連鎖の果てに光あれ

馬場卓也

連鎖の果てに光あれ

 冷たい鉄の感触を掌で受けながら、ずるりと『現実』という名の皮がずり落ちていくような感覚をムネヨシは覚えた。

 

 発端はその2週間前にさかのぼる。多摩川の河川敷のグランドで大規模な陥没事故が起き、そこで練習をしていた少年野球のメンバー数人が、突如大地にぽっかりとあいた大穴に飲み込まれたのだ。


 ムネヨシはバイト先のコンビニの休憩室兼更衣室に置かれた22インチテレビのニュースでこの事件を知った。

 「大変だな……」

 遅い昼食を取りながらムネヨシはつぶやき、続報が出ていないか、スマホを取り出し、ニュースサイトを探してみた。心の底から『大変だな』とは思っていない。続報を知りたかったのは、誰しもが持っている単なる野次馬根性からだった。陥没した穴に転落した子供たちの消息は杳として知れず、警察、消防合同の救助隊がその巨大な陥没穴に向かった、ということだけはわかった。何しろ、ニュースによれば直径20メートルほどの巨大な穴である。なぜ陥没したのか? 地下鉄事故か? 地震の前兆か? 様々な憶測が飛び交う中、それらの調査も兼ねて、現場にはかなりの人だかりや関係車両が集まっているのがヘリからの空撮映像で分かった。

「え?」

 おかしなことが起こった、と同時に

「もう交代っすよー」

 と、レジからムネヨシの後輩のバイト、チャラの声がした。

「あ、ごめんよ、でも……」

「なんスか、もう……」

 早く休憩を取りたそうなチャラが入ってくる。チャラはムネヨシよりも4つ年下で、ひょろっとした細長い体形、茶髪でいかにもチャラそうなのと、本名が『茶川』だったから店長がつけたあだ名だった。

 ムネヨシは立ち上がろうとしたが、目がテレビの画面に釘付けになって動けない。

「ちょ、これ……」

 チャラも、画面で起こっていた出来事に絶句していた。

「CGっすか?」

 ムネヨシは、黙って首を横に振った。が、彼もまたそうなのではないか? と思っていた。画面に映っていたのは、大穴から伸びた、ぬめぬめと濡れたピンク色の細長い、巨大なミミズのようなものが野次馬整理をしていた警官たちに巻き付き、穴に引きずり込んでいく様子だった。

「なんだよ……これ」

 巨大なミミズ状のものはまるでその先端に目でもついているかのように辺りを伺うようにきょろきょろとすると、素早い動きで警官に巻き付き、そして穴にひきずり込んでいく、その様子が数回繰り返された。

『なんですか、あれはいったい! なんですか? ま、まるで……』

「カメレオンみたいだ……」

 錯乱する実況アナウンサーの言葉を継ぐようにムネヨシが呟いた。

 あの巨大な穴自体がバカでかい何者かの口で、ミミズはそれの舌――まるで、カメレオンが長い舌を伸ばし獲物を捕らえる姿――に、ムネヨシには見えた。

 やがて画面がスタジオで唖然とする司会やコメンテーターに切り替わったのを見届けると、ムネヨシはレジに向かった。しかし、あれは何だったのか? あんな生き物がこの東京の地下に生息していたのか? ムネヨシにはまるで分らなかった。


 その夜。

「えぇ?」

 ワンルームとは聞こえはいいが、六畳一間のアパートの一室で、ムネヨシは一人、声を上げてしまった。

 テレビのニュースでは昼間の続報が流れていた。事態を重く見たのだろうか、警察の車両が増え、複数の照明が大穴を煌々と照らす中、野次馬はすっかり消え、完全装備の機動隊や小銃を構えた特殊部隊が周りを取り囲んでいた。すると、大穴から伸びたミミズ状の生き物が当たりの人間を捕食せんときょろきょろと動く、そこまでは昼間と同じだったが、やがて、それがいったん穴に引っ込むと、しばらくして異様なものが穴から現れた。巨大な頭部だ。ショベルのように平べったい、カモノハシのような口を持つ生き物の頭部が現れたのだ。あのミミズは、こいつの舌だったのか、とムネヨシは思った。さらに異様なのは眼窩からナメクジのように飛び出した、瞳が無く黄色い目が2対、つまり目が四つあることだった。その生物は、今度はその飛び出た目をせわしなく動かして辺りをうかがっていた。直ちに特殊部隊がさっとフォーメーションを変えたのが、ヘリからの空撮からでも分かった。

『あ、あれはなんですか? あんな動物。でかい、大きい口です!』

 実況するアナウンサーも慌てながら、それをどう表現していいのかわからなくなっていた。

「なんだよ、あれ?」

 異様な頭部に続き、前足が大穴の淵を掴み、その上体が露わになってきた。照明に照らされ浮かび上がったのは前足が四本に、背面にはアルマジロのような甲羅を背負っているのが見えた。と、小銃を持った特殊部隊がそれに向けて発砲した。タタタ、タタタと小気味よい発砲音が聞こえる。それは、苦しそうに頭を振りつつも、穴からその全身をはっきりを見せた。異様だ、前足が四本に後ろ足が二本、トカゲのように長い体をくねらせ、甲羅をしょった四つ目の怪物。それがあのミミズのような舌を伸ばし、昼間と同じように警官を捕らえてはその口の中に……。そこで、画面はスタジオに切り替わった。このままだと怪物が人間を捕食する陰惨な様子を延々実況することになるので、賢明な判断だと思われたが、ムネヨシは『もう少し見たかった』と、不謹慎な思いを抱いていた。あいつはいったい何者なのだ?

『いや、その、なんというかあれは……』

 スタジオではアナウンサーが額に汗を浮かばせつつ、しどろもどろになっていた。

『動物、でしょうか? でも……』

 アシスタントの女性アナウンサーが聞くともなしに口を開いた。

『ワニ……いや違う、その、なんというか、いわゆる怪獣……』 

 『怪獣』という形容にムネヨシも腑に落ちた気持ちになった。あんな動物がいるわけない、いるならばあれはもう怪獣としか言いようがない。

『怪獣、ですね。あれはたぶん。その、実在するかしないかは置いておいて』

『いえ、現に実在し……今も警察が』

 女性アナもどこか慌てた様子だった。そして番組はCMに変わり、ムネヨシも大きく息を吐いた。

「怪獣……なんで?」 


 その翌日。バイト先のコンビニで、ムネヨシは真っ先にスタンドに差してあった朝刊を一通り引き抜いて、休憩室で広げていた。いつもはご贔屓の球団のどんな些細な話題でも一面トップにする某スポーツ新聞までもが昨夜の怪獣騒動が一面に出ていたことが、事の異様さを物語っていた。あの後、警察と交戦の後、怪獣は再び大穴に逃げ込んだらしい。警察の方は死傷者が10数名出たそうだが、怪獣の正体についてはどこの新聞でもこれといった決め手はなく、ただもっともらしい学術的なものから『そんなアホな』と思うような突飛なものまで、様々な憶測だけが紙面をにぎやかせていた。

「足が六本ってことは昆虫じゃないんスかね、あれ。でかいカブトムシとか、ゴキブリの仲間とか」

 そんなムネヨシを見て、夜勤だったチャラが声をかけた。

「虫にあんな飛び出た目玉があるか? あんなでかい口あるか?」

「ぴょこんと出た目がカタツムリみたいじゃないっスか。あれも昆虫っしょ?」

「カタツムリは虫じゃない、むしろ貝の一種だ」

「貝の仲間? じゃあ、あれは」

「ヨツメリンコウワニ、ってテレビで都知事が言ってたぞ」

 ムネヨシが顔を上げると、ここの店長である熊田が店のユニフォームのエプロン片手に立っていた。

「ヨツメリンコウ……店長、明日じゃなかったんですか、帰り?」

「切り上げてきたよ、法事といっても、まあこっちは特にすることないしね。俺、次男だし」

 親戚の法事で2日店を休んだ熊田はそう言って、さっさとエプロンを着始めた。学生時代は柔道に打ち込んでいたと言うだけあって、その分厚く四角い体型と太い首に、パステルカラーのエプロンは、どこか不釣り合いだった。

「四ツ目とワニはわかるんスけど、リンコウってなんスか」

 熊田とは反対にエプロンを脱ぎながら、チャラが尋ねる。

「リンコウ、リンは鱗、コウは甲羅の甲らしい。背中がアルマジロっぽいからだとさ」

「確かに、アルマジロっぽくもあるっスけど」

「法事なんかより、こいつがこっちにやってこないか、そっちが気になってさ。それで切り上げてきたんだ」

「え、このヨツメなんとかこっちに来るんスか?」

「備えあればなんとやら。俺ぁ昔から用心深い、というかビビリなんだよ」

 そういって小さく笑うと、熊田は休憩室を出た。


 ムネヨシの働くコンビニは東京都、とはいっても23区の外にある郊外の小さな町の駅前の外れにあった。怪獣騒動が起こっている多摩川周辺からは程遠い。元々は酒屋で、熊田の両親が経営していたのを、時流に乗って熊田の代でコンビニにしたのだ。日中は熊田の両親や近所に住む熊田の叔母が似合わないエプロン姿で店を切り盛りしている。そのアットホームな雰囲気と、大学に近いことで、ムネヨシはここをバイト先に選んだ。ごつい外見に似合わない熊田のフランクな雰囲気と接客の手際よさと、たまに夕飯をご馳走してくれたり、チャラともども自分の子供のように接してくれる熊田の両親の心遣いもあり、ムネヨシにとって学校をさぼってでもここにいたい、と思う程に居心地の良い場所だった。


 多摩川の事件から三日後。あれからヨツメリンコウワニの目撃情報はなく、警察の攻撃に死んだとか、多摩川を下って海に逃げた等々、これまた様々な憶測が新聞紙上やテレビ、ネットで飛び交っていた。SNSでもこの話題は連日タイムラインをにぎわせ、ヨツメリンコウワニはいつしか『ダギドン』という、何をどうしたらこうなったのかわからないが、いかにも怪獣らしい名前になり、それをマスコミが取り上げたおかげで、これが正式な名前になっていた。そしてSNS上には『我こそがダギドンの名付け親』と名乗るものが数人現れ、不毛な言い争いを続けていた。


 ダギドンを駒沢のオリンピック公園で見た、洗足池で光る4つの目を見た、という怪しげな情報がテレビのワイドショーで取り上げられたが、いずれも信ぴょう性の低いものだった。そんな中、原宿駅を出た副都心線の最終電車が謎の脱線事故を起こした、というニュースが飛び込んできたのは、ムネヨシが珍しく早起きしてアパートでテレビを見ていた時だった。幸い時間も時間で怪我人は出ていなかったが、運転手の証言によれば『ものすごい力で後ろに引き戻された』とのことだった。


 そして、その日の午後。いつものように人でごった返す渋谷スクランブル交差点、その中央部分が突如陥没し、通行中の車両数台がそれに飲まれ、姿を消した。すぐさま警察が出動し周囲を封鎖すると、しばらくして、紙切れを丸めたようにくしゃくしゃになった鉄塊が穴から飛び出し、大きな音を上げて警察車両の上に落ちてきた。鉄塊からのぞかせるゴム片で、それが陥没に飲まれた自動車であることは確かだったが、あまりにも原形をとどめていないつぶれ方に、車種が判別できないほどだった。特殊部隊が穴を一重二重に取り囲み、じっとしたまま動かない。すると、『ビエーーーー』という声とともに、ダギドンが姿を見せた。特殊部隊は散開しつつ、確実にダギドンに狙いを定め小銃を撃つ、しかし、ダギドンは特に痛がる様子もなく、6本の足を器用に動かしながら素早く動き回り、自分を攻撃した者たちをその長い舌で絡め、そのカモノハシのような口へと運んでいく。またはその長くしなやかない尾を鞭のように振るい、警察車両を薙ぎ払うそしてダギドンは神宮通を北上し、途中で何人かを捕食しつつ、代々木公園に消えていった。


「とうとう自衛隊かな……」

 渋谷の騒動のあった翌日、休憩室のテレビを睨むように熊田が呟いた。

「みたいですね、これから会見じゃなかったですか?」

 うん、と熊田がうなずく。

「20メートルのトカゲのお陰で都心部の交通機関はストップ。それに不要不急の外出自粛。とはいっても俺たちみたいに家を出ないとできない仕事が大多数なんで、家にこもりっぱなしなんて無理だろ。よしんば家にこもってても、ダギドンにとっちゃ、その辺に弁当箱が転がってるもんだろうな。ったく、政府のいうことは無茶苦茶だな。まず奴を退治することが先決なんじゃないか?」

 忌々しく熊田が吐いた。

「そういえば奥さんと娘さんは……」

 ムネヨシが尋ねると、苦々しい笑顔を熊田は見せた。今年40になる熊田には15歳年下の妻(両親に『奇跡!』と言われた)と、まだ3歳の娘がいて、それぞれを溺愛していた。

「疎開させたいけどなあ。いっそゴムボートにでも乗せて多摩川下るかな」

 笑ってはいたが、その目は真剣だった。

「いよいよかな」

 テレビでは都知事自ら被害報告と今後の都の対応、そして首相による自衛隊出動の会見が行われる予定だった。会見場には大勢のマスコミが待ち構えており、やがてフラッシュが一斉に瞬く中、都知事が姿を現した。

「え、このた……」

 壇上で都知事が第一声を発しようとした瞬間、画面がぐらりと揺れた。

「え?」

 瞬時にそれがただならぬことが起こった、と理解できた。

 そして壇上に登った職員が何やら都知事に耳打ちした。

「え? 解散です、解散、ただいま、都庁にヨツメ……ダギドンが!」

 知事の金切声に、マスコミは何が起こったのかすぐには理解できなかった。が、会見場の衝立を吹き飛ばしながら現れたピンク色のぬめぬめした、ダギドンの長い長い舌を見た瞬間、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。我先に逃げる記者たちが押し合いへし合いしてる後ろから、ダギドンの舌が迫る。そこで、画面はブツンと切れた。


 地下から現れたダギドンは、ヤモリのように都庁によじ登りながら、その平らな口で窓を破り、アリクイのように長い舌で餌(人間)を捕食していく。ネットにはその様子を偶然撮影した動画がすぐさま流れ、SNSがまたもあることないことでにぎわいだした。


 ダギドンは餌を求めて第一本庁舎から第二本庁舎へ飛び移り、さらに最上階へ上りだした。雲一つない晴天にさらされ、ダギドンのミドリの鱗に覆われた体が生々しく光っている。ぐうと喉を鳴らしながら、ダギドンは四つの目を下に向けた。遙か眼下ではエントランスを抜けた大勢の人間たちがひしめいている。ダギドンの喉が再び鳴ると、体の向きを変え、スルスルと降り始めた。その時、蒼天を引き裂くような轟音とともに、数機のヘリコプターがダギドンを取り囲み始めた。もはや首相会見などと不要とばかりに、自衛隊に出動要請が下ったのだ。ダギドンは顔を上げ、ヘリに向かって威嚇するように唸り声をあげる。ヘリは十分に間合いを取りつつ、機首下部のミニガンをダギドンに向ける。


 ビエー!

 

 ダギドンが吠えたその瞬間、突然空が曇りだし、突風が巻き起こった。その風に乗って黒い巨大な影が恐ろしい勢いでヘリを蹴散らし、庁舎の壁面ごとダギドンを飲み込み、そして上空へ飛びあがった。まるでエイのように三角形のフォルムを持つ巨大な物体が太陽を背に四枚の羽根をはばたかせていた。それは長い尾をしならせ、頭部には無数の触手をうごめかせながら一声大きく吼えた。それと同時に、地上にはぼとぼとと、ダギドンの鱗のついた肉片が降り注いだ。


 空を飛ぶ生物はその日のうちにシュライザーと名付けられた。その名に意味などない、言ったもん勝ちのようなもので、SNSで誰かが名付けたのがそのまま浸透したのだ。地底にうごめく怪獣、そしてそれを食らう空の怪獣。翼長約100メール、四枚の羽根を持つエイの頭部にイソギンチャクのような触手、それに長くて細い尻尾と胴体の付け根には一対の鳥のような鉤爪のついた足がついたシュライザーは、その後空自の戦闘機とドッグファイトを演じた後に西の空に消えた。ダギドンの脅威は去ったが、今度はシュライザーがそれにとってかわったのだ。


 翌日、シュライザーは名古屋に襲来、名古屋城をかすめ、長い尾の一振りでテレビ塔を倒壊させた後、大須商店街で、頭部の触手を使って観光客や地元住人を次々とその胃袋に収めていった。自衛隊が出動した時には時すでに遅く、日本第三の都市はシュライザーの四枚羽根から繰り出される衝撃波によって壊滅的な状態にあった。


「結局、入れ替わっただけスねー、怪獣が」

 ペットボトル飲料の入れ替えをしながらチャラがのんきな声を上げた。シュライザー襲来から三日後。自衛隊、それに米軍の協力による必死の探索にもかかわらず、その姿は見つからず、テレビでは名古屋の惨状と自衛隊が出遅れたことに対する責任問題の是非を問う不毛な討論が繰り返されていた。東京都の外出自粛要請は解除されたが、航空各社はいつシュライザーの襲撃に合うかもしれないということで、航行を見合わせ、空路による海外への出入国も禁止された。

「だな……」

 怪獣騒動による休校続きで、ムネヨシがここに来ることも多くなったが、近隣の住人は疎開したのか、あるいはいまだ外出を控えているのか、客足はめっきり減ってしまった。閑散としたコンビニのレジカウンターで、ムネヨシはスマホで新たな怪獣情報が無いか、見ていた。

「ちょ、やばいっすよ、スマホ見てたら、クレームもんスよ」

「客が来たらやめるよ。って、今朝俺がここ入ってから誰も来てないぜ」

「確かに。でも店長が見たら」

「店長はご家族の疎開のお手伝いしてるから、来るのは夜だよ。それに、あまりにも客が来なかったらシャッター閉めていいってさ」

「マジすか? てか、ここシャッターあったんスね! 俺、見るの初めてっス」

 早く閉めろ、と言わんばかりにチャラが嬉しそうな声を上げた。


 名古屋に大打撃を与えたシュライザーは、大阪に飛来。スカイビルで一休みしたところを航空自衛隊の戦闘機部隊に攻撃されたが、それをものともせず、大阪駅の大屋根を突き破って着地した。器用に触手で瓦礫をめくりあげ、その下敷きになった人々をすくあげては大きく広げた口の中に次々と放り込み、逃げ遅れた乗客が多数残っているJR線を一両、その鳥のような足でつかむと空に消えていった。


 ダギドン、シュライザーによる怪獣被害はこの時点で数千人と発表され、政府は怪獣に捕食されないよう広い場所での密集の禁止を国民に呼びかけたが、その頃すでに船舶による国外脱出を考える人たちで各地のフェリーターミナルはごった返していた。それを見逃すことも無く、シュライザーは神戸ポートターミナルを襲撃、上海行のフェリーをひっくり返すと船底をバリバリと鉤爪で裂きながら、海上のディナーを楽しんだ。そして満足したのか、人気のない神戸空港に移動し、滑走路上にその身を横たえた。この機を逃さんとばかりに、陸海空、自衛隊の各部隊がシュライザーを取り囲み、一斉攻撃を浴びせる。火をかけた中華鍋のように辺り一面が炎と爆炎に包まれると、さすがのシュライザーも逃げるように飛び立った。が、そこを海面から伸びた蔓のようなものがシュライザーの体をからめとり、そのまま海中に引きずり込んだ。一瞬何が起こったのかわからず、自衛隊が攻撃を中止する。やがて海面が泡立つとあたり一面が真っ赤に染まりだした。それが動物の血だと気づいたとき、先ほどの蔦が数本伸びて海面を叩くようにうねり、巨大な口のような二枚の葉が見えた。葉の内側は赤く、そして牙状の棘がびっしりと並んでいる。蔦は上空を旋回していた自衛隊のヘリを掴み、葉に運ぶと包み込んで咀嚼するようにもごもごとうごめきだした。続いて巨木のような太い幹が見え、それはゆっくりと空港に進み、その全身をあらわにした。巨大な食虫植物、しかもその下部には両手が鎌になったサソリのような生物がくっついていた。ちょうど昆虫に寄生し成長する冬虫夏草のようにも見えたが、それと異なる点はサソリのような生き物もまた生きているということで、鎌を振り上げ、6本の足をわしゃわしゃと動かし、滑走路をせわしなく動き回っていた。植物と虫の合体したようなこの生物が、今度はシュライザーに変わる人類の敵になった……命令は下っていないが、この怪獣が新たな脅威となるのは必至、とまず護衛艦から対艦ミサイルが一斉に怪獣に浴びせられた。立ち込める爆炎の中、苦しむような雄たけびを上げながら怪獣は蔦を振り回しながら再び海に消えた。


 数分後、メリメリと金属がきしむ音を立てながら護衛艦が一隻、中央部分から真っ二つに裂け、海中に没した。続いて無数の蔦が別の護衛艦をからめとる。残った艦が集中砲火を浴びせる中、蔦に絡まれた艦はゆっくりと沈んでいった。


 新怪獣はこれまたネットでチュゾーンと名付けれれた。チュゾーンはその翌日にはフェリーを一隻、そして国外脱出中の自家用船舶数隻を沈めると横浜に上陸。中華街で捕食した後、マリンタワーをその鎌の一振りで両断、自衛隊の攻撃をものともせず、海に帰っていった。

 

 新怪獣現るの報を受けた政府はただちに新たな対策を練ることになったのだが、一方各地では暴動や略奪が横行しており、そちらの対策にも頭を痛めていた。都市圏は怪獣騒動の襲来と大量疎開、それに暴徒ですっかりとゴーストタウンとなっていて、その影響は少なからずムネヨシの居る街にも及んでいた。


「今度は海の怪獣ですよー」

「逃げ場、なしだな」

 シャッターを閉めたコンビニで、だらしなくカウンターに腰掛けながら、ムネヨシは呟いた。熊田からは連絡がなく、おそらく家族と一緒に疎開したまま帰ってこないだろう、とムネヨシは思っていた。


 空と海の移動を断たれ、なんとか陸路を使っての疎開するものが増え始め、各地の大型主要道路はいつ終わるとも知れない大渋滞に巻き込まれていた。そんな中、秩父山中で新たな怪獣発見との報告があったが、暴動鎮圧に疎開の手配、それに海のチュゾーン対策に追われる政府は、それを後回しにしてしまった。できればデマであってほしい、と一部の閣僚はそう願っていた。だが、報告のあったその夜のこと。大渋滞で全く動けない関越自動車道高坂サービスエリア付近に巨大な影が躍り出た。水牛のようながっちりとした胴体にネコ科動物のようなしなやかな四肢を持ち、頭部には4本の角が伸び、そして象のように鼻が長く、だらんと垂れ下がっている怪獣、それが渋滞で動けない自動車を蹴散らしながら、逃げまとう人々を前足や長い鼻でとらえ、捕食していた。そして高速道路上を進みながら南下しはじめた。


 翌朝には新怪獣はゾギュラスと名付けられ、自衛隊と交戦中というニュースが入った。ムネヨシはアパートでそのニュースを見ながらコンビニに出かける用意をしていた。もはや交通機関は麻痺し、テレビもニュース以外は放送していない。怪獣のニュースを伝えるアナウンサーの顔色も日に日に悪くなっているのがよく分かった。シャッターが閉まっているから別に行かなくてもいいのだが、たぶん自分に似たような思いで店に来ているだろうチャラのことが気になるのと、疎開も無理ならば、ここで何とか踏ん張っていくしかない、と思ったからだ。


 南下を続けていたゾギュラスは川越市に入ったあたりでその速度を速めた。まるで何かに惹かれるように速度が増していく。その頃、捜査網をかいくぐり、チュゾーンが東京湾に出現した。巨大な捕虫葉を開閉させ、蔦をうならせ、そしてキリキリと金属音のような鳴き声を上げながら、餌を求めて羽田空港を横切り、京浜運河を北上し、品川に上陸した。すると、チュゾーンは一声高い鳴き声を上げると、6本の足をせわしなく動かし、北上を始めた。報道機関のヘリがその姿を追った。かつてダギドンが暴れた渋谷区、新宿区を抜けた辺りで

『え? ゾギュラス? ゾギュラス? くるの?』

 と、ヘリに乗っていたアナウンサーが素っ頓狂な声を上げた。そしてそこで画面がブラックアウトし、スタジオに切り替わった。

『やられちゃいましたかねえ、蔦に』

 スタジオのアナウンサーが呟くように言った。

『えっと速報です、ゾギュラスとチュゾーン、豊島園で激突だそうです。共倒れならいいですね』

 最小限のスタッフ、出演者しかいないスタジオで、女性アナウンサーがにっこりと、ぎこちなくほほ笑んだ。


 その対決をムネヨシはチャラと二人で、コンビニで見ていた。


 その体躯に似合わぬ俊敏な動きで走り周り、隙を見ては頭部の角で攻撃するゾギュラスにチュゾーンは蔦を振るって応戦する。やがてチュゾーンの鎌がゾギュラスの足を捕らえ転倒させた。この機を逃さんと馬乗りになり、鎌を数回その体に叩き込むチュゾーン、しかし、ゾギュラスはこれを跳ねのけ、大きく跳躍するとその勢いで、チュゾーンの体に角を突き刺しそのまま頭を上げた。自重でさらに深々と刺さり、必死でもがくチュゾーンだったが、ゾギュラスが数回頭を振ると、その勢いも失せ、そして動かなくなっていった。チュゾーンを下すと、ゾギュラスは前足で器用に植物部分を引きちぎり、そして、残ったサソリ状の胴体にかぶりつきだした。


「また食ってますね……」

「ダギドンをシュライザーが食って、それをチュゾーン、そしてまたゾギュラスが食うか……」

「それって、食物連鎖ってやつっしょ? 習ったスよ学校で。すると……うわ、俺ら最下位かよ、キチィ」

 モリモリとゾギュラスを食べるチュゾーンを見ながら、チャラが言った。

「最下位でもないよ、連中の連鎖の中には入ってないよ、俺らなんか」

「じゃあ、なんスか?」

「みんなが適当につまんでくれる、金魚の餌みたいなもんかな」

「さらにキチィっスね」

 苦い顔をするチャラを見て、ムネヨシが笑った。


 もう、テレビは怪獣の補食描写をカットすることはなかった。視聴者が圧倒的に減っていたし、クレームが来ることも無かったからだ。画面ではゾギュラスがチュゾーンの植物部を咥えているところだった。そこで、ゾギュラスを赤い光が包み込んだ。


「え? また新怪獣っスか?」

「じゃないかな、なんだか、すっかり麻痺しちゃったな、俺らも。次、どんな奴かな」


 テレビには倒れこんだゾギュラスの足を持ってぶんぶん振り回す、逆三角形のゴリラのような体形で恐竜の頭部を持ったような怪獣が映っていた。怪獣がゾギュラスを振り回し、地面に叩きつけると、画面が土埃で真っ白になった。続いてヘリからの空撮に切り替わる。今度は毛のないゴリラ怪獣が、頭部の一本角から発した赤い光線をゾギュラスに浴びせていた。そして、全身をヒクヒクと痙攣させるゾギュラスに馬乗りになり、口を大きく開けて首筋に噛みついた。


「なんかラスボスっぽいの来ましたねー」

「誰が、こいつを倒すんだろう?」

『あ、新しい怪獣が……出ましたね』

 テレビでは、スタジオのアナウンサーが『勘弁してよ』と言わんばかりの表情を浮かべていた。


「今まで店を守ってくれてありがとうな。これ、少ないけど」

 その翌朝。疎開したはずの熊田からの電話でチャラとムネヨシがコンビニに来ると、ぼろぼろの服を着た熊田が二人を待っており、分厚い封筒を手渡した。

 封筒の中には札束が入っていた。それを見たムネヨシは目を丸くして驚き、チャラは普段からニヤニヤした顔がさらににやけていた。

「なんスか、これ、ボーナスっすか?」

「プラス退職金、みたいなものだよ」

 そういって熊田はカウンター奥のタバコを手に取り、一本火をつけた。売り物だが、それを咎めるものは誰もいない。

「かみさんいるとなかなか吸えなくて」

 おいしそうに目を細めると、熊田は紫煙を吐き出した。、

「もういいだろ、商売やっても誰も来ないし……怪獣以外は。ここらでいったん店たたんでしまおうかと思って」

「てっきり、そのまま帰ってこないかと」

「店閉めるんなら、ちゃんとしたかったし、二人にも給料渡してなかったから」

 その様子から、かなり困難な目に遭ったことは想像に難くない。しかし、熊田はそんな様子を見せずに、笑顔でタバコを吸っていた。

「お前らもうまく逃げろよ。あと、店のもの、何でもっていっていいから。と言ってもろくなもの残ってないけどな」

 隙間だらけの陳列棚を見ながら、再び煙を吐き出した。

「店長はこれからどうするんスか?」

「ん? 俺は何とかかみさんたちのところに戻ろうと思ってるよ。あ、それとだな」

 熊田はボストンバックの中から、拳銃を二丁に弾倉を数個取り出し、カウンターに置いた。

「これも持って行けよ。外、物騒だろ? 護身用さ」

「どこでこんなもの手に入れたんですか?」

「まあちょっと、伝手があってね。ほら、俺ビビりだし。本当は自衛隊の持ち物をちょっと……」

 笑いながら熊田は拳銃を手に取った。

「使うときは安全装置を外して、よく狙いをつけてな。でもこんなもの持ってたら、こっちが襲う側に回っちゃいそうだよな」

 にやり、と、熊田がムネヨシを見て、一丁を手渡す。

「ま、どう使うかはお前ら次第と」

 と、コンビニが大きく揺れ、ムネヨシの目の前が暗転した。


「う……」

 暗闇の中にムネヨシはいた。何が起こったのか、全くわからない。手足を動かし、大きなケガがないのを確認すると、なんとか周囲の瓦礫を押しのけ、ムネヨシは外に出た。

 辺りは立ち込める土煙で視界が悪い。

「店長―! チャラ―! 返事してくださーい」

 ムネヨシが声を張り上げるが、瓦礫の下からは何の返答もない。

「おーい!」

 再び大地に衝撃が走り、ムネヨシは倒れこんだ。

 立ち上がると、目の前に巨大な影があることが、土煙の向こうからうっすらと見える。

「うそだろ?」

 一本角、そして発達した上半身に太い尻尾。豊島園にいたはずのゴリラ怪獣が多摩川を越え、県境付近の街にいるムネヨシの前に立っている。あれからあのゴリラ怪獣――レドキラス――はゾギュラスを捕食したのち、その場で眠りこけていたはずだ。その後続報が無かったので、居座っているとばかり思っていた。

 レドキラスは辺りをきょろきょろと見回すと、その巨体がふわり、途中に浮かんだ。そして徐々に高度を上げていった。

「あいつ、飛べるのかよ!」

 思わず、ムネヨシは叫んだ。すると、その声が聞こえたのか、レドキラスはゆっくりと降下し始めた。恐ろしく目がいいのか、その目はムネヨシを見据えているようにも見えた。

「飛べるんなら、そりゃ移動も早いよな」  

 空を見上げながら、ムネヨシが呟く。

 すると、何かに弾かれたように、着地寸前のレドキラスが後方に吹っ飛んだ。地鳴りのような音を立て、その巨体が地を這った。

「?」

 

 何が起こったのかわからず、頭を振りながらレドキラスが立ちあがる。すると、その眼前でまばゆいばかりの光が生まれた。それは徐々に形を作り、ゆっくりと実体化していく。やがてそれは巨大な人間の姿になった。

「巨人!」

 ムネヨシが、思わず叫んだ。

 ウエットスーツのようにつるんとした銀色に輝くボディに、ところどころ文様のような赤いラインが入った巨人、つるんとした卵型の頭部に、瞳のない黄色く吊り上がった目、固く閉ざされた口、そして胸にはひし形の青く光るクリスタルのようなものが埋め込まれていた。まるで幼い頃に見たテレビの巨大ヒーローのような巨人がレドキラスの前に立ちふさがっていた。

「デァア!」

 巨人は腰を落として身構えると、レドキラスの次の動きを待った。怒りに角を赤く光らせたレドキラスが立ち上がり、土煙を上げて巨人に突進する。

「デァ!」 

 巨人をよけることなく両手を広げてその進撃を押しとどめ、さらに力を込めて、レドキラスを突き飛ばすと、レドキラスは体を丸めるように、再び後方に倒れこんだ。

「ひょっとしてあの巨人……」

 あれは我々の味方かもしれない、と根拠のない思いで、ムネヨシの顔がほころんだ。

 怒りの雄たけびを上げ起き上がろうとするレドキラスに、今度は巨人の方から攻撃を仕掛けた。たっと地を蹴り、跳躍すると高く上げた右手を渾身の力を込めてレドキラスに叩き込んだ。


 ガァア!

 

 ボキン、という音とともにレドキラスの一本角が折れた。痛みに悶絶するかのように身をよじるレドキラスの尻尾をつかみ、巨人はハンマー投げのように数回振り回した。その回転が巻き起こす風をよけようとムネヨシが身を縮めると、巨人がその手を放し、レドキラスを投げ飛ばした。ずずん、と着地の衝撃がムネヨシを襲った。

「デァ!」

 こわごわと、ムネヨシが顔を上げる。

 三度怪獣は地に伏せ、巨人は少し距離を取って、両腕を交差させた。すると、一条の青白い光線が放たれ、レドキラスに直撃した。光線を受けたレドキラスは、びくびくと体を痙攣させ、そして動かなくなった。

「やった……」

 ムネヨシは思わず拳を固めた。

「やった、怪獣に勝った……」

 巨人は右手をさっと振るようにして、再び光線をレドキラスに放つ。今度は円盤状の光線だった。それがレドキラスの手足、尻尾、頭部と順番に通過し、部位を綺麗に切断していく。

「なんで……念には念ということか?」

 巨人はおもむろに切断されたレドキラスの右腕を取り上げる。すると、真一文字に結ばれた口がパカっと開いた。

「まさか……奴も怪獣を……」

 ムネヨシの予感は当たった。巨人が右腕にかぶりつき、まるで骨付きチキンでも食べるようにもぐもぐと口を動かした。歯があるのかないのか、咀嚼音は聞こえない。

「結局、食うやつがが変わっただけで、俺らのポジションは変わらずかよ」

 巨人は骨以外を綺麗に食べ終えると、ふっとムネヨシを見た。その光輝く黄色い目が笑っているかのように細くなった。

「なめんじゃねえ……」

 巨人はゆっくりとムネヨシに近づいてくる。 

 ムネヨシは、ズボンの尻ポケットに固い感触を感じた。さっき店長からもらった拳銃だ。それを取りだし、ゆっくりと安全装置を外して狙いを巨人の胸部、青いランプに定める。


 冷たい鉄の感触を掌で受けながら、ずるりと『現実』という名の皮がずり落ちていくような感覚をムネヨシは覚えた。


「今度は俺が、食ってやる!」


 絶叫し、ムネヨシは引き金を引いた。

 

              終

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連鎖の果てに光あれ 馬場卓也 @btantanjp

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