百万回生き死にて――
物部がたり
百万回生き死にて――
ある時は、人だった。
ある時は、犬だった。
ある時は、猫だった。
ある時は、鳥だった。
ある時は、虫だった。
ある時は、魚だった。
ある時は、樹だったし。
ある時は、草だった。
ある時は、爬虫類や哺乳類であったし、両生類でもあった。
はたまたある時は、家畜だった。
もしかすると、ミジンコでもあっただろう。
前世の記憶を憶えている時もあったし、忘れている時もあった。
それどころか憶えていないことすらあった。
自分が記憶を持っているのは、それなりに知能が発達した存在であったときだけだった。
人間であったときの記憶は明瞭に憶えている。
犬であったときの記憶も人間ほどではないが、憶えている。
猫だったときも同様に憶えている。
大雑把に言ってしまえば哺乳類系だった時の記憶は、それなりに憶えているだろう。
だが、虫や魚、爬虫類であったときの記憶は抽象的にしか思い出せない……。
キャンバスに描かれた抽象画のようなもの。
おぼろげに憶えていたとしても、虫や魚の思考を理解することは難しい。
人間で例えるなら、赤ん坊のときの記憶を憶えていないようなもの。
人間は何歳くらいから記憶が明瞭になるだろう。
輪廻を繰り返し、わかったことは四歳から五歳ほどの年齢で記憶がはっきりしてくる、ということだった。
大抵の存在に自分はなったことがあるだろう。
移ろい行く長い時間の中を自分は生き、死んだ。
自分が憶えている記憶の中で一番古い記憶は、人間だったときの記憶だ。
知能の高い存在の記憶が明瞭なだけで、それ以前に虫や魚、ミジンコだったかもしれないが、思い出せる限りは人間だった。
生の記憶をすべて書き連ねると、小さな図書館では収まり切らない量になるので、自分が印象に残った出来事だけを書き連ねることにしよう。
自分が憶えている最初の記憶。
人間の暦で言うと、西暦700年を少し過ぎたくらいの出来事だったと思う。
自分は生を受けた。
その時代は現代社会のような世界ではなかった。
後の言葉ではあるが、七歳までは神のうち、その時代の子供の命は
そんな時代で何とか自分は、神のうちから抜け出した。
だが、生き延びられて幸せだったかどうかは疑わしい。
毎日の食にも困る苦しい生活だったし、子供だからと労働をしなくていい、というわけでもなかったからだ。
衣食住が保証された現代の子供たちが聞いたら驚くだろうことを、自分は経験してきた。
昔は子供という概念がなかった。
子供は小さい大人、という認識だった。
当時の平均寿命は三十歳ほどだったので、無理はない。
夏は暑いし、冬は寒い。
弱音を吐けば叩かれる。
文字通り生き地獄な毎日を送った。
そんな暮らしから抜け出したくて、自分は悪事に手を染めることにした。
明確な理由などない。
ただただ苦しい生活から抜け出したかった。
自分勝手な理由でだ。
恫喝、略奪、窃盗、強姦、殺人、あらゆる悪事に手を染めた。
自分が犯していない悪事はなかった。
自分が殺した人間の中にこのようなことを言った者がいた。
おまえは命を軽んじ過ぎている――と。
不思議と心の奥深くに刻まれた言葉だった。
気が付けば自分は名の知れた山賊になり、部下もできていた。
おごり高ぶっていた自分だが、当時流行った疫病には敵わなかった。
現代では天然痘と呼ばれる流行り病だった。
当時は現代のように科学的な考えを持っている者などいなかった。
時の帝は流行り病や飢饉で乱れた国を治めるため、巨大な大仏を建設した。
それが
当然悪事の限りを尽くした自分に、廬舎那仏の加護が与えられるはずもなく、あっさりと惨めに自分は息を引き取った。
憶えている限り初めての死だった。
だが死が怖いとは思わなかった。
やっと終わった、そう思うだけだった。
自分が死んだことで悲しむ者は誰もいなかっただろう。
それどころか、死んでくれてありがとう、と喜ばれたことだろう。
そう思われるにふさわしい悪人の一生だった――。
死ねばどうなるのかを知っている者はそうそういない――。
死は眠るようなもの――。
死ぬまでは死の恐怖に震えるだろう――。
だが、死の直前になると恐怖を感じることすらできない――。
とても静かなまどろみの中――。
水面をたゆたうように――。
意識は――。
ゆっくりと――。
闇の中――。
真っ暗な空間を漂っていると、光が差した――。
気が付けば自分は犬になっていた。
思考はまとまらない、自分が犬だとも思わない。
ただ生きた。
野良だった。
ごみを漁った。
喰えるものは何でも喰った。
強欲な犬だった。
イソップ童話に『犬と肉』という物語があると後に知った。
それを知ったとき、自分だ、と思った。
犬の生でも自分は悪事を働いた。
人間の家に忍び込み、食い物を奪い。
野道で人間を襲い。
同種からも人間からも、犬は恐れられた。
犬は自分勝手に生き、最後は人間の手によって殺された。
死ねばまどろむ闇の中――。
次の生は猫だった。
自分勝手な猫だった。
時は煌びやかな平安時代。
猫は中国からネズミ駆除のために連れて来られた。
だが猫は自由気ままに生き、人間の意図には従わなかった。
眠たくなれば眠り、喰いたいときに喰う。
だが、自由気ままに思える猫の世界も大変だった。
人間に石を投げつけられたこともあったし、食い物が獲れないときもあった。
だが猫は賢かった。
狩りをせずとも食料を効率的に得る方法を知った。
猫は生きるために悪事を働いた。
だが、悪事かどうかなど人間が勝手に決めた倫理でしかない。
猫に悪態をついたところで、猫にはわからない。
猫からすれば、自分のやっていることは悪事などではなかった。
猫は民家に忍び込み、人間が蓄えていた食料を盗んだ。
腹が減れば民家に忍び込みを繰り返す。
食料が不自然になくなりはじめたことに気が付いた人間は、猫を捕らえ始末した。
人間を困らせた猫はあっさりと死んだ――。
今度の生は鳥だった。
スズメやツバメなどではない、キジという鳥だった
鳥は気付いたときには空を飛んでいた。
鳥の生は意外に楽しいものだった。
自由気ままに空を飛び、行きたいところに行き、世界の広大さをはじめて知った。
鳥は群れで行動しなくても、責められることはなかった。
自分勝手でも責められることはなかった。
食べる物にもそれほど困らなかったから、人間を怒らせることもなかった。
鳥は誰にも迷惑をかけることはなかったが、好かれることもなかった。
どちらにしろ人間に射られて死んだ。
次の生は虫だった。
虫の記憶は抽象的にしか憶えていない。
どうやって生きていたのかも憶えていない。
だが、虫だった、ということは憶えている。
地面を這う虫だっただろう。
虫は地面を這っていた。
虫だったころに憶えている強烈な記憶とも欲求ともつかない感情は、食料を得ること、と捕食者の恐怖、そして繁殖。
ただそれだけ、起動哀楽など存在しない。
虫はビクビク生きていたが、地面を這っていたとき、人間に踏まれて死んだ。
今度の生は魚だった。
魚だったときの記憶もおぼろげだが、魚だったんだ、という抽象的な記憶がある。
魚はそれなりに大きな魚だった。
魚は小さな魚を喰って生きていた。
魚は大きかったので、自分を脅かす捕食者にも怯えなくてよかった。
自由気ままに水中を漂い、生きた。
魚は腹が空き、獲物を探して水中を泳いでいたときだった。
美味そうなミミズを見つけ、喰らいついた。
だが不思議なことにそのミミズは物凄い力を持っており、自分を水面に引っ張り上げた。
水中では敵なしだった魚にも、捕食者はいた。
陸の人間だった。
人間に釣られた魚は串刺しにされ、喰われた。
次の生は樹だった。
どこにでも存在する樹だった。
樹は動くことができなかった。
何十年とその場にあり、ただただ生きていた。
生きる意味などなかったが、ただ生きていた。
楽しいことは何一つなかったが、何百回、何千回、と繰り返してきた生の中で一番穏やかな生だった。
何ごともなく何十年、何百年と生きてきた樹は人間の手によって切り倒されることになった。
人間は土地を開拓し、発展していった。
今度の生は草だった。
繁殖力が強く、嫌われ者の草だった。
風に揺られ、朝露が頬をなで、早く大きく成長する草は人間たちを困らせた。
人間は草を刈り、地を耕した。
だが草は、めげることなく地に根を下ろし刈られても成長した。
人間は色々な方法で草を始末した。
草を燃やしたり、刈り取ったり、だが草はめげることなく生き返る。
人間は除草剤というものを開発し、草に浴びせた。
草は根絶やしにされた。
今度の生は蛇だった。
嫌われ者の蛇だった。
蛇は理由もなく嫌われた。
聖書には蛇のことを人間を騙したサタンと同一視し、罰として蛇を地を這う者に変えたという。
つまり蛇は産まれながらに、――いや、産まれるまでもなく存在そのものが悪だった。
蛇は示し合わせたように、どんな動物たちからも嫌われた。
蛇を見た動物は逃げ出した。
蛇の好物は卵だった。
人間が飼っている鶏の卵を獲るために民家に忍び込み、人間に見つかった。
人間は蛇をつるし上げると、鎌で首を切り落とした。
蛇は死んだ――。
ある時は、家畜だった。
家畜の暮らしは楽だった。
何もせずとも喰うものに困らなかった。
朝になれば人間が世話をしに来て、草原に放してくれる。
だからなのか、自分は段々肥え太っていった。
そしてある日、人間は家畜を殺した――。
ある時はミジンコだったようだ。
さすがにそこまで単細胞レベルになると、記憶というものは持ち合わせていない。
きっと他の生物の栄養になって死んだのだろう――。
こうして自分は数々の生を生きてきた。
何万、何十万と繰り返してきた生の中でも、人間だったことはわずか数えるほどしかない。
世界にあるれる動植物の数を思うと、人間に産まれるのは奇跡に等しい。
そして現代。
自分は人間の男だった。
どの時代、どの生物でいても嫌われ者だった自分。
この生でも親に嫌われ、環境になじめず、孤独だった。
子供のころは荒れていた。
悪事も働いた。
昔のような悪事ではないが、現代社会特有の悪事を働いた。
薬物や万引き、喧嘩沙汰、恫喝。
どの時代、種族でも同じだったように自分は嫌われ者だった。
だが一人だけ、自分を嫌いにならない者がいた。
同じ施設で育った女だった。
女は自分がどんな酷いことをしようと逃げずに、そばにいた。
何千、何万回と生まれ変わってこのようなことは初めてだった。
自分は女と夫婦になった。
二人の間には子供が生まれた。
自分は永い永い時をかけて、初めて愛を知った。
家族で過ごす日々は苦しいが、楽しい毎日だった。
何万回と生き続け、始めて心の充実を知った。
子供は成長し、夫婦は老いた。
何の変哲もない日々だったが、とても満たされた。
平穏な日々が過ぎ、女は病に倒れた。
日に日に弱る女。
病院のベッドに横になる老いた女に男は言った。
「今までありがとう。おまえに出会えて本当によかった。永い永い時の中、おまえといたこの時が一番幸せだった。ありがとう」
女は微笑み、その日静かに息を引き取った。
男は初めて泣いた。
今までも泣いたことは確かにあった。
だが、この胸が苦しくなり、どうしようもない、泣くしかない、という感情で泣いたのは初めてだった。
そして、女の後を追うように、翌年男も体に悪性の腫瘍が見つかり、入院した。
病院には子供と孫が毎日見舞いに来た。
とても幸せだった。
腫瘍は悪化し、体の筋肉は落ち、とうとう自分は起き上がれなくなった。
病院のベッドの中で、今までの生のことを考えた。
業の深い生を送って来たものだ、と思う。
きっと、神か仏か知らないが、自分にくだした罰なのだろう。
芥川龍之介の蜘蛛の糸のようだと、自分をあざ笑った。
間もなく自分は危篤になった。
子供や孫は自分の死を悲しみ涙を流した。
永い永い時を生きて、死を悲しまれることは初めてだった。
悲しまないでくれと男は思う。
自分はただ死ぬだけなのだから。
だが、悪い気分はしない。
とても穏やかだ。
百万回生き死にて、やっと見つけた生きる意味。
男は初めて「死にたくねえな……」と思った。
何千何万と生き死にを繰り返して、死が怖いと思ったことは初めてだった。
どうして死が怖いのだろう……?
自分は弱くなったものだ、と男は思った。
子供と孫に看取られながら、男は死んだ。
そして、男は輪廻の鎖から解放され、もう二度と生まれ変わることはなかった――。
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