第8話 誰も幸せになんかなれない~悪役令嬢編
──もう殺してしまおう。
私はそう決心した。
──────────
持って生まれた前世を思い出し、それ故に絶望をしていた。
六歳頃から繰り返し見る前世の悪夢──その救いのない未来に。
幾度となく見せつけられる悪夢──婚約者に裏切られ殺される未来に。
果たして未来は変えられないのだろうか?
前世の夢から得た知識からすると、私は悪役令嬢というものらしい。そう呼ばれていた。
将来、婚約者の恋路の邪魔をして疎まれ、そしてその結果自分の命まで失ってしまうことになる。
予め分かっているならば婚約などしなければいいってことだよね?
「お父様! 私は将来お父様のお嫁さんになります! 他のどなたにも嫁ぎません! お父様のお側から離れたくないのです!」
聞いた父も相好を崩して私を見つめている。
こういっておけば角は立たないし、何より父親としての自尊心も報われるだろうし。
そ れ な の に!
カサンドラ十歳、将来の夢は領地で細々とスローライフよ。そんなことを思っている時もありました、ええ。
「カサンドラ、お前の婚約が決まったよ」
何故そんなに嬉しそうなのです、父!
「私はあれほど誰とも婚約はしないと言っておいたではありませんか!」
「しかし、王家からの打診は断れないのだ」
のだ。じゃねぇっ!
断らないとあんたの娘の命はないのよ!
風前の灯火よ! 蛇に睨まれたカエルよ!
「婚約破棄を」
「できぬ」
「破棄!」
「無理」
「お父様!」
「無理ったら無理! カサンドラはこの縁談断ってウチがボーヴォワール家に出し抜かれてもいいと言うのかいっ?! あんなハゲ頭の腹黒オヤジの娘なんかよりもお前の方が王妃に相応しいに決まってるじゃないか!」
そんな泣きそうな顔でこっち見んな!
「ドーラちゃーん、王子はもの凄くイケメンだよ?」
「存じ上げております」
「ゆくゆくはこの国の王様だよ?」
「言われなくても分かってます」
「ドーラちゃーん……」
「約束を守らないお父様なんて、大嫌いです」
「そ……そんなぁ……」
冗談じゃないわ! 本当にお父様はなんてことをしてくれたのかしら!
この未来は私だけのものではないというのに!
このまま私が悪役令嬢まっしぐらになってしまえば家は没落、一家離散の憂き目に合う確率が非常に高い。
それでも前世の記憶が戻る前までは、私も王子のことを嫌いなわけではなかったと思う。家族で招待された王宮のお茶会でまだ幼さの残る彼と何度か顔を合わせたことはあるけれど、嫌な気持ちにはならなかったのだから。
悪役令嬢としてのあんな未来が待っているのでさえなければ、私も彼との未来を前向きに考えられただろう。
今となっては無理だけど!
婚約が決まってしまったのでは仕方がない。
次になすべきことは分かっている。
今世ではこれ以上王子と顔を合わせないことだ。いくら親交を深めたとしても、きっと今から三年後に入学してあの娘と会ってしまえば、その時間が全て無駄になる。
無駄どころではなく。
私が彼を恋い慕えば慕うほど辛い結果になるのは目に見えているのだから。
近付いてはいけない。
私はそう心に誓った。
そ れ な の に。
「やぁ、カサンドラ! 今日も会ったね」
ニコニコと話しかけてくるこの方はボリス王子──そう、言わずと知れた私の婚約者であり、将来私を殺す相手でもある。
紛うことなき危険因子! 死亡フラグ!
そんな第一級危険物は、私が避ければ避けるほど、何故か向こうから執拗なほどに絡んでくるのだ。
やはり運命という名のルートは既に決まっていて、私には変えることはできないのだろうか。
前世という名の枷は私の今世を縛り付けるのだ。
こんなはずではなかったのに──私の決意は夜に独りベッドの中で流した涙とともに流れ落ちてしまった。
気づいた時にはもう遅い。
何だかんだ言いながら、前世の時から好きなタイプだったのも認める。
だから、側にいればいるほどのめり込んでしまうのは分かっていた。
きっとどう転んでもこうなる運命だったのだ。
私ごとき矮小な人間が運命になんて抗えるはずがない。
だから私はまた彼に恋をしてしまった──。
自分で恋に落ちるのを止められるのならば。
世の中に不倫や略奪愛なんてほとんど存在しないに違いない。時間が経てば経つほど、恋心というものは坂を転がるように大きくなっていく。
けれど。
大好きな──私が大好きなこの彼は、三年後に学園で出会う娘にきっと心を奪われてしまう──そういう運命なのだから。
そして醜い嫉妬の塊となった私は、その娘に手酷い嫌がらせを繰り返すのだ。
結果は言わずもがなで、彼は身も心も離れていってしまう。
当然のことながら最終的には婚約破棄を言い渡され、私は学園を追い出されてしまう。
そして彼を愛するあまり精神的におかしくなっていた私は彼を奪った娘を襲い、助けに来た彼の返り討ちに合い殺されてしまうことになる。
不安で、とても不安で。
奪われる時のことを考えると今から苦しくて、とても苦しくて。
いっそのこと死んでしまいたくなる。
出会わなければ。
いっそ彼と出会わなければ、この気持ちは芽生えさせずに済んだのに──そう思うけれどもう離れることができそうにない。
彼が私に向けてくれる笑顔が愛しい。
私の心に芽生えた小さな恋心が愛しい。
二人でいる時間が何よりも愛しい。
どう足掻いても変えられない運命が憎くて。
ここには存在しないくせにいずれ彼を奪ってしまう彼女が憎くて。
私を蔑んだ目で見下ろしながら去るだろう彼が憎くて。
まだ起きてもいない未来の話なのに、心が散り散りに引き裂かれそうな痛みを覚える。
「カサンドラ?」
「何でしょう、ボリス様」
「これを……」
何度目かのお忍びデートで、彼がそっと私に手渡してくれたのは、小さな青い石のペンダントだった。
「これは──涙石でございますね」
「さっき欲しそうに見ていただろう?」
「いえ……欲しそうにしていたわけでは……でも嬉しいです。ありがとうございます」
「元気出た?」
「はい」
「よかった。最近元気がなかったようだからちょっと心配だったんだ」
ああ、この人は。
前世でも私が好きだったこの人と何も変わっていない。
優しくて、優しくて。
人の機微にも聡く、強く、善政で国を支える、将来の賢王──ただしその横にいるのは私ではない。そのことだけがただただ悲しくて。
だから、与えられた三年間を愛そう。
後悔がないように。
もう深みにハマってしまっているのならば。
いっそのこと沼の奥深くまで入って溺れてしまおう──私はそう思った。
「ボリス様、愛しています」
「ありがとうカサンドラ。僕も君を愛してるよ」
齢十~十三ほどの小さな恋人たちの愛の言葉のやり取りに、周囲も微笑ましく見守っている様子。
可愛らしい恋愛ごっこ。
そんな風に思われているのが伝わってくるし、彼もそう思っているに違いない。
当たり前だ。私は前世を足せば三十近いが、彼はまだ十歳の男の子なのだから、恋だの愛だのが理解できるはずがない。
それでも私は前世で拗らせてしまった恋心を上乗せして、彼に伝え続けた。
それからの三年間──それはもう真摯に愛の言葉をつむぎ続けた。全身全霊で彼を愛していると伝え続けた。学園に入学してしまったら、もう伝えるチャンスはないかもしれないのだから。
出し惜しみなんかダメ、絶対!
「ボリス様、今日も素敵ですね。愛してます」
「ありがとう、カサンドラもいつも可愛いね。僕も愛してるよ」
彼からそう囁かれるだけで幸せだったから、心のメモリーに何度も上書きをする。
彼の笑顔、声、体温──その全てをいつでも思い出せるように。例えいつか彼が離れて行ってしまったとしても。
愛してる──その言葉が日常的になり過ぎて、油断していたのかもしれない。もしかしたら運命は変わったのかと錯覚さえしていた。
このまま彼は私のことを好きでいてくれて、このまま穏やかな日々が未来まで続くに違いない。きっと運命は変えられたのだ、そう思っていた──いや、思い込もうとしていた。
そ れ な の に。
幸せのルーティンはある日突然終わりを告げた。
運命のシナリオは変わってなどいやしなかった。
学園に入学してすぐ、彼女に出会った途端に動き出す本来の運命の歯車。
私が彼と会う時間は日に日に減っていき──とうとう一週間は彼の顔を見ることがないほどになってしまった。
苦しい。
苦しくて、苦しくて。
会いたくて。
彼の顔を見たい。
彼女ではなく、私に向けた笑顔を。
彼の声を聞きたい。
彼女ではなく、私に向けた言葉を。
それはいくら彼の笑顔や声を心の中にストックしていても、補完などできない想い。
自分中心で醜くて──かつては愛しかったその想い。
「ボリス様、愛しています」
「……」
とうとう、彼から返事が返ってくることはなくなってしまった。
「あなたがいつ誰とどこにいようと……私はお慕いしております。いつまでも」
「……」
私の心に断りもなく入り込んできたのはあなたなのに。同じ土足で心を踏みにじろうとなさるのか。
だから言ったのに!
婚約は嫌だと。
彼は嫌だと。
何度も言ったのに!
なのに運命の輪は留まることを知らず廻り続けて──結局こうなってしまった。
諦めろ、諦めろ──もう彼の心を取り戻すことはきっとできない。この想いも今の彼にはきっと重荷でしかない。
そう分かっているのに。
きっと悪役令嬢だから──諦めが悪いんだ。
これ以上拒否されるのは辛かったから、会う時に恨み言も言わない。嫌われたくなかったから、彼の側で幸せそうに笑う彼女を虐めるようなこともしなかった。
それでも心が黒く醜く染まっていくことは止められない。
寄り添っている二人を見るだけで心が張り裂けて叫び出してしまいそうだった。
彼女も彼に嫌われてしまえばいいのに!
彼はあの顔が好きなのだろうか──ならば顔を潰してしまおうか?
彼はあの身体が好きなのだろうか──ならば傷だらけにしてしまおうか?
それでも、彼がその心までも愛しているのだとしたら──?
──もう殺してしまうしかない。
私はついにそう決心したのだった。
その日から私は学園の図書室や王宮の図書館に入り浸り、呪いや禁術扱いになっている暗黒魔術に関して調べ始めた。
呪いや禁術で王子と姫を苦しめる悪役令嬢──まさに今の私にふさわしい役どころだ。
週に一度の王子との面会は、既に婚約者として義務的に顔を合わせるだけのようなものだったので、すっぽかすことにした。
その時間は呪いや禁術に関して調べたり実験するのに使った。
面会に顔を出さない旨の書簡は予め王宮宛に送ってあるけれど、まずお咎めはないと思う。むしろあの娘との逢瀬の時間が増えて何コレラッキー! とか思ってるかもしれない……って、自分で言ってて落ち込むわぁ……。
前世で見たように、彼から婚約破棄を突きつけられたら──正気でいられる自信がなかった。本当はそうなる前にこちらから婚約破棄がしてしまいたかった。
「お父様、今すぐ殿下との婚約破棄を」
「余程のことがなければこちらからは申し立てできぬ」
「役立たずの腹黒だぬき」
「……」
「どういう結果になっても知りませんよ?」
「……」
お父様は辛そうに目を伏せた。きっと私たちの不和やあの娘の話は耳に入っているに違いない。神の前で行った王族との婚約宣誓は、簡単には翻すことができないことは私も知っている。
これが八つ当たりだって分かってる。
でも、もしかしたら、取り返しがつくかもしれない。
もう多分私は狂ってしまっている。
人を呪おうなんて考えること自体がその証拠でしょう?
ただ、日に何度かはハッと我に返って自分を客観的に見つめられることがある。
そんな時に思うのだ。
まだ。
今なら。
ひょっとして。
こんな想いに囚われてしまう前に戻ることができるのではないか?
辛い想いを全て手放してしまえるのではないか?
もう、そんなことが出来るはずもないのに。
底なしの沼に頭までどっぷり浸かってしまっている。
この想いは私の一部だから。
見るだけで心を傷つける鋭利な刃物のような想い──それでもそれがないと私であって私ではない。
手放してしまったら私ではなくなる。
もっと早く彼から手放してくれればよかったのに──でも、優しい彼にはそれが出来ないのも知っていた。これでも、婚約してから三年はちゃんと愛したのだ。全身でちゃんと愛を伝えたつもりだった。
だからこそ優しい彼には切り離すことが出来なかったのだろう。距離を置くくらいが彼にできる精々で。
こんなことならば。
悪役令嬢と呼ばれる未来は絶対に変わらないのだと知っていたのならば。
もっと彼に冷たくすればよかったのかもしれない。あの春の陽だまりみたいな笑顔を冷ややかに見つめ返して、会う度に可愛げのない言葉を並べ連ねればよかったのかもしれない。
でも、私は可愛いと思って欲しいと願ってしまった。
私も、そして彼も──結局私たちはどこまでも自分勝手なのだろう。
私は小瓶に入った薄紫色の液体を見つめた。
月光に透かすとキラキラと光ってとても綺麗だと思った。
禁呪の塊──固形じゃなくて液状だけど。
これは毒だ。
私の心が吐き出した毒。
飲み込むだけで発動するこれは、苦しみもがきながら死の未来を引き寄せる呪い。
禁術を何重にも重ねがけしたこの呪いは解呪することが出来ず、死ぬまで解けることはない。
苦しんで──苦しめばいい。
私と関わりを持ったことを後悔すればいい。
そして私がこの世に生まれてきたことさえも呪うほど、恨めばいい。
そうしたらようやく私の想いとイコールになるはずだから。
ある意味前世から引き摺るこの想いは、複雑に絡み合ってもう誰にもほどけない。
──さぁ、殺しに行こう。
もうこの想いも愚かな行いも止められないのだから──。
亡国小話ー異世界アラビアンナイトー勇者から悪女まで 真辺 わひと。 @wmwm0780
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