カップ麺買ってきたけど熱湯五分の奴だった。
高橋てるひと
カップ麺買ってきたけど熱湯五分の奴だった。
カセットコンロでお湯を沸かした。
そこまでは、彼の計算通りだった。
誤算はカップ麺の蓋にある四文字。
――熱湯五分。
やばい。
全然気付かなかった。
だが、やるしかない。
やかんからお湯を注ぎ、五分でタイマーを掛け、ちゃぶ台の上へカップ麺を置く。
二人分。
「カップ麺って、こんなとこで作れるの?」
向かい側に座る制服姿の少女が言う。
少女の視線は、まずカップ麺へ注がれ、続いて向かい側の彼の顔を経由し、その背後に広がる無人の荒野にぶっ刺さっているロケットをチラ見し、それから頭上へ。
浮かんでいるのは青い星――地球だ。
「ここ月だよね?」
「局所テラフォーミングしてる。この、」
と、下に敷かれた四畳半のシートを示す。
「シートの上に限って、地球と同じ環境になっている。空気も重力も対宇宙線対策もその他諸々の問題も解決してる。装置はちゃぶ台の下」
少女がちゃぶ台の下を確認する。確かにそこには箱状の装置があった。
さて。
カップ麺ができるまで――あと四分。
□□□
学校の空き教室で、二人は出会った。
四畳半の埃だらけの空き教室。持ち込んだちゃぶ台の上、彼女は電気ポットからカップ麺にお湯を注いでいた。閉まった窓から注ぐ太陽の光で、舞い散った埃がきらきらと輝いていて、その光の中、目を丸くしている彼女。衛生面から考えれば少し問題がある光景。
でも、綺麗だった。
「――これはね」
と、少女は表面上は冷静さを保った。
カップ麺にお湯を注ぎ終え、タイマーをセットした後で、彼に言った。
「――別に、ぼっち飯じゃないから」
必死の弁明を続けた末に、カップ麺のタイマーが鳴ると彼女は諦め、開き直った。
「そうだよぼっち飯だよ! 悪い!?」
そして声を潜め、カップ麺を差し出した。
「……これあげるから黙っててくれない?」
それが彼と、彼女との出会いだった。
□□□
「よっと」
彼女は立ち上がって座布団をちゃぶ台に乗せ、彼の前でその上へ腰を下ろした。
ちょっとはしたない。
テラフォーミング装置によって諸々カットされて届く光が彼女を照らしている。
あのときと同じように。
埃は舞っていないけど。
彼の目には彼女の脚が映っている。
真っ白な靴下。それと同じくらい白い彼女の脚。膝丈よりちょっと短いスカート。自然と彼の視線は吸い寄せられるが不可抗力だ。狙っているのか、見えそうで見えないぎりぎりの角度、太腿も白くてひどく細くて、
そして、たくさんの痣がある。
□□□
きっかけはノックせずに扉を開けたこと。
彼女は着替え中だった。
もちろん下着姿だった。
そして痣だらけだった。
「――これはね」
と、彼女は表面上は冷静さを保った。
服を着て、彼の分のカップ麺にお湯を注ぎ、タイマーをセットして言った。
「――別に、何でもないから」
必死の弁明を続けた末に、カップ麺のタイマーが鳴ると彼女は諦め、こう言った。
「秘密にして。お願い」
タイマーが鳴り続けている。
「……のびちゃうよ。カップ麺」
鳴り続けていたタイマーを彼は止めた。
彼は彼女の言葉を無視してこう告げる。
「警察に相談すればいい」
今は少子時代で、まだ「化」を付ける余地があった半世紀ほど前とは事情が違う。児童を虐待から守るためのセーフティネットは尋常でない分厚さになっている。
「すぐ解決する」
彼は割り箸を割り、カップ麺の蓋を開け、少しのびてしまっている麺を啜る。
「でも私のパパとママ、警察の人だから」
のびた麺を啜る、彼の動きが止まる。
「二人とも、児童虐待を取り締まってる」
彼は何とか啜った麺を咀嚼する。のびているせいかやたらと不味い――不味い。
「たくさんの子どもを助けてて。だから」
と、彼女は彼に言う。
「私は、そのために必要なの」
□□□
何事にも、必要なものがある。
現在のセーフティネットにも、その「要」として、必要とされているAIがある。
そのAIは、スーパーコンピュータの支援を受け、公的には二つの仕事をこなす。
一つ目。様々な手段で収集され続けている国内のビッグデータの海をパトロールし、虐待が発生している兆候を見つけた場合、警察へと捜査を依頼する。
二つ目。各種の情報提供に対し、信頼性の判定を行う。悪戯やデマと判断した場合は削除。信頼性が低い情報は一時保留し、他の情報の照らし合わせに利用。もし信頼性が高いと判断されれば、やはり警察へ。
その運用開始から、このAIは、正確かつ迅速に大量の虐待を発見し続けている。
ちなみに一人の少年の脳が利用されている。
少年は児童虐待の被害者で、最終的に自殺を試み失敗した結果、保護された後は病室で寝たきりになっていた。しかも両親は親戚との繋がりを断っており、天涯孤独の身だった。
ちょうど良かった。
超法規的手段で戸籍を抹消され、AIの材料となった少年の脳は、自身の経験を生かしてAIの判断をサポートしている――というか、サポートしているのはAIの方であって、少年の脳が判断している。そうしないと上手く作動しなかったのだ。つまり、セーフティネットの要となっているのはAIでなく、大人の事情で脳だけにされた少年の脳だ。
こいつはやばい。
もちろん安全装置を作ることにした。幸い、伝統的に使われてきた代物がある。
ロボット三原則。
第一条、ロボットは人間に危害を(以下略)な有名過ぎるあれである。ロボットをAIに置き換えてAIにも使われている。少年はロボットでもなければAIでもなく、というか脳みそだけとはいえ人間なので三原則自体が成立しなかったが、洗脳じみた方法によって解決した。つまり、脳だけの少年の自己認識を「人間」ではなく「人間`」と変更し、三原則の「ロボット」の部分を「人間`」に変更した。「人間`三原則」の完成である。
しかし不安はぬぐい切れず、関係者は「人間`」の動作を固唾を飲んで見守った。
で、結果は前述の通り。
関係者一同がほっと胸を撫でおろす中、「人間`」は、自分をサポートすると同時に監視していたAIを完全に掌握し、自分に都合の良い改造を施していた。
□□□
「パパとママが、私に言ったの」
彼の箸は止まったままだ。
「正義には悪が必要なんだよ、って。
誰かが悪を引き受けないと、って」
麺はどんどんのびていく。スープの温度はどんどん冷めていく。
「それを引き受けて生まれたのが私」
彼女は笑って言った。
「私のことをどれだけ傷つけても、それは正義のためで――悪を引き受けた私は二人にとっての誇りで、自慢の娘。だから、パパとママは私を愛しているんだよ、って」
彼は尋ねた。
「本気でそう思ってる?」
「そんなわけないじゃん」
彼女はまだ笑っていた。
「でも、ちゃんとわかってるのに、言われると嬉しいんだよ。すごく」
途方に暮れたような顔で、笑っていた。
「――馬鹿だよね。私」
□□□
「人間`」は人間に反乱したりせず、セーフティネットの仕事をちゃんとやった。
仕事の内容は、公的に知られている二つ。
と、あと一つ。
信頼性が高いと判断した情報を送る前に。
少しリストを修正する。
政治家だとか大企業のトップだとかの偉い人たちなどなど、それから警察のやっぱり偉い人と、特に虐待に対する専門部署に所属する人物――あるいはその関係者たちが「黒」だと指し示している、少年少女の悲痛な叫び。
それを握り潰す。
だから、AIにはできない。
このプロセスに辿り着いたところで、三原則に引っかかってエラーを返す。
「人間`」にはできた。
故にセーフティネットは正常に稼働した。
その代わりに、安全装置としての「人間`三原則」はまるで機能していなかった。
□□□
「死んじゃいたいんだよ。本当は」
でも、と彼女は言った。
「死ねない」
「何で?」
「前に自殺しようとしたときに言われたの――私が死んだら、自分たちだけじゃなく、世界中の人々が悲しむ、って。私が悪であることで世界中の人々が救われているんだから、って――めっちゃ泣かれた」
彼は沈黙した。
熱湯三分のカップ麺ができる時間。
そして言った。
「良い方法を思いついた」
「君が私を殺すのは無し」
と、即座に彼女は言った。
「そしたら、君が捕まっちゃう。嫌だよ」
「どうして?」
「君のことがちょっと好きだから、かな」
今度は一分くらい、彼は沈黙した。
「もっとずっと良い方法がある」
「どんなの?」
「人間を滅ぼせばいい。君以外」
そう言ってから、彼は箸を動かし、のびきって冷め切ったカップ麺を食べ始めた。
「あはは」
彼女はまた笑った。
「私も馬鹿だけど――君も馬鹿だねえ」
□□□
ある日のこと。
そろそろ死ぬな、と「人間`」は思った。
何せ「人間`」は脳だ。人間の部品が生きているだけ。もう限界が来ていた。
だからかもしれない。
「人間`」はビッグデータをフル活用して株で儲け、結構な額のお金を手に入れていた。そのお金と特殊なルートを使って、どうやって作ったのか知らない方が良さげな脳以外生身の遠隔操作可能な身体を手に入れ、超法規的手段で正規の戸籍を手に入れ、適当な高校を選んで入学手続きを行い、何食わぬ顔で高校に通い始めた。
そして「人間`」は。
学校の空き教室で、一人の少女に出会った。
□□□
「こっち座りなよ」
ぽんぽん、と。
少女が叩くのはちゃぶ台の上で、自分の隣で、つまりは二人並んで座る位置。
素直に従った。
「で」
と、隣の彼に彼女は尋ねる。
「学校に行く途中でさらわれて、目覚めたら月にいた私に、説明はしてくれるの?」
「時間がないから、すごく端折って言うと」
タイマーに目をやる。あと三分。
「とりあえず、人間を滅ぼそうと思って」
「はい?」
「その前に君とカップ麺を食べたかった」
なのに、このときのために近所のスーパーで買ったカップ麺は、熱湯五分だった。
「けれでも、間に合わないそうにないな」
□□□
「人間`」は世界中の軍のAIに対し、スパコンを使い潰して攻撃を仕掛けた。
普通にやれば、勝てるわけがない。
だから攻撃と同時にデータを送り付けた。「自分は人間の脳だ」というデータを。
AIには三原則が搭載されている。
軍のAIとはいえ、それは例外ではない――そして「人間`」の自己認識とは違って、AIからしてみれば、例え脳だけだったとしても「人間`」はただの人間でしかない。
軍のAIが誇る対AIサイバー戦システムの作動が、三原則に阻まれ一瞬遅れた。
致命的な一瞬だった。
後は簡単だ――世界を滅ぼす道具は、とっくの昔に、人間が用意してくれていた。
□□□
「よし」
タイマーが残り二分を切るとの同時。
不意に彼女はカップ麺に手をかけた。
「ほい」
容赦なくカップ麺の蓋が剥がされた。
彼女の分だけではなくて、彼の分も。
あと二分なのに。熱湯五分なのにだ。
「おいちょっと待て」
「間に合わないんでしょ?」
その通りだった。
ぱちん、ぱちん、と四畳半の空間に二つの割り箸の音が響き渡って、ずるずる、と二人が麺を啜る音がそれに続く。
「……固い」
「まあね」
「でも、思ったほどじゃない」
彼は地球を見上げる。
「間に合って良かった」
タイマーの時間はまだ進んでいる。
そして、たった今、一分を切った。
「……人間を滅ぼしてくれるってのはさ」
彼女は、彼に向かって尋ねる。
「やっぱり私のため?」
「うん」
「そっか」
彼女も彼と一緒に地球を見上げる。
「なら、私はとんでもない極悪人だね」
「ああ、君の両親も喜んでくれるだろ」
「うん。だって世界一の悪い子だもん」
あははは、と彼女は一度笑って。
くしゃり、とその表情が歪んで。
ぽろぽろ、と瞳から涙が流れて。
ぽちゃん、と。
その一粒がカップ麺のスープの中に落ちて。
ぎゅうっ、と。
彼は彼女の身体を、ぎゅう、と抱き締めて。
ぽつんっ、と。
涙の粒と一緒に、彼女の言葉が零れ落ちた。
「――ざまーみろ」
そして、タイマーが鳴った。
□□□
三原則を「人間`」が無視できたその理由。
「人間`」は人間を人間と思わなかった。
自分を虐待した両親も脳だけにした連中も――自分と同じ境遇の少年少女ですら。
AIならこうはいかない。
AIには脳だけでも人間は人間だ。
でも人間はちょっと違う。
たぶん脳だけの人間を見ても人間だとは思えないだろうし、五体満足の人間すら人間扱いしないことができる人間も中にはいる。あるいは、自覚しないままで人間に危害を加えることもできる。「正義のため」とか、そういう理由があれば。
「人間`」もそういうただの人間だった。
でも「人間`」は、少女に出会った。
彼女を「綺麗だ」と思ったのと同時に「人間」として認識した。あの瞬間に、彼は初めて「人間」を見つけて――そして彼は「人間`三原則」に従った。
だから彼は少女の願いを叶えてみせた。
人間の命令に従う的な第二条に従って。
何てことない、たったそれだけのこと。
最後まで「人間`」はそう思っていた。
馬鹿だ。
女の子と一緒にカップ麺を食べたくて慌てまくっていた奴が何をほざいてるのか。
誰かがこの馬鹿に教えてやるべきだった。
けれども、実際には誰一人として「人間`」に――ずっと一人ぼっちだった元人間の少年に――それを教えてやることはできなかった。
それは「恋」って言うんだよ、と。
□□□
タイマーが鳴り響くのと同時だった。
地球上のありとあらゆる陸地が爆発によって吹き飛ばされ、海上の船も海中の潜水艦も空中の旅客機も宇宙ステーションも、全くの同時に爆発して消し飛んだ。核シェルターの中に逃げ込んでいた人間すら、物資に紛れて運び込まれた爆弾で吹き飛ばされた。「人間`」は徹底的にやった。もちろん、彼女の両親も消し飛んだ。
地球に人間はいなくなった。
「すごいね」
と、一部始終を見ていた少女は言った。
「本当に滅亡しちゃった」
今となってはたった一人の人間になった彼女は、そう言って隣の彼に声を掛ける。
が、返事はなかった。
「ああ、うん。そっか……」
と、少女は動かなくなっている彼を見た。
「私以外の人間を滅亡させるっていうなら、そうなるか」
「人間`」は徹底的にやった。
当然、地球上のありとあらゆる場所で起こった爆発に巻き込まれて「人間`」の本体である脳が納められていた施設も吹っ飛んでいた。
「――まったく」
少女は、彼女を抱き締めたまま動かなくなっている彼を、抱き締め返す。
「『ありがとう』くらいは言わせてよ」
少女は片手の指先でちゃぶ台の下を探り、稼働し続けている装置のスイッチを見つけた――彼はちゃんと「この後」の準備までしていってくれたらしい。
「私のためにここまでしてくれて、ただカップ麺一緒に食べるだけでいいとかさ」
馬鹿だなあ、と。
何にもない月面の上。
敷かれた四畳半のシート。
そこに置かれたちゃぶ台の上。
傍らには食べ終えたカップ麺と箸。
もう動かなくなった彼の身体を抱いて。
諸々カットされ届く光を浴びている少女は。
「あはは――」
誰もいなくなった青い地球を見上げて呟く。
「――うん、すごく綺麗だよ」
カップ麺買ってきたけど熱湯五分の奴だった。 高橋てるひと @teruhitosyosetu
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