3 killer tune kills me
こんなことをしても無駄という気持ちと、何かのきっかけにはなるかもしれないという期待。
それ以上に、人に頼まれて警察に行くってのが面白かった。
高校生になって、バスに揺られるようになってから235日くらいで気づいたことがある。
この世界が一つのドラマだとしたら、僕は役名のない、その他大勢なんだと。
主要キャストを演じている人が何人かいて、彼らにピントを合わせ続けるカメラの画角に一度か二度収まれば、それで満足。
そんなエキストラが短い間だけど大事な役どころをもらえて、気分が弾んでいた。
無論、彼女の財布を見るようなことはしなかった。
最低限のマナーだ。
警察署に着いてからしばらく立ち往生したが、オロオロする高校生に気づいた中年女性が僕を手招きする。
「中山くんでしょ? 播磨から聞いてる」
笑顔が可愛らしい女性だ。
江本という女刑事は、落とし物の財布を見ると、何度も頷いた。
「確かに森さんのだ。ありがとね」
「いえ……」
役目は終わった。
こんなお使いイベントこなしてもレベルは上がらないし報酬もない。
小さく笑う僕を尻目に、江本さんが呟いた。
「良かった。本当に外に出たんだ……」
「へ?」
間抜けな声を漏らした僕を見て、江本さんは微笑んだ。
「これから話すことは、おばさんの独り言なんだけど……」
彼女の財布からメモを取り出す。
ボールペンの殴り書きで恐ろしい言葉が書いてある。
早く死ね。
ここはおまえがいていい国じゃない。
「こんなのをバスで見てたの……?」
静かに頷く江本刑事。
「学校の机にこういうのが毎日投げ込まれてたんだって。これ見ると負けてたまるかって気になるから、一つは取っておくって。ぶっ飛んでるでしょ、あの子」
「……」
僕は何も言えなかった。
圧倒されていた。
「あの子、目立つでしょ。自分じゃどうしようもできないことで色々言われて、それでも頑張ってたけど、満員電車でひどい目に遭ってね。私もどうにか事件として立証しようとしたけど、圧力もあってうやむやになってしまって。あの子もとうとう駄目になっちゃって家から出てこなくなって」
ふうっと溜息をつく刑事。
「こっちが電話しても、直に会いに行っても出てこなかったのに、急にメールを送ってきてね。このままじゃ悔しいから特訓するって。何のことかと思ったんけど、相変わらずぶっ飛んでて面白いわ。でしょ?」
江本さんは僕を見て笑った。
そして僕は全てを理解した。
翌日、いつもより早くバス停に向かった。
予想通り、僕を待っていた播磨さんに全てを伝える。
「要するに、たまたま隣にいた僕を使って人間恐怖症を解消しようっていう、あの子オリジナルのぶっとび療法だったわけ」
彼女が突然バスに現れたのは世間になじもうとする特訓。
人を遠ざける消毒液は自己防衛の一つ。
あの脅迫状は自分を鼓舞する切り札。
「つまり僕はただのリハビリ相手だ」
がっかりしていた。
たまたま隣の席にいたのが自分だっただけで、誰でも良かったんだ。
「そうかねえ」
探偵は大きなあくびをする。
「お前のことだから、あんな子が自分を好きになるはず無いって思ってるんだろ? どうして僕なんかにって」
「そりゃそうだよ……」
「よせよせ。自分を嫌いになるだけだ。だいたい、同じバスに乗ってたから好きになったって条件ならお前もあの子も一緒だろ。お前が好きになったんなら、あの子もそうなるかもって前向きな考えにならんのかね。いいか、トオルちゃん。今わかっているのは二つだ。よく聞いて、その事だけ考えろ」
播磨さんの強い眼差しに僕は息を飲んだ。
「あの子は暗い部屋から抜け出そうともがいてる。お前はあの子の力になれるかもしれない、大事なのはそこじゃないの?」
「……」
なお戸惑う僕に播磨さんは言う。
「あんなひどい匂い毎日嗅がされてもリアクション一つしないで耐えてくれるんだから、こいつは今までと違うって思ったんじゃないかね?」
僕らが乗るべきバスがやって来た。
「決まった時間に決まったことするだけが人生じゃない。たまには違うことしてみろ。あの子はもうそれをやってる。一緒に行ってみろ。面白くなるぞ」
その言葉が僕に火をつけた。
だけど僕が歩き出しても播磨さんはベンチに座っていた。
「乗らないの?」
「仕事は終わり。勘違いだったら事務所に来い。飯おごってやるよ」
結局、播磨さんはバスに乗らなかった。
僕はといえば、いつものようにあの子の隣に座った。
彼女は起きていた。
申し訳なさそうに両手を膝につけている。
「すんません、財布……」
「気にしないで」
それから無言のままバスに揺られた。
森さんは昨日ほどではないが、やはり不動だった。
緊張していたみたいだけど、僕はもう覚悟を決めていた。
江本刑事の話を聞いてから、森さんと共有したバスの時間を振り返ってみてわかった。
脇役で良いと流されるままだった僕の横で、あの子は必死で戦っていた。
ぶっきらぼうで細切れの言葉遣いや、無茶苦茶なリハビリ、人の目に触れないよう猫背になって小さくなろうとする仕草。
何もかもが愛おしく思えてくる。
降りるはずの停留所にバスが停まったけど、僕は運転手さんに目配せをして車を動かしてもらう。
彼女が僕のことをどう思っているかなんてどうでも良い。
誰の目を気にすることなく当たり前のように外に歩けるよう、あの子の力になれるなら、学校もどうでも良い。
このまま、思い出だけで終わらせてたまるかよ。
「降りなくて良いんすか」
ぎこちなく聞いてくる森さん。
僕は逆に聞いた。
「いつもどこで降りてます?」
「え? しゅ、終点まで……」
「じゃあ、僕もそこまでいきます。いいですか?」
その言葉を全身で浴びた彼女は、顔からつま先に至るまで、湯気が出るんじゃないかというくらい、赤くなった。
「お願いします……」
「じゃあ、そういうことで」
そして僕らはまた黙った。
けど今までとは違う。
これからは一方通行じゃない。
僕はキリンジで一番好きなシルバーガールという曲について、いつか彼女に話すため、話の構成を組み立てた。
彼女は何を考えているだろう。
少なくとも、もう脅えなくていいことだけは伝わって欲しかった。
わがまま言えばもう一つ、僕が彼女を好きだってことも。
「寝てて良いよ」
勇気を振り絞って呟いた。
彼女はその言葉に、はっとしたように大きく目と口を開けたが、やがて安心したように、その頭を僕に寄せてきた。
柔らかい髪の毛が僕の首をくすぐった。
嬉しいというより、ホッとした。
やがてバスは終着に停まる。
きっと僕たちは、昨日までと違う眼差しでお互いを見ているはずだ。
僕に大切な人ができるまでの三日間 はやしはかせ @hayashihakase
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