第4話 すれちがっていても二人きり

 <エピローグ>


 蕾と恋人になって二週間が経った。

 私に気を使って付き合ってくれてるんじゃないか。そんな不安は拭いきれていないけど、二人固く手を繋いで、仲良く登校する。

 昔と同じことをしているだけなのに、世界が輝いて見えた。

 気に食わない表現だけど、恋の魔法にかかっている感じだ。

「授業中楓と話せないの、辛いよー」

「あんたね……毎日毎日ずっとおしゃべりしてるんだから、少しくらい我慢しなさい」

 惚気る蕾を小突きながら教室に入り、自分の席に向かう。

 磁石をボンドでくっつけたように離れない蕾を引き剥がして、自分の席に向かう。

「なに……これ……」

 完全な不意打ちだった。自分の机に罵詈雑言が落書きされていた。隣にある蕾の机にも。

 昨日までなかったそれに、心が恐怖で一杯になる。

 思わず辺りを見回す。気付いているはずだ。でもみんな知らぬ存ぜぬという態度。クラス全員がこのことを容認しているような空気。

 どうしてこんなことをされるのか、全く身に覚えがなく、何が起きたのかわからない。

「蕾……これ……っ……」

 救いを求めて蕾へ視線を向ける。

 笑っていた。この醜悪な落書きを見て、刹那の一瞬、蕾の頬が上がっているのを見てしまった。

 蕾の見る影もない歪みきった笑みに背筋が凍る。恐怖のあまり出てしまった表情だ。そう自分に言い聞かせて、もう一度事態の推測のために落書きを見る。

 注意深く観察すると、不可解な点ところが目についた。死ね、殺すという王道の暴言はあるにはある。でも大半が、嘘つきや虚言癖のクズといった、私が人を騙したことを糾弾するような内容だった。

 単なるイジメとしては、内容の偏りがある。なんとなくだが、イジメるというよりは、報復の意味合いが強そうに思えてならなかった。

「酷いことする人もいるもんだねー。二人で付き合うことにしただけなのに、辛いねー」

 そうあっけらかんと言いながら、授業の準備を始める蕾。そのことは変じゃない。誰だってこんな状況に突然放り込まれたら、現実逃避してしまうから。

 二人で付き合うことにしただけなのに……なんでそう言えるの? どうしてこれだけの情報から、そう断定出来るの?

 こうなった原因を知っている……でも、そのことを問いただす勇気が持てない。

 それは開いてはいけない扉だから。私が思わず蕾に告白してしまったのとは比べ物にならない、もう二度と友達にすら戻れなくなるから。

 恐ろしいのは、蕾がそのことを隠そうともしていないこと。直接言葉にはしないけど、暗喩とさえ言えない、ほとんど直喩に近い自白をするくらいだから。

 蕾の考えていることがわからない。

 

 二人の間にまた一つ隠し事が生まれた。

 こうなった原因を知る蕾。それを知る勇気が持てない私。私たちの間を取り巻く霧が晴れて、幸せな日常を謳歌していたら突然、暗い闇の底に引きずり込まれた気分だった。

 お昼休みになっても、教室中にこだましている、私たちを排除しようとする雰囲気が、軟化することはなかった。

 それに耐えかねて、蕾をグラウンドの木陰で昼食にしようと誘った。

 普段は教室で食べるけど、きついペンキの匂いがする机の上に食べ物を広げるのは、イヤだった。

 昨日までと変わらない風景と日差しの下。隣には私の作ったお弁当に舌鼓を打つ蕾がいる。

 手料理を食べて幸せそうにおいしいと言ってくれる、横顔を見ているだけで幸せ一杯になれていた。

 同じ蕾のはずなのに、こんな状況でも同じままの蕾に、不信感を隠せない。

「蕾……今朝のことなんだけどさ……」

 迷っていても仕方ないのは、身をもって知っている。それに蕾にはもう、ためらいたくなかった。

 そのツケを蕾が払ってくれてしまうから。だから蕾と二人の時は、一歩踏み出す勇気を持つと決めた。

「どうして、二人で付き合い始めたから、イジメられたと思ったの?」

「これって私が雪代先輩のことを土壇場で振ったからでしょ。だから私だけだったはずなのに、恋人の楓まで巻き込んじゃったから。それで悪いなぁって」

「そ、そんな……」

 言葉を失った。言われてみれば、私たちが恨まれそうなことといえば、それしか思い当たらない。

 だとしたら、その直接の原因は私にある。私が蕾に告白しなければ、全てが上手くいっていたのだから。

 悔しかった。私のせいで、自分の幸せを掴めなかったばかりか、イジメられるようにな立場へ追い込んでしまった。

 雪代先輩と付き合っていたとしても、結局恨みは買ったかもしれないが、不本意な相手と付き合って恨まれるのとは、訳が違う。

 こうして落ち着いているのは、蕾は心のどこかで、こうなるとわかって、それでも私と付き合ってくれたんだ。

「今別れたら楓は助かるかもしれ……」

「バカ言わないで! 私の為に雪代先輩を振ったんだから、私だけが罰を受けるべきなのに、蕾にまで背負わせちゃった」

 私の為に身を投げてくれた蕾。この程度で償えるとは思わないけど、全力で蕾を守るんだ。

「蕾は私の為に全部投げ出してくれた。だから、私はその気持ちに応えたい。何があっても蕾を守るから」

 たとえ一瞬であったとしても、ここまで尽くしてくれている蕾を疑ってしまった自分が許せない。

 二度と蕾を疑わない。そう覚悟を決めて、蕾を胸に抱き寄せる。

「私の為にありがとう。何があっても離さないから」

「うん。絶対だよ」

 蕾にとって私は一番じゃないかもしれない。でも私にとっては、蕾が一番だから、蕾の一番になれるよう頑張る。

 そう心に固く誓う。



 ※※※


 楓の誓いの言葉を聞いた瞬間、楓を手に入れた悦びに打ち震えた。


 楓と付き合い始めた瞬間に、雪代先輩へ送ったメッセージ。楓はそれを、私が雪代先輩を暗に振ったんだと解釈した。

 でも雪代先輩から見たら全く違う。楓との間を取り持つはずの私に拒絶された途端に、楓と付き合い始めたんだから。

 当然雪代先輩に説明を求められた。それにはありのままを伝えた。楓が私に突然告白して来て、それを受け入れただけだと。

 それを聞いて雪代先輩は素直に引き下がってくれた。この女は物分かりがいい。この人の力では私たちは二人っきりになれない。

 だから私は、楓がこの女になびかなければ、彼女の圧倒的な人気にあやかり二人きりになれるよう行動していた。

 雪代先輩がよくても、彼女のファンが納得するとは限らない。幸運なことに私は賭けに勝てた。彼女のファンは、リサーチして想定していたよりも面倒くさかった。


 私は支離滅裂な二枚舌を心がけていた。雪代先輩に楓との接点を作ると言いながら、楓にはそのことを伝えず、あくまで私の為のリサーチで雪代先輩と会う。

 話が噛み合わない不満をぶつけられるけど、楓は恥ずかしがり屋さんだからと言って、誤魔化した。

 楓が雪代先輩へのプレゼントを選んで、買ってきてくれたこともあった。私はそれを受け取って、同じ物を購入して、それを楓からの贈り物と称して、雪代先輩に渡した。

 ここまで徹底すれば、第三者からは、楓と雪代先輩が、どこか恥ずかしがって煮詰まり切らない両想いに。楓からは、私から雪代先輩への希望のある片想いに見える。

 こうして歪みを貯めに貯めた関係に、私が終止符を打った瞬間、雪代先輩の時間を独占していた私たちへの不満が爆発した。

 仲良くなり、積極的にプレゼントを贈り合いながら、こっぴどく雪代先輩を捨てた楓への憎悪は凄まじかった。

 そして雪代先輩をサポートしつつ、最後の最後に手のひらを返した私への憎しみも同じく深い。

 その二人が付き合い始めた。雪代先輩のファンは学校中にいる。私と楓の二人がまとめてイジメられて、クラスどころか学校中から孤立するのに、そう時間はかからなかった。

 地味ないたずらから、目に見える嫌がらせに変わった。楓は鈍いから、机に落書きされるまで気付かなかったけど、その前から前兆はあった。

 初めての落書きからひと月足らずで、暴力が体を掠めるようになった。

 楓が私を守ると誓ってくれた時、本当に嬉しかった。そして今、私を守れなくなりつつある。

 楓は自分のせいでこうなったと思い込んで、自責の念に駆られている。

 救いは私しかないから、どんどん私に溺れていく。

 でも蕾が傷付くのは自分のせいだから、甘えて溺れて最低だと自分を責めて、際限なく心を自傷している。

 幸せでたまらない。蕾の為、私のせいで蕾が……楓の思考が全部私を中心に巡るようになった。

 以前では考えられない思考回路。それがとても幸せ。

 私が傷ついたら、楓も傷付く。さも一心同体かのように振る舞う楓は、どこまでも愛おしい。

 日に日に狂う楓と。最初から狂っている私。

 最大の不満は、楓が今だに、私の最愛が雪代先輩だと思っていること。

 根っこのところを誤解されたままなのが、不満で仕方ない。せっかく二人っきりになれたのに、こうして楓の思考を雪代先輩に邪魔されたら興ざめなんてレベルじゃない。

 初めから楓に狂っていたんだと、わかって欲しい。

 だからそろそろ本当のことを話そう。楓に。あともう少し、二人一緒に堕ちた頃に……



 ※※※


 私は蕾の企みを全て知っている。

 具体的には蕾に初めて暴力を振るった相手を、こっそりと締め上げた時に知った。

 そいつは訳のわからないことを言っていた。

 私が雪代先輩を好きだとか。雪代先輩は私のことが好きで、二人を繋ぐ使命を蕾は帯びていたとか。

 少し調べたら、詳細全部ではないけれど、蕾の思い描く計画の全容は掴めた。

 私を奪われる恐怖を捨てる為に、二人で世界から孤立したかったんだ。

 それを知った時、胸が軽くなった。私は蕾の最愛を奪ってはいなかったんだとわかったから。

 そしてもう、蕾が他の誰にも奪われるかもと、恐る心配がないんだと。

 真の安心を蕾がくれた。恋人同士なんて、二人ずっと一緒にいられる保証になんてなるはずがない。

 だから蕾自身と私を犠牲にして、その不安を消してくれた。

 もはや誰も私たち二人にわずかな好感も示さない。

 好意を向けられると嬉しいけど、悪意はちっとも嬉しくない。悪意で包まれることが、安心なんだ。

 もし環境が変わっても、二人力を合わせて、孤立しちゃえば、二人っきりでいられる。

 蕾がくれた答えは明瞭で、森羅万象から嫌われる覚悟を持てばいいだけ。

 ただ一つ不満があった。それは蕾が、真実を話したら私に嫌われるかもと、私を信じてくれていないこと。

 その恐怖を私は知っている。それを乗り越えた先に、より深い絆が生まれることも。

 だから私は、蕾が本当のことを教えてくれるまで、蕾の最愛は雪代先輩だと思い込んだままでいることにした。

 蕾はいつか本当のことを話してくれると、知っているから……

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恋愛相談に乗ってあげている幼馴染のことを実は好きな私が、彼女を落とすまで 神薙 羅滅 @kannagirametsu

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