無題、あるいは切り捨てられた日常の断片

そういえば、


 一番死に近い季節は夏だと思う。

 殺人的な日射しに、それを容赦なく照り返してくるコンクリート。眼球を突き刺すほど鋭角に光を反射するビルの窓。全てが人間を殺すためにできているとしか思えない。実際、普通に生きているだけで失神する危険性があるのは夏だけだ。美容院なんて特に危険である。名称は知らないが、とにかく通気性の皆無な布で首元が詰まっているし、おいそれと身体を動かして身体の周りの空気を入れ替えるわけにもいかないから、どんどん熱がこもっていく。夏の間の美容院で、気を失わずに無事散髪を終えられたなら、それは表彰されるべき偉業である。

 かといって、日傘を差すのは美しくない。サングラスにつばの広い帽子、アームカバー、それに日傘と、完全防備の妙齢の女性などを見ると、そこまでするなら昼間外に出なければいいのになどと思ってしまう。そうでなくても日傘があると身軽とは言えなくなるし、散歩には不向きだろう。というわけで、仕方なく私は直射日光に敗北し続けながら、このうだるようなコンクリート張りの街を歩いているというわけだった。

 碁盤目状の街というのは、まるで思考放棄のようで、見ていても歩いていても何の趣もない。散歩の楽しみというのは適当な曲がり角を曲がった先にある知らない建物と出会うことだと思っているが、この街でそれをしていても最終的には同じ場所に戻ってきてしまうだけだ。なんてつまらないのだろう。増設に増設を重ねた結果、わけがわからなくなってしまった場所の方がよほど好ましく思える。私が一等好きな建物は九龍城だ。

 平日の昼間は人が多い。主に昼食を調達しにきた労働者で溢れかえっている。ただでさえ辟易するような夏の暑さが、人の多さによってさらに加速している。この時点で若干帰りたくなってしまっている私がいたのだが、そこをぐっとこらえて一歩を踏み出す。滲んだ汗がこめかみのあたりを滑り落ちるのを拭ったあたりで、私の横を通り過ぎたサラリーマンらしきスーツの男性が、無表情のまま煙草の吸殻を道端に落としていった。

 ところで、私は現在無職である。嘘だ。今のは言い方が悪かった。学生なので、決して無職ではない。しかし、学生を無事卒業し、社会のため家庭のために働いている人間は、少なくとも学費の世話を親に任せっきりにし、ろくに労働もしないような人間よりは、社会的にははるかに立派なものであるはずだ。それだというのに、そんな「立派な人間」が、煙草のポイ捨てなんていう、くだらない不良行為をさも当然のように繰り返していることが、私には信じられなかった。そんな人間が堂々と働いて生きていくことが許されているなんて、と、長年信じてきた友人に裏切られたような気持ちになる。そんな経験はないのだが。そして同時に、それを許している世界にひどく失望する。

 しかし、世界というものは、えてしてああいう人間の方が生きやすいように作られているものだ。周囲を顧みることなく、自分の幸せだけを考えて生きられる人間。ああいう人種のことをいわゆる勝ち組というのだろう。対して、道端にポイ捨てされた煙草の吸殻を見とめて、発作的な哀愁に駆られてその場から動けなくなっている私のような人間は、負け組と呼ばれる。

 私の横を通り過ぎる数多の人々から視線を感じる。端的に言って、今現在の私は明らかに通行の邪魔になる存在であるのだから、当然といえば当然である。私も私のことをそう思う。私も彼らも、急に道のど真ん中で立ち止まるなんて迷惑なやつだなと眉をしかめている。しかし同時に、こういう感性を持っている自分のことを、心のどこかでは誇らしく思っていた。あいつらとは違うんだ、と、根拠のない優越感を持っていた。しかしそれは社会的な役割を果たしている人間が持ってはじめて意味のあるものだ。つまり今の私は、ただの痛いやつでしかない、という結論に辿り着いた。

 煙草の吸殻から目線を切って、再び私は歩き始める。どうやら私は十数分も煙草の吸殻とよろしくやっていたらしく、街からは幾分人が少なくなっていた。みんな各々に課されたノルマをこなすための労働へ舞い戻っていったのだろう。ご苦労なことだ。私もいつかああなるのだろうか。想像もつかない。

 しかし、いくら日陰だったとはいえ、真夏の路上に立ち尽くしていたとは。無事だったのが信じがたいほどだ。自分は思っていたよりも頑丈だったらしい。が、それを意識した途端、なんだか今にもぶっ倒れそうな、視界が安定しないような感覚に陥ったので、手近な自動販売機でスポーツドリンクを購入することに決めた。あたりを見回してみると、数歩先のところにメーカーのものではない、いわゆるオリジナル自販機があるのがわかった。私はオリジナル自販機が好きだ。コンビニでもスーパーでも見かけないような謎のドリンクが売っていて、見ているだけで面白い。案の定、私が見つけたその自販機にも、なんだかよくわからない名前のドリンクが所狭しと並んでいた──その中で、スポーツドリンクだろうと推測されるものを選んで、ボタンを押す。ガコン、という音ともに落下してきたそれを取り出す。火照った身体に丁度いい冷たさだ。この感じもいい。店員に手渡しで商品をもらうのとは違う、何か風流のようなものを感じる。それにしては少し現代的すぎるか。そんなことを考えながら、ペットボトルの蓋をひねり、中身を口にした。

 ごくり。

 まあ、どんなに見たことがなかろうと、所詮はただのスポーツドリンクなので、別段味に関する感想はないのだが、しかし私の身体は思っていたよりも水分に飢えていたらしく、なんというか、満たされていく感じがした。砂漠を水に浸したらこんな感じなのだろうか。

 ペットボトルの中身を三分の一ほど減らしたところで、私は蓋を閉め、それを手に持ったまま、また歩き出した。いい加減、無機質なビルの森を眺めているのにも飽きてきたので、適当な角で曲がり、脇道に入っていく。ビルとスーツと革靴のマリネ、コンクリートジャングルを添えて──そんな感じの街並みは、個人商店や公園といった、心を穏やかにさせるものに変わっていく。目に痛いほど鮮やかな看板の飲み屋、知らない言語を看板に掲げているインド料理店──いつも思うが、インド料理店の看板が必ずといっていいほど黄色なのは面白い。インド=カレーという、思考停止の方程式を、彼ら自身自覚しているということなのだろうか──エトセトラ、エトセトラ。目に入る情報量が多すぎて、脳が疲れていく感じがする。だが、少なくとも私は、高層ビルの窓の数を数えているよりは、こちらのほうが好きだった。

 脳が糖分を欲している気がしたので、私は歩みを止めないまま辺りを見渡した。すると、運の良いことに、左右に立ち並んでいる店の中に、パン屋があるのを発見した。ちょうど、今自分が歩いているのとは反対側の道にある店だ。私は信号のない道を、左右の安全を確かめてから小走りで渡り──車は来ていなかったのだが、車道を歩くときはつい小走りになってしまう──、そのパン屋の扉の前に立った。扉はノブも含めて木製で、暖かな雰囲気を感じさせる。同じように木製のプレートに「OPEN」と書かれているのを確認してから、私は扉を開き、店内に入った。

 焼き立てのパンの芳ばしい匂いが嗅覚を刺激した。家で生地からパンを作るような、丁寧な暮らしを心がけている家庭でもない限り、この匂いは普段生活している中ではなかなか味わうことができないものだろう。キツい香水の匂いをさせている女性は苦手だが、パンの匂いをさせている女性がいたら、あっさり好きになってしまうかもしれない。

 入り口近くにあるトレイとトングを手に取って、私は店内に所狭しと並べられたパンを物色し始める。しかし、買いたいものはもう決まっていた。初めて入るパン屋での鉄則、それはメロンパンを買うことだ。メロンパンを買えば、その店のパンが自分の味覚にマッチしているかがすぐさまわかる。それに、今の私は甘いものを求めているのだ。

 私を誘惑してくるパン達の間をするりとすり抜け、私はメロンパンにトングを伸ばした。ふわ、と、トング越しにも伝わる柔らかな感触に、私は思わず微笑んでしまう。ついレジ前の紙パック飲料をセットで買ってしまうほどには嬉しくなっていた──小脇には先ほど購入したスポーツドリンクのペットボトルが控えていたのだが。

 百八十円です。女性店員が可愛らしい声で言った。パン屋のパンはとにかく価格が高い。学生の身分にはなかなか手が出せない代物だが、その分の見返りは十分あるはずだ。コンビニの菓子パンにはない何かを求めて、私はメロンパンと、ミックスジュースの入った袋を受け取った。

 店を出て、早速袋を開ける。そういえば、歩き食いはいけないと言われているのはなぜだろう。単に行儀が悪いからか、それとも衛生の観点からなのだろうか。しかし私は幸いなことに──あるいは不幸なことに、そんなことを気にする人間ではなかった。しかし、今は散歩の最中だ。どうせなら、メロンパンをしっかりと味わってから、改めて散歩に集中したい。そう思った私は、道中で見かけた小さな公園へ引き返すことにした。

 フルメンバーのサッカーはまず出来ないであろう狭さの公園にたどり着くと、そこには誰もいない。申し訳程度に設置されている砂場と、動物をかたどったスプリング遊具が二、三あり、砂場を囲む柵に名前を知らない鳥が止まっている。奥には木が二本ほど並んでおり、夏にふさわしい緑葉を茂らせていた。

 私は向かって左側にある木製のベンチに腰掛け、ぴょんぴょんと柵の上で跳ねる鳥を見ながら、メロンパンをいただくことにした。しかし、袋を開けたときのガサガサという音で、鳥はすぐさま飛び立ってしまった。仕方がない。私は砂場の柵を見ながら、メロンパンをいただくことにした。

 もふ、とパンを一口かじる。外側はカリッとしており、絶妙なバランスの甘さだった。コンビニのメロンパンは甘すぎるのだ。これくらいがちょうどいい。中の生地はまるで綿あめか何かのようにふわふわだ。それだけではなく、きちんと「味がする」。まずいパンというのは、外側だけやたらと味がついていて、生地自体はほとんど味がしないことが多い。つまり、これは当たりのメロンパンだということだ。店の名前は忘れてしまったが、今後も通い続けよう。

 私が手元のメロンパンを平らげる頃には、すっかり散歩を続ける気が失せていた。腹が満たされたから、動きたくないという気持ちもある。ただ、口の中に広がる芳醇さを味わいながら、だんだんと傾いていく日が、公園中に広がるのを見ているうちに、なんとなく、ここから動きたくないと、そう思ってしまった。無論、私には帰る家がある。このままずっとこうしているわけにはいかない。誰もいない公園。役割を果たすことが出来ないでいる遊具。毎年多くの人を殺している太陽の光。その瞬間、まるで世界に自分一人のような、そんな気がして、砂場から舞い上がった砂粒に光が反射して、辺り一面が輝いていて、私はその輝きの中に一人佇んでいるような、そんな気がして、けれどそれはただの幻覚でしかなく、太陽は依然庇のないベンチの上に容赦なく降り注いでいて、私はスポーツドリンクを全て飲み干さざるを得なかった、のである。

 

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