第4話 虐殺
「大丈夫、お父さんの机には血が付いてなかった」
俺たちは向かった職員室で手がかりを見つけ、それを頼りに中学礼拝堂へと向かっていた。
ご両親の行き先が見つかるとすれば職員室だと踏んだのだが、職員室は想像以上に凄惨だった。
電光が落ちた職員室は、広いグラウンドに面していたためか激しく襲撃を受けた跡が残っていた。壁や机はほぼ血飛沫で黒く染まり、白骨が見えるまでに徹底的に食い破られた肉塊も見えた。
そんな中、白瀬が職員室からの放送用マイクの脇に『校内にいる人は礼拝堂へ避難、屋外にいる人は手近の締め切りできる建物へ』と書かれたメモを見つけた。今は些細な手がかりでも欲しい。
礼拝堂を目指さない手はなかった。
「礼拝堂は…………確かここを曲がったとこだ」
俺はうろ覚えの記憶をなんとか手繰り寄せ、校舎の角を曲がった。
「お…………」
すると、気休め程度に段ボールで窓ガラスが覆われ日差しが遮られた廊下が見えた。
明らかに人為的なものだ。
礼拝堂の中に人が居るのは、もう間違いないだろう。
俺は思わず駆け寄る。
生きた人がいるのなら、その中に白瀬の両親が、花穏がもし、いるのなら、居ても立ってもいられなかった。
俺はなるべく静かに穏やかに、ノックを二つずつ、合計四回した。
程なくして、教師然とした中年の男が覗き窓に取り付けられた黒いカーテンを開けてこちらを確認した。
「…………どちら様。救助隊には、見えませんが」
「すみません。家族を探してまして。水野花穏と……」
「教員の、白瀬先生と手嶋先生です」
「…………先生方はいない。水野花穏と言う生徒は知りません。自分で確認しなさい」
その先生は、覗き窓から俺たち三人以外居ないことを確認するとそう言って、礼拝堂の押し戸を開けた。
「花穏、花穏。俺だ。兄ちゃんだ…………いるか」
礼拝堂は静まりかえっていたおかげで、俺の囁くような声でもきちんと届いた。窓ガラスには乳白色のカーテンが掛けられていたが、漏れ入った日光でなんとか顔が判別できる。礼拝堂は階段式の椅子で作られていて、俺たちに注目が集まっていたこともあり、そこにいた人は残らず顔が見渡せた。
花穏は……いなかった。
「………………いない」
隣で白瀬も、両親が居ないことを確認したようだ。
居ないのか……。
「あの、すみません。ここ以外に、人が避難している可能性があるところは」
「分からない。ただ、あまりにもあの…………おぞましい生き物は早かった。ここに残っていた者は全員、もともとこの校舎にいた人間しかいないと全員に確認済みだ」
なるほど…………。
音楽室があるのは第一校舎。礼拝堂があるここは第二校舎だ。
白瀬の両親と、花穏がいるとしたら、第一校舎の可能性が高い…ということだ。
「あの、手芸部と軽音部の活動室は、どこでしたか」
白瀬がそう聞く。
「……手芸部員か、軽音楽部員はいるか」
気むずかしい表情とは裏腹に、この先生がこちらの質問にきちんと答えてくれることに安堵しながら、礼拝堂を見渡す。
「あの、部員ではないですが…………友達がいます」
先生の質問に、小柄な女子生徒が応えを返した。
「手芸部は、部室とは別に中学2年C組を使ってました。軽音楽部は、音楽室は使ってません。地下活動室です。……あ、どちらも第一校舎です」
それを聞いて、俺は次に向かうべき場所を確信した。やはり、第一校舎だ。
そうと分かれば、もうここに居る理由はない。
「そう、ですか……。ありがとうございました。行こう、白瀬、櫛名」
そう言って俺が踵を返すと、肩を掴まれた。
「待ちなさい」
先程の先生だった。
「え……」
「外はあの怪物だらけだ。一体どこへ行こうと言うんだ、君は」
先生の眼は、不可解な行動をする若者を咎める目ではなかった。生徒の無茶をたしなめる教育者の眼だった。
「無茶して死んでしまったらどうする。もうすぐ、世田谷救急が来るはずだ。あの日には電話が通じた。今は手が回っていないのだろうが、じきに助けが来る。家族が心配なのは分かるが、自分が死んでしまっては元も子もないぞ。君たちの親御さんも、君たちが安全であることを望むはずだ」
「……」
「水野……」
ああ。
この人達は、あの日からここにいるから知らないんだ。
世田谷の街が、世界がどうなってしまったのかを。
怪物の存在は認めながらも、世界がどうなったのかを、ことの重大さを、知らないんだ。
だから、ここを出て行くことはせず、救助を待っているのだ。
そしてそれが、最後の拠り所なのだ。「ここは絶対に安全で」「必ず助けが来る」と信じているのだ。
そんなものは、来るわけがないのに。
そこが否定されたら、拠り所を無くしたら、この人たちはどうなる。
「………………でも、家族が」
俺は苦し紛れに切り抜ける言葉を探す。
「手芸部の部室は校舎の中央部にある、地下音楽室なら密室な上、学生食堂も近い。生き延びている可能性は十二分にある」
違う。生き延びているだけじゃ駄目なんだ。
助けなど、来ないのだから。
「礼拝堂の隣は売店だった。そこから持ち出せた飲食物のおかげで、君たちを含めても四日は持つ。悪いことは言わない、ここに居なさい」
助けが来ない、と言うことを伝えるべきではないことは、本能的に理解していた。
では、ここにいる人たちをどう助ける?どうすれば、助かる?俺と櫛名だけで、召喚の仕方も分からない俺と櫛名で、この30人を守り切れるか?守り切ったとして、その後の食糧は?衣食住は?
「…………すいません、お言葉はありがたいんですが、どうしても無事な姿を見ないと安心できなくて」
俺は、もっともらしい理由をつけて出て行こうとする。
「……?なぜそんなに頑なに出て行こうとする……?助けが来るまで待ってもいいだろう。君たちにとっても、避難所を見つけられたのだから渡りに船ではないか。このまま校舎を行き来するには、中庭を通らなくてはならない。そんなことは、教師として認められん」
違うんだよ。
ここは避難所なんかじゃない。このまま餓死を待つばかりの収容所だ。
俺たちには、この人達を救うことはできない。
いや、そもそも、救うなどおこがましい。
俺たちは、自分たちの身を守るので精一杯なのに。
どうする……。
どうするのが正解だ。
「おい、そもそもそいつら、どこから来たんだよ」
1人の男子生徒が、そう声を上げた。
「…………制服じゃないよね」
「あの怪物の中を…………どうやって」
不味い。俺たちのだんまりが、不必要な疑念を生み出している。
「なあ、ここより安全なとこ知ってるんじゃねえのか?」
「……!」
「助かる方法知ってて、俺たちに隠してんじゃねえのか?おい」
「ち、違います……!俺たちは、本当に家族を」
「外にあんなにうじゃうじゃ人喰う生き物がいて、無傷で来れるわけない……!何か対抗手段があるんだよ!!自分たちだけで使う気なんだよ……!!」
無駄な疑念が広がっていく。
疑念のままならいい。たぶん最善は、ここから走って脱出してしまうことかもしれない。だが、それは音が立つ。礼拝堂の防音でも、それに伴う雑音で気づかれてしまうかも知れない。
俺たちには、どうすることも出来ない。
そこにいた人々のざわめきは、もう無視できないレベルにまで達しようとしていた。
(不味い……不味い)
だが、もう駄目だった。
コップいっぱいまで張った水は、些細なきっかけで溢れる。
俺の失言だった。
「待ってください…………外の怪物は、視覚じゃなくて聴覚で食糧を探します……大きな音は、出すべきじゃない……」
「どうしてそんなことを知ってんだ!!やっぱ俺らに黙ってることあるんじゃねえか!!」
「!そんなことは」
俺が言いかけた瞬間、
礼拝堂の乳白色のカーテンに、無数の影が現れたのを俺は見た。
「白瀬!!」
俺が叫んだ瞬間、無数の鉤爪が切り裂いたことで飛び散った血が、礼拝堂の白を汚した。
「…………クソ…………!!あああ!!」
俺たち3人は、いち早く礼拝堂の扉を開けて走り出した。
そこにいた全ての、何も知らない全ての人々を、見殺しにして。
「水野……出口は!!」
「…………!!こっちだ!!」
凄まじい量の人間の叫び声と破壊音が交叉する。
そして、今度は俺たちの後ろにも、追い立ててくる『フライングスクリーム』がいた。凄まじい破砕音とともに、廊下の壁をもろともせずに。
「召喚、してみるか……!?」
「さっきのハミさんの言葉だけじゃ、なにも分からない……!それにあの数は無理だ!」
「あれ!あそこ!外!」
白瀬の指さす方に、確かに外光が見えた。当初目指していた出口とは違ったし、外に敵がいないとは限らない。
「……外出たら、そのまま駆け抜けるぞ!!」
櫛名の言葉で、俺たちは校舎を抜けた。
右にも左にも、『フライングスクリーム』はいない。居るのは、後ろで校舎のコンクリートを今まさに破ろうとしている数体だけだ。
「これだけ音を立ててたら、いずれ襲ってくる……!水野、どうする!!」
どうするもなにも、逃げ切れる保証もなく走るしかない。敷地内を出たら、ジグザグに死角を縫って安全なところまで行く。
行けるか。残りの体力で。
その結論に達したとき、
「うっ……!」
後ろで、白瀬が躓いた。
「!」
「白瀬ちゃん!」
俺と櫛名で、白瀬を助け起こす。
「……おい、嘘だろ」
それをきっかけに後ろを振り返ると、ざっと見ても10体を超える『フライングスクリーム』が、猛スピードでこちらを目指してきていた。
「………櫛名、デッキ出せ」
俺はそう言って、右ポケットを開いた。
「………………やれるのか!?」
「しか、ねえだろ」
大丈夫。俺の人生の危機に、確かに『聖法師団の修導師』は力を貸した。櫛名も、苦難を乗り越えてここまで来た。
出るなら、今このタイミングのはずだ。
「……」
俺はデッキから、一枚のカードを取り出した。
『聖法師団の修導師』。力を貸してくれるのなら、きっとこのカードだ。
「頼むぞ……『
櫛名も、いつぞや使っていたカードを取り出している。
覚悟を、決めろ。
「
俺がそう言って、記憶に従うようにカードを地面に置こうとした、
その、時だった。
唐突に、背後に、そこまで何もなかったはずの空間に、自動車の排気音が響いた。
「ミナトくん、君たち!乗れ!」
その歯車とアルスマグナ 荒樫 新 @ArataArakashi
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