僕に大切な人ができるまでの三日間
はやしはかせ
1 隣で寝てる人
僕を乗せたバスが大きくカーブを曲がると、必ず起こること。
隣で寝ている女子高生が揺られて僕にもたれかかってくる。
彼女の小さな頭がどんと僕の胸に触れる。
僕の体に走る甘い感覚。
そしてどぎつい消毒液の匂いが鼻の奥を通って頭の中を切り刻む。
こんなことがもう半年は続いている。
振り返ると、僕の生活は高校生になってから、同じことの繰り返しだった。
同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、同じ道を歩いて、決まった時間に来るバスで高校に向かう。
乗客も見慣れた顔。
僕と同じように日課をこなす人達。
皆、同じ席に座ってる。
僕はいつだって最後尾から一つ前の席。
いつもはこの席を独り占めできたのに、ある夏の日、空っぽのはずの窓際に、あの子がいた。
なんだこいつと思った。
もう座る席がない。
絶望的だ。
田舎の生命線ともいえるこのバスは、三十分かけて山を越える。
立ったままの山越えは辛いんだ……。
あの子の横に座れってのは無理。
電車ならまだしも、バスの中で、同世代の女子の隣に座れるほど度胸はない。
まして、その女の子がとびきり可愛いのだから、遠慮もする。
ぱっと見、ハーフだとわかる。今はダブルといった方がいいのか。
おそらくロシア系。
一目で心を奪われた。
黒いダイヤのようにキラキラ輝く髪、陶器のように白い肌、女性が欲しがる要素を惜しみなく注ぎ込んで作られたカラダ。
完璧な彫刻のようだったけど、その完璧さが、かえって世間の評価を下げてしまいそうな気もした。
個性が無く、近づきがたい。
よく出来てる、と呟いて終わってしまう味気ない彫刻。
そのこわばった顔と真一文字に結ばれた唇を見ると、来るなと言われている気がして、そっと離れようとした。
しかし、僕に気づいた彼女は、ぐわっと目を見開いて、
「隣、いっすよ」
と吐き捨てるように呟く。
「すいません……」
おそるおそる背もたれに寄りかかると、不快な匂いを感じて僕は咳き込んだ。
つんとくる消毒の匂い。
匂いのもとは間違いなく彼女。
どこの香水か知らないがこのチョイスは間違ってる。
しかし彼女は僕の渋い顔に気づくことなく、まるで剣豪のような殺気だった雰囲気で目を閉じる。
それ以降、会話はなかった。
バスは山を越え、僕が先に降りた。
今に至るまで、彼女については何一つ知らない。
名前はもちろん、どこの学生かも。
会話だって一回だけ。
彼女のほうから話しかけてきた。
「キリンジ、聞いてるんすか?」
手にしていたプレイヤーの液晶画面が、キリンジの最新アルバムのジャケットを表示している。
「キリンジ、凄いっすよね」
彼女は頷く。
「私、好きっす」
「おお」
会話はそれで終わった。
今思えば、ここで話をひろげれば良かったのかもしれないけど、もうバスを降りなくてはならなかった。
それでも好きなバンドが共通しているというのは大きな収穫で、会話が繋がる、と期待した。
しかし、困ったことに彼女は起きている方が珍しいくらい、常に寝ていた。
たまに起きているときには、財布から汚いメモを取り出し、それを死んだ魚のような目で見ている。
とても声をかけられる雰囲気じゃない。
結局、何の会話もないまま、いつしか僕は彼女の枕になった。
最初の内は、恥ずかしいし、匂いもきつくておかしくなりそうだったから、この状況を打破しようと色々やった。
大きな咳。
起きない。
体を動かしてショックを与える。
起きない。
深い眠りのようだから、多少触れても起きないだろうと華奢な肩をつかんで、窓際にそっと押してみた。
しかしカーブするとまたこちらに来てしまうので無駄。
結局、諦めた。
匂いさえなければ、贅沢な時間だ。
ノイズのない単調な日々に三十分だけやって来る緊張と鼓動。
これからやって来るであろう退屈で重い日常を生きていく上で、この瞬間は砂漠を歩くときの水になるだろう。
この時間を噛みしめ、思い出としてしまっておく。
僕はそう思うようにした。
なのに、貴重な時間は突然奪われた。
あの男の出現によって。
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