姫ギャング、ヤクザ対策委員会に任せる
朝っぱらから不吉なラインメッセージを見せられた澪は、六時限目の授業が終わるとすぐに、部活も休みにして家に直行した。
「ただいま!」
玄関でローファーを脱ぎ捨て、リビングのドアを開けると、いた。食卓でプーの父親と談笑する姫ギャングが。
「あら、澪じゃありませんこと?」
「パパ、なんでコイツ家に上げちゃったの? 討ち入り行ったんだよ、絶対に追っ手つけてるって」
「らしいなあ。話を聞いたんだが、まさかの龍王会だと」
「バカじゃないの?」
心の底から呆れ、ドン引きしながら言ったのに、姫ギャングは照れ臭そうに頭を掻いている。違う、別に大胆不敵と褒めたのではない!
「ウチまで巻き込まれるじゃん。どうすんの、家を爆破なんかされたらさー」
「わたくし、しばらくここに滞在しますので、そのつもりで」
「は? なんで? いやいやいや……お金あるでしょ。なら、どっかのホテルとかに宿泊すればーー」
「……変わりましたわね、澪。昔のあなたはわたくしをそんな邪険に扱ったりはしなかった……なにがあなたを変えたのかしら? 反抗期……思春期……環境の変化……傲慢な性根……」
「毎回、ウチ来るたびに変な問題もいっしょに持って来るからでしょー! 戦いに巻き込まれてばかりで、もう嫌!」
「わたくしに野垂れ死にしろとおっしゃるの!? 外には恐ろしいアウトローの群れ、姫になにができて!? それでも出て行けとおっしゃるの! 冷たい娘ですわね、あんまりでしてよ!」
サングラスの下から滂沱の涙を流して見せて、わああと姫ギャングが机に突っ伏した。
「すぐにポンコロポンコロ銃をぶっ放す姫がなに弱いフリしてんの?」
「うおおん、うおおん!」
甲高い泣き声を上げながら、姫ギャングが机をドンドンと拳で叩いた。明らかに演技だ。
「澪、やめないか。姫ギャングが泣いてるじゃないか」
「騙されちゃダメだよ、パパ。コイツ昔、わたしに『涙はとうの昔に枯れ果てましてよ』とか言ってたかんね」
「うおおーん! うおおーん!」
「ぐわっ、うるせ!」
もうオシマイですわシシマイですわ、と号泣する姫ギャングを見ながら澪は頭を抱えた。そこまでしてウチで遊びたいのか、姫ギャング……
「うおおーん! うおおーん!」
バンバン!
「うるっさい! もう好きにしたら!?」
「苦しくなくてよ」
けろりとして姫ギャングが言った。
「で・も!」
澪は左手を腰に添え、中腰になり、びっと指を姫ギャングの眼前に突き出しながら、
「龍王会とどこかで手打ちでもしなさいよ」
「なぜですの? ここを拠点にしながら、順に組織の柱を撃ち殺してやりますわ」
「あのね、アンタはひとり。向こうは関東の大組織。負けないにせよどんだけ時間掛かると思ってんの。その間にこの家、爆破されるって」
「急げばいいんでしょう、急げば」
「あーもう! このバカ!」
「バカはあなたでしょう! やかましくてよ!」
姫ギャングは確かに強い。ヤクザたちがどんな武装で、どれだけの人員を差し向けて来たとしても彼女には敵わないだろう。急ぐと言うのなら、組長だって一週間以内には暗殺して、組織を上から順に瓦解させるに違いない。姫ギャングにならできる。
だが――相手は関東屈指の闇組織。戦慄すべきコネクションがないとは到底、思えない。今はまだ三流の殺し屋などを雇っているくらいだろうが、切羽詰まってくれば、いずれは裏闘士の強豪を引っ張って来るに決まっているのだ。
金を積まれれば動く、という性質でいえば姫ギャング自身もそうであるし、澪の父である山谷だってそうだ。姫ギャングの命を山谷が本気で狙ったとすればどうだ。仮に木村鬼雅やヘクセンなどが追っ手についたならどうだ。少なく見積もっても、天才的な殺し屋姫ギャングでさえ無傷では済まない。
といった話をするのは彼女のプライドを傷つけると思って、澪は遠回りに安全的に落としどころを模索しろと言ったのだが、まるで理解してくれない。このバカが死んだら悲しいし、負傷しても心が痛む。だから言っているのに「やかましくてよ」と来た。いつもこうだ、コイツは。
澪がむぐぐ……と姫ギャングを睨んでいると、横から山谷が、
「まあしかし、このまま真っ向から龍王会を相手にしていても報酬と釣り合わんだろう。赤字の仕事だぞ。弾だって安くはない」
「それはまぁ、そうですわね」
「お前の仕事は終わったんだし、残りは軽く済ませられるに越したことはない。違うか。おれだって家を爆破されたくないしな」
「……」
「パパ、なにかいい案があるの?」
「おれもヤクザどもとはそれなりにゴタついたからな。一度だけシズカからヤクザ専門の問題解決業者がいるって情報をもらった。結局そんときは自分でどうにかしたが、それに頼ってみてはどうだ」
「なんですの、そいつら?」
「ヤクザ対策委員会……っていうらしいんだが」
机の姫ギャング側にドスと名刺が突き刺さった。さすがパパと言いたいところだが、名刺くらい普通に渡せ。
名刺に書かれた番号に電話を入れてから一時間ほどして、連中が尋ねて来た。四人組の男であった。今度は食卓にヤクザ対策委員会と山谷家プラス姫ギャングが向かい合った。
「龍王会と喧嘩続行など言語道断でしょう」
みちみちとした筋肉で今にも張り裂きそうなタンクトップを着た、彫りの深い角刈りの男が葉巻を咥えながら言った。なぜか胴に大量のダイナマイトを巻きつけている。
「やり方というものがあるのですよ、ヤクザを相手するときにはね」
「お金を払ってあげてもよろしいですけど、その前にプランを聞かせてくださるかしら」
椅子にふんぞり返って、姫ギャングが言う。「なにその態度は」とぴしゃりと机の下で彼女の膝を叩いたら、肘で二の腕を叩き返された。
「まず、交渉人の小田ミントを派遣します」
「よろしく」
小田ミントと紹介された男が澪の前までおもむろに寄って来て、唐突にぶはあと息を吐いた。まるで口臭を嗅がせようとするように。
不快感が〇から一〇〇まで一気に跳ね上がり顔を歪めた澪の横で、姫ギャングが銃を抜いて小田ミントに突きつけた。
「あれ、ミント」
小田の口臭はミントの香りだった。それもただのミントの域を超越した、香しく華やぐ最上級のミント臭。不快感が一〇〇から〇まで下がり、安心度や信頼度が一〇〇になった。心が癒されてゆく――
「いい香り……」
「これがわたしの交渉の武器ですから。わたしだけの道ですから」
「素敵……」
洗脳されたふうにうっとりとして澪が言った。
「気色悪いですわね! しっしっ、しっしっ! ハウスハウス! でぇ、他の三人はなんですの!」
露骨に不機嫌になって姫ギャングがわめいた。山谷は置物のように天井を見詰めているだけだ。彼はたまにこうなる癖があった。
「小田ミントが交渉する間、わたしたちがあなたたちを護衛します。わたし、パインと――」
葉巻の灰を落として、筋肉男が名乗った。
「おれ、ジェイソンと――」
血で錆びた斧を手に持つ、ズタ袋をすっぽりと頭に被った狂人が名乗った。
「ハイブリット・アーノルドの総勢三名が」
顎の長いサングラスの巨岩のような男が名乗った。顎長族の雄であろう。
「あなたたちをヤクザから守る。上層部からの指示が完全に出るまで、末端はどんどん動きますから」
「守ってもらわなくて結構」
じゃらららと銃のシリンダーを回し、がっちと銃に戻して姫ギャングが言った。
「わたくしは強くてよ」
「だがヤクザだけに対抗するように仕上がった専門的な強さではない」
「どういうことです?」
パインの謎めいた言葉に、澪が反応した。
「ことヤクザと張り合うことにおいて、我々以上の人間はいないということですよ。どんなに強くても、その術を持たぬ者はいずれヤクザの罠に掛かって死ぬ。たとえば、このジェイソン」
名前を出され、ジェイソンがぶんぶんと斧を振り始めた。危ないからやめろと言いたかったが、どう見てもアメリカの湖あたりで暴れる殺人鬼のモンスターなこの男に対して、下手に口を利かないほうがいいような気がして、澪は押し黙った。
「対ヤクザ戦術のプロフェッショナルです。ただ往々にして人には欠点もある。彼の場合は極度の緊張状態に陥ると、全身が麻痺して動けなくなるという点ですか」
「……」「……」
澪と姫ギャングが顔を見合わせた。言葉にせずとも、姫ギャングもそれは決定的に使えない致命的な欠点だと思っているに違いないとわかった。
「ハイブリット・アーノルドは両目にあの熱の感知するやつみたいなのを入れています」
「ああ、あの熱の感知するやつみたいなのね」
「わたくしも知ってますわよ、あの熱の感知するやつみたいなの」
「サーモグラフィー?」
山谷と姫ギャングのなかば意味不明な反応を流しながら、澪が訊いた。誰もなにも答えなかったが、恐らく合っている。というかなぜ、サーモグラフィーを両目に移植したのだろうか。
「おれはヤクザを熱感知することが可能だ。どんなに奴らが一般人を装ってもわかってしまう」
ハイブリット・アーノルド自身による説明は、なんの説明にもなっていなかった。なっていなかったが、もうどうでもよかった。好きにすればいいじゃんと澪は投げて、姫ギャングに金を払っちゃえとアイコンタクトで合図した。
とっとと交渉してもらって丸く収まればそれでいい。そのあとはこの狂人たちとも別れて、姫ギャングが滞在している間、彼女と羽を伸ばしてどこかへ遊びに行ったりすればいいのだ。
「ちゃんと働いてくださいまし。一週間、雇いますわ」
アタッシュケースを机の上にゴンと置いて、パインのほうへ滑らせす。パインがケースを受け取り、中を開いて札束を確認した。
「ああ、そうだ……わたしについても少しだけ覚えておいてほしいことがあるのですが」
慣れた手つきでダイナマイトのついたベルトを外して、
「わたしとともにいる間……決して『パイナップル』とだけは口にしないでいただきたい。もしその単語を耳にすれば、わたしは……このダイナマイトが爆発して死に至る」
「……」「……」
――なぜ?
「聴覚情報で作動するダイナマイトなのです。どうしてそんな物を着けるのか? ふふ、簡単なことですよ。すべてはスリルのため。日常生活の中で『パイナップル』という単語はまず出ない。出ないが、じゃあ絶対に出ないかと言えばそうでもない。ふと出るかもしれない、という緊張感があります。スーパーなんて行った日にはね、あなたたち。特に果物コーナーなんて行ってごらんなさい。あれはベトナム戦争や湾岸戦争なんて比較にもなりゃしませんよ。わかりますか、エキサイティング・アンド・エクスタシー」
はははと笑いながら、パインがまたベルトを胴に巻きつける。
机の下で澪は震える手を伸ばして、姫ギャングの手を握った。
パインという男が怖かった――違う、自分自身が怖かったのだ。無性に『パイナップル』と言いたくてたまらない。言ったらマジで爆死するのか、この男は。禁じられたことを試したくなる自分が怖かった。
姫ギャングの手が澪の手を握り返してきたが、そちらも震えている。手を握り合わねば発狂しそうだった。
「話はまとまったようだな」
ずっと黙っていた山谷が立ち上がり「マチを迎えに行って来る」とだけ残して、出て行った。三代目のお見舞いに行っている真智子を迎えに行ったのである。
「小田ミント、早速」
「行ってみようか」
爽やかなミントの香りを漂わせながら、小田ミントがリビングを出た。玄関のドアの閉まる音が聞こえるまで、姫ギャングは彼のほうを睨みつづけていた。
「では、わたしたちがあなたたちを護衛します」
そう言って、パインとジェイソンとハイブリット・アーノルドが三角形になって、澪と姫ギャングを囲んだ。おしくらまんじゅうのような息苦しさがある。
ふたりで気兼ねなく遊べるようになるまでの我慢だ。澪と姫ギャングがトホホと、また顔を見合わせた。
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