悲恋記 下巻
比良坂愛が死んだ。
彼女に会った、最後の日を思い出す。
***
「仁……私決めたよ、手術受ける」
「……そうか」
多々良堂で仁はとある選択をした後、彼は愛のいる病院へ走った。
途中、自分のした選択に何度も迷い、足取りは重くなっていっていた。
そして、ようやく辿り着いた病院で、呼吸器を付けていた愛は、仁を見た開口一番そう言った。
「良いのか?愛の受ける手術って確か、成功率低いんだろ?」
仁はそう尋ねる。
愛は元々、余命宣告はされていた。しかし、事態の悪化に備え病院で一生を過ごす覚悟をしていれば、多少なりとも、寿命を伸ばすことは可能だった。
「わかってる。手術するくらいならこの病院でずっと生きてって、妹にも言われたよ。でも、やっぱり私、外でもっと遊びたい」
一呼吸置いて、彼女は弱々しく言う。
「仁と……もっと一緒にいたい……」
うっすらと涙を浮かばせる愛を見て、仁は胸が張り裂けそうな思いだった。
自分が彼女を変えてしまったのか?
もしあの春の日、彼女に会わなければ、もっと生きてくれたんじゃないか?
余計な考えだけが頭をよぎる。そんな自分に嫌気がした。
「なぁ愛……その手術もう少し待たないか?せめて――」
「『俺が医者になるまで』なんて言わないでよ?」
「……………」
「図星か。全く、これでも長い付き合いになるんだから、何言おうとしてるかくらい、わかっちゃうんだから。……人助けを仕事にするなんて柄にもないこと、しなくて良いよ」
じゃあどうすれば。そう言おうとした瞬間。
「仁の夢は……なんだっけ?」
はっと思った。知らず知らずの内に、拳を握りしめていた。病室の時計が静かに鳴り響いていた。
「わかったよ、愛。それじゃあ俺、『じいちゃんみたいな神主』目指すわ!!」
愛は、小さく頷いた。
「そういえば仁、今何歳だっけ?」
「えっ、今?15歳だけど?」
「そっかぁ……あと三年生きなきゃだね」
「どういうこと?」
「宗派違っても、一度くらいは仁の家にお世話になってもいいかなってこと」
数秒かかってその意味を理解した。
お互いに気恥ずかしくなり、顔を合わせられなくなった。
仁は持ってきたリンゴを一つ、側にあった花瓶の近くに置いた。
***
神楽町 高原神社 土曜日
愛の訃報を受けて、一週間は経っただろうか。
仁は最初の頃こそ信じられず、涙を流し、葬式にも行けなかった。その話は季節外れのエイプリルフールかもしれないと思い、何度もあの病院へ足を運んだ。
しかし彼女の作品はどこにも見当たらず、無理矢理な形で現実を叩きつけられた。
彼女の死をようやく受け入れ始めたのが、つい昨日だった。
「体力が足りなかった」という手術の失敗の理由を聞かされたのも、昨日だった。
――ピンポーン。
無機質なチャイム音が木霊する。
来客だ。出なくては。そう思った。
「はい……申し訳ありませんが宮司は外出中で――愛?」
玄関を開けると、仁の眼にはその場に愛が立っているように見えた。
だがそれは、愛ではないことは声でわかった。
「こんにちは。愛の母親の
「……あぁ。そういえば、病院で何度かお会いしましたね、すいません。で、今日はどうされました?宮司はいませんよ」
「むしろその方が丁度良かったわ。中に入れてくれるかしら?とても大事な話があるの」
***
家にあった一番高そうなお茶を淹れて出した。
八雲はそれを手に取ると、顔を近づけて温度を感じた。そして飲まずにまた置いた。
猫舌というやつなのかもしれない。もしくは、彼女の鞄から何かを取り出すことを優先させたのかもしれない。
「まずはこれを。手術する直前、
「マフラー……」
いつだったか、愛と外に出たときに買っていた毛糸。
作れるのかと尋ねると、「凄いもの作るから楽しみにしてね!」と返された会話を交わしたことを思い出した。
所々に小さく開けられた穴、こんがらがった網目、初心者特有のその失敗の数々と努力の証を見るたび、とても愛おしく思えた。
「それともう一つ、これを」
「ノート……?」
「愛の遺書の様なもの。でも、最初のページをめくってすぐ気づいたわ。あっ、これは貴方の為のものなんだって」
そうして仁はノートを受け取った。
開いて見た最初のページには、たったの二文だけが書かれていた。
『暇潰しの材料が、また増えた。
短い間だけど、拙い文字と文章で、私の悲恋の話を書き記そうと思う。』
病気がちな少女と元気な少年が、ある日突然出会う。そしてそこから続く、愛の物語。
初めて会った日のことから、一緒に外で遊んだ日、そして少女の病気が悪化した日。
登場人物に名前はないが、自分達をモデルに描いているということは理解できた。
唯一違うところと言えば、登場人物の少女が、少々ウザい性格をしていることくらいだろう。これは、拙い文字と文章で書き記した結果なのだろうか。
しかし、その日記のような物語の一つ一つを読んでいく内に、仁の目からは涙が溢れた。
止められない。止めることが出来ない。
「あの子は、幸せだったと思います。病室で折り紙をするより、窓から外を眺めるより、ずっと幸せだったと思います」
「……………」
「仁さん、あの子の世界に色を与えてくれて、本当にありがとう」
一呼吸、二呼吸おいて仁は一言、「はい」と呟いた。
最後のページをめくると、そこにはこう書いてあった。
『これで私の悲恋の話は終わりました。
大して面白くもなんともない、陳腐な話ではありましたが、私はとても楽しかった。
次に紡がれるのは、誰の物語でしょうか』
――頑張ってね、仁。
どこからか、愛の声が聞こえた気がした。
仁は、そのノートを、強く抱き締めた。
***
後日談。
神楽町 神楽市墓地公園 日曜日
「久しぶり」
『一週間ぶりかな?』
「一週間ぶりだな。とりあえず、花と果物をいくつか持ってきたんだ」
『あっ!リンゴだ!青森県らしい!!』
「……ごめんな、最後に会いに行かなくて。凄く、信じられなかった」
『いいよいいよ。どうせ私、そのとき寝てるんだし』
「今まで、大雑把にしか自分の夢を決めてなかった。でも、今は違う」
――
「それだけだ」
『そっか……頑張ってね、仁』
そして仁はこの場を去った。
交わせる筈の無い人物との会話をしていたことに気づかないまま。
前に、歩みだしていた。
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