2 Almond Eyes

 僕の近所に謎のおっさんがいる。


 播磨空男はりまそらお

 自称、探偵。


 潰れたコンビニに事務所を作り、ゲームばかりしてるかと思いきや、一ヶ月行方不明にもなる正体不明のおっさん。


 なのに、みんなに好かれ、頼られる。


 かくいう僕も播磨さんがなんとなく好きだった。

 

 小太りの童顔で、ゆるキャラのような風貌。

 気さくで、誰の話も笑顔で聞く。

 不要なゲームソフトをタダでくれるのも良い。


 で、朝のバス停に播磨さんがいた。


「ようトオル。眠そうだな」


 マイカーがあるはずなのになぜバスに。


「肩やっちゃって、運転ができなくなっちゃってさー」

 ぎこちなく右肩を回す。


「しばらくバス通勤。よろしくな」

「うん……」


 嫌な予感がした。


 僕があのバスに乗る時点で空いている席は一つしか無い。

 

 播磨さんが僕より先にバスに乗り込むということは、彼女の隣におっさんが座ってしまうことになる。


 バスが山を登って大きなカーブを曲がれば、眠り姫はいつものように隣の男の胸に顔を埋めるだろう。


 でも今日は僕じゃない。


 播磨空男という、串に二つ刺さった団子のような男なのだ。

 事務所からバス停まで一分もないのにちょっと歩いただけで汗をかく男なのだ。

 

 味わったことのない感情が僕を襲った。


 焦り、歯がゆさ、苛立ち、嫉妬、ありとあらゆるネガティブな感情が一塊になって手足を震わせる。


 つり革を持ったまま、彼女とおっさんを睨みつける。

 僕の焦りもつゆ知らず、何日も洗っていないヨレヨレのタオルで汗を拭う男。


 あんなおっさんの肩にあの子の頭を乗せて良いのか!


 起きろ! 目を覚ませ!


 心の中で叫んでも届かず、バスはついにカーブを曲がる。

 

 立っていた僕の体は激しく押されて転びそうになるが、どういうわけか、今日に限って彼女は播磨さんの方に倒れない。


 こらえた……。

 安堵する僕。

 

 だが安心はできない。カーブは続く。

 遠慮無しの平手打ちで、右に左に何度も揺さぶるのだ。


 しかし、彼女は耐え続けた。

 播磨さんに一度も触れなかった。

 

 いつものように腕を組んだまま目を閉じてるけど、折りたたまれた携帯電話のように曲がっていた胴体は、今日だけは背もたれにぴたりと貼りつき、首の骨が溶けたのかと思うくらいグニャグニャ動いていた頭も、今は窓に吸い付いている。


 ぎゅっと歯を食いしばって何かをこらえる口元。

 まばたきしたいのにできなくて苦しそうに震えるまぶた。

 そして手には、ちょくちょく見ていたメモが握られ、そのこぶしは震えている。

 

 間違いない。

 起きてる。

 

 こんなことは一度も無かった。

 

 隣に座った奴がいつもと違っていたから、眠るのを止めた?


 もしかして、今までずっと寝たふりしてたってこと?


「学生さん!」


 運転手の声で僕は我に返った。


「降りんの?」


 降車ボタンを押し忘れたにもかかわらず、親切にもバスを停めてくれたらしい。


「すんません、降ります!」


 大慌てで降車して学校まで走った。

 

 もちろん、授業は頭に入らなかった。

 

 ずっと彼女のことを考えていた。

 

 今までのあれは何だったんだ?

 寝ていたならしょうがないが、ならばなぜ今日に限って引力に抵抗したんだ。

 

 もし今までが寝たふりだったら、なんでそんなこと?

 

 もしかして、もしかして、僕のことが……。


 いや、それはない!

 鏡、見ろ!


 でも、どうして僕にだけ……。

 僕なんかを……。


 結局、大量の時間を無駄にして学校を出る。


「よう、トオルちゃん!」

 

 なぜか播磨さんが校門にいた。


「なんでいるの?」

「頼みたいことがあって」


 そして見覚えのある、ボロボロの長財布を突き出してきた。

 間違いなく、あの子の財布だ。


「あの子が降りるときに俺の足にひっかかってさー、カバンの中身が全部出て、ちょっとした騒ぎになったのよ。で、あの子の財布が、ここにあるってわけよ」


「へえ……」

 それをなぜ僕に見せに来たのだろう。


「悪いけど、警察に届けてくんない?」

「ぼくがぁ?」

「頼むよ、警察に関わりたくなくて」

 

 冗談なのか本気なのかわからない不気味な言葉に僕は引く。


「それにお前、あの子が好きだろ?」

「なに言ってんだよ!」


 播磨さんは動揺する僕を見て笑った。


「あんな怖い顔でずっと見てるんだから何かあると思うだろ。これをきっかけにして頑張ってみろって!」

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