「夕立、涙、塔」

 ぽつり涙を落としながらまるで大切なことを急に思い出しでもしたかのように「空に行きたい」なんて呟くきみの、そんな女々しくてズルいところがどうしようもなく好きだから、ぼくは当然のようにこう答える。


「分かった。車出してくる」


 常識的に考えれば難解であると断ずるほかないオーダーを投げつけたまま、それについてそれ以上は特に説明しないまま助手席で眠り始めるきみと、黙々とハンドルを切り、アクセルを踏み込み、そしてETCを突破するぼく。ミュージックスタート、『高速道路の星』。


 飛行場には向かわない。世界一高い塔なんかも目指さない。きみが求めているのはそんなありきたりな題解アンサーじゃない。だいたい、あの世界一高い塔があるのは東京で、そしてあいにく東京には空がないということになっている。


 空に行きたいときみが言うのならぼくはきみを乗せてただ羽搏く。そしてサービスエリアで君と一緒につまらないお土産を眺め、別にここでなくても食べられるようなソフトクリームを食べる。


「どこに向かってるの?」

「空」

「そっか」


 突発的ロードムービーはしかし上映開始から半日を経ずしてあっけなく終わりを告げる。何しろきみの端末に着信と連絡があったのだ。きみの元カレであったか、あるいはまた今カレということになったのかもしれないその男から。


「いちばん近くの空港」

「分かった」


 機上の人となるきみを見送る。きみの目的地は最初から空ではなかったし、ついでに言えば安達太良山でもなかった。きみがぼくの家にやってきて十余年、ぼくたちはこんな風にしてお互いの人生を生きている。


「じゃあまたね、お兄ちゃん」


 夕立。君が飛び去ったあとの空は土砂降りの雨へと変わる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る