第4話(終)「カノジョが教えてくれたこと」



「良雄君、起きて~」

「んんん……」

「学校遅刻しちゃうよ~」


 イレイザが俺の体を揺さぶる。俺は毎朝コイツに起こしてもらってる。このまま布団にしがみついていれば、いつもの能力で俺の眠気を消してくれることだろう。


「イレイザ……いつもの……」

「仕方ないなぁ」


 イレイザは懐からステッキを取り出す。


「いつもの能力で、良雄君の存在を消しちゃおうかなぁ……」

「わ、わかった! 起きる! 起きるから!」


 思わず飛び起きてしまった。怖いこと言うなよ! お前の消去能力は人間や生物にも使える。冗談でもお前を消すなんて言われると、心臓を貫かれたような衝撃を感じる。


 その後、イレイザは俺のために朝飯を作ってくれた。消しゴムのくせに俺より料理が上手かった。何だよそれ。




「イレイザ、お前なんか小さくなってねぇか?」

「そう?」


 俺はイレイザと共に登校路を歩く。最近何もかもがうまくいってる気がする。気分が高揚しているため、ちょっとイレイザをからかってやりたくなった。


「いや、お前は元々ちんちくりんか」

「うぅ……ちんちくりんって言うなぁ~!」


 俺はイレイザの頭を撫でる。イレイザは幼稚園児のようにぷりぷりと怒る。全然覇気が伝わってこないところが可愛いな。




「……」

「ん? どうしたイレイザ」

「良雄君、最近私の能力に頼りすぎじゃない?」

「え?」


 突然イレイザが俺に尋ねてきた。なんだ、今までそんな話の流れではなかったのに。


「確かに良雄君の生活はよくなったけど、結局は私の能力のおかげだよね」

「そうだけど……」

「もし私がいなくなったらさ、良雄君はちゃんとやっていける?」


 そうか、改めて言われて気づいた。イレイザと出会って早一ヶ月が経った。何かある度にアイツの能力にすがり付いてきた。今まで俺の生活を改善できたのは、自分の力ではなくイレイザのおかげだ。

 イレイザの能力のおかげで、俺の悪いところを修正できた。朝起きれないのも、授業をサボってしまうのも、友達ができないのも、イレイザのおかげで直せたことじゃないか。


 俺自身の力で俺を変えられたことはあったか?


「……」


 サッ

 俺は足を早めた。イレイザの問いに、間髪いれずに答えられなかった。自分でもイレイザに頼りきっていることはわかっている。しかし、それを認めたくない。


 認めたら、俺がまだ何一つ変われていないことが事実になってしまう。




「おはよう、智輝」

「お、おはよう……」


 講義室で智輝に会った。いつものノリで挨拶をするが、何やら智輝は少々よそよそしい様子だ。俺の顔を見ると、反射的に顔を反らす。


 ……ん?


「なぁ智輝、何だその顔の……」

「な、何でもない!」


 智輝の右頬に絆創膏が貼ってあるのが見えた。やけに大きな絆創膏だったため、普通の怪我ではないように思える。しかし、智輝は心配をかけたくないせいか、頑なに話そうとしない。


「智輝君、どうしたんだろう?」

「……」


 イレイザも気になるようだった。智輝はその後もよそよそしい態度を続けた。






 帰り道に俺達は智輝の後を付けた。単純に智輝の頬の傷が気になったからだ。智輝は何か悩みを隠していると直感した。アイツとも仲良くなってだいぶ経つが、今まで関係を深めてきたというのに、悩みを打ち明けてくれないと気になってしまうじゃないか。


 智輝は人気のない路地裏に入った。


「お、来たな」

「は、はい……」


 路地裏では学生服を着崩した数人のヤンキーというか……不良が待ち構えていた。

 開いた学生服の下から見えるカラーTシャツに、汚染物を練り込んだような染めた髪。まさに絵に描いたような不良だ。令和の時代にまだこんな不良が生き残ってたんだな。少なくとも平成には絶滅したかと思っていた。


「じゃあとっとと出せ」


 リーダー格の不良が立ち上がり、智輝に手を差し出す。智輝はなんでこんな不良と関わっているんだろうか。荒くれ者の不良と温厚な智輝という、交わるとは考えにくい人間。水と油のような存在だ。


「え……?」


 智輝は懐から分厚い封筒を取り出した。頭の思考が常人より確実に劣る俺でも、あの中身が現金であることは一目瞭然だった。智輝は封筒を不良の手に渡す。


「何やってるんだ、智輝……」


 封筒の中の札束を数える不良。どういうことだ。なんで智輝は不良に金を払ってるんだ? 端から見たら、まるで智輝が脅されて金をたかられているようだ。

 学生服を着ているということは、中学生か高校生だろう。しかし不良の圧が異常だから、大学生で年上のはずの智輝が小さく見える。


「じゃあ、僕はこれで……」

「おい待て、足りねぇぞ」


 ガシッ

 立ち去ろうとした智輝の肩を掴み、札束を見せる不良。一万円札がファサッと音を立てて揺れる。


「俺は20万と言ったはずだ。10万しかねぇじゃねぇか」

「さ、流石に僕だけのバイト代じゃ無理ですよ……。一人暮らしだし、親に頼るわけにも……」

「それで俺の腕時計壊した罪が許されると思ってんのか? また制裁が必要みたいだな……」


 どうやら智輝が何かやらかしたみたいだ。弁償させるために金を要求したのか。しかし、脅しにも限度ってものがあるだろ。智輝の頬にあった傷にも納得した。殴るだけに飽き足らず、金まで要求するなんて……。


「払えねぇなら、お前の体に傷が増えるだけだぞ」

「む、無理ですよ……それに壊したのもわざとじゃ……」

「うるせぇな。人の大切な物壊しておいて、何だその態度は。あぁ?」


 拳を鳴らしながら智輝に近づく不良。これからどんな酷い目に遭わせられるか、想像するだけで恐ろしい。路地裏なために周りには誰もいない。


 助けられるのは、俺だけ……。


「どうするの? 良雄君」

「決まってるだろ、助けるんだよ」

「どうやって?」

「え?」


 イレイザは足を踏み出そうとする俺を、後ろからシャツの裾を掴んで止める。なんだ? まさか邪魔をするつもりなのか? お前なら迷わずに助けるだろ。


「どうやって助けるの?」

「それは……あ、あの不良共をボコすんだよ!」


 俺はイレイザを振り切り、路地裏に飛び込む。


「おい」

「あ? 何だテメェ」


 不良は智輝を殴ろうとする寸前で、拳を止めて俺の方へ振り向く。見るからに不良共は、喧嘩に特化してそうな肉付きのある体格だ。

 だが、所詮年下。俺も喧嘩には自信がある。ガキの頃にそれなりに経験したからな。コイツらなんて一瞬で捻り潰せる。


「良雄君……」

「俺の友達に手を出すな」

「何だお前。これは俺とコイツの問題だ。お前には関係ないだろ」


 そう言って、不良は智輝の胸元に掴みかかる。このままじゃ智輝がやられる。その前に俺がやらなきゃ。助けなきゃ。


 俺は拳を握って不良に歩み寄る。




「……!」


 待て。本当にそれでいいのか? 確かに今手を出せば、智輝を助けられるかもしれない。でも結果的に誰かを傷付けることにもなる。暴力を振るったことになるんだぞ。


 不良をボコして智輝を助けるのは、本当に正しい選択なのか……?




「良雄君……うっ!」

「制裁だ。弁償できないならどうなるか、体にしっかり教えてやる」


 不良が拳を振り上げる。智輝の涙目が俺の心を揺さぶる。反射的に俺は叫んだ。


「待て!」


 不良の腕が止まる。俺は手を出したい衝動を抑え、代わりに言葉を絞り出す。


「あぁ?」




 こんなことするのは自身のプライドに反するが、俺は不良に向かって頭を下げた。


「そいつが何したかは知らない。だが俺の大切な友達なんだ。許してやってくれ」

「何言ってんだ。お前には関係ないと言っただろ。コイツを殴らねぇと気が済まねぇんだよ」

「だったら、俺を殴れ」


 驚いた智輝を突き放し、不良は俺に歩み寄る。


「おもしれぇ。そうしてやんよ」


 バシッ! 

 不良の渾身の一撃が俺の左頬にクリーンヒットした。まるでバットで殴られたような衝撃だ。俺はその場に倒れ込む。


「お前、手を出さねぇのか。弱い奴だな」

「弱いのはどっちだよ」

「は?」


 俺は左頬を押さえながら起き上がる。


「感情に身を任せて、人を脅して、暴力を振るう奴が強いとか……笑わせんな」

「は?」

「本当に強いのは、力を持っている奴じゃない。何が正しいかを理解できる賢い奴だ!」


 きっとこれが正しいんだ。不良に暴力で勝って、智輝を助けてもすっきりしないもんな。かつての俺なら殴っていたかもしれないが。だが今なら言える。俺は確実に賢くなった。


「ごちゃごちゃうるせぇ!!!」


 不良は更に拳を突き出そうとする。殴られるのを覚悟して目を閉じる。問題ない。俺は自分の選択を後悔しない。






「アァチョトマチガエチャタァ、ケシケェシ、モノモノォ、ハァ!」




 イレイザのステッキから光が放たれた。光は一瞬にして不良を飲み込んだ。


「……あれ?」


 不良の動きが止まった。首をかしげ、周りを見渡す。


「俺、こんなとこで何してたんだ?」


 ただ見ていただけの不良の手下も、状況がわからず首をかしげる。イレイザは隙を見て俺と智輝を連れ出した。






「能力でアイツらの記憶を消したんだ」

「そうか……」


 俺達は逃げた先で見つけた公園に入り、ベンチに座り込むんだ。


「智輝君に腕時計を壊されたってことも忘れてるから、もう大丈夫だよ」

「ありがとう」


 智輝はイレイザに頭を下げ、次に俺に顔を向けて頭を下げた。


「良雄君もありがとう」

「俺は別に何もしてねぇよ。それよりなんで金なんか渡してたんだ?」

「一昨日帰り道にあの不良と会ってね。偶然すれ違ったとろで、あの人達が落とした腕時計を踏んで割っちゃったんだ。それで散々殴られた挙げ句、お金払って弁償しろって……」

「そういうことか」


 俺はズボンのポケットから封筒を取り出す。不良が記憶を消されて呆然としてる隙に、床に落としたのをかっさらったのだ。


「ほら、もうつまんねぇ使い方すんなよ」

「あ、ありがとう!」


 その後、念のため智輝を家まで送った。智輝は何度も俺達に「ありがとう」と言って頭を下げた。友達に助けてもらったことが相当嬉しいようだ。


 俺も感謝してもらって、すごく嬉しい。






「良雄君、偉いよ」

「え?」

「手を出さなかったじゃん」


 イレイザは宙を浮きながら俺の頭を撫でた。イレイザの手は小学生のように小さいのに、そこから滲み出てくる温もりはとても大きかった。俺の冷えきった心の氷を溶かすには十分だった。


「あそこで暴力を振るっても、相手がやり返すだけ。切りがないわ。でも良雄君はプライドを圧し殺して、頭を下げた」

「ま、まぁな……」


 今まで人を見下してきた俺だ。人に向かって頭を下げるなんて、かつての俺には耐えられないだろう。だが今の俺は、なぜか心がすっきりと満たされたような気でいる。


 きっとこれは、イレイザのおかげだ。


「イレイザ」

「ん?」

「……ありがとう」


 イレイザは胸を張り、眉を吊り上げ、自信満々に言った。


「どういたしまして♪」








“良雄君、君の人生はすごくよくなったよ……”




「はぁ……疲れたぁ」

「良雄君、傷の手当てしなくちゃ。こっち向いて」




“君は自分で何が正しいかを判断することができた”




「お、能力で怪我を消してくれんのか? サンキュー」

「いえいえ~」

「これなら傷薬とかいらねぇもんな。つくづく便利だ」

「うん。良雄君、今日はゆっくり休んでね」




“友達もできた。自分で責任を持って行動することができた。あとはもう大丈夫だよね”




「じゃあ頼む」

「OK!」




“本当によかった……それじゃあ……”






「アァチョトマチガエチャタァ、ケシケェシ、モノモノォ、ハァァ……」






「お、すげぇ。もう傷が無くなってる。痛みもねぇ。サンキュー♪」

「よか……た」


 イレイザは急に目の前でゆっくりと床に寝転がった。眠いのか?


「イレイザ?」

「ごめん、良雄君」


 イレイザは眠気を引きずったようなかすれ声で言った。




「これで私の役目は終わりだよ……」

「え? あっ!」


 イレイザの顔にヒビが入っていることに気づいた。顔だけじゃない。腕や足、もはや服の上から重なるように、イレイザの体には乾燥した大地のようなヒビが刻まれていた。


「終わりってどういうことだよ?」

「私はもう……死ぬの」

「はぁ?」


 死ぬってどういうことだ? なんで今なんだ? どうしてイレイザが死ななきゃいけないんだ。


「……」


 眠気に誘われるイレイザを眺めて気づいた。彼女の体が更に小さくなっている。今朝見かけた時より随分と。もう小学校低学年並みの大きさだ。


「消しゴムを使うと……だんだ……小さくな……でしょ……」


 確かに、消しゴムは使うとどんどん磨り減って形が丸まっていき、徐々に小さくなっていく。やがて小さくなって使い物にならなくなって、捨てられる。人はまた新しい消しゴムを買う。


 だからコイツももう捨てる時だってか? ふざけるなよ……。


「嘘だろ……待てよ、待てって!」


 ヒビの間が白く光り、光はイレイザを少しずつ包み込んでいく。別れの時が近づく度に光は強くなる。


「良雄……く……これから……ちゃ……と……やるん……よ……」


 イレイザが今まで能力で俺を助けてきた分、コイツは少しずつ磨り減らしていったって言うのか。そんなのあんまりだ。


「なんで、こんなことになるなら、ダメ人間なままでよかったのに」

「そんなこ……言っちゃ……だ……め……だよ」


 イレイザはボロボロになった右腕を必死に上げ、俺の口元を塞ぐ。最後まで俺のダメなところを指摘しようとする。


「良雄君が……立派な人……になっ……くれば……それで……いの……私は……役目……全う……でき……よか……た」


 光はイレイザの足先から全身を包み込み、顔を少しずつ侵食していく。対して俺は、心が悲しみと温もりの涙に浸されていく。


「イレイザ……」


 数えきれないくらいの愛をもらった。何度も何度も支えられ、助けられてきた。感謝というのは限りのないものだと知った。なみだ    


 俺が変われたのは、間違いなくイレイザのおかげだ。




「イレイザ、ありがとう」

「ふふ……言えた……ね……」


 気がつけば、自分で「ありがとう」と言えるようになった。今まではそんな当たり前のことができないダメ人間だったな。本当にイレイザには世話になった。






「イレイザ、大好きだ」

「ありが……と……良雄……君……私……も……大好……き……だよ……」






 フッ

 イレイザは最後に可愛い笑顔を見せ、光に飲み込まれた。光は散り散りになって飛んでいった。俺の目の前で、イレイザの体が綺麗さっぱり消え去った。




「……」


 いや、よく見るとイレイザが倒れていた俺の膝の上に、1cm程の大きさの消しゴムが乗っかっていた。団子のように丸く小さな塊だ。それでも、彼女が俺を支えてくれた証。


「イレイザ……」


 彼女は俺の瞳から溢れた涙を受け止めてくれた。











『じゃあ午後6時にね』

『あぁ』


 母さんのLINEに返信し、俺はスマフォをポケットにしまう。


「お母さんが家に来るの?」

「まぁな。相変わらず世話焼きな人だ」


 ノートをとる手を止め、智輝が尋ねる。もうすぐテストが始まるため、今日は二人で勉強会だ。でもこんな忙しい時に、母さんは寂しいからって家に来るらしい。ご飯作ってあげるんだとさ。全く……


 ありがとう、母さん。


「良雄君、なんか変わったね」

「そうか? ははっ」


 あれから俺は、俺が正しいと思うままに生きた。朝はきちんと起きて学校に行き、授業も真面目に受けて、勉強もしっかりと行った。あの愚痴を書いていたノートは、家庭学習ノートとして再利用することにした。

 イレイザがいなくなって半年、俺は信じられないくらいに真っ当な人間に成長できたと思う。


 いや、アイツはいなくなったわけではない。こうしてちゃんと俺のそばにいてくれている。


「イレイザ……」


 俺の筆箱から手作りのストラップがはみ出ている。あの時イレイザが消えて、残った消しゴムが先に付いている。俺はそれをお守りとして大事に持っている。イレイザは今も俺のそばにいるんだ。


「あ、僕の消しゴム……そろそろ換え時かなぁ」


 智輝は自分の消しゴムを握る。それは俺のお守りほどではないが、磨り減った小さな塊だった。智輝は部屋の隅に置いてあるゴミ箱を見つける。


「良雄君、これ捨てといてくれない?」


 智輝は俺に小さくなった消しゴムを差し出す。俺はそれを受け取った。






「なぁ、智輝」

「ん?」




 俺はその消しゴムを智輝に返した。そして、笑顔で言葉を添える。




「まだこれ使えるだろ」




 KMT『俺の間違いを消すカノジョ』 完


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俺の間違いを消すカノジョ KMT @kmt1116

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