たなかさんきょうだい

あきのななぐさ

あくなきたたかい

 孫子曰く、『兵は拙速を尊ぶ』もの。そもそも、その勝負は一瞬で決まるもののはず。


 だが、あいつ等はこれまでずっとその勝負を繰り返している。勝つこともあれば負けることもある。その度にあの二人は一喜一憂する人生を歩んできた。そもそも、確率的に言えば決着なんてつかないはず。まあ、確かに勝利の法則というものはあるだろう。でも、あの二人の場合はちょっと違う。おそらくそれは当てはまらない。たぶん、それはあいつ等が一番わかっている。


 ただ、必ず最後には自分が勝つ。二人がそう信じて疑わない事だけは知っている。


 互いに自分の勝利に対する根拠のない『絶対の自信』。それを胸に、毎回毎回勝負している。それがあいつ等の必勝の法則なのだろうが、『戦わずして勝つ事』をあいつ等は知らない。


「「ジャンケン、ポン!」」


 互いに突き出した握りこぶし。それは、勝利をつかむことなく、ただ互いに悔しさのみを握りしめる。しかも、その事実を受け止められないのか、互いにゆっくりとその手を下げていた。


 互いにニヤリと笑みを浮かべて――。


 そこには二人にしか理解できない世界があるのは知っている。ただ、幾度となく見ているが、あいつ等も勝つために様々な情報を手に入れて実践していた。それとなく聞いたジャンケン協会が公表する勝利のための十の法則によれば、最初に出すのはグーであることが多いのだとか……。そして、それはジャンケン初心者ほど顕著だとか……。ジャンケンの初心者と上級者の線引きがどこにあるのかはしらないけど、あいつ等は『自分は上級者』と思っていることだけは確かだろう。


 その十の法則は他にもある。それによると、ジャンケン上級者は策を練って、チョキかパーを出すらしい。その他にも、一歩遅れれば後出しに繋がる『拳読』とか言う行為もあるようだった。

 もはや単純な遊びではなくなってしまっている感じがあるジャンケン。あいつ等にとっては戦いの手段という事らしい。だから、あいつ等は研究し、『裏の裏、そのまた裏を読む』のだとか……。


 もはやどこが表か裏かわからない世界。果たしてあいつ等はちゃんと表と裏と認識しているのか聞いてみたい気もするが、おそらく帰ってくる答えはわかっているので当然聞かない。


 あいつ等との付き合いも長いから。


 ――だったらあのグーは、いったい何度裏と表を行き来した結果だ?


 あいつ等が今も浮かべているそのドヤ顔は、数えようのないそれを互いに称えあっているのかもしれない。


 そして、つかの間の静寂も終わり、いわゆる『拳読』という時間がやってくる。繰り返されたそれは、互いの口を軽くする。


「お前の無駄な『Vサイン好き』から、今日は勝てると思ったけどな……」

「それはオマエだろ? 勝負の前に見せてきた露骨なVサインはその為か? 負けず嫌いなオマエだから、昨日のリベンジで来ると思ったけどな……」

「考える事は同じというわけか……。ここまでくると、この因縁にもいい加減に終止符を打ちたくなる」

「奇遇だな。オレもそう思っていたよ」


 互いに不敵な笑みを浮かべつつ、その戦いはさらなる舌戦へと移行する。ただ、その目は相手の思考を読み取ろうと、相手の一挙手一投足に注意を払っている……、に違いない。


 傍から見ると、それはどう聞いても単なる日常会話。でも、二人は『高度な駆け引き』だと主張しているからそうなのだろう。


「でも、そのセリフ。たしか、昨日も言ってたよな?」

「昨日は過去だ。今日の俺の勝利には関係ない。そして、今日の勝利は明日へ繋がる」

「それは今日勝ってから言え。ちなみに、矛盾してるからな、それ」

「矛盾、上等! 要するに、最後に勝利の二文字に称えられているのは、紛れもなくこの俺だということだ。お前には勝利に続く道はあっても、勝利は生まれた時から俺と共にある」

「言ってろ! しかし、本当に負け犬ほどよく吠える。昨日で決着はついたはずだが?」

「あれで決着とは、お前はそれで満足なのか?」

「オレが勝ち、オマエが負けた。それ以上に、なにを満足しろと? それに、あれは女神が決めたものだ。オマエはそれに逆らうのか?」

「ああ、納得いかないね! 第一、あれは勝負じゃない。あんな勝ち方に意味はない」

「勝ちは勝ちだ。どんなことをしても勝利の前には意味はない。いや、今以上に意味のないことはないな。いい加減、敗者の顔も見飽きたところだ」

「ふっ、せいぜい今のうちにほざいてろ。後で盛大に後悔すればいい」

「オマエこそ――。いくぞ?」

「こい! お前の全力を跳ね返す!」


 見たことはないけど、ここでは周囲に『剣呑な雰囲気』とやらが流れているらしい。ただ、ことさら大げさに言い争う二人の周りに、いつしか人だかりだけはできていた。


「「ジャンケン、ポン!」」


 互いに出した右手の二本の指。その切れ味を互角と認識した二人は、左手でそれをくるんで戻す。


 そして、あいつ等は再びにらみ合う。互いに相手を評価している顔で――。


 そんなあいつ等を見守る野次馬たちは、次の舌戦を期待しているのか、さかんにそれぞれを応援しだす。


 だが、周囲の舌戦への期待を裏切り、片方から制止の手があげられていた。


「さて、言葉はもういいだろう。俺は、今度はパーを出す!」


 右手を大きく開き天に掲げるその動き。それを刺激する周囲の熱気とそれら全てを冷ややかに見守る空気。それは決して合い入れないものとして、この場に独特の雰囲気を作り出している。


 もっとも、これはあいつ等曰く、『宣言』という大技らしい。これを使いこなせてこそジャンケンマスターだと、いつだか聞いた事がある。どうすれば『使いこなしている』のかもわからない大技だけど、それは場を盛り上げるのに『十分に役に立っている』事だけは確かだろう。


「バカは、最後に馬鹿ということだな。馬鹿だからパーを出す。いいだろう。昨日と同じ目にあいたいという事だな」

「ふっ、俺が本当にパーを出すと思うか? 言っとくが、今日の俺は昨日の俺じゃない」

「いや、出すんだろ?」

「ふっ、出さねーよ!」

「出せよ? オマエが言ったんだろ?」

「出さねーよ! 昨日の俺とは違うと言っただろ!」

「じゃあ、出さないんだな?」

「ふっ、それはどうかな? これは『宣言』だ。この技をくらって無事に済むと思うなよ?」


 二人の熱はその場に広がり、勝負の気運が急激に高まる。それに当てられた一部の者から、囃し立てる声が強まっている。


 確かに、『宣言』は危険な技だ。これだけ周囲を煽っておいて、宣言通りに出さなかったらどういう評価を受けるのか……。


 案の定、周囲は異様な盛り上がりを見せていた。


「どっちなんだ!?」

「出せよ!」

「どっちだよ!」

「ていうか、どっちがどっちだ?」


 それらの声に耳を貸すこともなく、二人はじっと互いを見つめる。ただ、どちらともなく視線をそらし、その事を確認したと互いの目で語り合う。


 そう、時計の針は確実にその歩みを進め、二人はそれを意識していた。最後の審判を下す足音が近づいてくるのがわかっているかのように。


「「ジャンケン、ポン!」」


 今まで以上の気合と熱気。二人の周囲にいる誰もが、その結果を見ようと凝視する中で描かれた光景。


 それは、突き出した腕を天に向けた勝者と頭を地面に垂れる敗者の図。


 ただ、それも長くは続かない。遅れて起きたざわめきが、周囲の冷ややかな空気と相まって、急激にその熱を冷ましていた。


 そう、それは冷酷な女神の登場。そして、彼女がこの地にあるべき姿を取り戻させる。

 圧倒的な支配力を発揮する女神。その男勝りの腕力と口の悪さ、そして教師という権力をもつやっかいな存在――。


 その女神がこの場にいる全員を見渡し、満足そうにトントンとその手の物を馴らした瞬間。

 全てを無かった事にする無情の声が、教室の中にざわめきをもたらす。


「女神先生! 『田中勝利たなかまさかつ』君と、『田中勝通たなかまさみち』君が、また勝手に席替えしてます! ジャンケンで!」


 女神の目の前で歓喜の笑顔を浮かべる敗者と一番後ろで沈む勝者。その二人に対して、彼女はため息と共に凛とした姿勢と言葉でその場を収める。


「早く戻れ、三つ子の二人。お前たち、昨日の席替えに不満なのか? 第一、朝から無駄な戦いご苦労なことだ。私がお前たちの区別がつかないとでも思っているのか?」


「先生! アイツ等、昨日からずっとやってるらしいです!」

「よし! お前たちの努力に免じて、二人とも最前列に席替えしてやろう!」


 周囲から飛ぶ追従ついしょうの笑い声の中、女神はじっとこちらを見ていた。


「――で? 『田中勝たなかまさる』はそこだったか?」

「はい、三つ子が同じ列だとややこしいので、昨日柴崎さんに中央の席と廊下側の席と換わってもらいました。これだと、『窓側の田中』、『教壇の前の田中』、『廊下側の田中』とわかりやすいので」


 ――孫子曰く、『兵は詭道なり』だよ、兄貴たち。


 これまでずっと、廊下側の一番後ろの席で戦いを見守っていた。でも、戦いに勝負に熱中するあまり、あいつ等はこの俺がここに座っている事に全く気が付いていなかった。


 もっとも、あいつ等はいつも最初に二人で戦いを始める。そして、俺はそれを見守るのみ。


 ――結局、あいつ等は勝負したいだけで、それを楽しんでいるのだろう。


 最後に利益を得ているのは、確かに俺。だから、最後の勝者は俺に違いないのだけれど、それでも楽しそうに勝負する兄貴たちを、どこかうらやましく思う気持ちがあるのは秘密にしておこう。

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