数秒を極める。
くるとん
あの戦い
ついにこの時が来た。
聖なる日、時計の針は正午を少し回ったところ。いよいよ我が最高の
「大江、君には絶対に渡さない。この一戦で全てを決めようじゃないか。」
目の前に対峙するは、大江勇気。
身長155センチメートル、体重55キログラム。靴のサイズまでは知らない。
大江との死闘は、はや6年にも及んでいる。戦績は12勝12敗、まさに五分と五分。
「望むところだ楠木。君の手は研究し尽くしている。僕の完璧な計算によれば、君の勝率は0パーセントだ。」
大江の挑発が始まった。落ち着け、ここで大江のペースに乗せられてしまっては、勝ち目が薄くなる。おそらくこの勝負が最後の戦いとなるだろう。持てる力の全てを発揮しなければ、研究の鉄人、大江には勝てない。
この勝負の勝率は、あくまでも33パーセントだ。これは変わらない。しかし、理論上の数字など、実際の戦いでは意味をなさない。
「今日の俺は一味違うぜ。この日のために、俺は鍛錬を続けてきたんだ。」
腕を高々と掲げると、観客連中が声をあげた。
「いいだろう、お前の全力を跳ね返してやるさ。ルールはいつも通り、時間無制限の一本勝負だ。降参はない。」
首肯し、右手奥に置かれた宝に目をやる。あれこそが求め続けてきたものだ。ここにあの宝があることは、まさに奇跡というほかない。箱の上部は開けられており、中が少し見えている。
漆黒のベールをまとい、見るものを魅了する艶やかなフォルム。その名前は口にするだけでも幸せを感じさせる。年に一度、この日にのみ現れる。
俺は負けるわけにはいかない。あの宝を目前にして、この場を去らなければならなくなった友のためにも。友は今、高熱に浮かされている。俺が必ず勝って、口にするんだ。
そう、あの残ってしまった給食のチョコレートケーキを!
「いざ尋常に!じゃん…」
―――大江サイド
楠木、普段ならば挑発に乗ってぼろを出していたが、今回は違うのか。やはり
過去のデータを参考にすれば、楠木が出す手は圧倒的にグー。しかも過去24回の戦いで、チョキを出したことはない。勝負事になると冷静さを失うタイプなのだろう。
ここは最も安全な手であるパーを出すべきだ。
―――楠木サイド
この戦いにおいて、「じゃん」の発声は非常に重要だ。この一言が勝負のスピードを決める。速いテンポに持ち込むことで、
相手に思考する余裕を与えない、これこそ
また、発声と同時に振り上げる拳には十分な配慮が必要だ。予備動作は相手に次の手を悟らせてしまう恐れがある。特に強く握り込みすぎるのには注意が必要だ。強く握り込むと、
リラックスだ。
―――大江サイド
ん?なんだ、楠木の手の握り込みが甘い。いつもならば強く握り込んでいたはず。
まさか、自らの弱点に気付いたのか。
まさか、楠木は伝説の鏡トレーニングを採用したのかっ。鏡を前にしてじゃんけんをすることにより、自らの癖を見つけ出す、まさに究極のトレーニング法。まずい、やつが弱点を克服しているとすると、安易にパーを選択するのは誤りか。
まだ「けん」の発声がなされていない。状況を見極めるんだ。
やつが弱点に気付いたとすれば、それを逆手にとろうとしてくるはずだ。とすれば、強く握り込むふりをして、チョキへ展開することが最良の作戦だ。しかし、やつはそうはしなかった。
そうか、楠木。正々堂々の勝負を仕掛けてきたのか。その精神、称賛に値するぞ。
しかしその精神は、この戦いにおいては命取りのようだ。弱点を避けるあまり、無意識的にグーを避ける可能性が高い。ということは、俺が出すべきはチョキかっ!
動け人差し指、そして中指っ!
―――楠木サイド
「けんっ!」
よし、「けん」の発声も完璧だ。集中しろ。この「けん」フェーズが手を決定できる最終段階だ。「ぽん」フェーズに突入してしまうと、手の変更ができない。これがじゃんけんにおける「後出しの禁止」という絶対的な規律だ。
ん?大江の人差し指がやや開き始めている。
中指、薬指も若干の反応を示している。
小指は?小指は動いていない。これは明らかにチョキの兆候だ。人体の構造上、チョキを出そうとすると、薬指が反応してしまう。小指が一緒に動いていないということは、間違いなくチョキっ!
そうか、大江は俺の鏡トレーニングに気付いたのか。さすが我が最高の好敵手だ。
だが、甘かったな。「けん」フェーズの序盤で手を決定したならば、俺の持つ最強のスキル、動体視力によって全てを読み取ることができる。勝負を焦ったか、大江。いくぞ、全ての指に力を込めろ、いざ、最強の拳を打ち出すっ!
―――大江サイド
ふっ。今頃楠木はスキル動体視力によって勝利を確信しているだろう。
しかし甘いぞ楠木。貴様は俺のフェイク・チョキによって思考がチョキに支配されている。チョキの支配により、本来貴様が最も出してはいけないグーに手が偏ってしまっている。
策士、策に溺れたな楠木。もう少しで変更限界点だ。
開け俺の親指、薬指、そして小指よ。全てを包み込むんだ、俺のパーっ!
―――楠木サイド
「ぽ…」
なにっ!小指が動き出している。
くそっ、ここで諦めてたまるものか!思い出すんだ、あの、血のにじむような努力を。
鏡に向かってじゃんけんを繰り返す俺に、妹は白い目を向けた。両親には心配をかけてしまった。それでも俺はこの日のために、耐えてきたんだ。
既に変更限界点を超えている。もはや
強引な脱力っ!
「…んっ!」
―――大江サイド
くっ!新たなスキルを取得していたのか。あの状態から脱力することで、強引に手を変えたか。
だかスキルには再使用制限時間がつきもの。そしてスキルを使えるのは貴様だけではないっ!いくぞ、スキルっ!
「あーいこで」
―――楠木サイド
なにっ!大江に発声権を奪われただとっ!あいつ、スキルを習得していたのかっ。
しかし、今スキルを使用したことで、やつの思考スピードは各段に落ちているはず。そのうえこの発声スピード、やはりやつも焦っている。このスピードでは、
くそっ、力の勝負に持ち込まれる。このままでは、またあいこになってしまう。第2陣までの思考は終了しているが、2回目のあいこに対応できる思考は終わっていない。ここで勝負を決めるしかないっ!
―――大江サイド
楠木、かなり焦っているようだな。俺のスキルに動揺したか、例の弱点が戻ってしまっているぞ。強く握り込みすぎている。これは明らかにグーを出す兆候だっ。
貴様はそう、大好物のかしわもちを巡る5月の一戦においても、チョキを出すことはなかった。明らかに俺がパーの素振りを見せていたにも関わらず、チョキを出すことはなかった。
そうだ、何も考える必要などなかったのだ。相手の虚を突き、焦らせることさえできれば、グーの確率が圧倒的に高くなる。そして楠木、やつのグー率は異常っ!
一回で勝負を決めれなかった、そして俺の隠し続けていたスキルに動揺したこと、それが貴様の敗因だーっ!
「しょっ!」
「な、なんだと…。楠木、なぜチョキを…。」
―――楠木サイド
かかったな大江、俺が大好物のかしわもちを犠牲にしてまでも守り続けた「チョキを出さない」という掟に。
あの時のチョキの誘惑はすさまじいものだった。たった一度チョキを展開すれば、俺はかしわもちを食べることができた。それでも耐えた。大江のあからさまな誘導にも耐えて。それが今いきた。
そう、全てはこの日のためにっ!
そしてわが友村山よ。プリントは必ず届ける。連絡事項も懇切丁寧に親御殿にお伝えする。そして何よりもゆっくり休むんだ。それが回復への近道だ。
「素晴らしい戦いだったよ、大江。俺はかしわもちも大好きだが、チョコレートケーキはもっと好きなんだ。」
数秒を極める。 くるとん @crouton0903
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