幕間 雪白家当主の未来予知
窓が割れ、銃声を響かせたのだ。当然、騒ぎを聞きつけ、警備員を引き連れた優人が慌てて駆け付けてきた。
廊下と、氷翠の部屋にある二つの死体。大きな声を上げ、泣き続ける氷翠。
状況を察した優人は連れてきた警備員を周囲の警戒に当たらせ、氷翠の部屋から下げさせる。
その後、肩で息をしながら遅れてやってきたのは本物の近衛睦葉だ。室内の死体を見つけ、蒼白になり手で口を押えるも、恐怖を飲み込み泣き続ける氷翠へと駆け寄った。
氷翠が落ち着くまで優人は待つつもりであったが、娘を殺そうとした男の死体が転がり、濃い血の匂いが漂う室内にいつまでも氷翠を留めておきたくはなかった。
楯から離れたくなさそうにする氷翠を睦葉が連れていき、室内には優人と楯の二人が残る。
楯は優人の前に立つと、静かに頭を下げた。
「氷翠様を危険に晒してしまい申し訳ありません。護衛失格です」
「なにをいう。君のおかげで氷翠は助かったんだ。感謝こそすれ、謝罪をしてもらう理由はないさ」
「しかし」
「君は真面目だね」
優人は死んだ暗殺者を見下ろす。
「神門君がいなければ、こうして躯を晒していたのは私の娘であったかもしれない。そう思えばこそ、君には感謝してもしきれない。娘を、氷翠を護ってくれてありがとう」
「優人様……」
困惑する楯に向けて、優人は微かに笑う。
「感謝を受け取るのも、成した者の務めだよ?」
「……謹んでお受け致します」
「やはり硬いね、君は」
微笑みは苦笑へと変わる。
あくまで楯は一時的に雇われたに過ぎない。警備会社シルトクレーテから派遣された護衛でしかなく、雪白家が直接雇用してるわけでない。
だというのに、まるで主に忠誠を誓った臣下のような態度に、優人は真面目過ぎると思ってしまう。
(そんな彼だからこそ、愛しい娘を任せられるというものだけれどね)
いくら信頼する妻の指示であっても、軽薄な男を娘の護衛にしたくはなかったからだ。
「表の者も含め、死体はこちらで片付ける」
「生きて捕えるべきでしたが……申し訳ございません。私の失態です」
楯が肩を落とす。
護衛対象を護るという意味では、襲撃者は殺すのが手っ取り早い。しかし、そうしてしまうと誰から依頼されたのか、どういった経路で侵入したのかなどといった重要な情報は手に入らず、将来に不安を残す。なにより、護衛対象の目の前で殺すというのは最悪だ。相手が悪人であろうと、気分の良い物ではあるまい。
殺害した瞬間こそ身体で隠して見せなかったが、楯としても苦渋の決断であった。近年稀に見る大失態である。
「構わないよ。氷翠が無事ならそれでいい。神門君は休んでいてくれ……と言えたら良かったのだけどね。このようなことがあったばかりだ。申し訳ないが、氷翠の護衛に付いてくれ」
「もちろんです」
失態を取り返すべく、むしろ楯からお願いしたいことであった。
「ただ、確認なのですが、シルトクレーテに護衛依頼をした理由は達成されたと考えて宜しいのでしょうか?」
「なんだい? 護衛を辞めたいのかい?」
優人が口元を緩ませる。明らかにからかっている。
「いえ。そういうわけではありません」
そうと知りつつも、楯はちゃんと否定する。
楯は氷翠に必ず護ると約束をした。それを氷翠が聞き届けたかは分からない。けれど、たとえ楯だけの決意であろうと、氷翠が求めてくれるならば、安全を確認するまで護衛を続けるつもりであった。
「私が護衛としてこの屋敷を訪れてから一週間足らずで氷翠様は命の危険に晒されました。あまりにも早過ぎます。近々、命を狙われるのが分かっていたから私を雇ったとしか思えません」
警備会社シルトクレーテへの依頼は、あくまで雪白氷翠の護衛。殺人予告があったという特記事項はなく、暗殺者から護れという明確な指示もない。
問題が起きないようにするための護衛であり、問題を前提とした依頼ではない。最初から襲われるのが分かっていれば、警備体制をより堅固な者に変えられていただろう。
ただ、楯は文句を言いたいわけではない。これ以上の襲撃がないのかを確認したいだけだ。
「つまり、妻が暗殺者をけし掛けたとでも?」
「……分かって仰っていますよね?」
「冗談だとも」
言外に冗談が過ぎると窘めれば、優人は肩をすくめ、表情を引き締めた。ユーモアにしても、時と場所を考えて欲しい。娘が襲われた後で、血の海が広がる部屋では論外だ。
「まあ、君の想像通りだろうね。初めて会った時にも伝えたが、君を指名したのは私の妻だ。そして、雪白家の直系は代々未来予知のディユギフトを引き継いでいる。恐らくだが、妻は氷翠が暗殺者に襲われることも、神門君が氷翠を護ってくれることも見えていたのだろうね」
「……? 奥様から伝えられていたのでは?」
「いや。妻からは警備会社シルトクレーテの神門楯という護衛を雇って氷翠に付けろとしか言われていなくてね、それ以上のことは訊いていないんだ」
護衛である楯にもだが、まさか氷翠の父である優人にまで真相を知らせていないとは考えていなかった。
「優人様は奥様を信頼されているのですね」
「信頼、か」
優人の顔に影が差す。
夫婦の絆故かと思いきや、どうやらそうではないらしい。
「確かに、信頼はしている。妻が氷翠を貶めるようなことはしないとね。けれど、どちらかと言えば恐ろしいというほうが大きい。無理矢理今回のことを訊き出したとして、そのせいで未来が変わって氷翠の身を危険に晒すかもしれない。そう思うと、とても『理由を教えてくれ』と訪ねる勇気はなかった」
妻が未来を見ると知っているからの苦悩が垣間見えた。
楯は優人の妻に会ったことはないが、夫婦仲が悪いとは思わない。優人が妻を信頼し、愛しているのは言葉の端々から感じ取れた。
けれど同時に、良くない未来へと変えてしまうかもしれないという恐怖が付き纏っていた。
未来が見える雪白家現当主の言葉に逆らった結果どうなるのか。考えが及ぶが故に、追及することができなかったのだろう。
有用過ぎるギフトであるがための弊害。
楯が複雑な気持ちを抱いていると、楯の内心を察してか努めて明るく話を進める。
「妻に一度確認は取るつもりだが、恐らく本来の目的は達成されているだろう。すまないが、それまでの間、氷翠の護衛をお願いするよ。護衛として雇っているのに、執事としての仕事ばかりさせて申し訳ないけれどね」
「好きでやっていることです。お気になさらず」
楯が胸に手を当て一礼すると、それならば良かったと優人が笑う。
一頻り相談を終えた優人は、氷翠の部屋を片付けさせるため使用人を呼びに部屋を出る。
楯も後に続こうとするが、死体を一瞥し足を止める。
驚愕し、黒い瞳を見開いたまま死んだ暗殺者。楯は手の平で暗殺者であった男の瞼を閉じると、今度こそ部屋を後にした。
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