Deadman wanderer

静沢清司

プロローグ

 鼠色の街。車のライトと街灯がアスファルトを照らし、おびただしい数の人々が窮屈そうに歩道に寄っている。

 キャッチセールス、仕事帰り、飲み会。それぞれ異なった目的を持ち、この街で生きている。快楽を求め、豪遊し、散財し、やがてきれいなまでにおかしくなってしまうヤツだって、この街では許容される。

 そんな街に慣れない男女二人組が横に並んで少々憤りながらも歩いている。

 男女二人がこの街で遊ぶこと自体、珍しくもない。しかしこの二人は目的が違う。純粋に思い出を作りたい、愛を深めたいという純真無垢な想い。

 そんな彼らが苛立ちを覚えているのは、その目的を果たすことができなかった故だろう。そもそもそのような目的を持ったとしても、決してこの街に来るべきではなかった。あまりにもみすぼらしいこの街で、そんなきれいな願いが叶うわけではない。

「結局、なにもできなかったな」

 男が申し訳なさそうに、おそるおそる呟く。

「ええ、そうね」

 癪に障ったのか、女の言葉は少々鋭さがある。

 男の名は東条とうじょう怜雄レオ。大学生である彼は、帰路を共にしている美波みなみあやめと交際している。唐突な怜雄の告白を承諾して一年。うまくやっていると問われれば、微妙というのだろう。

 最初は確かに今より調子は良かった。だが熱が冷めていくように怜雄とあやめの仲は悪くなっていた。冷めていくどころか、ゆくゆく完全燃焼して灰と化すだろう。

「……」

 先程の会話以降、すっかり言葉がなくなってしまった。鉄塊てっかいを背負っているような重みに耐えられず、沈黙に徹してしまった怜雄は彼女の横顔をちらりと盗み見ている。

 よどんだ雰囲気は決して切り替わることはなく、黙ったまま帰り道を歩く。

 歩道から横断歩道の前に立ち、赤信号から青信号に変わるのを、ただ静かに待っている。二人は同じように顔をうつむいたまま。

 ちょうど信号が黄色に変わり、やがては青に変わるであろうという時だった。鼓膜を破ってしまいそうな勢いのある音。まるで怪物の怒声のようにも聞こえるその音は、大型トラックのクラクションだった。クラクションなぞ、この街でなら幾度となく耳にするが、ここまで脳内に響くものは聞かない。

 そして、その大型トラックは暴走するように道路を突っ切っていく。ところが不幸なことに、そのトラックは横断歩道を突き進もうとしている。さらに不幸なことに、ちょうど信号が青になった時だった。

「あれは、なんだ……?」

 怜雄がついにトラックの存在に気づくと、あやめはすでに横断歩道を渡っていた。

「お、おい! アヤメ、だめだ、そこは!」

 怜雄の必死の制止の声も彼女の耳には入らなかった。

 その声に続くように、再びクラクションが鳴る。その轟音ごうおんに驚きの顔を見せたあやめは、自分に向かってくるトラックを見据えた。思考が追い付かなかったのか、やや遅めに身の危険を感じたあやめは、腰を抜かし、ゆっくりと恐怖に堕ちていくように体が沈んだ。

「くそ!」

 そう毒づきながら地面を蹴り、彼女のもとへ近づく。おそらくその時が一番足が速かったであろう。考えるより先に行動に移した彼は、必ず足を止めることはなかった。

 その行動は誰もが理解できない行動だろう。自身を顧みず、他人の命を優先し、行動する。共感こそするが、理解はできない。きっとそんなことが出来るのはよっぽどの馬鹿と元から善しか知らぬ天使だろう。彼はそのどちらなのか。強いて言うのならば、前者に近い。

 救うために走り、助けるために走り、生かすために走る。そんな思いの数々が彼の中で巡りながら、疲れ切った足でみすぼらしく走る。

「あやめ……………!!」

 からからに乾いた喉で彼女の名を口にする。あやめはその声にやっと気づき、涙にぬれている瞳をこちらに向ける。恐怖のあまり、声は出なかったが、彼女は大げさに口を動かす。その瞬間に告げた彼女の言葉は「こないで」だった。その言葉はきっと、彼のことを想って咄嗟とっさに出た言葉だろう。

 トラックがもうそこまで来ている。怜雄は最高速度で手の届く距離まで近づき、決死の思いで右手を伸ばす。抱えて逃げようと思っていたが、もう間に合わない。せめて擦り傷程度で済めばいい。

 あまりにも残酷な数秒。余計な運命。その運命さだめに抗うことさえ許されない。

 彼はたった一瞬の出来事にありったけの憎しみを抱きながら、救いの手を伸ばし、彼女の体を飛ばすように押した。

 鈍い音がした。耳鳴りだけが残り、視界が赤く染まっている。彼女の無事をこの目で確かめたかったが、視界に貼りついた赤が邪魔でまともに見れない。口からは死の味がする。味覚が正常なのかわからないが、おそらくこれは血の味だろう。

 しかしふと疑問に思った。何か足りない。何かが欠けてしまっている。そんな風に思ってしまっている。

「……あ、ぁ……………」

 あやめ、と彼女の名を再び口ずさんでいたかった。またあの毎日のように、名を呼びあっていたかった。

 闇に沈んでいくように、そっと視界は薄暗くなっていき、ゆくゆく意識はなくなっていった。

 

 

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Deadman wanderer 静沢清司 @horikiri2

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