一番足が速そうなのは捕虫網をもって蝶々やトンボを追いかけている自然科学部というんだから、これでは勝負にならない。
コロコロ転がる鉛筆の出た目で教室の席の並び順から選手を決めていくユウ太のまわりには、クラスメイトが集まってきていた。
「水泳のときみたいに、ヒーロー転校生があらわれてくれないかしら」
「黒子くんカッコよかったわよね」
「こんどはヒロアカの飯田天哉みたいなやつ来てほしい」
そんなことを言いながら、勝手に盛り上がっている。
「現実を見ろよ。みんなアニメに感化されすぎだぞ」
ユウ太がメンバー表から顔を上げた。
「でも、ユウ太だって一組に負けるのいやだろ」
両手であごを支えた秋彦が上目遣いをした。
「いやだよ、あたりまえだろ。また一組のやつらに『どんくさ三組』ってからかわれるんだから」
ホームルームのチャイムが鳴り、みなが戻って席に着くと、教室の引き戸がガラガラと開いて、小倉なつみ先生が大きな鳥を連れて入ってきた。
動物進化の教材か? 一時間目は小倉なつみ先生の理科である。
「みなさん、今日から一緒に勉強することになった転校生の駝鳥早伊代さんです。こんな姿で驚かれたでしょうが、早伊代さんは悪い魔法使いによって姿を変えられているのです」
ワニの次は駝鳥か。歴史は繰り返すというがこんなにはやく回転するとは染太郎もびっくりである。
ダチョウの姿をした駝鳥早伊代は長くたくましい美脚を持った、濃いまつ毛の美女子だった。
「おいみんな、まだ陸上リレーをあきらめるのは早いぞ!」
いきなりユウ太が立ち上がった。そして、最前列の席からざわつく教室をふりかえった。
「次のレース、あきらめず最後まで戦おう。知ってるか、こんなことばがあるのを。『最後まで・・・希望を捨てちゃいかん、あきらめたらそこで試合終了だよ』って」
「スラムダンクの安西先生だ!」
「三井ッ~~~~~!!」
「安西先生~~~!!」
たちまち歓喜の声が沸き起こった。
「ユウ太くんて、アニメ観ないんじゃなかった?」
秋彦がきょとんとした。
「アニメはみないけど漫画はなんでも大好きだ」
ユウ太はさっそく最終走者に駝鳥早伊代の名前を書き込んでいた。
「はあ?」
翌日行われたクラス対抗陸上リレーで、三組はまた一組に圧勝した。
おわり
ワニ イジス @izis
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます