「根、命日、水門」
水門が開かれ、干潟に水が満ちていく。この地では月に一度、定期的にこれが行われている。干潟じゅうを埋め尽くすように生えたマングローブの根が水を吸い上げ、命を咲かせる。その日だけ営まれる観光ボートが、マングローブの林の中をすいすいと進んでいく。
その老婦人はこの日の来るたびに、ボートを頼んでは孫のような年の漕ぎ手にけっこうな金額のチップをはずんでゆく。その日がかつて老婦人の良人が戦災死した日の月命日であることを、村では知らぬ者はない。墓は林の外れに、小さく土盛りをされていて、そこに行くことのできる日は水門が開かれるその日しかないのであった。
しかし、やがてその干潟は干拓されることに決まった。マングローブ林も伐採される。代わりに植えられるのはバナナの樹であるという。そのあたりの土地を所有する地主の決定であるから、誰も異を唱えることなどはできない。
水門が開かれる、最後の日。老婦人はいつものいでたちでやってきて、いつものようにボートを雇った。揺られながら、マングローブの林を眺める。そして、夫の墓に辿り着く。
「わたくしも病を得たわ。その日が来たら、ここにもう一つ、土饅頭を並べましょう。そうして、いつまでもいつまでも、二人でこの土地を見守ることにしましょうねえ」
天国の門は、さて彼女に開かれることであろうか。
三題噺集 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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