独り言のように配慮について語る

 さて、私の本を買いたくないが、中身が全く気にならないワケでもないという方に向けて、もう少し本の内容について語って行きたいと思うのだが、最初に言ったように政治的な主張などはカクヨムの規約に触れるので、ここでの話は若干、詳細を省いたものである事を理解した上で読み進めていって欲しい。


 その上で私が、ここで語って行きたい事は、なぜ〝偏りのない配慮〟を筆者が善しとするのか? についてだ。


 先に述べたように、どこまでを迷惑行為とするか、気遣いをどこまで行えば良いか、そういった行動の明確な基準が存在しない。


 そんな中で配慮=善とする価値観を持てば自分は正義だと自惚れ自己を統制することもできない自称弱者を生み出したり、心の奥底では迷惑ともなんとも思っていないような事でも迷惑行為と断ずることでいくらでも恣意的に他人から搾取できるようになる。


 これは明らかに弱者側が保護される立場であるという価値観を濫用をした間違った思考である。


 いかに正当性があろうとも、その主張のせいで人や社会に悪影響を与えてしまうのであれば権利があっても認められない場合がある。


 これは民法1条3項に記載された「権利の濫用は、これを許さない」という言葉を見て解かる通り、社会に調和をもたらさない考えは倫理的でないということが理解できる。


 もちろん、だからと言って弱い立場の人を無視して気遣いもしないのは旧社会的で間違ってることは言うまでもない。


 すなわち配慮とは強要するのは良くないし、強要されないからといってしないのも良くないということだ。

 どちらも両極端であり、偏っている。その中間点。つまり必要に応じて自発的に考え配慮するのが丁度いい塩梅となる。(厳密には中庸には中途半端になったり無責任的な態度になってしまうという弱点もありますが、その辺りは本書で議論し、全体的に利があるなら偏っていても良いとは思うが、今の日本ではそういった人を受け入れる度量がないと判断し中庸が全人類の最適解でないが、一番無難であると記載している)


 そういった様々な理由を本書で記載し、中庸(偏らない)配慮が良いと私は語っています。


……正直、馬鹿げているだろ? こんな分かりきった幼稚なこと、私、程度のおつむでも理解できることをいちいち理屈を並び立てて必死に正当性を主張している様は、


 しかし、哲学というのは〝知っている〟〝解っている〟を理路整然と言語化し説明し、本当に間違ていないかを繰り返し議論するものなのだ。


 だからこそ哲学は言語化にこだわらない者たちにとって退屈で興味を持たれない話なのだ。


 無名の作家が書けば売れないのは至極当然。明白であった。


 それでも、無駄だとしても自分の為に書いた。


 自分が無配慮な人間でない事を証明するために

 配慮を強要した者たちを本の中で断罪して自分が悦に浸るために


 それが『中庸配慮と未来の話』という本が生まれた最大の理由である。


 少し話が脱線したが配慮について、もう少し語ろう。


 私が思うに配慮するということは自分が常に間違いを犯していないか自問自答しながら相手を怒らせないよう不快にさせないよう気を張って生きることだと思う。

 当然ソレだけ気を使っても不快感はこの世からなくならない、そんな不可抗力な理不尽に対する不満不平でさえ人を不快にさせることもあるから何も言えず我慢させられることもあるし時には気遣われてると感じるだけで怒るくせに配慮しなきゃ怒る人間も居るから気遣ってると悟られないように隠密性のある配慮をしなくてはいけない時もある。


 ついでに言わせて貰うと配慮と言うのは、正の黄金律(自分にして欲しいことを他人にしてあげなさいの精神)や負の黄金律(自分にして欲しいことは他人にするなの精神)という判断基準に加えて、快の追求よりも不快を減らす方が倫理的であるという考えを持った上で、黄金律による倫理判断はあくまで基準であり、アルバート・フィッシュ(痛みを快感に感じ他人が抱く痛みへの感情を理解できず反省することもできなかったシリアルキラー)のような例外的な感覚質の持ち主も存在することを留意した上で多大な知識と想像力を駆使することで始めて配慮と呼べるものになるのである。


 付け加えて、経験量は環境要因に左右されるため、相手が配慮の義務を果たしたからといって自分が傷つかないという保証はないし、熟考できない非常時では正常に判断できない場合もあるので配慮を受ける側は、そのことを考慮し安易に相手を批判しないよう注意し必要に応じて話し合いによる解決を心掛ける必要がある。


 本当に配慮できている者は、配慮によって美味しい思いもすることもあれば自分が配慮することで苦い思いをすることも知っているので安易に配慮を強要しないもである。


 ここまで読んだ人の中には、おそらく「考えすぎ」だとか「肩の力を抜けよ」とか、まぁ色んな否定的な感想を抱かれただろう。


 実際、明確な道徳観が自分の持つ苦しみの元凶であることは、よく理解していますし、道徳的な人間は不寛容であることを指摘する言葉が存在することも解っています。


 なので自分が絶対に正しいと主張する気はありません。


 ただ、自分はこういう考え方を持っているという事を示しているだけにしか過ぎません。


 それに何の意味があるのか? それは読み手に委ねるとしましょう…



 さて、配慮についてある程度 語り終えたので、そろそろ、この辺りで締めとさせていただきます。


 あまり内容の良いものに仕上がっていなかったかもしれませんが、ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。


 それでは、また、私が書いた作品の先でお会い出来ることを願いつつ筆を置かせていただきます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落伍者の言葉 上代 @RuellyKamihiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ