私は、描けない

怜 一

私は、描けない


 「寒っ…」


 下ろしたてのマフラーに首を竦める。

 秋がどっかに行ってしまった。まだ、十月の中旬だというのに、息を吸えば肺が冷えるほど空気が冷たかった。


 少し厚めの紺色のセーラ服が、風にたなびく。吹き付ける風の冷たさに眼を瞑り、顔をしかめる。なぜ、こんな辛い思いをしてまで、朝から学校に行かなくてはならないのか。


 技術の進歩が著しい現代。オンラインで授業をしている予備校などが増えている。ならば、私の学校もその波に乗って、オンライン化を推進していくべきだ。なぜなら、私が毎朝早起きし、面倒な支度をして、外出する必要がなくなるからだ。私に楽をさせろ。させろください。


 などと下らないことを考えていると、私の背後から何者かが抱きついてきた。


 「おっはよー!ひーらぎー!!」


 背中に当たる、ボリューム感のある柔らかい感触。人類皆憂鬱な早朝から、無駄なハイテンション。私の身体を服の上から弄る、このイヤらしい手つき。んっ?イヤらしい手つき?


 「ウ、ウォアーーー!!やめろっ!この痴女ヤロウ!」


 私にまとわりつく変態を、全力で振り解く。振り解かれた変態は一切悪びれた様子もなく、緩いウェーブが掛かった金髪を揺らしながら爆笑していた。


 「アハハハハッ!!ウ、ウォアーーー!!だって!ゴリラかっつーの!」

 「笑ってんじゃねーぞ!小鳥遊ぃ!」

 「だって、アレはダメでしょ。お、女の子が出す声じゃないもん。フッ、アハハッ!」

 「オマエがセクハラすっからだろうがっ!」


 小鳥遊は腹を抱えて一頻り笑い終えたあと、目元に浮かべた涙を拭いた。


 「やっべー。涙、出ちゃった。柊木。アタシ、メイク落ちてない?どう?」


 小鳥遊は顔を近づけ、私に確認させる。

 正直、とても癪だが、小鳥遊は顔が良い。特に、大きい瞳が特徴的で、見つめていると吸い込まれそうになる。肌も綺麗で、キスできそうな距離でも、どこが毛穴かわからない。そんな美人の顔が、急に至近距離に来たから、心臓が跳ねた。


 「えっ?あっ、えっと、落ちてない。大丈夫」


 私の不自然な反応に、小鳥遊は笑顔で返す。


 「マジ?ありがと」


 笑顔も可愛いなんて、反則だ。

 小鳥遊は、根暗なオタクの私とは真逆の存在だった。派手な髪色、上手なメイク、丈の短いスカート。いずれも私がしないこと。初めて小鳥遊のことを知った時は、一生関わることのない存在だろうと思っていた。


 「その女の人の絵、めっちゃいいねっ!」

 

 今年の四月、小鳥遊は私の絵を褒めてくれた。小鳥遊が美術の課題を提出するため、美術室に訪れた時、私が作業している姿を見つけたらしい。その時から、私と小鳥遊は、少しづつ会話するようになっていた。


 小鳥遊がオタク趣味に理解があったこと。小鳥遊がオシャレのために努力していること。小鳥遊が人懐っこいこと。小鳥遊は繊細な性格だということ。お互い、初めて見た時から、なんとなく意識していたこと。


 「柊木?なに、ボーッとしてんの?」


 一歩先を歩く小鳥遊が、こちらに振り向く。


 「うん…。なんか、あっという間だったなーって」

 「マジそれな。秋、いた?って感じ」


 そういうことじゃないんだけどなぁ、とは言わずに愛想笑いで受け流す。


 「しかも、もーすぐ中間テストじゃん。マジ、サイアク…。柊木、勉強やってる?」

 「いや、やってないよ」

 「やったー!おそろっちー!」


 小鳥遊が私の腕にしがみついてくる。


 「ええい、歩き辛い!」

 「いーじゃん、いーじゃん」


 小鳥遊は、強引に私の冷えた手を握った。小鳥遊の繋いだ手から暖かい体温が伝わり、徐々に私の手も解きほぐれていった。


 私は、小鳥遊に褒められた絵を描きあげられていない。何回描き直しても、本物を超えられないからだ。胸に焼き付いた彼女の笑顔は私の描く彼女より、ずっと可愛くて、ずっと綺麗なのだ。


 「こっちのほうが、あったかいよ?」


 そして、これからも、私は完成させることはできないだろう。


end

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私は、描けない 怜 一 @Kz01

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