第二歌 姫ギャング流星篇
姫ギャング、討ち入りに行く
玄関の自動ドアを開き、外に出ると秋口には似つかわしくない熱気と、まばゆい光が射してきた。反射的に手を目の上にかざして光をさえぎり、目を細める。
学校帰りに慶應義塾大学病院に寄った澪は、今し方、三代目ポポアックのお見舞いを済ませ、家に帰るところであった。
全治七ヶ月。
それが、バーニングムーン・マッチで無謀にも裏格闘社会の頂点に君臨するアリス=リデルに挑み、呆気なく返り討ちに遭った三代目に下された診断である。
広い駐車場を抜けて、敷地の外で信号を待つ。数分してぴっぽーぴっぽーと音が鳴ると、雑踏が横断歩道を渡り始めた。それに紛れて澪も歩を進めていると、ネイビーのボストン型スクールバッグの中でスマホが震えだした。二回。震えた回数はそれだけだ。電話ではなくメール通知だろう。
反対歩道に渡ってから、スマホを取り出して確認するとラインメッセージだった。
送り主は姫ギャング。アイコンには彼女、姫ギャング自身の写真が使われている。ピンクのドレスに、金髪の縦ロール。頭に乗ったロイヤルクラウン。ヤンチャそうに八重歯が光る。そして目はサングラスで隠されているのだが、そのサングラスがワンレンズの、しかもフォックス型の両端に釣り上がったサングラスで、見るからにガラが悪い。姫ギャングの名に恥じない見た目である。メッセージ内容は一言「日本到着」。
戦友からの久し振りのメッセージに内心喜びつつ、澪が「なにしにきたの」と打ち返す。澪はメールにおいてもラインにおいても「そっけない」と周囲から言われるタイプの人間であった。
すぐに既読がついて、秒で返信が返ってくる。また一言「討ち入り」とだけ書いてある。
「討ち入り?」
姫ギャングは決して嘘を吐かない。そういう奴だと澪は知っているので、討ち入りのために日本に来たというバカみたいな内容の話も信じられる。
スマホの画面をワンボタンで消して、スクールバッグに仕舞う。
大なり小なり、ありふれた日常を送る人々の波を見詰めながら、澪はなぜ自分の周りはこうなのだろうと疑問に思った。
小さな白い雲をいくつか浮かべた晴れやかな青空は、彼女の疑問になにも答えはしない。
メルカリで購入した中国製の安いスマホを見ながら、姫ギャングはフラフラとあちらこちらへ住宅街を歩いていた。
「目的地に、到着しました」
無機質な音声案内が言った地点で立ち止まると、ひび割れたコンクリートのビルの前だった。玄関口の看板には、代紋こそ掲げてはいないが「龍王会」「塩山組」と書いてある。目星の場所で間違いない。
暴力団の事務所というものは意外に素性を隠さない。それは今も昔も変わっておらず、なぜなら隠したところで警察の目から逃れられはしないからである。彼らにとって必要なのは逃げることではなく、警察という強大な組織と張り合う力を持つことか、あるいは警察を懐柔できるなにかを手にすることなのだ。
「ちょいとそこのお姉ちゃん」
買い物袋を両手に下げたおばさんが体を丸くしながら、周囲に目を配って姫ギャングに耳打ちした。
「アンタ、外人さんだからわからないんだろうけど、ここをそんなジロジロと見てたら危ないよ。ヤクザ、ヤクザ。マフィア、マフィア。ジャパニーズマフィア。関わっちゃダメだよ、ここの奴らなんてすごい暴力的でたまに配達に行ったピザの兄ちゃんなんかボコボコにされてるんだから」
「問題なくてよ」
「あい、塩山組ぃ!」
一階のオフィスにはデスクが並べられ、それら全てに電話が置かれている。受話器を持って威勢よく受け答えする男がまずひとり。他の組からの電話を取る電話番であろう。ほかの四人は競馬新聞を読んだり、雑誌を読んだりしている。
「ごきげんよう」
五人の視線が、入口から入って来た姫ギャングに注がれた。
電話先にペコペコしていた男が呆然として「じゃあ失礼しやす」と、静かに受話器を置いた。
「なんじゃい、お前……」
「姫ギャング。殺し屋でしてよ」
「殺し屋ぁ?」
競馬新聞を机に叩きつけて、頬に傷の入った人相の悪い男が姫ギャングの前に立って、彼女のあごをグイと手で持ち上げた。
「イカレてんのか、アマ。売るぞコラァ!」
男の背中に赤い穴が空いた。
――銃声と閃光。姫ギャングが男の腹をゼロ距離で撃ったのである。
バン、バン、バン。
穴が三つに増えた。ひとつ増えるたびに男は大きく体を揺らし、口から血を吐いた。
「チャカ持ってンぞ!」
次々と男たちがズボンから銃を取り出して、姫ギャングに向けて発砲し始めた。みずからが腹に四発、鉛玉を叩き込んで殺した男を盾にして前進する。弾丸を全て死体に任せた姫ギャングは、悠々と弾をリロードしてから彼の体に銃口を密着させて、ひとり、ふたりと盾の前に立つ敵の頭を見事に吹き飛ばした。先に貫通させておいた穴を利用して、盾の向こうへ攻撃しているのだ。
残ったふたりは発砲しながら前進して来る。やり易くて仕方がない。自ら撃つのに楽な圏内に入って来てくれるのだから。
これはヤクザ者の習性ともいうべき行動であった。彼らに銃撃戦のイロハというものはない。拳銃もドスやヤッパと変わらない武器と認識しており、接近して相手を一撃で確実に仕留めるというやぶれかぶれな戦法を当然としているのだ。
姫ギャングが死体を蹴飛ばした。ひとりにぶち当てて、片方の注意が逸れたところをワンシュートで脳天を決めた。死体の下敷きになった男の銃を持つほうの手をヒールで踏みつけ、頭を撃ち抜く。
「なんの騒ぎじゃ!」
銃声を聞いて、階段を駆け下りて来た構成員たちも、姿が見えた順に撃つ。反撃される前に流れ作業的に撃って、リロードして撃つを繰り返した。ごろごろと階段を転げ落ちて来るのは死体ばかりである。
撃ちながら、姫ギャングも階段の下にゆるりと移動している。人に反撃を許さずに射殺する完全な弾丸の角度が、彼女には視えていた。たとえ、相手が撃ってきたとしても全てかわしきれる自信があった。銃と弾に関しては、なにもかもがスローモーションに映り、正確に軌道が視えるのだ。
あっという間に階段に死体の塊ができた。
階段を上りながらヤクザたちの使っていた銃に目を向けて、彼女は呆れたように溜め息を吐いた。グロック17やトカレフなどさまざまであったが、どれも質が甘い。手入れもクソだった。銃を愛していない、だから愛されなくてよ。
「止まれェ!」
二階に上がると、マシンガンを持った男たちが六人、ずらりと並んで立っていた。部屋の端から端まで弧を描くように立っているのは、姫ギャングを蜂の巣にするのに効率のいい陣形と見てのことらしかった。
六人のうしろにあるデスクにひとりの男が座っている。小太りのふてぶてしいその男こそが、この事務所を取り仕切る塩山組長であった。
「どこのお姫様かな?」
「どこでもよろしくなくって?」
「まぁね。で、殴り込みに来た理由くらいは聞かせてくれるんだろうな、ミス・ガンマン」
「姫ギャング。わたくしのことは姫ギャングと呼んでくださいまし」
姫ギャングはコツコツと歩いて、中央のソファにどかっと座った。マシンガンを構えた男たちがざっと動いて、三人が彼女の頭に銃口を突きつけた。ふたりは左右で構え、残りのひとりが正面から狙っている。同士討ちになろうが、この女だけは生かして帰さんという決意に満ちた陣形だ。状況は先ほどよりも悪くなったが、姫ギャングは特に気にもせずに、
「あなたたちを殺すように雇われましたの。ミスター塩山」
「恨みを買う覚えはないんだがねぇ」
「最近、無茶な地上げを行って、とあるプロレスジムを泣かせたと聞きましてよ」
「はっはっはっ、なんだ黒幕はアイツらかね。それなら話はついたはずだ、男らしい決闘でね!」
バーニングムーン・マッチの第三試合目、ヘクセンとウッドマンの一番のことである。試合を通して、ヤクザ側が雇っていた抜剣術師ヘクセンが勝利し、負けたプロレス側は撤退を余儀なくされたのだが、こうして新たに殺し屋を雇って報復に出て来たのであった。
「渋谷プロレスというより、その上が顔に泥を塗られたと怒ってましてよ。知ってるでしょう、セオドア=ヴァレンタイン……プロレス界すべての首領の耳に入りましたの。あの試合のことが」
裏で代理戦争を
プロレスほどの国際的な格闘技になれば、背後には巨大な存在が控えている。当然、そのレベルの人間になれば裏にも精通する。傘下の闘士がやられた場合――それに伴う結果に待ったは掛けようがないが、外に出れば遺恨を晴らそうと仕掛けることもあるだろう。
戦争とはそういうものだ。それを繰り返すのが、人類の本質的な歴史なのだ。
「とんだ逆恨みだね」
「わたくしからすれば、どうでもよくてよ。結構なお金をもらいましたの、その分の仕事はしませんと」
「綺麗な顔のまま帰国させてやりたかったがね。無理かな?」
マシンガンが火を噴いた。左右に向き合っていたふたりが、互いを撃ち合って倒れた。ソファに穴が空き、綿や羽毛が飛び散る。目いっぱい撃ってから、四人が顔を見合わせた。さっきまでそこに座っていたはずの姫ギャングがいない。
「こっちでしてよ」
天井にナイフを突き刺して、姫ギャングがそれに片腕一本でぶら下がっていた。愛銃スーパーブラックホークを下に構えながら。
四人が上に銃口を向けた瞬間、姫ギャングが落下した。着地するまでの間にソファ正面を陣取っていた男が頭を吹き飛ばされた。
天井に集中砲火がなされるころにはソファの上に戻っていた姫ギャングは、バン、バン、バンとリズミカルに三人を順に撃ち殺した。
ジャーッとシリンダーを回して弾を落とすと、新しい弾を一発だけ込めて、塩山の机に足を掛けて強く押した。うしろに下がってきた机に邪魔され、引き出しから銃を取り出し損ねた塩山が「待て!」と叫んだ。
「はしたなくて、ごめんあそばせ」
片脚を上げたまま、ガァンと一発を塩山の額にブチ込んだ。彼の背後の額縁に鮮血がべっとりと吹き掛かった。
銃を下ろし、姫ギャングが塩山のデスクに腰かけた。ちらと備えつきの白い電話を見る。RECと書かれたランプが赤く点滅している。
「あらあら……粋なことをしてくれましたわね、ミスター塩山」
ソファでの囲いで姫ギャングを殺せなかったことを悟った塩山は、銃を取って反撃するよりも先に、ほかの組への緊急事態伝達を優先した。姫ギャングには殺されるが、組を上げて姫ギャングを殺してやる。そんな怨念にも似た一手であった。
ジャパニーズギャングもバカにはできない。
姫ギャングが声を出した以上、すぐに足は着くだろう。録音のタイミングとしては彼女が口を割らない限り、雇い主のプロレス側にまでは手は回らないだろうが、日本でヤクザとドンパチするのは確定したと考えていい。
――ここまでを想定して、大金を前払いオンリーで積みましたのね。小さなヤクザ事務所にしては払いが異常にいいと思いましたのよ、わたくし……ちぇっ。
銃を懐に戻し、姫ギャングが少しだけ微笑んだ。
それはそれで面白いか、と思い直したからだ。日本は好きだししばらく滞在するのも悪くないか、とも。
姫ギャング、それは気ままに吹く死の風――
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