やり直しの天使

中村 天人

第1話

 ここは、生きている人間と死んだ人間の狭間の空間だ、と天使は言った。


 気がついたら、私はここにいた。




「あれ、私、確か動画見てたよね」

 

 ふと顔を上げると、目の前には天使がいた。


「ここは生きている人間と死んだ人間の狭間。あなたは、この水鏡で自分の人生を俯瞰する事ができます」


 そう言って、天使が水鏡を差し出してきた。それを覗くと、担架に乗って病院に運ばれている私が見えた。口には酸素マスクがあてがわれ、お母さんが私の手を取って名前を呼んでいる。


「あの、これ……」

「今のあなたの姿です。あなたは、家の近くの曲がり角で車に気が付かず衝突しました。もうすぐあなたの命は終わるでしょう。亡くなったことに気が付かないと、なかなか死を受け入れられない場合があります。それを防ぐために、こうして現実を見てもらっているのです」


 ……ふーん。私、死んじゃうんだ。意外と呆気ないもんなんだな。


 正直、そんなにやりたい事もないし、毎日同じことを繰り返してるだけ。だから、「自分が死ぬ」と言うことにたいして何も感じなかった。どこか冷めた気持ちで私はもう一度水鏡を覗き込んだ。場面が変わり、そこには少し前の自分が映っていた。



 朝、お母さんが寝坊した私に小言を言っていたので、適当に生返事をして家を出た。そして、昨日見れなかった推しの動画配信を見ながら学校に向かった。本当は夜のうちに見てから寝ようと思ってたけど、遅くまでLINEのやり取りをしていて、返信の途中で寝てしまったのだ。ちょっと寝坊したけど、朝ごはんを抜いたから全く問題ない。それより最新の動画をチェックしなくちゃ!


 そこで車と衝突した。


 私は携帯を見ていたので、車には全く気が付かなかった。いつもは大丈夫なのに、今日は運が悪かった。車の運転手もスマホを見ていて、私に気がつくのが遅れてしまったのだ。両者の不注意が事故の原因だった。運転手が慌てている姿が見える。どこかぶつけたのか運転手も血が出ているようだ。


 ぶつかった時、きっと大きな衝突音がしたのだろう。家から少し離れてるのに、何故かお母さんが一番に駆けつけてきた。震える手で私を抱き起こしている。


「お母さん、サンダルが左右反対だよ」

「今の映像が、あなたがここに来た時の状況です。思い出しましたか?」

「なんとなく……思い出しました……」

「よろしい。それでは、現在の様子です」


 救急車から降ろされ、病院のどこかの部屋に入っていった。中に入ろうとするお母さんが看護師さんに止められ、その姿が遠ざかっていく。涙で顔がぐちゃぐちゃになっている。


「お母さん、そんなに泣かなくても……」


 自分の状況よりも、母の泣きじゃくる顔で死を身近に感じ始めた。


 私は台の上に乗せられ、服をハサミで切って脱がされていた。あちこちに管をつけられると、タオルケットのようなものがかけられた。お医者さんや看護師さんが一生懸命に何かやってくれている。バタバタしていて、さながら戦場のようだ。


 お母さんはどうしているのか考えると、病院の廊下が見えた。そして、エプロンで顔を覆って震えているお母さんの姿が映った。いつもは元気なお母さんが、なんだか小さく見える。


「お願いだから戻ってきて!」


 音は聞こえていないのに、そう呟くのが聞こえた気がした。そして、段々自分が母にとって大切な存在なんだと言う実感が強くなってきた。いつも頭のどこかでは感じていたけど、当たり前になっていて深く考えたことはなかった。今までは。


「お母さん、ごめんね……!」


 死ぬことを考えたことはあったけど、死ぬはずがないとどこかで思っていた。なんで夜更かししちゃったんだろう、なんで寝坊しちゃったんだろう、なんで最後のお母さんの話を聞かなかったんだろう。……なんでせっかく作ってくれたご飯を食べなかったんだろう。

 後悔がドッと押し寄せた。


 すると、水鏡の映像が切れた。


「人は、一生のうち三回だけここにくることができます。そして、その度に少しだけ時間を戻してやり直すことができます」

「え?」


 事故の前に戻れるって言うこと? やり直しのチャンスがあるなら、絶対に事故は回避したい。……こんな風にお母さんを悲しませたくない。そう思った時だった。


「あなたがここに来るのは三度目です」


 ここに来た覚えはない。もし来たことがあれば、事故なんか起こさなかったし、お母さんを悲しませたりしなかったはずだ。


「そんなはず……! 今初めて来たのに」

「時間を戻すと、ここでの記憶はなくなります。なので、あなたの本質が変わった時のみ、時間が戻った後のあなたの行動が変わり運命も変えることができます。あなたは同じことを二回繰り返しました。そして、また戻ってきました」

「これが、ラストチャンス……」

「二回ともあなたは変わりませんでした。もう一度戻りますか?」


 戻れるなら勿論戻ってやり直したい。


「も……戻ります! 戻りたいけど……どうしたらその、本質は変わりますか?」


 例え時間を戻したとしても、三回目も同じことをするだけなら意味がない。次は絶対に夜更かしせずに寝て、余裕を持って起きなくてはいけない。それに、お母さんとの最後の会話がアレだなんて悲しすぎるし、早く起きて作ってくれたご飯も、食べたい。


「本質とは、常日頃思っていること。良い思いは良い行いに、自分勝手な思いは自分勝手な行いに繋がります。心の底で思っていることがあなたの人生を作るのです。あなたはどんなことを考えて生きていましたか? どんな人になりたかったのですか?」


 私は、何を考えて生きていたんだろう。

 昨日はLINEや動画のことを優先していた。朝はお母さんの小言を軽視していた。


 一昨日は? 一ヶ月前は? 一年前は? 


 そう考えると、私は私以外の何を大切にしてきたのか分からなくなった。何かは考えていたと思う。でも、同じように次の日が来ると思っていた。そのせいで大切なものを見れていなかった。


「私は……もっと色んな状況も考えるべきでした」


 そうすれば、夜更かしなんてしなかっただろうし、心配してくれてたお母さんの小言も聞けたのに。


「こうなるなんて思ってなかったから、ただ何となく、その時の感情だけで過ごしていました」


 こんなにお母さんを悲しませるなんて、考えたこともなかった。


「お母さんが私のことを思ってくれてるのは分かっていました。それなのに……」


 その時、プツッと何かが切れる感じがした。


「ちょうど、あなたの人生が幕を閉じたようですね」


 水鏡を覗くと、床に崩れ落ちているお母さんが見えた。辛くて見ていられない……!


「お願いです、私を戻して!」

「分かりました」




 あ、LINEの返事が来た。 すぐに返さなきゃ。

 うわ! 待って! 推しの動画も更新されてる。明日学校の話題になること間違いなし! 今日中に見なくちゃ寝れない! ふぁぁ〜。少し眠くなってきたけど、もう少しならいいよね。


 ……待ってよ、明日は確か日直だったはず。ってことは、いつもより早く家を出なきゃだめ? マジか。そろそろ寝なきゃヤバイな〜!


 ご・め・ん・そ・ろ・そ・ろ・ね・る・ね


 よし、送信!

 日直のことを思い出すなんて、私グッジョブ!

 お休みなさーい。




 ふぁぁ、もう朝か、もう少しだけ…


「そろそろ起きなさーい」


 もー! うるさいなー。あとちょっとだけ寝かせてよ。

 ……そういえば、お母さんっていつも何時に起きてるんだろう。……って、今日日直だった! 危ない〜!


 私は、ガバッと起き上がり部屋から出た。


「お母さん、おはよう! ごはん何?」

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やり直しの天使 中村 天人 @nakamuratenjin

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