第3話「日常の修正」
「すぅすぅ……」
「……///」
待て待て待て。どうしてこうなったんだ!? 今俺の目の前にはイレイザの寝顔が横たわっている。安らかな寝息と色気の溢れる寝顔が、俺の睡眠を妨害してくる。なんで同じベッドで寝るんだよ! 床で寝ろって言ったのに。
「くっ……///」
見た目は中学生のように幼いのに、近くで見ると勝手に頬が染まるくらいに可愛い。
“平常心……平常心だぞ……”
必死に心に言い聞かせる。可愛らしい女の姿をしているが、こいつは所詮消しゴムだ。物だ、m〇n〇なんだ! 落ち着け、俺の理性!
俺は無理やり夢の中へ意識をぶん投げた。
翌日、俺は渋々大学への登校路を眠気を引きずりながら歩く。ちゃっかりイレイザも付いてきている。
「なんで付いてきてんだよ」
「言ったでしょ? 良雄君の人生を修正するって。良雄君が間違ったことをしないように、私がずーっと監視してるからね!」
イレイザは俺の周りをふわふわと飛びながら言う。余計なお世話だ。まぁ、こんな可愛い女子に付きまとわれるなんて、非モテの童貞陰キャ男子にはさぞ羨ましいことだろうな。
……え? それは俺のことだろって? うるせぇよ。
「おい見ろよ、良雄が女といるぞ」
「あんな可愛い女の子、この大学にいたっけ?」
「ていうか、あの娘頭に何被ってるの? パンツ?」
案の定、イレイザは学校中の学生の注目を集める。誰もが彼女の奇抜な格好に目を奪われる。多分横にいるのが不良学生の俺だっていうことも、見つめている理由の一つだ。
「もしかして付き合ってんのかな?」
はい出た。出ましたよその誤解。これが嫌だから一緒にいたくないんだよ。男と女が隣に並んだだけで、陽キャ共はすぐに恋人だのカップルだの騒ぎ出す。うざったらしい騒音害虫だ。
「チッ……」
「良雄君、舌打ちはよくないよ」
イレイザが横から注意してくる。誰のせいで勘違いされてると思ってんだ。ていうか、妖精だったら姿を消す能力とか、他人からは見えない性質とかないのかよ……。
「グー……」
「良雄君、起きて~」
嫌だ、起きない。俺は机に顔を伏せて意識を手放す。イレイザは何度も俺の体を揺さぶり、手放した意識を取ってきて押し付けてくる。授業が退屈なんだよ。
それに、底知れない眠気が俺を夢に誘うんだ。眠いなら仕方ないだろ。寝る子は育つ。寝ない子は育たない。
「良雄君ってば!」
イレイザは周りの目を
「もう、こうなったら……」
イレイザがステッキを構えたのを、気配で感じる。
「アァチョトマチガエチャタァ、ケシケェシ、モノモノォ、ハァァ……」
「うっ!?///」
おいやめろ! 耳元で呪文を唱えるな! 呪文はダサいのに、お前の声で間近に聞くとドキドキしちまうじゃねぇか。背筋が指先で撫でられたように震えたぞ。
「イレイザ!」
「堺、静かにしろ」
「あ、はい……」
思わず叫んでしまった。教授に注意されて縮こまる俺。くそっ……
「……あれ?」
「どう? 良雄君」
イレイザは小声で俺に尋ねる。俺はあることに気がつく。
「眠くない……」
先程まで俺にまとわりついていた眠気が、嘘のように消えていたのだ。あんなに視界がぼやけ、脳ミソがとろけるくらいに眠かったのに。目覚めてから何時間も経った後と同じくらい意識が覚醒していた。
そう、イレイザが俺の眠気を消し去ったのだ。
「お前が消したのか?」
「そうよ。とりあえず君の体に溜まってた眠気を消してみた」
イレイザは可愛いウインクを見せつけた。コイツの能力は物体だけでなく、目に見えないものまで消すことができるらしい。
「大丈夫なんだろうな?」
「もちろん、消したのは今の眠気だけだから。夜になったら普通に眠くなるよ」
もう一度机に顔を伏せてみても、ちっとも意識を手放せなくなっていた。脳が無理やり体を起こしているみたいだ。それはそれで逆に居心地悪いが、何とか講義には集中できそうだ。
「良雄君」
イレイザは俺に顔を近づける。何かを求めている。
「え? あっ、えっと……」
すぐに伝えるべきことを思い出し、口にする。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
イレイザの微笑みを目に焼き付け、俺の意識は完全に覚醒した。彼女の善意を無駄にしないためにも、その日の講義は集中して受けた。
「んじゃ、今日の講義はここまでだ。今日出した課題、期限までに提出しとけよ~」
気だるげな教授が教室を出ていく。全ての講義を終えた学生達も、後を追うように一斉に教室を出ていく。普通の奴なら、この後友達とカラオケやら食事やらの約束でもしているだろう。だが、その普通に属さない俺には、目指すべき場所は自宅しかない。
「みんな誰かと一緒にどっか行ったよ」
「友達とどっか遊びに行くんだろ」
友達……俺の人生とは大層縁遠い言葉だ。過去19年の俺の人生の中で、友達と呼べる関係の人は残念ながら一人もいない。妥協して認められる人すらいない。「友達? 何それ絶対不味いよね」だ。
「良雄君は友達とかいないの?」
「いると思うか?」
「……ごめん」
「謝んなよ」
イレイザはぺこりと頭を下げる。謝らないでくれ。自分が更に惨めに感じられるから。俺に友達なんてできるわけない。だって俺コミュ症だし、目付き悪いし、性格はクズだし、ずぼらでめんどくさがりやだし、ペチャクチャペチャクチャ……
俺に友達ができるより、人が雷に打たれる確率の方が大きいと思う。知ってるか? 人が生涯の内に落雷に遭う確率は、約1000万分の1らしいぜ。
「あ、見て!」
イレイザが指差した先には、俺と同じく一人で帰路に足を運ぶ学生がいた。メガネをかけていて、いかにも陰キャっぽい雰囲気を
「何だか寂しそうね。話しかけてあげたら?」
「え……嫌だ。そんな勇気ない」
話しかける? 無理無理無理。無理よりの無理だ。俺にそんな勇気あると思うか? 相手は赤の他人だぞ。何も用がないのに話しかけることなんてできるかよ。
「大体なんで話しかけなきゃいけないんだよ」
「この機会に友達になるのよ!」
友達のいない俺を気にかけてるのか。余計なお世話だな。俺は一生孤高の狼として生きると決めてるんだ。
「ほら、行ってらっしゃい!」
バシッ
「うぉっ!?」
イレイザが俺の背中を思い切り押した。男子学生は押し出された俺に気付き、足を止めてこちらに振り向く。
「な、何ですか?」
「え、あ……えっと……」
体の震えと心臓の鼓動の加速が始まった。案の定もじもじとして言葉が続かなくなる。俺が人と話す勇気がない理由は、緊張で体が強ばってしまうのが怖いからだ。相手に何を思わせてしまうだろうか。俺が震えているせいで、会話がつまらないと思われたら最悪だ。
相手も口下手な人間である場合、更にこちらから会話を展開させられないという申し訳なさが増し、緊張は高まるという悪循環だ。
あぁ……緊張さえしなければ……
「アァチョトマチガエチャタァ、ケシケェシ、モノモノォ、ハァァ……」
俺の体の震えが収まった。
「あれ?」
俺は体に耳を澄ます。あんなに暴れているように加速していた心臓の鼓動が、普段通り緩やかになっている。俺の体は家族を前にした時のように落ち着いている。
「あの……」
「あ、すまん」
これなら安心して声を発することができる。俺は目の前の男子学生に意識を戻す。
「俺、堺良雄っていうんだ。お前は?」
「僕は……
メガネをカチカチと鳴らしながら名乗った。智輝と呼ぶことにしよう。
「智輝、この後暇か?」
「う、うん……」
「よかったら一緒に遊びに行かねぇか?」
「え?」
俺はこの日、生まれて初めて誰かを遊びに誘った。
「ふぅ、楽しかったぁ~♪」
「なんでイレイザが一番楽しんでんだよ」
「いいじゃない、別に。藤井君はどうだった?」
「うん、すごく楽しかったよ」
放課後、俺は智輝と一緒にファーストフード店に行ったり、ゲームセンターに行ったり、とにかく遊びまくった。イレイザも付いてきたが、俺は今まで感じたことのない高揚感に身を浸らせた。
決して初めて食べるわけではないハンバーガーやフライドポテトも、誰かと一緒に食べることで更に美味しく感じた。決して初めて遊ぶわけではないクレーンゲームやレースゲームも、誰かと一緒に遊ぶことで更に楽しく感じた。体験ではなく感覚が初めてなのだ。
「こんなに楽しいの初めてだよ。誘ってくれてありがとう」
話しかけた時には見せなかった智輝の笑顔。やはり初めてのことには感動が付き物なのだろうか。俺の心は感動に近い感情で温められている。
「今度はカラオケに行こうよ」
「カラオケかぁ、いいな」
いつもの俺なら反吐が出るような誘いも、今の俺にはとてもありがたく感じる。カラオケが楽しみだと感じるなんて、自分でも信じられない。
「じゃあまた明日!」
「おう、じゃあな~」
智輝は駅の改札へと駆けていく。また明日か……なんか友達っぽいな、このやり取り。すげぇ、俺に友達ができたぞ。明日全人類が落雷に遭って滅亡するんじゃねぇのか?
俺はイレイザと共に、夕焼け染まる帰り道を歩く。
「イレイザ、ありがとう。緊張を消してくれて」
「お、自分から言えるようになったね」
よかった。今度は自分から感謝を伝えることができた。智輝に話しかけたあの時、イレイザは後ろから俺の体を襲う緊張を、能力で消してくれたのだ。おかげで俺は落ち着いて話すことができた。
「良雄君は誰かと関わりを持つってところが足りなかったからね。友達と一緒に勉強して、遊んで、時間を共にしてこそ人生だよ」
全くその通りだ。イレイザは今までの俺に足りなかったものを、パズルのピースをはめるように与えてくれる。彼女が持っているのは消す能力のはずなのに、なぜか俺の中に人生における大切なものを芽生えさせてくれる。消しゴムに教えられるなんて情けない話ではあるが。
だが、彼女は確実に俺の日常を良い方向へと修正してくれている。
「そうだな。確かに今日は楽しかった」
「よかったよかった。さぁ、帰ろ♪」
「あぁ」
イレイザには本当に感謝しなければいけない。今夜は美味しいごちそうを用意してやろうか。料理はしたことがないが、彼女のためなら頑張ってみようと思えるのだ。この気持ちも、きっと彼女が動かしてくれたことだろう。
「イレイザ、本当にありがとう」
「どういたしまして♪」
イレイザは再び俺に微笑みかけた。
ドクンッ
「……」
それはまるで町を茜色に染める太陽のようだった。俺の心臓は再び鼓動を早めた。これは緊張と似ていて、でもどこか違うような……今までに抱いたことがない感情だ。また初めてのことか。
「良雄君、どうしたの?」
「いや、何でもない」
消しゴムである彼女が、人間の感情なんて知るはずがない。俺は一旦胸の高鳴りを忘れ、夕飯のおかずを買いにスーパーへ向かった。イレイザも父親を追う娘のように付いてきた。
何だかんだで、俺はイレイザと過ごす時間が一番楽しいと思うようになっていた。
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