火星の恋人

蓮見庸

火星の恋人

 その男は恋をした。赤い火星の女に。

 そして女もまた恋をした。青い地球の男に。


 その信号が入ってきたのは突然だった。

 小惑星帯を観測していた男は、脇に置いてあるモニター上に割り込んできた、見慣れない信号に気が付いた。

 一定間隔で同じパターンを繰り返す波のようなデータ。これまで見たことのないものだった。

 何となく興味をそそられて、ふたつ、みっつと違う方法で解析してみたが、何も面白い結果は得られず、もとの仕事に戻ろうと椅子を引いた時、ふと思い立って音声データに変換してみた。すると、それまでスピーカーから流れていたピアノの旋律、ベートーヴェンの悲愴ソナタにかぶさるように、人の声が聞こえてきた。

「こちらは火星の天文観測所です。どなたか応答願います。こちらは火星の…」

 男はびっくりして、まずは誰かのいたずらだろうと思い、周囲を見回してみたが、今日は自分一人だけで思う存分仕事ができるようにしておいたので、そもそも周りに誰かがいる方がおかしい。

 スピーカーの声は相変わらず流れ続けている。

 試しに空の適当な場所に向けて、声を電波に乗せて流すことにしてみた。微弱な電波しか出せないが、発信することはほぼ想定されていない設備なのでほかに方法はない。男はマイクのスイッチをONにして話しかけた。

「こちらは山ノ上電波天文観測所です。音声信号を受信しました。こちらの声が聞こえますか?」

「こちらは火星の……」

「だめか。じゃあ少し方向を変えて、と。こちらは山ノ上天文………聞こえますか?」

「…願います。こちらは………………。やった、繋がった!」

 スピーカーから陽気な声が聞こえてきた。

「ヤマノウエデンパテンモンカンソクジョさんですね。クリアに聞こえています。こちらは火星の地球観測所です」

 こちらの声に反応したのか? やってはみたものの、そんなばかげたことがあるものか。しかも火星だって? やはり誰かのいたずらに違いない。

「よく聞き取れなかったので、もう一度お願いします。あなたはどこにいるんですか?」

「太陽系第4惑星の火星と言ったらわかりますか? 地球からも見えると思いますが」

 やっぱりそうだ。もっともらしいことを言いながら、何にも答えになっていない。それにしても誰のいたずらだろう。

「火星なら今夜はよく見えています。けど火星の生命と話をするなんて聞いたことがない」

「では、あなたが第一号ですね」

 ぼくが火星人と言葉を交わした第一号だって?! いや、“人”ではないのか? ま、どっちにしたってこれは愉快だ。データ解析にも少し行き詰まっていたところだし、しばらく付き合ってみよう。

「あなたの名前を教えてください」

「名前はありません」

 ほらやっぱり。

「その代わり」

 その代わり?

「識別番号ならあります。でも番号だけじゃ味気ないし覚えにくいでしょ? なのでセリスティーヌという愛称で呼ばれています。セリスと呼んでもらって構いません。地球観測所で研究員をしています」

「じゃあセリスさん、あなたはどんな姿をしているんですか?」

「わたしの姿ですか? わたしはあなたたちの中で、女と呼ばれている人たちとそっくりな姿をしています。この研究所に入って初めて知った時はとてもびっくりしました。あえて違いをあげるなら、火星と地球の大きさに比例するように、わたしの方が少し小さいくらいです」

「我々を見たことがあるんですか?」

「はい。わたしが生まれるよりずっと昔から、無人探査船を飛ばして地球の様子を見てきました。最近は地球を飛び交っている通信データから音声や画像など実にいろいろな情報をいただいています」

「そんな無人探査船が来てるなんて聞いたことない」

 だますにしても、もう少しましなことが言えるんじゃないか?

「こう言っては気分を害されるかもしれないけど、地球の科学技術はまだまだ発展途上のようなので、わたしたちに気付いてはいても、まだ認識できていないのかもしれません」

「気付いても認識できていない…? まあいいや。さっきの話に戻るけど、地球と火星じゃ環境が違いすぎるのに、生き物が同じ姿になるなんてあり得ないでしょ?」

「わたしも最初はそう思いました。けれども実際似ているのだから、ただ驚くほかありません」

「それに、そもそも火星に人なんていないはず」

「地球の人はどうやらそう思っているようですね。けどわたしたちのほとんどが地下にいるのでそう思われても仕方ないです。そちらから探査機が来たのは知っています。今まさに探査衛星が飛んでいることも。でも、われわれの惑星のすべてを見たわけじゃないでしょ? 隠れているわけではないので、見付かるのも時間の問題だとは思います」

「では次の質問。この通信は火星から直接電波を送っているんですか?」

「いえ。直接ではなくて、いくつかの人工衛星を使った中継地点を経由して、最終的には地球の通信ネットワークをお借りしています」

「地球の通信ネットワークを?」

「これまでどのように地球の人たちとコンタクトしようかとさんざん話し合ってきましたが、実際に地球に行くとなると、まだそこまで科学技術は発達していないし、地球の人をびっくりさせてもいけないし、いろいろとリスクの方が高すぎるため、考えあぐねていました。そんなところ、地球を覆う通信ネットワークがごく最近になって急に発達してきたので、まずはそれをお借りしてコンタクトしてみようということになりました。それが、こんなにすぐに結果が出るなんて、ほんとにびっくりです」

「でもおかしいな」

「何がでしょうか?」

「火星から中継して電波を送っていると言っていたけど、なぜ遅延なく話ができるんですか?」

「わたしも専門家じゃないのでなかなか説明が難しいんですが、一種の鏡のような効果を使っているといえばいいのかな、三千光年くらいの距離なら理論的にはこの方法が使えるようです。火星と地球の距離なんて逆に近すぎるくらいです」

「それと、さっきから一番疑問に思っていることがあるんだけど」

「何ですか?」

「どうして火星の人に、わたしの言葉がわかるんですか?」

「それも不思議なんです。わたしたちにもわかりませんが、言語体系がすごく似ているんです。もちろん、地球にいくつも言語があるように、火星にもいくつか違う言葉がありますが、そのどれもがお互いのどれかの言語に対応しているんです。単語の違いはありますが、それは些細なことです」

 男は他にもいろいろと考えていたが、もし誰かのいたずらではないとしたら、こうやってコンタクトをとってきた目的は何なのだろうという、根本的な疑問に思い至った。そして単刀直入に聞いた。

「ところで、そちらの目的は何ですか?」

「地球の偉い人たちと、こちらの偉い人たちとの、話し合いの場を作ってほしいんです」

 まずは話し合う。普通に考えてそうだろう。彼女の言うことが本当なら、何かの映画みたいにいきなり侵略してこないのは、友好的なあかしだろう。

「わかりました。まだあなたを火星の人と認めたわけじゃないけど、こちらの責任者と話をしてみます。しばらく時間がかかるかもしれないけど、次もこのチャンネルで話しかければいいですか?」

「はい。そうしていただけると助かります。いつでも対応できるようにしておきます。どうぞよいお返事を」


 これがすべての始まりだった。

 このことが世間に知られるようになると、世界中が大騒ぎとなった。政治、経済、宗教などが大きく変容し、対立していた民族がひとつにまとまることがある一方で、大規模な戦争も起き、大国がいくつかひっくり返ったほどだった。そして今後のことはひとまず各国の代表者、そして名だたる研究者たちに委ねられることになった。


 そんな世の中の動乱をよそに、男とセリスのふたりはひそかに自分たちだけの通話チャンネルを確保し、毎日いろんなことを話し合った。写真を送り合ったりもしたが、セリスの姿はどう見ても人に違いなかった。


「あなたと話をしていると、わたしたちの忘れていたものや、失ったものをいろいろと思い出させてくれるわ。地球にはすてきなことがたくさんあるのね」

「セリスの星だってそうじゃないか。ぼくにとっては魅力的な話ばかりだ」

「…実はね、もうすぐ地上に雨を降らせる計画があるの。そしたら、時間はかかるかもしれないけど、いつか地球のように青い惑星になるわ。そうしたらあなた達も火星で生きていくことができるかもしれない。何世代あとになるかわからないけれど、その頃には宇宙船で行き来できるようになってるだろうし、ひょっとしたらお互いの子孫が一緒に暮らしているかもしれないわね」

「そうなるといいね。でもその前にぼくはセレスに会ってみたいな」

「わたしも会いたいわ…。わたしね子供の頃から思っていたの。この宇宙には自分たち以外にも知的生命体が絶対いるって。でもまさかこんなに近くにいたなんてね。だって、地球に人がいるなんてこの星でもごく一部の人しか知らされてないのよ。液体だらけの青い星に生命がいるなんて思えないじゃない」

「ぼくも同感だ。乾いた赤い星に君みたいな人がいるとは思ってもみなかったよ」

「……あなたと話ができて楽しかったわ」

「なんだよ急に」

「あのね、あなたに黙っていたことがふたつあるの」

「黙っていたこと?」

「そう……。ひとつはね、わたしたちの姿が地球の人とそっくりだっていうの…」

「だって、実際そうじゃないか」

「そうなんだけど…。あれはね、わたしたちが地球の人に似せて体を作り変えたんだって、こないだ聞いちゃったの……」

「体を作り変えた?」

「大昔の話。しかも今となっては何のためかはわからないわ。でもそうらしいの…。言葉も地球のものを真似したんだって。どうりで似てるわけよね、真似したんだもん、当然よね」

「真似しようがしまいが、どんな姿形をしていたって、何も問題じゃないだろ? ましてやセレスがぼくをだましてたわけじゃないんだし、言葉が似ていたおかげでこうして話ができるんじゃないか」

「そう言ってくれてうれしい…ありがとう……」

「それで、もうひとつはなに?」

「…こっちはとても言いにくいんだけど……」

 しばらく沈黙が続いたが、男は辛抱強く言葉を待った。

「…火星と地球の間で行われていた交渉が決裂して、戦争になるかもしれないの…。お互いの星の資源が目的みたい……」

「そんな…」

 男は言葉を失った。これまでセレスは嘘をつかなかったし、嘘をつく必要もない。嘘であってほしいが、これも本当のことなんだろう。

「黙っててごめんなさい」

「セレスが謝ることはないじゃないか」

「でもわたしがあの時あなたに話しかけてさえいなければ…」

「そんなの時間の問題さ」

「わたしではもうどうにもできない…」

「それはぼくも同じだ。仕方のない話さ」

「せっかくこうやってあなたと仲良くなったのに、なんてひどいの…」

「うん、さみしいね…」

「そうね…」

 お互い言葉に詰まり、部屋は静寂に包まれた。

「……けど、ぼくとセレスはこんなに仲良くできたんだから、きっとぼくたちの子孫がなんとかしてくれるさ」

「うん、きっとそう!」

「やっといつものセレスに戻ってくれた。今日は元気がなさそうだったから、どうしようかと思ってたんだけど」

「こんな話をするのに明るくなれるわけないじゃない」

「それもそうだね」

 ふたりは笑い合い、それから他愛もないことを話し続けた。


 ……男はいつの間にか眠りに落ちていた。

 あの時と同じように、スピーカーからはベートーヴェンの悲愴ソナタの旋律が流れていた。


 男は眠い目をこすりながら部屋の外に出た。明け方のひんやりとした風に吹かれながら、「うーん」とひとつ伸びをした。

 見上げた空には赤い星が輝いていた。

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火星の恋人 蓮見庸 @hasumiyoh

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