3.千歳に咲け
姉が死んだから、妹のカナは紆余曲折の果てに、義兄と結婚することができた。そして娘を授かった。
「姉さんのあるべきものだったことを思うと……。この作品にも出会うことはなかったかもと、思っていたの……。姉さんと死と、千花の生は、切っても切れないものだったのかななんて」
カナが今夜、ここまで思うにはわけがあった。
しあわせそうな父・雅晴が、千花が作りだした『ガラスと海の欠片のキャンパス』を見つめ、ふと呟いたことが心に刺さったままなのだ。
『長く生きていれば、やりたいことができる時もくるもんなんだな。美月も、逃げてもいいから、生きていれば……』
姉も生きる道があったのではないか。父のその言葉を聞いたとき、カナは思ったのだ。
自分が今、手に入れた世界すべて、暮らしの全ては、姉が死んだからあるものなのかと――。
夫の耀平だからこそ、カナは素直に心のひだにこびりついて消えない心情を吐露した。
「あはは!!」
しんみりしていたのに、隣の耀平が声高らかに笑い出したので、カナはギョッとする。
「え、なんで。笑うところ??」
「いやいや! 千花は絶対に生まれていたって!」
普段、なにごとにも静か佇まいでいる耀平が、あからさまにお腹を抱えて笑い転げているので、カナは眉をひそめる。そして、笑われていることに若干の腹立たしさを覚え始める。
それでも、耀平は笑い続けて、その意味を口にする。
「俺が夫じゃなくても、カナが子供を産んだら、千花が生まれていたって断言できる!」
「……耀平さんが夫じゃなくても?」
そんな世界線……。想像したことがなくて、カナはきょとんとしてしまった。
いや、そうか。もしかしたら、そっちもありえた!?
「なんなら。当時のカナのいい加減さだったら、未婚の母にだってなっていたかもしれないだろ。絶対に自分で育てると頑固に言い放って、やっぱり千花を生んで育てて、……きっと……」
そこでやっと耀平の笑い声が途絶えた。
彼が笑う姿を不満げに見上げていたカナに、いつもの静かで落ち着いたお兄さんの眼差しが向けられている。
「きっと。おなじ女の子がそこにいただろう。航がまた猫かわいがりして、小生意気な、カナのような娘がいたはずだ。カナが生きていれば、千花はそこにいた。誰が父親であっても……。千花は生まれていた」
もうこれだけで。カナの目に涙がじわっと瞬間で滲み出てきていた。
「俺も、美月もきっと。千花を可愛がっていた。お祖父ちゃんと浜辺でビーチコーミングをして、この驚くキャンパスを生み出して、倉重の大人たちをあっと言わせていただろう。いまと変わらない」
姉が生きていようが、亡くなっていようが。カナの世界は変わらない。
いまは姉が亡くなった状態だからこそ、耀平とカナは結婚をして千花を授かったが、結婚をしていなくても、カナのもうひとつの世界線でも千花は生まれていた。
「カナと千花は、切っても切れない永遠の母娘だ。このキャンパスは生まれていた。カナがどんな道を歩んでもだ」
もういまの世界を自分の思うままに手に入れていいんだ。
夫にそう言われたとわかり、カナはここでやっと涙をこぼしていた。
「義兄さん――。ありがとう」
久しぶりに、彼のことをそう呼んでいた。
「いえいえ。でも、まさか娘からも、こんなにはっとさせられる幸せをもらえるとは思わなかった。ありがとうな、カナ」
夫に抱きしめられ、カナもそのまま彼の胸元に頬を預け抱きついた。
月明かりの中、姉も見守ってくれている静かに。そう思える夜だった。
「あの、未婚の母ってなに? そんな想像ができる耀平さんが信じられないっ!」
「いや、だって。適当に男を選んでふらふらしていた時があっただろう。それだよ、それ」
「そ、それは……」
義兄でなければ誰でもいいやみたいに刹那的な感情を抱いていた若気の至りを思いだし、カナはなにも言えなくなる。ヒロと別れた後はまさにそんな時期もあって、なんなら小樽で軽く付き合いだした跡取り長男とのトラブルを、義兄だった耀平が対処してくれたこともあった苦い想い出もある。ぐうの音も出ない。
まさに、未婚の母になっていた可能性もなきにしもあらずで、言い返すこともできなかった。
「でも、まあ。千花がもし、カナと同じ道を歩んでも、ガラス工房もあるし、兄の航もいる。航がサポートしてくれるだろう。入りやすい環境は残してやれそうだな」
カナは黙り込む。もし、娘が吹き竿を持ってガラス工房に立つ日が来たならば――。
もう娘ではなくなるだろう。
娘を立派にしたいと思う母心があるからこそ、娘とは思わずに向き合うだろう。
それでも、カナには何故か。
吹き竿を片手にキラキラと輝く娘が見えている。
それはガラスの世界でなくても、娘は娘らしく、自由に表現する世界に向かっていく。その姿を信じて疑わない自分がいる。
そこで千の花を咲かせてくれたらいい。
それは、カナと耀平が生み出した花ともなる。
娘が咲かせたキャンパスを、月明かりの中、ふたりはいつまでも一緒に眺める。
冗談めいた言い合いも昔と変わらず、そこには夫妻だけの笑い声が途切れない。
「お母さん、お父さん! お祖父ちゃん、お祖母ちゃん! 航兄ちゃんも、早く早く!」
「待てよ、千花。兄ちゃんでも追いつけないって、どんだけ元気……!」
翌日も、千花は金春色の海へと元気よく飛び出していく。
燦めく欠片を集めて、わたしたちに光を見せてくれる。
夫とふたり、一緒に咲かせた花は、ちとせにさいてゆく。
花はひとりでいきてゆく 完
🌸また、いつか🌸
これで最後……。そう思ってこの物語を何度も幕を閉じたはずでした。
2020年のファイナル編では特に。
なのに、コミカライズのお話をいただき、こうしてまた物語の扉を開くことができました。
ですから。今回は『また、いつか』で閉じさせていただきます。
もしかするとまた、なにか書く時が来るかも? そう思わせていただく機会でした。
カクヨムさんでは、第3回カクヨムWeb小説コンテストで最終選考の注目作品にあげていただき、こちらコンテストにて沢山の読者さんとのご縁をいただきました。
また折に触れて、『花はひとりでいきてゆく』を思い出していただけましたら幸いです。
コミカライズもどうぞ、よろしくお願いいたします。
またいつか(*˘︶˘*).。.:*♡
市來茉莉(茉莉恵)
花は蝶とたわむれる《花はひとりでいきてゆく 番外編集》 市來 茉莉 @marikadrug
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