愚痴なようなものであり宣伝のような何か

 私は学も無いし、特に優れたところも無い。


 今まで努力してきたとは言い難い人生を歩んできたと思うし、社会の底辺だとも自覚していた。


 だからこそ、他人の足を引っ張らないように仕事では出来得る限り全力を尽くした。


 工場で働き、3~4年もすれば、ほぼミスもなく仕事が出来るようになり、私が作り続けた製品の品質は高かったために評価も特に悪いものではなかった。


 しかし、それでも私は人生に失敗した。


 その原因の一つは変化する現場環境に対応しきれなったことが上げられる。


 そのせいで今までのように高品質を維持できなくなり不満ばかり言われるようになってしまい会社に不利益を出すお荷物のように言われ続けたこともあって私は会社を辞めた。


 正直、この会社には不満しか無かった。


 上司が製造機を改造する案を出した時、その仕様は過去に試した時点でダメだったからやめて欲しいと訴え、一度は同意したにも関わらず、結局、製造機を勝手に改造して製造し難くなる仕様にしたり、会社が大きな事故を起こし重傷者を出したからこそ定期メンテナンスを提案すると「製品を作ってソレで金を得てるのだからソレ以外の時間は無駄だから」と言って聞く耳を持たなかったりと、ともかく酷かった。


 だが、その中で一番、私を悩ませた問題は「他人の負担を考えろ」という言葉であった。


 もちろん、気を遣うことは大切なことだとは思うが、この会社は明らかに異常であった。


 例えば三日間の材料補充の予定を伝えるだけで「こっちだって忙しいんだ! いきなり用意できるか! 負担考えろ!」とキレらる。

 これは普段から材料補充予定を伝えるだけで「いきなり用意できるか 負担考えろ!」と怒るために余裕を少しでも持てるように配慮し三日間の補充予定を立て、相手側の都合に合わせて予定を調整することも伝えた上で返ってきた言葉である。


 他にも少し不出来な製品を作っただけで文句を言われ「品質基準の誤差範囲内ですよね?」と私が聞くと「そうだけどよぉ、検査する側の負担、もうちぃっと考えろよ」と言ってきたり。


 誰も扱えなかった不良材料を返却しただけで「材料を作ってる側の負担考えろ」と説教になってない説教を聞かされたりと、何か少しでもあれば、この会社に居る人間は直ぐこの言葉を口にし怒りをあらわにして威圧的な態度をとり自分の思い通りに人を動かすために配慮を強要してきた。


 これは本当に厄介であった。


「他人の迷惑を考えろ」「他人の負担を考えろ」といった言葉は誰でも簡単に加害者に仕立て上げられ、言った本人は、いたいけな被害者として好き放題 要求できる上に加害者が何を言おうとも根底的に配慮しなかった方も悪いという形で最悪、痛み分けにすることで自分への被害を減らすことも可能だからである。


 しかも、何をもって迷惑とし、どこまで気を遣えば良いのか、人と状況によって変わる事態に明確な基準など無いのだから自分の望む結果意外の全てを迷惑行為と断じて恣意的に周囲から搾取することだってできる。


 しかも、配慮=善と言う考えの下に行動しているために自分は正義だと自惚れてしまい、良心の呵責が機能せずに暴走しやすい。


 比較的、最近の事例を上げると自粛警察サマなんかが、いい例だろう。


 私はそんな社会の在り方が異常に感じ会社を辞めた後も、ずっと考え込み『中庸配慮と未来の話』と言う本を書くに至った。


 この本は、配慮=絶対善と言わんばかりに偏った思考をする者達に対する反論を綴り、正しい配慮が何なのかを自分なりに調べ考え、それをまとめた物である。


 もちろん、自分の意見だけが正しいと言うつもりもない事を示しつつ、過剰配慮の問題点を指摘しながら配慮の中間点を提示し、その妥協性を論じ、また議論の前提条件を明確に記載することで正しいとは何か読者にも考えて貰えるように作ったつもりである。


 例えば、中庸ちゅうようという単語一つ使うだけで、宗教思想だとか、あるがままを意味するとか、変な勘違いされることがあるので本書ではハッキリと辞書通り、偏らない。と言う意味で使用していると明記したり。


 正しいとは何か? という根本的な問題に対しては


「正しいとは肉体的・精神的に健康であり、かつ頭の冴えた状態で対象となる事象を知性的・理性的に無理なく説明できる上で、心の声、即ち良心に従うことである」と哲学的に定義し、その定義の妥当性を哲学者デカルトの言葉「我、思う、故に我ありコギト。エルゴ・スム」を引用し説明も行った。


 その上で、上記の条件が一つでも不足すれば間違った答えになることも伝え、一つの正しい答えが出たからと言って他の全てが間違いであるという証明にはならないと留意するようにも呼び掛けた。


 そうすることで自分が間違っていたとしても別の誰かが間違いを修正して次に繋げられるようにもした。


 議論の前提条件も種の保存に適しているか? 利潤はあるのか? その前提条件は妥当なのかと? 散々議論した。


 そうして出来た一冊である。


 さて…ここまで読んでくれた人の中には、筆者の本に興味を持って買ってみようかなと思ってくれた心優しい方もいられるかもしれない。


 そんな人たちに、一つ話しておかなくてはいけないことがある。


 本当に盛大にズッコケるような話で、お恥ずかしいのですが、実は、この本は私の処女作で個人で作ったものなので更生する人も居らず、若干、誤字などあったりする(証明が照明になっていたりとか)


 一応、図書館に献本して置いて貰えたので読めない程、酷くは無いと思いますが、その点を承知した上で買って貰えたらと思います。


 ところで、なんで本の修正しないのか疑問をお持ちになられるでしょうから、それも少し説明しておきます。


 個人出版した本なんですが、これは最初の一冊目は無料で出版できるというサービスを利用し作ったのですが修正の場合はお金が掛かってしまうということもあって今のところ修正を行っていないのです。


 その上、自分自身「どうせ、誰も読まないし興味も持たれないようなもんでもないし、俺みたいなバカが修正をちゃんとやり切れる保証ないし、実際、出版前に何度も確認したのに失敗してるし…」と思って投げやりになってしまい放置してしまっているのも原因です。


 これは本当に自分の責任です…


 そんな買う気の失せる話をした所で次の話に移って行きたいと思う。

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