Fake~SNSに潜む自称悪魔や自称吸血鬼へ~ (C)Copyrights 2020 中村尚裕&焔丸 All Rights Reserved.

中村尚裕

Fake~SNSに潜む自称悪魔や自称吸血鬼へ~

 1.


「いやぁ、おっかない話だねぇ」ソファのクリムゾンから皮肉声。

「どうしたんだい?」ノワールはPCから顔も上げず、「君らしくもない」

「SNSだよ」クリムゾンがスマートフォンを掲げてみせた。「吸血鬼、悪魔、大者から小者までゴロゴロいるじゃないか」

「本気かい?」眼を上げるノワールが眉をひそめた。「いわゆる“なりきり”、早い話がただの自称じゃないか。君からすれば小者にもならない」

「知ってるさ」クリムゾンは片頬だけで笑んで、「だから『おっかない』って言ってるんだよ」

「理由を訊いてもいいかな?」ノワールがクリムゾンへ向き直る。

「私が何だか忘れたのかい、キミ?」クリムゾンの声にも笑みが交じる。「まさか出会ったきっかけまで?」

「まさか」ノワールが肩をすくめた。「確かにきっかけはSNSさ。けど君はやたら慎重だったじゃないか。そこらの誇大妄想家とはわけが違う」

「そりゃそうだろう」クリムゾンは手をひらつかせつつ、「余計な敵は作るもんじゃない」

「本気かい?」ノワールは片眉を踊らせた。「君ほどの大者が?」

「要りもしない苦労を買って出るほど、」クリムゾンは小首を傾げて、「私は篤志家じゃないものでね」

「どうだか」ノワールは疑わしげに、「その割には道楽に入れ込んでるけど?」

「道楽ってのは楽しめる苦労を指すんだよ」クリムゾンは指を一本振りつつ、「邪魔は入らないに越したことはない」

「まぁ、」ノワールは腕組み、「そこは解るけどね」

「つまり」クリムゾンは脚を組んで、「悪魔や吸血鬼ってのは、陰でこっそり獲物を狩るのが好きなのさ――ココロの弱い連中をね」

「あぁ、それでか」ノワールは頷き一つ、「『貴様ら』とか『人間ども』とか言って人を見下した気になってる連中ってのは……」

「そう、」クリムゾンは満足顔で、「同族を見下さなきゃ保てもしない自尊心ってのは、それはそれは願ったりな獲物じゃないか」

「なるほどね、」ノワールは得心顔で、「『おっかない』のは背後に隠れた“ホンモノ”ってわけか」

「大した笑い種じゃないか」クリムゾンの笑みが皮肉に歪む。「“なりきり”を称するなら、もっと本家を見習えばいいものを」

「ちょっと待った」ノワールが察した顔で、「ってことは、もう?」

「『もう』も何も、」クリムゾンはさも愉快そうに、「とっくの昔だよ。私が調べただけでも1800は堅いかな」

「じゃあ、」ノワールが突っ込む。「現場も?」

「まぁ、そうだね」クリムゾンにも悪い笑み。「つい昨日もそれらしいのが」

「行ってみよう」ノワールの手にクルマのキィ。「何かあるかも」

「何を探すんだい?」クリムゾンはやや意地悪く、「“ホンモノ”が証拠なんか残すとでも?」

「じゃあ訊くけどさ」ノワールの笑みもまた悪い。「そういう君はどうして僕の側にいる?」

 間――。

 小さくクリムゾンが喉を鳴らした。

「そうだね」クリムゾンは息の合間から、「キミがそういう人間だからだ、ね」



 2.


「私が調べたのは、」クリムゾンは助手席から、「せいぜいここ1年のことなんだけどね」

「去年から?」ハンドルを執りながらノワール。「結構な熱の入れようじゃないか」

「無関係じゃないからね」クリムゾンは首を小さく振りつつ、「邪魔をされちゃたまったものじゃない」

「『邪魔』?」赤信号を前にノワール。「君に?」

「なに、余計な茶々は私自身へ降りかかってくるとは限らないさ」

「つまり……」ノワールはハンドルの上から親指一本を自分へ向けて、「僕へ?」

「ご明察」クリムゾンの声が笑みを含んだ。「願い下げだろう?」

「ご心配、どうも」ノワールが苦笑したところで青信号。

 ギアを一段へ入れてクラッチを繋ぐ。古風なミニ・クーパーが前へ出る。

「で、」ノワールは前を向いたまま、「ただ眺めてたわけじゃないんだろ?」

「勝手に手は出してないよ」クリムゾンは右手を軽くかざして、「君との約束だ」

「じゃぁ何を?」ノワールは逃げを許さない。

「なに、生気ってのは言葉の端々にも現れるものでね」クリムゾンからは苦笑い。「ちょっと“視させて”もらったのさ」

「その結果が、」ノワールは一瞬だけ眼をクリムゾンへ。「『1800』?」

「そういうこと」クリムゾンが軽く頷いて、「“なりきり”をざっと1万アカウント、投稿にして3億ってところかな」

「紅茶を飲んでるだけかと思ってた」

「それはそれ、」クリムゾンは笑い半分の声を低め、「これはこれ」

「で、」前を向いたままのノワールが、「今になって僕を焚き付けたわけは?」

「『焚き付けた』?」クリムゾンの声に再び笑み。「一体いつ?」

「僕は『そういう人間』だ」ノワールは緩やかにブレーキを踏みつつ、「芝居はあざとくない方が好みでね」

「解った解った」クリムゾンは両の掌を掲げて、「これだから実はやめられない」

「何を?」車線を変えつつノワール。

「私の知的好奇心というものはね、」クリムゾンが意味深げな笑みをノワールへと向ける。「どうやら知性というものに向いているようなんだ」

「話を逸らすのが知性なのか?」ノワールが青信号を前に減速、ウィンカを左へ。「まぁ退屈しないのは間違いないけど」

「ここ2日なんだ」クリムゾンは指を一本立てて、「たったの2日でいきなり増えた」

「間違いじゃなく?」ハンドルを切りつつノワールが問う。

「年間ペースの倍近く」打ち返してクリムゾン。「それがここ2日で『喰われてる』」

「そんなに?」交差点を抜けてノワール。「いや、600人を境に?」

「正確には、」クリムゾンの声が一段低まる。「666――獣の数字さ」

 ノワールがミニ・クーパーを路肩へ寄せた。ハザード・ランプを点滅させて、そのまま停まる。「何だって?」

「実にいい趣味じゃないか」クリムゾンは不穏な笑みをたたえて、「キリ番イヴェントでも気取っているかな?」

「問題はそこじゃない」ノワールは顔をはっきりクリムゾンへ。「その時君が把握していたのは、“全部”なのか?」

「さてね」クリムゾンは肩をすくめてみせて、「何も守護神を気取っているわけじゃないよ。私の知る範囲が全てというわけでもない」

「なら、妙だと思わないか?」ノワールが細めて眼。「どうして境目が666人なんだ?」

「何が言いたいんだい?」クリムゾンはさも愉快そうにノワールへと指招き。「聞かせてごらんよ」

「666人は君の“視て”いる範囲での数字だ」ノワールは噛んで含めるように、「その時の総数は、この際関係ない。君の“視た”数字にこそ意味があるとしたら――?」

 クリムゾンは静かに笑みを深める。「それで?」

「つまり君は――」ノワールが小首を傾げて一つ、「――“視られて”いたんじゃないのか?」



 3.


「警察か」ノワールが呟くまでもなく、現場は遠目にも封鎖中。

「まぁ当然だね」クリムゾンは感慨の一つも見せず、「死体が見付かってしまえばこうもなるさ」

 眼配せ一つ、ノワールが促す。

 肩をすくめて一つ、クリムゾンが頷く。

 呪文めいた言葉を連ねて、クリムゾンは眼を封鎖線――のその向こう、見るからに安いアパートメントの2階、出入りする警察官の群れへと向ける。そのままノワールへ指招き。応じたノワールがポケットからスマートフォン、ロックを外してクリムゾンへ。

 と、受け取ったスマートフォンへクリムゾンが言葉を吹き込んだ――だけでノワールへと返す。ノワールが画面へ眼を落とせば、中では現場検証中。

「死体は――」ノワールの視線が赴く先には、白が描いて人の跡。「――運び出された後か」

「まぁ当然だね」クリムゾンは遠く現場を見やりながら、「連中、一刻も早く検死にかけたいことだろうさ」

「“視た”のかい?」それだけ問うてノワール。

「昨晩ね」こともなげにクリムゾン。

「焼け焦げとか、」ノワールは現場の床を眺めつつ、「バラバラってわけでもなさそうだ」

「床に跡がない?」クリムゾンの声は面白半分。

「そういうこと。焦げ跡も血も灰もない」ノワールがスマートフォンの画面をスワイプ、視野がそのままつられて動く。「鏡は――ああこれか。PCの横に手鏡が2つ」

「安物だけどね」クリムゾンはアパートメントへ眼をやりながら、「“合わせ鏡”に不足はない」

「真新しいな」ノワールが見咎めた。「ゴミ箱は……」

「こいつじゃないかな」

 クリムゾンが指を鳴らして一つ、スマートフォンの画面が切り替わる。紙ゴミの束――の頂上に潰れてボール紙、隅に小さく『手鏡』のシール。

「マメな性格だったようだね」

「ちょっと待った」ノワールが声を低めた。「だとすると“合わせ鏡”から一週間も経ってないことになる」

「ご明察」クリムゾンが指を再び鳴らすと、今度はゴミ回収日のチラシが映る。「前の回収は火曜の朝――つまり昨日だ。“合わせ鏡”は昨夜の午前2時ってことになるね」

「出てきて即、か」ノワールが眉をひそめる。「やけに早いな」

「確かにね」クリムゾンは他人事とばかりに、「悪魔が願いを叶える隙もありゃしない」

「じゃぁ吸血鬼かい?」ノワールが問いをクリムゾンへと向ける。

「“合わせ鏡”で現れたとして、」クリムゾンは指を一本振って、「吸血鬼は印を付けるだけさ」

「妙だね」ノワールが顎を一掻き、「他のヒントを探した方が早いかな」

「そうだな、」クリムゾンがまた鳴らして指。「キミはどう観る?」

 スマートフォンには現場――の隅、所在なさげなPCが一式。

「警察もPCにはまだ手付かずか。発見はそんなに前じゃなさそうだね」

「あぁそうだね」クリムゾンは視線を遠くへ移して、「死体は救急車で搬送中。死体袋の中だから、覗くのはちょっと暗くなるけど」

「やれるかい?」ノワールが眼だけを上げた。

「誰に訊いているつもりだい?」クリムゾンは指を一振り――してノワールのスマートフォンへ。

 画面が暗く――なった中に枯れ茶色。

 よくよく見れば、その輪郭の意味するところに思いが至る――髑髏の形。その上に皮膚だったであろうものが張り付いて、その相貌はミイラさながらの観を呈する。

「水分、か」冷静にノワール。

「“血”だよ」冷徹にクリムゾン。「生命力は、何も赤血球だけに宿ってるってわけじゃない。リンパ液に髄液その他諸々、我々にしてみれば“生命力を巡らせる液体”こそが“血”というわけさ」

「『我々』?」ノワールから怪訝声。

「吸血鬼も悪魔も、求めるのは生命力さ」クリムゾンには薄い笑み。「取り出し方が違うだけでね」

「その吸血鬼か悪魔が、」ノワールが一段声を低めて、「君を“視てる”ってわけか」

「そういうことになるかな」クリムゾンは他人事とばかり。

「じゃぁ被害者が……」ノワールが言いさしたところで、

「フェイクだよ」クリムゾンが声を重ねる。

「“フェイク”?」ノワールが片眉を踊らせた。

「“なりきり”さ」クリムゾンの声には苦り半分。「悪魔や吸血鬼の」

「あぁそうだね」ノワールは小さく頷いて、「君たちの存在を騙るフェイクってわけだ」

「察しがいいのは美点だよ」芝居がかってクリムゾン。

「で、」乗らずにノワール。「そのフェイクを君は特定したんだろ?」

「何が言いたい?」クリムゾンの声はからかい気味。

「あいつがどこに入り浸ってたか、」ノワールの瞳がクリムゾンを見据える。「君は知ってるわけだね?」

「全部を知ってるわけじゃないさ」クリムゾンは小さく肩をすくめて、「ここ2日はちょっと忙しくもあったからね」

「でも、」ノワールは意地悪げに、「できないわけじゃない」

「ご要望とあらば」クリムゾンが片頬に笑みを乗せる。

「問題は、」ノワールが立てて指一本。「どうしてフェイクが自分からホンモノを呼ぶ気になったか、ってとこさ。しかも一斉に」

「そこだよ」クリムゾンの眼に昏い歓喜が滲む。「だからキミには退屈しない」

「そりゃどうも」ノワールは受け流して、「で、何が要る?」

「あのPCが動いてくれれば言うことないが」クリムゾンは小首を一つ傾げて、「場所を変えようか。邪魔の入らないところがいい」



 4.


「で、ネット・カフェ?」ノワールが個室のドアを開けた。

「アシのつかない方がいいかと思ったけど?」続くクリムゾンに皮肉声。

「お気遣い、どうも」四方の壁に紙片を貼りつつ、ノワールが奥のPCを示す。「この程度で地の利が手に入るんなら上等だ」

「前向き、大いに結構」笑みつつクリムゾンがチェアに就く。PCを起動。「簡易結界、起動」

 壁の紙片、描かれた魔法陣にほのかな光。

「どこかに記録を?」クリムゾンの隣に席を占めつつノワール。

「どのみちフェイクの端末を使って調べていたわけじゃないからね」クリムゾンは起ち上がったPCに掌をかざし、「手がかりが増えるに越したことはないけど」

「『けど』、」ノワールが不敵に笑み。「できないわけじゃない、ってことだね」

「そういうこと」クリムゾンが小首を傾げて一つ、「あぁ、掴んだよ」

「アクセス記録?」端的にノワール。

「まぁね」クリムゾンに笑み。「現場を見て初めて判ったこともある。あの辺りのトラフィックが“視られた”りとか」

「じゃぁ手繰ることも?」ノワールも笑む。

「そう、」クリムゾンがPCに集中、「手間が省けた」

 と、モニタに待機画面――『実況配信・準備中』

「配信?」ノワールには疑問符。

「フェイクの履歴で見付けた」クリムゾンが眼を細めつつ、「最後のアクセス先さ」

「……時刻は?」声を低めてノワール。

「昨夜の午前1時から……」口の端、クリムゾンが不敵な笑み。「……午前2時05分」

「――ビンゴ」ノワールが表情も変えず、「だとしたら、他のユーザも手繰れないか?」

「だから君といると退屈しない」クリムゾンが片頬を釣り上げた。「ちょっと待っててくれるかい?」

「ああ」ノワールは頷き一つ、「僕の想像が当たっているとすれば……」

 モニタの端にテキスト・エディタ。そこへ名前が1つ、2つ……増えていく。10が20に、50が100に――止まらない。

「ビンゴどころの話じゃない」クリムゾンが低めて声。「こいつ、フェイクどもを集めていたね」

 そこで――暗転。照明だけが掻き消えた。

 モニタ上、待機中だった配信画面に灯が入る。ホワイト・ノイズ――に浮かんで淡く影。



 5.


『これはこれは』ノイズが凝ったような、それは声。『覗き見とはまた悪い趣味だな』

「悪趣味はどっちだ」クリムゾンが笑み半分で、「まぁフェイクどもをかばう気はさらさらないが」

『あぁ、この気配――』声が含んで笑みの影。『色々と勘ぐってくれた輩だな?』

「だったらどうする?」クリムゾンに挑発の色。

『もちろん、』声が喉を鳴らす、その気配。『我が滋養としてくれるまで』

「いいねぇ」クリムゾンが指招き。「やってみなよ。手間が省ける」

『減らん口だ』

 声とともにノイズが晴れた。モニタに大書き――魔法陣。

 輝く。血の赤。魔の光。

 掠れる視界へ――唸り声。

「甘い」ノワールが一言、手を伸ばす。

 指をモニタの裏へ。引き抜く。電源ケーブル。魔法陣が掻き消える――が。

 唸る声が――止まらない。むしろ怒りをたたえてより響く。

「怒ったか」冷徹にノワール。「ってことは、痛かったってことだね」

 そこで振り向く。「地獄の悪魔さん」

 黒い霧が、そこで凝集しつつある。

『不意討ちか』霧からの声は、頼りない高音から見る間に低まる。『度胸はあるようだな』

「おいおい、」クリムゾンに余裕の立ち姿。「私を忘れるなよ」

 さらに凝集、黒い霧――から人型、背に翼。見目こそ中肉中背と映るが、その所作から隙は覗かない。

『心配は要らん』悪魔の顔に――獰猛な笑み。『まとめて狩ってくれようぞ』

「契約は?」ノワールからあきれ声。

『たまには』悪魔が鼻を鳴らして一つ、『余禄があってもいい』

 ノワールが片眉を踊らせた――と。

 踏み込む。ノワール。沈み込む。

 頭上に擦過、悪魔の拳。かいくぐってノワールが悪魔の懐へ。近い。左肘、悪魔のみぞおちへ。

 悪魔が眼を見張りつつ身体を折る。続いて――、

 刺突。鋭い。左胸。深く衝いて心の臓――まで黒い霧。

『……!』

 悪魔に、絶句――そこへ。

「驚いてるか?」クリムゾンの、嘲笑。

 弾かれたように悪魔が顔を上げ――たところをクリムゾンの右手が鷲掴み。その指の隙間から悪魔が見たのは、クリムゾンの瞳――に宿る昏い光。

『――!』悪魔の悲鳴――が声にならない。

 痩せる。細る。干からびる。見る間に悪魔は枯れ枝よろしく、遂には黒い塵へと還――ったところでクリムゾンの右手へ吸われて果てた。床に音。それをノワールが拾い上げる。銀の刃を備えたコンバット・ナイフ。

「ご利用中はお静かに」皮肉混じりにクリムゾンが一言。

 ノワールがナイフを改めつつ、「結界は?」

「エチケットの範囲だよ」部屋を見渡すクリムゾンがふと、「覗き見してるヤツがいるけどね」



 6.


 クリムゾンが視線を据えた。PC――の向こう、ネット空間。

 と、スピーカから小さく嗤い。

「やっぱりな」ノワールが苦笑混じりに、「道理で手応えが弱いと思った」

『挨拶は気に入ってくれたかな?』スピーカ越しの声は嗤い半分。

「負け惜しみだね」クリムゾンの言はあくまで軽い。「悪魔に頼った――吸血鬼クン」

『悪魔の半身を吸い取ったのなら話は早い』声はそこで嗤いを消した。『大人しく手を引くがいい。互いに無用な手間を費やすことはない』

「どういうことかな?」ノワールが問いだけをクリムゾンへ向ける。

「集団洗脳さ」クリムゾンはPCから眼を外さず、「さっきの配信画面だよ。SNSでフェイクどもをそそのかして配信に集めたら、あとは一網打尽、って寸法だ」

「洗脳して“合わせ鏡”を?」ノワールもPCを警戒したまま、「それにしちゃ吸血鬼の欲が張ってるじゃないか。吸い切れるのか?」

「半分は悪魔の取り分さ」クリムゾンは片頬だけで笑って、「願いは『吸血鬼の力を増すこと』、代償はもちろんフェイク自身の魂だ」

「じゃ、もう半分は」ノワールは鼻を一つ鳴らして、「肥大した吸血鬼のキャパを埋めるのにでも使ったかな?」

『察しがいいな、人間』吸血鬼の機嫌が上向く。『そういうことだ。邪魔さえせずば手は出すまい』

「話によるね」平然とノワール。「欲をかくと墓穴を掘ることになるよ」

『不遜な口を』声が尖る。

「敬われたいなら」ノワールの声が冷える。「無駄に威張り散らさないことだね」

「おいおい、」クリムゾンは苦笑含みに、「それは私の科白だよ」

『いいだろう』吸血鬼が機嫌を傾けた。『掃除ついでに試すのも一興だ』

 と、そこで――。

 二人の前から景色が消えた。


『さて、』眼前、吸血鬼――の向こうに石造りの壁、そこに輝く魔法陣。『私の地下室へようこそ』

「召還か」クリムゾンは四方に眼を配りつつ、「しかも簡易結界ごととは豪気だな」

 二人の四方、宙に紙片。中の魔法陣はまだ生きている。ただしその向こう、四方の石壁では遙かに大きな魔法陣が力を匂わせ光を帯びる。

『結界の外に力は及ばん』吸血鬼は小さく笑って、『ならば丸ごと喚べば済む話だ。それとも細切れが好みかな?』

「それが用かい?」醒めてノワール。

『愚かな』吸血鬼が鼻を鳴らして、『よほど命が要らんと見える』

「わざわざ喚ぶからには」ノワールが小首を傾げて一つ、「言いたいことがあるんだよね?」

 間――。

「私を“視て”いたのは知ってる」クリムゾンから声。「途中からやけに急いでいるのもね。何が狙いだい?」

『力だよ』吸血鬼の声に歪んだ笑み。『他に理由が要るとでも?』

「力は道具だ」ノワールは落ち着きを見せつつ、「目的じゃない。違うかな?」

 吸血鬼が笑みを潜め――真顔で一言。『交渉のつもりか?』

「意味のない殺し合いは」ノワールが肩をすくめて、「趣味じゃなくてね」

『……いいだろう』吸血鬼は口の端を釣り上げつつ、『私は神を殺したいのさ』

「唯一絶対の?」クリムゾンの声は疑い半分。

「全知全能の?」ノワールの声は無表情。

『そうとも』吸血鬼の声に昂りが覗く。『我らを陰に閉じ込め、迫害をもたらし、孤独で苛み続ける――そんな神に叛逆するのだ』

「なら訊くけど」ノワールが声を低めて、「神を“視た”ことは?」

『……どういう意味だ?』吸血鬼に怪訝の色。

「そのままの意味さ」ノワールは落ち着き払って、「姿でも声でも何でもいい。神の存在を“感じた”ことは?」

『……ない』疑いを見せつつ吸血鬼。『だからこそ力が要る。もっと! もっと!!』

「じゃあ今ここで」ノワールはむしろ静かに、「神を――殺せるとしたら?」



 7.


 吸血鬼が眼を剥いた。

 クリムゾンからは口笛一つ。

『何の戯れ言だ?』吸血鬼は歯を軋らせつつ、『私を愚弄するつもりか?』

「訊いたのは僕だ」ノワールが断じる。「神を殺せるとしたら、君はどうする?」

『貴様ごときに?』吸血鬼が声を低める。『あり得んな』

「ならいいさ」ノワールが引く。「ひけらかして回る話でもない」

『だがその知恵は捨てがたい』吸血鬼に小さく――嗤い。『我が滋養にはこの上なかろうな』

 クリムゾンが眼を――細めた。

 ノワールが腰を――沈める。

「決裂か?」クリムゾンが確かめる。

「らしいね」ノワールは淡白に。

 そこで――音。

 吸血鬼の身が軋みを上げる。内から服を圧しに圧し、遂には布が悲鳴を上げ――、

 クリムゾンが掌――から閃光。紅も鮮やかに視界を染める。低く深く踏み込むノワール。音の源へ右の貫き手――を。

 受け止めた。吸血鬼。左の掌一つ、真正面。

 ――が。

 肉の焦げる、それは音。黒い霧に手が霞み、吸血鬼の眼が不審に歪む――銀のコンバット・ナイフ。

 さらにノワール。下から蹴り上げ右の足、伸び上がる。

 咄嗟。退く。吸血鬼。眼先をかすめてノワールの足――が。

 転じた。踵。落ちかかる。慣性に重力までをも味方につけて、素早く、重く――一撃。左肩。

 灼けた。食い込む。仕込みの銀。吸血鬼の顔が苦悶に歪む。

 悲鳴――。

 地面に光。それが13、魔法陣。横眼のクリムゾンに不適な笑み。


「悪魔、か」

 クリムゾンの眼に昏い光。悪魔が広げて黒い翼――を。

 捉えた。瞳。魅了する。さらに転じて指を差す。


 なお押す。ノワールが前へ出る。

 落とした踵で地を蹴り進み、左の掌底を吸血鬼の腹、真正面。

 命中――したその左腕、抱え込むように吸血鬼。

 間に合わない――。


 クリムゾン。指先。圧が飛ぶ。悪魔が黒い霧と化す。

 瞬間――悪魔に怯懦の色。

「はッ!」

 一喝。クリムゾン。気を奪う。一気に悪魔を攻め陥とす。

「行け!」

 示す。指先――吸血鬼。


 弾けた。衝撃。吸血鬼の右肩口を斜め下から打ち上げる。

 わずかに隙。ノワールが引いて左腕、勢いそのまま左前、片口から床へ転がり抜ける。

 残る悪魔がそこへ殺到――。

 気付く。吸血鬼。口角を吊り上げ――、

 咆哮――。


 大気に圧。地に鳴動。部屋が怖じ気づいたかのように震えを帯びる。

 魂を抜かれたように地へ悪魔。その後背、クリムゾンを目がけて気が走る。


 震える地へ足。ノワールが踏ん張る。それまでの勢いを全身でくまなくバネへと変える。


 クリムゾンからも気。眼前で衝突、空気が歪んで波を打つ。

 歪んだ笑みが頬を飾る。わずかにクリムゾンの気が――負ける。迫る。気の壁が――、


 溜めに溜め、たわめにたわめた力をノワールが――解き放つ。

 振り返りつつ下から左手。ナイフの銀を衝き上げ――、

 衝き立つ。銀。脇の腹。肉を灼きつつ抉り込む。


 緩んだ。気の圧。吸血鬼。

 クリムゾンの眼に昏い光。気合い一閃、圧を薙ぐ。


 振り返りざまに吸血鬼、払いのけるように太い右腕――へ。

 さらに銀。ノワールの右手にコンバット・ナイフ。相手の勢いそのまま刃が食い込む――が。

 止まらない――。


 クリムゾンから指。細く、鋭く、圧を撃つ。空を走り、宙を伸びゆき、吸血鬼――の後頭部。


 命中。弾けた。吸血鬼。

 崩れる。平衡。その身が――ノワールへ。

 ノワールが右手、ナイフを手放す。なおノワールが踏み込む。伸び上がる。

 右の袖からコンバット・ナイフ。直上、顎下――衝き上げる。

 めり込む。刃。衝き通す。下顎を灼き抜き、上顎を貫き――脳へと到る。


 大気が震えた。

 地が惑う。

 魂をさえ揺るがす、絶叫――。


 クリムゾンが地を蹴る。間を詰める。

 もはや悪魔は眼に入れない。進み、迫り、手を突き出して吸血鬼へ、黒い霧に包まれかけたその頭へと――、

 触れる。


 気が哭く。濃い圧。それが――一瞬。

 反転。収束。爆縮さながら。黒い霧が凝り、固まり、呑まれて――クリムゾンの手へ。

 そして――静寂。


 悪魔が霧へ。宙へと溶ける。

 石壁が歪み、地が歪み、大気が歪んで霧と消えゆく。

 おぼろに光景、元の場所。個室のPCデスク前。

「戻した?」問うてノワール。

「まぁね」短くクリムゾン。

「ヤツは?」ノワールが重ねて問い。

「美味とは言えないね」クリムゾンが片頬に苦笑を一つ。「強引に力を伸ばしてたから」

「じゃぁ、」ノワールが腕組み、「これで?」

「その前に、」クリムゾンに澄まし声。「訊いておきたいことが」

 ノワールが小首を一つ傾げて、「何を?」

「神の話」クリムゾンから指一本。

「あぁ、」ノワールは肩をすくめて、「あれか。道々話そう――下手に聴かれても面白くない」

「あぁ、」クリムゾンは意味ありげな視線をPCへ。「そうだね」


「唯一絶対の全知全能神というのは、」ノワールが走らせミニ・クーパー。「自分で自分を否定できないのさ」

「そこのところを、」クリムゾンは助手席から眼だけを涼しく向けて、「もっと詳しく」

「例えば、」ノワールが減速、黄信号。「完全無欠の法則は作れない」

「聖典の戒めは?」意地悪くクリムゾン。

「戒めに縛られた時点で全能じゃなくなる」ノワールは赤信号で停車して、「自分を縛れない戒めしか作れないなら、それでもやはり全能じゃない。矛盾を克服できないのさ」

「なるほど」クリムゾンは楽しげに、「それでか」

「それに異教の存在もある」ノワールが続けて、「唯一絶対を謳うなら、何だってそんな存在を許すのかって話だよ」

「許してないさ」クリムゾンが苦笑い。

「信者がね」ノワールが両断。「現にいま異教は滅んでない」

「神も形無しだねぇ」首を一つ振ってクリムゾン。

「簡単だろう?」ノワールが眼にして横断歩道、まばらにヒトが渡りゆく。「矛盾一つで神は死ぬ。そしてこの世は矛盾で溢れてる」

「悪魔がいても?」クリムゾンが声に含めて笑み。

「どのみち神が創ったわけじゃない」ノワールは眼を歩行者用信号の点滅へ。「別に悪さを働かなきゃいいよ」

「そこだよ」クリムゾンは楽しげに、「どうしてそういう考えに辿り着くかな?」

「世界は驚異に溢れてる」ノワールが捉えて青信号。「神ごときで縛るのはもったいないよ」

「教祖サマにでもなってみるかい?」クリムゾンの言葉は悪戯半分。

「頭の硬い連中を相手に?」ノワールがアクセル。「僕はそんな篤志家じゃないさ」

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