姫ギャング、ヤクザに狙われる

 宿泊場所の選択肢はいろいろあったが、最終的に姫ギャングは高級グランドホテルを選択した。もちろん、即金のスイートルーム。

「だって姫ですもの」

 それでも広さやきらびやかさ、快適さにサービスのよさ、食事の質、ベッドの弾力などなど全てを合算して四十点くらいといったところである。

 長く飛行機に乗り、電車に揺られて遠路はるばる東京に到着した姫ギャングは疲れ、酒を煽らずにはいられないと、ホテルの地下にあるバーに小さな安らぎを求めた。

 カウンター席に座り、即金で開けさせた四十年モノのロマネ・コンティに口をつける。ぶどうの香りが鼻を抜け、爽やかな余韻を残して体に羽毛のように溶けた。そのあとに、樽の渋みが口内に波紋する。脳裏に浮かんだ果実が香る、そよ風の草原の先で、アルコールたちが優しく手を振っている。

 酒とは本来、こうして優雅にあるべきであり、戦友である澪の母親、真智子のようにパックの鬼ころしなどをちゅうちゅう吸っているようではダメなのだ。澪の父親、山谷のようにワンカップ酒を飲み干してげはげは言っているようではダメなのだ。クソなのだ。

「あちらのお客様からです」

 バーテンダーが姫ギャングの前にカクテルをひとつ、置いた。見たところ、ラムとコァントロの口当たりのいいカクテル、XYZであった。終わりを意味する酒である。

 姫ギャングはバーテンダーが手を差した、あちらのお客様を見た。カウンターの左端に帽子を深く被った男がいた。

 右の脇腹に気配を感じ、姫ギャングがそのなにかを手で掴んだ。なにかの正体は、ナイフを持った手だった。右隣に座っていた男が、姫ギャングが奥を見た瞬間に刺そうとしてきたのだ。

 ぐりと指を男の手に絡ませる。骨子術の指がらみを掛けて、開いた男の手からナイフを簡単に奪い取ると、トンと男の心臓に深々と突き刺した。音もなく、流れるように、自然に。ぐう……と小さくうなって、男が静かにカウンターに顔を伏せた。

「このカクテルは不味くて、飲めたものではなくてよ」

 固まるバーテンダーに言う。ほのかに鼻につく臭いでわかる、毒入りのカクテルだ。

 席を立って、姫ギャングはバーを出るとエレベーターを待った。それなりにセレブな身なりの男女と、スーツ姿の男、OLらしき女が横に並んだ。

 チンとエレベーターのドアが開き、順に中に入る。四角形の密室で姫ギャングを含めた五人が無言で立っている。機械の小さな駆動音がするだけで、ひたぶるに静寂である。

 だからこそ、銃を抜く音が際立った。

 スーツ姿の男が銃を抜いて、姫ギャングに向かって発砲した。ひらりと弾丸をかわし、男の頭を撃った。

 男女の悲鳴が上がる。

 脳しょうを壁に飛び散らせ、男は倒れ様にもう一発撃った。それは姫ギャングの隣にいたセレブな男女の、女のほうの腹部を貫いた。

「ぎゃあ」

 女の巻き添えに関心を寄せず、姫ギャングは左の掌でスーパーブラックホークの撃鉄を高速で叩き落とし、OLの喉に弾丸を叩き込んだ。彼女の手には、銃が握られていた。

 チン。エレベーターが最上階に着いた。

 情けない声を上げて這う男と、腹部を押さえてうめく女、ふたつの死体を放置して姫ギャングは廊下に出ると、さっさと自分の部屋に戻った。

 ロイヤルクラウンを机に置き、ドレスを脱ぐ。真っ白なタイツストッキングも際どいセクシーな下着も脱いで、しかしサングラスは取らずになんの罪もまとわぬ姿になった。お風呂の時間である。

 高貴なる姫なので汗などかかないが、姫だからこそ体を清潔に保つ。姫として当たり前のことなのだ。

 早速、大理石の浴室に入ろうとしたところで呼び鈴が鳴った。

「ルームサービスでございます」

「間が悪くてよ……」

 ぺたぺたと冷たい石の床からフカフカのカーペットに移動し、机の上の銃を何気なく手に取って、弾を込めながらドアに向かう。

「頼んでなくてよ」

「お手紙を預かっております」

 ドアにある小さな覗き穴、ドアアイにパツンと弾丸を叩き込むと、全裸のまま姫ギャングは浴室にきびすを返した。

 銃を手に持ったまま、片目を撃ち抜かれ、廊下に倒れるルームサービス……の恰好をしたヤクザ構成員が見つかったのは十分後。警察が姫ギャングのスイートルームに乗り込んで来たのは十五分後だ。

「こらぁ、シャワーから出て来い! 姫ギャング!」

「やかましいと思ったら、宇野刑事じゃありませんこと」

「まーた問題起こしやがってこら! 出て来い!」

「入浴中でしてよ。あと四十五分、待ってくださるかしら」

「なっがい! ウチのカミさんもだが、女ってやつぁ風呂でなにしてやがんだ!」

 浴室の磨りガラス越しに、姫ギャングと宇野刑事が会話する。

 いつも同じ青のロングジャンパーを羽織った恰幅のよい宇野刑事は、若いころから組織上部に歯向かってはヤクザや犯罪者、警察内部の汚職警官などを相手に奮闘し、ときには問題を起こしがちな裏の闘士ともバチバチやってきた生粋の野良犬だった。

 そんな彼も今では七十代後半のクソジジイ。とっくに定年退職を迎えているのだが、東京の治安の悪さを憂う警察本部の要求もあって、こうして特別待遇で復帰していた。

「宇野さァん、龍王会の鉄砲玉ですよコイツは」

 警官たちに紛れて、廊下の死体を観察していた若い刑事が言った。

「わかってらァ東亜とうあ! だぁってろい!」

「ジジイの怒声を聞いてたら、耳にカビが生えちゃうよねぇ」

 隣の警官に、いたずらっ子のような笑顔を見せながら悪びれもなく東亜は言う。

 昔ながらのボケ気味頑固ジジイな宇野の相棒は、あまりの女好きが問題視され去勢された東亜である。去勢されてからというもの、彼はトロンとしてなにかがおかしくなってしまった。腕利きではあるのだが――どちらも姫ギャングにとっては日本お馴染みの顔であった。

 湯船に浸かり、気の向くままに脚を伸ばしながら姫ギャングは刑事コンビの質問に答え、ここまでの経緯を話した。サングラスはつけたままだ。

「ばっかやろう! なぁーに考えてやがる、討ち入りなんてすりゃあ関東最大の指定暴力団、龍王会が黙ってるわけないだるるォ! 日本はなぁ、法治国家だぞ! テメーらみてーなクズどもが好き放題テレホーダイやるせいで東京はプチスラムだ、クソッタレ!」

「じゃあわたくしが掃除してさしあげましてよ。向かって来るんですもの、殺すしかありませんわ」

「簡単に言うけどさぁ、龍王会だよ。殺し屋のコネだっていーっぱい持ってる奴らなのは知ってるでしょ。さすがに荷が重いって」

「姫ギャングをおめでないよ」

「ここはねぇ、ひとつ……おたくはあたしらに捕まって、留置所なり刑務所なりで保護されるってのが道理だよねぇ。そのほうが絶対に安全だし、余計な死人も出ない。ね。ヤクザだけじゃなくてさ、おたくらがバチバチやれば周りの弱い人たちは死んじゃうじゃない。無事じゃいられないじゃない。それが、よくないねぇ」

「あたくしに逮捕されろと?」

「事が落ち着くまでの形式上。まぁ警察のほうは龍王会と喧嘩は避けたいだろうから、手打ちの落としどころを探すと思うけど……」

「おれぁ、見逃さんぞ! 龍王会もしょっぴいてやる!」

「またぁ。宇野さぁん、死んじゃうってばぁ」

「ククク……」

 笑いながら、バスローブをまとって浴室を出る。人に乙女の素肌を見せるという恥さらしな真似はしない。だって姫ですもの。

「出て行ってくださいます? わたくし、もうオネムでしてよ」

「話を聞いてたんですかぁ、姫ギャング。おたくはね、今からあたしたちと一緒にパトカーに乗るんですよ。グランドホテル内で四人も殺しちゃって、もう……でもって、巻き添えで重傷者一名。やっぱダメだね、放っておくのはねぇ」

「東亜、オメーの声聞いてたら蝸牛が腐りそうだ! 羊水の腐ったみてーな声しやがって、ああ!? おい、姫ギャ――」

 東亜の抜いた銃が、彼の手元から抜け出るようにして飛んだ。姫ギャングの右手に持った銃は先端から硝煙しょうえんが漂わせている。そして左手に持った銃は宇野の頭に狙いを定めているが、それは宇野が抜いた銃も同様で、姫ギャングの頭に銃口を向けている。

「両手拳銃……バスロープ一枚でどっから銃を出したぁ、マジシャンかぁテメーはよぉ!」

「バスローブに挟んでおいたに決まってるでしょう? にしても東亜、抜くのが遅くてよ」

「へへっ、姫ギャングや宇野さんと比べられちゃあねぇ」

 突然の修羅場に慌てふためく警官たちを他所よそに、至極ゆっくりとしたペースで自分の銃を拾うと、東亜が部屋を出た。

「抜くスピードはさすがに早いですわね、鬼の宇野。でもここから先はどうかしら」

 不敵に姫ギャングが笑った。

 自信に満ちていた。銃撃戦でおくれを取るわけがない。

 睨みつける宇野の額に脂汗が滲み始めた。なまじ腕がある分、わかるはずだ。技と身体能力、年齢も含んだ絶望的なまでの実力差が。

 宇野はぐぐぐ……と悔しそうに肩を震わせ、顔を真っ赤にしながら銃を振り上げた。

「っだぁーッ! ちっくしょうめぇーッ!」

 ふんぞり返って、銃を投げ捨てようとしたが、思い留まった様子で銃をホルスターに収めた。

殊勝しゅしょうな精神ですわね」

 負け戦をしない老人の判断をめたわけではない。命を預けた銃を怒りに身を任せて、捨てなかったことに対して「殊勝だ」と言ったのである。このしつこい老いぼれのそういうところが、姫ギャングは嫌いではなかった。

「宇野刑事!」

「死体連れて帰るぞ! このアマにゃ構うな!」

「早くお帰りになってくださる? 湯冷めしてしまいますわ」

「この編成じゃあ捕獲できねーから退くだけだぁ! 次ぁなぁ、特殊部隊とかそらもう戦車とか率いて来るからなー! 覚悟しとけ、クソプリンセス!」

「なんでも連れて来てくださいまし。じゃあ、ごきげんよう」

 スイートルームを揺らしてドアが閉められた。

 ほっと一息吐く。無法者を相手するより堅気を相手するほうがややこしく、悩ませられる。撃ち殺して済まないのだから面倒臭い。

 今回はなんとか宇野を撒けたが、毎回こうはいかない――

「くしゅん!」

 体が冷えてきた。くしゃみをして鼻水を飛ばした。高貴なる姫がそんなのでいいのか?

 いいのだ。姫も人間なのだから。


 翌朝にホテルをチェックアウトした姫ギャングは、タクシーで池袋駅に移動してから各駅停車の電車に乗車した。目的地は練馬。山谷澪の家に向かうつもりだった。

 姫だからと言い張って他の乗客を追い払い、ドデカいアタッシュケースを前の対面座席に置いて両側を陣取った。

 電車が動き出す。

 姫ギャングはくつろぐ態勢に入ると安物のスマホを開き、ラインで澪にメッセージを飛ばした。

「来なくていい」

「今から澪の家に行く」

「なんで」

「面倒事持ってきそう」

 ……そのとおりだ。

 とりあえず、タンドリーチキンのスタンプを送る。ふぐの刺身のスタンプがなぜか返ってきた。

「誰に断って、そこに座ってますの?」

 顔を上げると、前の座席にトカレフを構えた特徴のない男が座っていた。

 ひと目見て構成員ではなく雇われの殺し屋だとわかった。銃の持ち方、落ち着き方、人を殺す覚悟ができた目。プロ……しかし自分と比べれば三流以下のカスである。

「同業者と聞いていたが、ここまでおれを近づけるなんて笑わせてくれる」

「近づけても危険がありませんもの」

「自信過剰じゃないのか」

「リボルバーにサイレンサーは効果がない」

「ん?」

「にも関わらず、電車の中でなんて大胆ですわね」

「大胆な男は嫌いかい」

「好きじゃなくてよ。だってわたくしが大胆な女ですもの」

 銃を抜いて、撃った。

 トカレフとブラックホークではまず重さが違う。抜き打ちでなら有利は結果を見るより明らかだ。加えて、相手はすでに構えている。引き金を引けば弾丸が発射される状態。それをスピードで姫ギャングは破った。

 殺し屋は背もたれに深くもたれ掛かって、事切れた。

 乗客たちがじいっと姫ギャングのほうを見ている。今すぐにでもパニックが始まりそうな雰囲気である。それはまたまた面倒臭い。

「静かにしていてくださる? 騒いだ愚民は、この男のようになりましてよ」

 そう脅して、むりやり黙らせた。駅に着くまで静かにしておいてくれればいいのだ。池袋駅から練馬駅まで各駅停車でたったの五駅。時間にして十五分ほど。それだけなら小学生の子どもでも黙っていられるはずであろう。


 駅を降りて、懐かしい練馬の街を歩く。二年前に遊びに来て以来だが、あれからあまり変わっていることもなく、あのときのままにいちいちを楽しめる。

 道行く人々に物珍しそうな視線を送られながら、住宅街へ入る。彼女が国に持つ領地のひとつである村よりも遥かに家は多いのに、あれら村と同じくらいに静かな場所だ。

 二年で澪はどれだけ大きくなっただろう。場合によっては、姫である自分が率先して、大人のレディが持つべき嗜みを澪に教えねばなるまい。

 使命感に心踊らせる姫ギャングの前に、黒い高級車が二台停まった。

 ばたんとドアを開けて、マシンガンを持った男たちが続々と車外に出てきた。横一列になって通りをふさぐと、彼らは無言で撃った。

 アタッシュケースを即座に地面に置く。

 銃で応戦しながら、端に走る。家の塀を垂直に駆けながら、タンと蹴って跳んだ。そこまでに六発撃っている。すなわち六人を倒したあと、彼女は大きく跳ねて上空でリロードしつつ彼らの背後に着地した。

 まだ黒スーツたちは撃つのをやめて、上を向きながら方向転換しようとしているところだ。

 狙いを追えない愚図ぐずが、どれだけ束になろうとわたくしには掠り傷ひとつつけられなくてよ。

 早撃ちで端から順に撃っていく。さながら西部劇のガンマンのようにどんどん撃鉄を叩き落として撃ち、六発撃ったらすぐにシリンダーを開けてスピードローダーで弾を装填そうてんする。

 リロードの工程を経ても目に留まらぬスピード、シングルアクションのマグナムでこれは怪物である。

 一分も経たず、十秒もせぬ内に、通りには黒スーツたちの死体がぴっちり一列になって転がっていた。反撃の機すら与えなかった。

「弱過ぎて暇潰しにもなりませんし……段々と、ただただ鬱陶しくなってきましたわね」

 ぼやいて、姫ギャングはアタッシュケースを拾いに戻った。

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