空き地怪獣
なんようはぎぎょ
(あるいは将来について)
4年前、中村リクがまだ小学生だった頃、空き地で穴を掘っているおっさんを見た。通りすがりに「何してんの?」と話しかけたら「ここから財宝を掘り出すんだ!」と言われた。
おっさんは赤いキャップをかぶって赤いジャージを着ていて、靴下を履いていなくて赤いサンダルを履いていていた。それで、結構太っていた。リク以外の通行人はみんなチラチラ見てから速足で去っていく。
赤いおっさんは酔った表情で、「ここから冒険が!クエストが始まるんだ!」と言いながら空き地で穴を掘り続け、アニメワンピ〇スの主題歌を大声で一曲歌いきり、電話番号のような数字を叫び始めた辺りで警察に連行された。帰ってから家族にその話をしたら「おかしな大人に話しかけるな」とめちゃめちゃに怒られた。
……そんなことを何で今思い出したかというと、リクの病室のテレビにその空き地が映ったからだ。空き地は国有地で「道路予定地」という看板があって、あ、と思った時にはそれがひしゃげて吹っ飛んだ。臨時ニュースというテロップが出ている。
揺れる映像の中で、空き地には大穴があいていて、そこから何故か怪獣が生えていた。三階建てビルくらいの大きさで、全体的にゴツゴツとして黒い。おおよそ映画の中でヒーローに退治されるのが似合う見た目だ。それはちょっとワニに似た顔かたちで、長い尻尾を振り回しながら目から光線を出していた。
リクはチャンネルを変えた。ニュース中継がやっていて、ワニみたいな怪獣が尻尾で乗用車を吹っ飛ばしている。もう一回チャンネルを変える。上空ヘリコプターからの映像で、リポーターが小刻みにプルプルしながら両手でマイクを持っていた。遠くに怪獣の後頭部が見える。
リクは、とりあえずナースコールを押した。テレビ画面の上部には「緊急避難指示」の赤文字が忙しなく点滅している。
病室は静かで白い。一人用だからちょっと狭い。テレビの音を出すことは禁止で、リクはイヤホンを持ってなかった。ナースコールをもう一回長めに押して、それでも返答がない。
『こんにちは。これは××市役所からの緊急放送です。本日先ほど16時30分、隣県××地区、×〇地区、〇〇地区で、警戒レベル4、緊急避難指示、が発令されました。未確認の生体による災害という情報で、現在調査中です。市民の皆様は、該当地区への立ち入りを自粛、また命を守る最善の行動をとってください。繰り返します。これは××市役所からの緊急放送です』
病院の外からの放送のために窓を開けた。ぬるく、勢いのある風が入ってリクの短い髪がなびく。カーテンがバタバタと鳴る。日が沈みかけていて、病院の狭い庭がうっすらと夕焼けで赤い。街路樹が揺れていて、珍しく車も人もない。一匹の鳩もいない。
ナースコールを再度押して、やはり返答がない。リクは急に息苦しくなった。
「ぅ、」
吐き気がせりあがってきて、しばらくゴミ箱の上でゴホゴホとえづいた。胃液も何も出ないのを確認して、ゆっくり息を吸って吐く。じわっと涙が出てくる。
「はぁ……」
聞き間違いではなかったら、避難指示はリクの実家のある地域だし、ニュースに映った空き地なんかは実家から歩いて五分だ。
リクは焦って荷物入れをひっくり返した。震えてきた手で着替えやティッシュの山を掻き分ける。手書きの古いアドレス帳とコインケースは、一番底の方にあった。ここの入院患者は携帯電話を持てないルールで、一階のロビーに公衆電話がある。
病院内は静かだった。エレベーターは薄暗く、廊下は細長い。病室は全て白い戸が閉じている。夕方のこんな時間だから?すべての窓から赤い西日が差していた。
リクは変な方向から足音を聞いて、振り返ると誰も何もない。反響した自分の足音に驚いたのだ、気づいてからもまた3回同じことで驚いて、ちょっと嫌な気持ちになった。ガッガッとわざと音を立てると、変な位置から同じ音がガッガッと返る。むかし遊んだやまびこと比べ、何も楽しい気持ちにならない。
ロビーまで来ても人がいなかった。きっと院内はもうすぐ夕食の準備だ。ロビーは建物の一番端で、大きなたくさんの窓がある。西日の色が更に濃かった。窓枠が影を作って、広々とした床や長椅子、自動販売機に公衆電話、すべてに格子の模様を描いている。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
思わず悲鳴を上げたけれど、ディスプレイの表示を見たら番号を押し間違えていた。電話帳の一番上、実家の番号をもう一度、よく確認しながらかける。
『prrrrrrr prrrrrrrr……』
出ない。
2番目は、実家に近い方のお爺ちゃんとお祖母ちゃんの家。
『prrrrrrr prrrrrrrr……』
出ない。
3番目は中学の同級生、4番目は職員室。5番目はむかし家が近所だった友達。
『prrrrrrr prrrrrrrr……』
電話番号を順に辿って、すぐにリストは全部終わった。誰も電話に出てくれなかった。リクは友達が少ない。小さい頃から病弱で、だんだんと気も弱くなった。
じわっと涙が出てきながら、アドレス帳の空白のページをばらばらとめくる。
一番最後のページに、赤いボールペンで書いた番号があった。名前欄に赤いペンで、簡単なキャップのイラストが書いてある。
リクは学校もあまり行けなくて、アドレス帳にしているノートはいつまでたっても埋まらなかった。そういえばこの手帳は、小4の終わりから使っている。
……4年前、空き地で赤いおっさんが穴を掘っていた。近所の人に通報されて、おっさんはすぐに連れていかれた。0120から始まる、電話番号のような数字を叫びながら。
叫ぶおっさんは当時のリクの目で見ても変で、なんというか普通にやばい人だった。ぎょっとするくらい赤い全身。叫びながらたまに唾が飛んでいた。でもおっさんは、その時リクの知っている大人の中で、一番楽しそうな顔をして、一生懸命に穴を掘っていた。
当時のリクは家に帰ったら、その番号に電話をしたかった。久しぶりにワクワクしていた。子供は大体妙なものが好きだ。
おっさんは電話に出るかもしれないし、出ないかもしれない。電話口のおっさんは叫ぶかもしれないし、『冒険』の話をするかもしれない。ワンピ〇スの歌も歌うかもしれない、リクはその歌をよく知っていた。もしかしたら友達になれるかもしれない。
結局、おっさんの話は家族にめちゃめちゃに怒られた。リクは謝ってめちゃくちゃに泣いた。それ以来その話題は出なくて、電話番号のメモはそのまま忘れた。
0120から始まる番号は、数字の列がちょっと長めだ。もし外国につながったらどうしよう、コインケースの中身は少ない。
勇気を出してダイヤルを押すと、聞きなれた電子音が鳴りだす。
prrrrrrr prrrrrrrr…… prrrrrrr prrrrrrrr……
『お電話ありがとうございます。惑星クエスト運命統括事務局、第三センター電話対応室です。中村リク様からのお電話で、お間違いなかったでしょうか?』
「はい……?」
少し早口で爽やかな声の、若い女の人が出た。アナウンサーみたいな喋り方で、たまにザザザッとノイズが混ざる。
『中村リク様からのお電話で、お間違いなかったでしょうか?』
お姉さんはもう一回同じことを言った。
「あ、え、はい、そうです。僕がリクです。え……?誰……?」
『こちらは、惑星クエスト運命統括事務局、第三センター電話対応室です』
「惑星……何、誰?」
お姉さんは、一呼吸おいて続けた。
『中村リク様、おめでとうございます。あなたはこちらの運命にたどり着きました!』
「運命……?」
お姉さんの声は綺麗で、ちょっと楽しそうな話し方になった。歌うみたいに話す感じ。
『前回のクエスト参加者、深紅のレッドローズマサル47才さんが本日、残念ながら、しにました。4年間の挑戦でした』
「えっと」
『関連づいて本日夕刻、××地区からP-25乙種の怪獣が出ています』
「か」
リクはひっと変な息が出た。怪獣の尻尾の映像を思い出す。
『中村リク様、おめでとうございます。あなたはこちらの電話番号に辿り着きました。差し当たりまして、あなたの願い事がなんでも3つ叶います』
お姉さんは歌うように続ける。
『電話口で対応できるものならすぐに、そうでないものは実現まで3.141分の時差がございます。願い事は何ですか?』
「え、ねが……怪獣……、そうだ、怪獣が」
『はい』
「怪獣が、出たんです。僕の実家の方で、ここからはちょっと遠いんですけど」
言いながら自信がなくなってきた。だんだんと小さな声になる。もしかして、これ夢なんじゃないか?でもこんな鳥肌がたってるのに
『はい?』
「ど、どうしよう、電話に誰も出なくて、みんなにかけたのに、誰も」
『……はい』
「ナ、ナースコールも誰も出ないし、ロビーにも受付の人誰もいないし」
言ってどっと汗をかいた。どうして受付に人がいない?
「ぼ、僕は、どうしよう、父さんと母さん、あと姉ちゃん、無事かわかんなくて、誰もいなくて」
『……』
お姉さんは電話口で一回深呼吸をした、それから言った。
『中村リクさん、あなたは今、願い事をなんでも三つ叶えられます』
「え、人が、怪獣……」
『これは、新しいクエスト参加者全員の持つ権利です。あなたはその三つを軸に今後、怪獣P-25乙種から始まる様々な対象と戦います。願い事は何ですか?』
「ねが、」
『どんなことでも良いんです、空が飛びたいとか、軍隊が欲しいとか!五百憶円欲しいとかP-25を消し飛ばしたいとか!友達に連絡して仲間にしたいとか!3つ!』
何故かお姉さんは後半になるにつれて叫んだ。
「あ。は?だって、あんた何言ってんの?怪獣が、だって、父さんと母さんが」
『…………』
「と……、実家に、電話しなきゃいけないのに……家族が無事か知りたくて」
『ご家族が無事か、知りたいんですね?』
お姉さんはなぜか繰り返した。苛立っているような口調になった。
「当り前じゃないか!!家族なんだから!!」
『中村リク様のご家族、お父様、お母様、お姉さま三人は、P-25 の被害で本日亡くなられました』
「…………ちがう」
『は?』
「……は?」
リクは体が震え始めた。やっぱり夢なんじゃないか?でもこんなに背中が寒いのに?
「ど、どうして」
電話口からもう一回、深呼吸をする音が聞こえた。
『中村リク様、願い事をあと二つどうぞ』
「いや、そもそもあんたは誰ですか」
『は?……私が誰だか、知りたいんですか!?』
お姉さんはまた急に叫んだ。病棟のナース長のおばさんと、大体同じ話し方になった。
「あ、いえ……。そういう、わけでは」
『何でも願い事をどうぞ』
次は猫なで声で、正直もっと怖い。
「なんでも、なんでも……」
『今一番したいこととか、会いたい人とか』
「だって、父さんと母さんと姉ちゃん……あ。三人を生き返らせてよ。僕、退院したら一緒に暮らすんだ」
『中村リク様の、お父様とお母様と、お姉さまを生き返らせたいんですね?』
「だからそう言ってんじゃん!!!」
『かしこまりました。3.141分後に、三人は生存状態に戻ります』
「は……?何言ってんですかお姉さん」
『………』
お姉さんは静かになった。リクは急に馬鹿らしくなった。よくわからないけど、きっとこのお姉さんは妄想狂みたいな人なんだ。リクは入院をしてから、世の中には思っていたよりずっと、変な大人が多いことを学んだ。
お姉さんはしばらく黙って、電話の向こう側からは、よく聞くと小さくたくさんの人の声がした。大体みんな女の人で、アナウンサーみたいに話す。一緒にたくさんの着信音。同じ電話がたくさん並んで、同じ顔のお姉さんがたくさん並んで、一斉に話す部屋を想像した。人数が多いから、結構広い。
『あなたの、願い事を教えてください』
お姉さんは、疲れた感じに繰り返した。
リクも何だかもう疲れていた。大体にしてよくわからないし、支離滅裂なことを言うひとと話すのは大変だ。町がどうなのかわかりもしないで、願い事なんて言われたって
『中村リクさん、あなたの一番やりたいこと、ほしいもの、なりたいものは何ですか?』
しかもおかしなお姉さんは、明らかにリクの方がおかしいと思っている。リクが子供で、話が通じないと思っている話し方だ、変なことを言っているのはお姉さんの方なのに。死んだ人が生き返りましたってなんだよ。
『リクさん、今一番したいことは何ですか?あと一つです』
お姉さんは頑張って優しい声を出した。病院に時々来るカウンセラーのおばさんと大体似た感じになった。
(リクちゃん、今一番やりたいことは何?将来の夢とか、行きたい大学とか、治したい悩みとか。なんでも良いの、それがパワーになるのよ)
将来のことなんて、自分の病気だってよくなるかどうかわからないのに、やりたいことなんて言われたって
「お姉さん」
『はい』
「僕は今日はもう疲れました。部屋に戻って、いつもの薬を飲んで早く寝たいです」
『……はい』
「お姉さん、言ってることやっぱ変だし、お姉さんもストレスに気を付けて生活してください」
『……はい』
「お姉さんも早く元気になってね」
『……はい。それでは、3.141分後にあなたは病室に戻り眠ります』
「はい」
お姉さんは本当の穏やかな声になって、リクはちょっと嬉しくなった。ヒステリックな女の人には、言葉少なにイエスを言うと大体良いのだ。
『それでは、惑星クエスト運命統括事務局、第三センター電話対応室、△△△が対応いたしました。この度は、ご挑戦とご利用ありがとうございました』
「はい」
『あなたには、ご希望があれば次のクエスト参加者を選ぶ権利があります。弊センターの電話番号を所定のやりか「はい」
『…………あなたの惑星の命たちの、ご冥福と次回のご多幸をお祈り申し上げます』
「はい」
お姉さんの声は穏やかで、何故か体がポカポカしてきた。気分がよくて目を閉じたら、ゆっくり空気が温かくなる。ぬるま湯みたいだ、そしてそのままリクの意識は沈んでいった。どこかで赤いキャップのおっさんが、穴を掘っている音がした。おっさんはとても一生懸命で、リクは懐かしい気持ちになった。
目が覚めたら病室だった。窓の外は陽が落ちて、少しだけ夕焼けの赤が残っている。
「中村さん、起きられたのね」
ショートヘアの新人ナースが、廊下から顔を出して言った。
病室の電気は消えていて、廊下や向かいの部屋が明るい。何故か窓が開いていて、カーテンが風でばたばたと鳴る。リクはまだ少し、体が温かくて気分がよかった。
病室の外は賑やかだ。ドカドカと白衣の人が走る。夕食を乗せた金属の台車が、ガラガラと2台通り過ぎていく。ご老人の話し声がして、食器のかちゃかちゃする音が鳴る。柔らかい味付けの食事の、薄い匂いが漂っていた。
「中村さん、大丈夫?あなたロビーで倒れてたのよ。気分はどう?」
ショートヘアの新人ナースは、片手に薬を持っていた。声は少しだけ震えて、綺麗な顔が心配そうだ。廊下をまた一つ、夕食の乗った台車が通った。ナースのちょっと後ろ位に、眩しく光るテレビがあった。
「大丈夫です。気分がいいです。でも、なんか凄く疲れました。今日はもう、早く薬を飲んで寝たいです」
リクはナースを安心させるために、ゆっくりハキハキと喋った。しっかりした話し方ができて、ちょっと嬉しい気持ちになった。
「……そうね。こんな日だし。早く寝た方がいいね」
リクの夕食はまだなのに、ナースは何も言わなかった。食後に飲む薬と睡眠薬を、ぼんやりと袋のまま手渡す。なんだか凄く疲れていそうな顔をしていた。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
ナースはちょっと目を見開いて、そのあとクシャっと可愛く笑った。
「ああ、ありがとう中村さん。大丈夫よ、全部大丈夫。あなたも何も心配しないで、早くぐっすり寝て頂戴ね」
廊下の遠いところから、台車がぶつかるような音がした。ガシャガシャと何かが倒れる音、おじさんの怒鳴り声、女の人の悲鳴
ショートヘアの新人ナースはしばらく、ベッドで寝ぼけるリクを見ていた。カーテンがばたばたうるさく、数歩あるいて窓を閉める。
テレビでは無音のニュース中継がやっていた。リポーターも解説者もない、固定カメラからの映像だ。少し遠くの県の上空を、怪獣がたくさん飛んでいた。三階建てのビルくらいの大きさで、ごつごつした羽が生えている。顔はちょっとワニに似ていて、時々目から光線を出す。
自衛隊の戦闘機が一機、怪獣の長い尻尾に当たった。映画みたいな迫力もなく、あっけなく戦闘機は折れた。黒い煙があがって、画面が無音で上下にぶれる。
廊下の遠いところから、掃除機のような音が鳴りだした。かちゃかちゃと鳴る食器の音、大部屋のお爺さんが一人、小声でお経をあげている。ナンマンダブナンマンダブ……
ショートヘアの新人のナースは、震える指でテレビを消した。その後、窓の鍵をかけて、カーテンを閉めて出て行った。病室は静かになった。
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書き出し一行目、中村文則『自由思考』から
(※もしこの投稿でどこかにご迷惑をかけてしまったら教えてください。対応します。)
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