続悲恋記~Juliet the crazy mermaid.

 ――比良坂愛ひらさかめごに出会った日、何を考えていたかは今でも覚えている。


 凡人じぶんとは違う世界を見ることが出来るその目が羨ましかった。

 そのくせ、小さな事でも楽しめるその姿勢が美しかった。

 天からいくつもの才能をいただいているのは、一年も一緒に過ごしていたら明らかだった。

 そんな彼女を仁は「生きてほしい」と考えていた。

 だから愛の妹が来て、彼女の病気を治す方法があると聞いたとき、仁は宝くじの一等を当てるよりも嬉しかった。

 この時までは、本当に。


「さてどうする、これを受けとるか、受け取らないか」

「俺は――」


 レプリカと思われる日本刀や薙刀に囲まれた空間で、長幸と仁は向かい合っていた。

 多々良堂たたらどう――木製の家だが炎の香りが絶えない長幸の鍛冶屋である。

 それなのにどうして、人魚の血なんて物があるのか。

 店主である長幸に収集癖があるということもあるが、それ以上に、世の奇妙な道具が長幸の元に不思議と集まってきていることもあるだろう。

 かといって、それを売り物にしているわけではない。一部の必要としている人に限っては、売るようにしているが。


 決断の時だ。


「……貰う」

 仁の言葉に、長幸は特に表情を変えるわけでもなく、ただ、血の入った小瓶を机に置いた。


「そうか。後悔はないな?」

「あぁ。俺は、愛に生きてほしい。俺は何より、小さなことで喜んで、大きなことで皆を笑顔にしてくれる愛が好きなんだ。生きて欲しいんだ。だから、自己中心的な発言だろうけど、俺はその人魚の血を使う」

「そうか……じゃあ、僕は君を信じよう」

「ちょっと、私は信じられなかったって言うこと!?」


 突然、多々良堂の入り口付近で話を聞いていた、比良坂愛の妹である哀が話に入ってきた。

 そんな彼女に、長幸は淡々と話す。


「僕は人間なんて誰一人信じちゃい無い。今言った信じるっていうのは、高原仁のこれからの行動を信じるって言ったのさ。君は少し信用ならない。半端に力を持つヤツなんかに、この人魚の血を渡してたまるか」

「ぐ、ぐぬぬぅ……」

「さて、手を出しなさい」


 長幸は仁の右手に人魚の血が入った小瓶を乗せた。


「まずはっきり言っておくが、こんなものを渡してるだけ、僕は自分のことを善人とは思わない、むしろ悪人だ。感謝の言葉は述べないでくれよ」

「……はい」


 仁の手の中にある小瓶の冷たさは、仁の肌に針を突き立てるかのように鋭かった。


 ***


 その後、仁はお見舞いに持っていたリンゴの中に人魚の血を入れた。

 まるで白雪姫に出てくる女王になった気分だった。

 いや、仕込んでいるのは、人の人生を狂わせかねないものなのだから、あながち間違いではないのかもしれない。

 その結果、愛の病気は治った。

 治ったのは確かだ。


 しかしその後、比良坂愛は、行方不明となった。


 病気が治った次の日、ベッドからいなくなっていたらしい。

 自分の身体に起こった異変に気づいたのか別の理由か、それはわからない。

 それから一週間。

 畳み掛けるように、仁のたった一人の家族である祖父も死んだ。

 自分の大切な人が、同時に二人もいなくなってしまった。


「……俺のせいだ」


 祈りのような言葉だった。

 まるで自らの罪を悔い改め、懺悔しているかのような言葉――もしくは、罪の意識から逃げているかのような言葉――今の仁にはとてもふさわしくない言葉だったのは確かだった。

 仁一人で守らなくてはならなくなった家、高原神社の境内を掃除している彼は、舞散る木の葉一枚一枚に苛立ちを募らせていた。

 自分を嘲嗤っているかのように見えたから。

 そして、彼は気づく。


「……許してくれなんて、言わない」

「ううん、良いんだよ、仁」


 仁は振り向いた。

 そこにはかつて病気で床に臥せっていた、かつての自分が惚れた女性の姿があった。


「愛……」

「仁は仁らしく、私を救おうとしてくれた。仁なりの方法で、仁が思い付く範囲での、手が届く方法で私の病気を治そうとしてくれた。それだけ――」


 言葉とは裏腹に、彼女は自分の顔を両手で覆った。


「ねぇ仁、私、あの病院から抜け出して一週間、ずっと死ねるか試してたんだよ」


 首に着いた青いアザ、手首と腹部にある刃物の跡を見れば明らかだった。

 そして見せつけるかのように地面に置いていく毒ガスや何かの薬の数々。


 吐き気を感じ、仁は口元を隠した。


「ねぇ仁、病気で今まで生きてこなかった世界に突然放り出されて生き方がわからない、かといって死ぬことも認められず、頼るものも、信じられるものもない世界で、私はどうすれば良いのかな」


 静かに、仁は手に持つ箒を抱き締めるように強く掴んだ。


「仁、


 いつの間にか、彼女は仁の服の端を掴んでいた。


「私はもう、何も出来ない。生きることも拒否できないのに、死からも見放された私にはもう君しかいない」

「……できない相談だ」


 仁がこれまでしたことがないほどの、無責任な発言だった。

 仁が一生分の決断をして手にいれた人魚の血は、愛を殺すためではなく、生きて貰うために手にいれたものだ。

 殺すことなんて不可能だ。


「うん、仁ならそう言うと思った。だから、もう一つのお願いは、聞いてくれる?」


 ぞぶっ、と響いた泥沼に手を突っ込むような音。

 それが、仁の腹が貫かれた音だと気づいたのは……、


「えっ……め、ご……?」


 愛が小さな笑みを浮かべたまま、仁の腹に手を貫いていたのを確認してからだった。


「ねぇ仁、私はこの一週間、同じ夢を見たの。それには人魚が出てきてね、君がしたことを全部話してくれたんだ。良いの良いの、私はそれを怒ってるんじゃないの。でもね、このままずっと一人って言うのも悲しいでしょ?だから決めたの!!」


 口から勢いよく大量の血を吐き出す仁の両目を見つめ、子供のように無邪気に笑いながら、


「仁にも人魚になって貰おうって!!ほら、私が人魚になったってことは、私の血を飲んでも人魚になれるってことじゃない!夢の人魚さんの話だと、私も、私の血を飲んだ人も厳密には不老不死じゃないらしいけど、それでも人より長生きしちゃうんだって。だからその間、一緒に過ごそう!!……ねっ、名案でしょ?」


 血塗れになって地面に伏せる仁を抱いて、彼女は続けた。


「――貴方にはこれからも様々な出会いがあるでしょう。でも、私には何もありません。私にはもう、貴方しかいないのです。だからね、仁」


 ずっと

 ずっとずっと

 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと


 わたしといっしょに

 すごそう?


 ふたりで、ずっといっしょに……


 ***


 ――どこかの洞窟に、足音が響いた。


「……誰かと思えば。どうしたの、哀?」


 ようやくの思いで、哀は失踪した姉の姿を見つけることができた。

 しかし、出会って開口一番の言葉が、これである。

 さらにはこの世の者とは思えないほどの絶望を瞳に浮かべている。

 いや、もしかしたら希望だったのかもしれない。

 兎にも角にも、以前までの比良坂愛の姿はそこにはなかった。


「……お姉ちゃん」

「知ってる。貴方が最初に言ったんでしょ、有り難う。お陰で私は」


 さらに一拍をおいて、言葉を発した。


「仁と永遠を生きられるようになったから」


 呼吸しているのか不安に思えるほど、無表情に俯く仁の姿に、哀は恐怖を覚えた。

 それが自分のせいであることを考えれば、さらに悪感情が芽生える。


「……最初にお姉ちゃんを助けたいと言ったのは私。そいつは関係無い。ただ、私の我儘に付き合わされただけなの」

「それでも……私は仁といる。もう絶対に、離さないから」


 嘘ではなかった。

 そして、自分の姉はもう何処にもいないと言うことを悟ってしまった。


「もう絶対に離さない。絶対に、絶対に!!仁は、私だけのものなんだから!!」


 暗闇に声を響かせる彼女は、哀の知らない、誰かなのかもしれない。


「……一つ聞いても良い?お姉ちゃんは今、?」

「えぇ、とっても」

「そう……でもねお姉ちゃん、そこにいるのは、高原仁じゃないんだよ?もう何処にもいない、お姉ちゃんが壊してしまったから」


 驚いたように、愛は目を大きく見開いた。


「私だって、彼とは特別仲が良かった訳じゃない。でもこれだけはわかる、それは高原仁じゃない。ここでずっと、を後生大事に抱えて、いずれ来る寿命まで生き続けると良いよ」


 ふぅ、とため息を一つ吐いた。


「私は貴方をお姉ちゃんと認めて、自分の記憶の真ん中にとどめておく。いつでも思い出して、後悔できるように。それが、私の罰」


 そして哀は何処かへ行ってしまった。

 愛は追いかけようかと思ったが、すぐに思い止まり先ほど引っ掛かった彼女の言葉を思い出した。


 ――私はこれで幸せか?


「幸せ……だよ、仁?貴方がいれば、私は。だからさ、仁」


 仁を見て思い出されるフラッシュバックするのは、楽しかった病院での日々。

 愛がベッドで話を聞きながら、仁の持ってきた暇潰しの何かを使って過ごす一日。

 何よりも平凡で、何よりも楽しかったその毎日。


 理由のわからない、涙がこぼれ落ちた。


「昔みたいに、愛って呼んでよ……。

 昔、みたいに――」


 呼んで欲しい、だけだった。

 壊してしまってから、大切なものの重さを知る、幼い子供に良くある話。

 これが、彼らの『悲恋記』である。

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悲恋記~Sickly Juliet. 原田むつ @samii2908

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