ヤクザ対策委員会、死す

 山谷家に車はない。

 山谷や真智子が武人然として「車などという近代文明の産物は道に不要」と言うから……などではなく、山谷は仮免許を取る前に教習所に通うのが面倒になったと行かなくなり、真智子は何度やっても学科試験で落ちるためである。

 そんな有様なので、山谷夫婦が家に戻るころには辺りはすっかり暗くなっていた。

「ただいま」

「おかえりー」

「そいつらがヤクザ対策委員会とかいう奴らか」

 玄関まで両親を出迎えた澪と姫ギャングであったが、素直に笑顔を向けられないのはキチガイみたいなオッサン三人に取り囲まれているからだ。虚無のような顔をしながら真智子が、

「姫ギャングもよく来たな」

「おばさまも元気そうでなにより」

 と手を伸ばしたが、その手を握ったのはジェイソン。姫ギャングの伸ばした手はパインに叩き落とされた。

「なにかあるといけませんで」

「失礼な奴だな、貴様ら」

「よせマチ、飯にしてくれ。おいどけ」

 棒立ちのハイブリット・アーノルドを押しながら、山谷がリビングに入って行った。姫ギャングとパインがそのあとにつづき、澪とジェイソンと真智子が玄関に残った。

 澪が気まずそうに真智子の様子をチラチラとうかがう。この狂人たちを雇うように話を持っていって、結果として家に入れたのが自分であると自覚しているからだ。母が怒り気味なのは玄関でその顔を見た時点でわかっていた。

「いつまでいるんだ」

「早くて三日、遅くて七日」

 ジェイソンがズタ袋の奥で、くぐもった声を出した。よせ喋るな、これ以上ママを刺激するな。

「貴様には訊いてない。澪、いつまでこいつらはいるんだ」

「……早くて三日、遅くて七日……」

「二日だ」

「あい……」

「そのあと説教を行う」

「待ってよ、ママ。大体この人たちをわたしに紹介したのパパだよ」

「なんだって、聞いてた話と違うな。奴め、娘に全責任を押しつけるとは許せん。まとめて説教してくれる」

「ええ、そんなあ……」

「貴様。飯は」

 ジェイソンが「え、おれ?」というふうに自身を指さした。

「そうだ、貴様だ」

「我々は仕事が終わるまで食わん」

「旦那と娘のせいでコッチはいい迷惑だが、なってしまったことは仕方がない。飯くらいは作ってやろう」

 そういうところだよなぁと母の割り切った性格に微笑すると、真智子がお見舞いの帰りに買って来たらしい食材を袋ごと手渡してきた。真智子のあとにつづいて澪も台所に移動しようとしたとき、チャイムが鳴った。

「お届け物です」

「こんな時間にか」

 もう十九時を回っている。郵便配達も宅急便も来るはずのない時間である。

 ジェイソンが真智子と澪を突き飛ばして、斧を振り上げると、玄関のドアを勢いよく何度も切りつけ始めた。木のドアではないのだから割れるはずもなく、ただ引っかき傷のような痕が残るばかりだった。

「やめてよ!」

 狂態を止めようと飛び掛かった澪を突き飛ばし、ジェイソンがドアを普通に開けたが、そこにはすでに誰もいなかった。ただ、段ボールの箱がひとつだけ置かれていた。

「爆弾かぁ~ッ!」

 ジェイソンはまた斧を振り被って、一気に箱に打ち下ろした。

「バカやめろ、もし本当に爆弾だったら――」

 ざくり。妙に生々しい音がしてジェイソンの斧が止まった。股を割り、ピンとした姿勢で突き出た彼のケツからぶびいと屁が噴射された。

 騒ぎを聞きつけてリビングから山谷以外がぞろぞろと出て来る。

「どうした、ジェイソン」

「この手応え、人体かもしれねぇ」

「その小さな箱の中にか?」

 パインが葉巻をポイと廊下に投げ捨てた。かろうじてそれをキャッチした真智子の顔がみるみる真っ赤になって、携帯用の折りたたみ手槍を組み立て始めた。必死に澪がそれを止める。

 ジェイソンの横にかがんだパインが、ゆっくりと箱を開けた。

「はあーッ!」

 悲鳴を上げてブルブルと麻痺の兆候を示したのは、ジェイソンである。かなりの緊張状態に陥っているらしい。

「小田ミントっ!」

 パインのうめくような悲鳴を聞いて、澪とハイブリット・アーノルドが箱の中を覗き込んだ。脳天に斧が突き刺さった、小田ミントの生首が箱の中に納まっていた。絶叫するような壮絶な表情である。

「小田ミントの生首!」

 澪が振り返って叫んだ。姫ギャングに向けて言ったのだ。

「へえ、くたばりましたの」

 ニヤつきながら姫ギャングが言った。

 なんということだろう。ミントの香りがする口臭で交渉を有利に進めようと考えて、龍王会本山に単身乗り込んだ奴が首を切られたという流れは正直、爆笑不可避ものなのだが、それはそうとして交渉が盛大に決裂したということは重く受け止めねばならない。

「交渉が決裂した場合はどうすんの、対策委員会」

「こらもう戦うしかないですね」

 新しく胸ポケットから取り出した葉巻の先端をハサミで切りながら、パインが渋い顔をした。

 ヤクザ対策委員会が戦うなら、それはもう彼らを雇った意味がない。姫ギャングはお金の払い損であるし、彼女ひとりのほうが恐らく早い。すべてが無駄だった。

「ハイブリット・アーノルド。一応、見張りを頼もうか。これを届けに来た奴が、まだ近くにいるかもしれない」

「任されよ」

 ハイブリット・アーノルドが最前列に立って、辺りを見回した。いつもどおりの静かな住宅街だ。

「気温低いな。全体的に視界が青いっすわ」

 いきなりパンという小さな音がしてハイブリット・アーノルドの頭が吹き飛んだ。

「狙撃だ!」

「ええー!?」

 両目をサーモグラフィーに改造したハイブリット・アーノルドの人生とはいったいなんだったのだろうか。敵を察知することもなく最期に遺した言葉が「全体的に視界が青いっすわ」という、サーモグラフィーが彼の人生になにひとつとして実りをもたらさなかったことを証明して――

「やっべえ! いま超ビビったぁー! 緊張したあー! はー、やっべえー!」

 ジェイソンがそう叫ぶと「あばぶぶぶ」と急激に震え始めた。ハイブリット・アーノルドの急逝に驚き、また全身が麻痺したらしかった。

「ちょ、早く家に逃げ――」

 澪が彼の手を引こうとしたが、地面に手りゅう弾が転がってきて、とっさに手を放してしまった。家の中に飛び込んでドアを閉め、伏せる。すぐに爆発音がして、玄関のドアがべこりと歪んだ。

「畜生、奴らめパイナップル(手りゅう弾)を投げてきやがったか!」

 と、パインが言った。

「え」

「あっ」

 自分の口から発した言葉を反芻はんすうして、パインが絶句した。

 パインのダイナマイトベルトからピピピとなにか音が鳴り出した。慌てふためく様子もなくパインは、無表情の真顔でどこか遠くを見詰めている。

 澪は真智子の手を引いて、避難するようにリビングへ入った。姫ギャングも多少、動揺したような顔をしつつリビングに移動して、ドアをがちゃりと閉めた。

 また爆発音がして、リビングのドアが歪んだ。隙間からもくもくと煙が上がる。

 早くもヤクザ対策委員会が全滅してしまった。

「うるせぇなぁ」

 状況を整理する間もなく、リビングのソファに座る山谷がぼそりと言った。

 掃き出し窓に変に強い光が当たってうごめいており、なにやらバタバタという爆音が外で鳴っている。山谷がうるさいと言ったのはこの音だろう。

 澪が思い切ってカーテンを開けた。

「くっそ!」

 隣家の上にヘリコプターが飛んで、こちらに狙いを定めていた。ミサイルを飛ばす気だ――

「逃げろ!」

 真智子が澪と姫ギャングの襟首を引っ掴んで、掃き出し窓を開けると庭に放り出した。それとほぼ同時にミサイルが山谷家に撃ち込まれた。爆発。澪と姫ギャングは揃って吹き飛び、塀を飛び越えて、隣家の庭に落ちた。

 また一発。また一発とミサイルが発射され、ついに山谷家が爆発炎上した。

「パパとママが!」

 まだふたりは家の中にいた!

 澪が立とうとしたが、姫ギャングに抑え込まれた。

「ここは見送りましてよ」

「でも!」

「復讐の前に、奴らに死んだと思われてたほうが都合がよくてよ」

「そうじゃない! パパとママが!」

「おじさまとおばさまがこの程度で死ぬのなら、今まであの方たちは何度死んでたでしょうね」

 満足したのか、ヘリコプターが遠ざかってゆく音がする。

 澪の口に手を被せ、押し倒したままの姫ギャングが夜空を見上げている。一分、二分経って、ようやく姫ギャングは澪を開放して立ち上がった。静けさは近所の人たちのざわめきとパチパチと炎が火の粉を飛ばす音に変わっている。

「準備を」

 姫ギャングに言われ、澪は彼女の頬を思いきりビンタした。これくらいで泣きはしないが、お前のせいだぞという強い怒りを持って、その白い頬を叩いた。

 ズレたサングラスを元の位置に戻しながら、姫ギャングはまた「準備を」と言った。

 ――なんの準備を。――戦う準備を、である。

 ふたりはピョンと塀を乗り越えて、また山谷家の庭に戻った。家はひどい有様で真っ赤に燃え盛っている。がらりと天井が落ちた。

 澪と姫ギャングが準備のために向かったのは、山谷家の離れ倉庫である。そこに武芸百般をスタイルとする父親の武器と、澪の装備が一式あった。

 立てつけの悪い木の引き戸を開けて、ほこり臭い倉庫の中に入る。姫ギャングが入口に頬をさすりながら座り込む。心なしかしゅんと小さくなりながら。

 澪はまず壁に掛けた大薙刀を手に取った。大振りで、うっとりするほどの美しい刃の反りをした巴型のこの薙刀は、攻撃的で気難しい。これを巧みに操れるのは自分くらいのものだろうと、澪は自負している。

 制服を脱ぎ捨て、部活で使っている稽古着を身にまとう。そしてはかまを着用する。防具の類は装備しない。澪の戦場では邪魔なだけの必要のないものである。が――真剣の戦いを薙刀でする際にはもうひとつ、防具というわけではないが装着するものがあった。

 薙刀。稽古着。袴。その横に並んで壁に掛けてある般若の面を顔に被せて、澪の支度は済んだ。

「姫ギャング」

「あら、やはり美しいわね。でもその般若面は必要なくてよ」

「顔を割られて、身バレしないためには必要だから」

「相手は龍王会。絶対に意味なくてよ」

「いいの」

 関わるつもりはなかったが、家までマジで吹き飛ばされたのならるしかない。姫ギャングの戦いからわたしの戦いになったと認識した澪は、当初から姫ギャングが考えていたとおりのことを実行しようと考えていた。

 明日は土曜日。明後日は日曜日。学校がある月曜日までに龍王会を血祭りにあげてしまおう。そういう話である。どんな刺客が送り込まれても屈する気はない。

 澪と姫ギャングが倉庫を出ると、消防車のサイレン音が鳴り響いていた。

「パパとママはまぁ――」

「そりゃあ生きてますわよね」

 庭の端で山谷と真智子が座って、なにかしらを話していた。やはり普通に生きていた。

 こちらにふたりは気づいて、

「澪も姫ギャングも無事か。よしよし」

「その恰好はやる気か、まぁほどほどにな」

「わたしと姫ギャングは土日を使って暴れようと思ってるけど、パパとママは?」

「あたしはいい。道場にしばらく暮らすから、帰るときはそっちにな」

「おれもそれどころじゃない。家を建て直す金を稼がんとな……シズカに仕事の情報もらうか」

「そっか」

「貴様、娘を頼んだぞ」

 真智子が武人らしい涼し気な目をしながら、姫ギャングに言った。

「お任せくださいまし。わたくしたちは組めば強くてよ」

「はあ~あ……」

 きっとそうだろう。わたしと姫ギャングは組めば、最高のコンビ。

 それはいいのだが、こんな事件に巻き込むのはこれで最後にしてほしいものだ。それさえなければ姫ギャングのことは大好きなのだが――


 武芸百般の父と槍術士の母を持つ薙刀の澪。

 某国の姫でありながら超一流の銃撃手にして姫の姫ギャング。

 このふたりが出会ったのは七年前。澪が九歳のころのことであった。そのときの共闘以降、ふたりは友情を超えた関係を築くようになったのである。

 ――ここで物語は唐突に、七年前にさかのぼるッ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東京武闘変 獄道流文吉 @gokudoryu_bunkichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ