無題、名付けるとしたらYour Race Is Run Beneath the Sun

酔人薊Evelyn

第1話

10.11

 crushやfancyに短命なのぼせあがりという意味があるように、ある種の感情を経験するたびにその儚さを知り、次第にやり過ごすことを覚えていった。わたしは未だ幼けない水妖で、愛を知らない。

 その日、いつものように目の前を通り過ぎる魚の数を数えた。こうするとよく眠れるのだ。地上で人が入眠に使うという芥子の花はここには自生しない。

 昼間も日の光が届かず、緑の草地に雛菊も咲かないところでわたしは生まれた。わたしたちの移動には制限がなく、わたしたち水の子は海にも湖水にもせせらぎにも存在する。水藻にくるまれて眠り、夜には白銀の波間で魚と遊んだ。

 歌声で人間を魅了することなど容易いことだ。魅入られた人間たちの死の間際の顔のなんと愚かなことか。水辺に近づいてきた人を引き摺り込むの、多ければ多いほどいいわ、永遠の生命の片鱗が沢山手に入るから。姉さんたちは言うけれど、幾ら集めれば本物の魂を授かるのかということは誰にもわからない。虚しい誘惑を繰り返すだけ。

 人間を愛して陸に上がり、そのまま行方知れずになった者たちもいた。わたしたちの言い伝えによれば、陸の上で人と結ばれ人間になることこそが最も確実に魂を得る方法だということだった。だが、その方法も確実とは言い切れないではないか。誰しも死ぬまでは死後の世界の有無などわからないし、朽ちた死人に口はないのだから。彼らの消息は不明だが、こちら側には二度と戻ってこないことだけは確かだ。

 何百年経っても、何千年経っても、若者たちは同じだ。わたしたちの姿が永久に変わらぬように。皆とても愛らしく、花のように柔く生まれながらにしてくたびれている。だから、あの人の髪に霜が降り頬は色褪せ、白い肌に皺が刻まれて朽ちてゆくとしても何ら悲しむことはない。

 その人はやってくる。川辺で葦笛を吹く。ただ静かに、やや悲しげに。その人が近づいてくるとわたしは怖い。何か永久に知ることはない何かが影を落とし始めるのがわかるからだ。あるとき、冷気が立ち昇る黒い水を湛えた井戸の底深くからわたしは呼び覚まされた。高速回転するウィンチで桶が引き揚げられ、無理やりに外界と接触させられる。そんなふうにしてわたしはその感情を知った。そして呪われた悪夢のように何度も繰り返した。

 永遠に、上の如く下も然りの繰り返しで生は在る。愛と呼ばれるものを知ればこの虚しさは終わるのだろうか。そもそも、愛など存在するのだろうか。

 このように考えるわたしもまた、水底の掟に縛られているのだろうか。

 永久に錆びつくことのないナイフを波上に放ると、白い飛沫が涙のように血を流した。それは無慈悲にも美しい眺めだった。魚たちが膝をゆすって喜んだ。わたしはあの人の日輪が今日も駆け去ってゆくことを考えながら、滑り落ちる金の砂粒には限りがあることを知りながら、このことをふと思いついてはまた忘れる。

 あなたの腕のなかにいるよりもずっと、このわびしい湖底にいるほうがずっと、暖かだった。

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無題、名付けるとしたらYour Race Is Run Beneath the Sun 酔人薊Evelyn @birdlady_kochi

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