エピローグ

○2020年12月25日 13:10 福井駅前

 巷ではソーシャルディスタンスを厳守としたクリスマスが行われている。今までの恋人たちのクリスマスから、広告代理店は家族とのクリスマスを推すようにチェンジしたようで、福井駅前は閑散としていた。

「いや、例年もこんな感じか?」

 頭から尾の先っぽまで雪をかぶる恐竜のモニュメント。近代的な駅舎の裏側では聖夜も関係なく北陸新幹線延伸工事が進められている。開業が1年半くらい伸びたらしいけど、推し作家が遅筆なラノベ読みにしてみれば全然長いとは思えない期間である。1年半に1冊出るなら全然苦労はないんだよ。と、いろいろな作家に言ってやりたい。

 今日の午後と28日は年休にしたので、この日は年内最後の出勤日だ。例年なら早霧谷や小沢たちとクリパで騒いでいるところだが、今年はそれができない。誰にメリークリスマスと言えばいいのかわからない日であるが、少なくとも先程紀伊国屋の店員にはメリークリスマスと嬉しくて言ってしまった。わたしはお昼に事務所で挨拶をしたのち紀伊国屋に直行し、予約していた「ミラージュ・レトリックの守」をゲットしてきたのだ。本当であれば、今日これを読んで、明日の朝にカニを調達しクーパーで東京入をし、早霧谷たちとクリスマスを楽しんだのちに新潟の暮正月という流れの筈だったのだが、クーパーは廃車、カニは高騰。おまけに雪まで降ってきたのである。

「あーあ、予定がめちゃくちゃだよ」

 わたしが手にしているこの本だっても、予定が狂って出たようなものだ。帯には「おかえり! 悠&和奏!」という楽しげな文字が踊っている。6年半ぶりの新刊は完全新作で、当時の心を持ったままの独身者に向けた最高のクリスマスプレゼント(皮肉)となったのだろう。帯の裏面には、2021年1月「ムジカ・レトリックの追」発売、2021年春「ミラージュ・レトリックの愁」発売とある。辺見ユウはもう、新シリーズ「ミラージュ・レトリック」にかかりきりになっているようだ。しかしこの「ミラージュ・レトリック」シリーズ、略称はどうなるのだろう。

「ミラジュレ? それともミラレト? どっちになるかな」

 このまま帰っても良かったんだけど、人を待つことになっている。約束の時間までは6時間ほどあるので、駅の喫茶店でゆっくりとミラレト(こっちにしよう)を読むのだ。6年半。待ちにまった新刊だ。コーヒーを一杯注文し、奥まったスペースに腰を下ろす。涼宮ハルヒの直観は零時から電子書籍で読んだが、ムジカレいやミラレトでそれをやるには時間がかかりすぎるから難しいと、午後いっぱい使って読むことにした。

 いろんなことがあったけれど、2020年もまもなく終わる。正直言おう、ろくな事の無い年だった。転勤だコロナだ激務だコミケの中止だ、ミスリル経典テロ事件だ、聖者の行進だ、クーパーの廃車だいろいろだ。ただ、ムジカレの新シリーズがはじまる。そして、わたしもめげずに小説を書く。転んでも前のめりで、少しは前に勧めたかな。


 ミラージュ・レトリックの守

 辺見ユウ・作 ぽつねん・イラスト。


 ムジカレが蒼に対し、ミラレトは朱。ここから最終巻にかけてどのようなグラデーションが展開していくのか楽しみだ。表紙イラストは、今までのぽつねん先生同様緻密で、でもダイナミックな筆致。十日巻で書かれたこの最新作を年内に世に出すため、ぽつねん先生は5徹したらしい。彼自身が描きたくて仕方ないから、とツイッターでコメントを残していたが、非常に疲れただろう。ムジカレの「園」同様、少年と少女が背中合わせで立っている。少年が手にしているのは、リボルバーの拳銃。短髪でワイルドな風貌に、白いトレンチコートを羽織っている。医者みたい。少女がはおしゃまに笑ってヒミツだよ、と人差し指を口元に寄せている。腕にはとても大きな事典を抱えていて、わたしの大好きな銀髪、ボブカットにブラウンのセーラー服だ。なかなか見ない組み合わせだなあ。ムジカレの表紙と徹底的に対比しているようで面白い。

 表紙をはぐる。タイトルロゴと、そのバックには「園」意識しまくりのステンドグラス、そして手前に案内表示が出ていた。空港や駅にあるような奴で、ルーンとイタリア語とロシア語併記。中高生に読ませる気がないのかまったく。Sognare、夢という意味だろうか。カラーページを開こうという気持ちをぐっ、と抑えて、まずは作者たちのコメントだ。


 ○辺見 ユウ Yu Hemmi

 1986年新潟県生まれ。第1回芙育出版ライトノベル大賞「大賞」をムジカ・レトリックシリーズ本作で受賞。ステイホームでもレッツレトリカ。「6年半ぶり、ご無沙汰しております。世の中は大変なことばかりですが、ある言葉を思い出すようにしています。渡る世間に鬼はなし。でも本当に? いませんか? 鬼さん。手を鳴らしますからこちらまで。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」

 ○ぽつねん Potsunen

 1985年東京都生まれ。第8回芙育FEコミック大賞「大賞」を受賞。代表作は「ムジカ・レトリックシリーズ」「ガラス細工の電撃戦」など。「ご無沙汰しています。前シリーズは刀のシーンで自分の剣道の経験が活きましたが、今回は銃……。ハワイで親父に教えてほしいけどまだまだ渡航できなさそうですね」


 どんな時でも変わらず飄々とした二人の、毒にも薬にもならないコメントを読んで思わずくすりと笑ってしまう。あとラノベ読みはもう渡航ということばを人名にしか読めないなあ、とどうでもよいことだが思った。

 さあ、1ページをめくって……。


 スマホが震える。わたしはもう時間か、と時計の文字盤に目をやった。

 そう、来たかあ!

 一時間も前に、ミラレトをわたしは読み終わっていた。

 動けなかった。

 紙面から、光を、音を、匂いを、飛沫を、熱を、振動を感じたのだ。4DXラノベだった。これを、辺見ユウは10日間で書いただって? 嘘だろそれができるのは、神様か本物の天才しかいない。いや、本物の天才でも書けるなんて思えない。

 腰が抜けるような読書体験だった。

「はい、わたし」

『もうすぐ福井駅に到着します』

 男の声だった。うっかり電話をかけてきた相手を見ずに出てしまった。早霧谷だとばかり思っていたからな。

「あ、藤澤さん、すみません」

『いや、いいですよ。辺見ナツさんと一緒ですから』

『いえーい、ちぃ、聞こえるぅー?』

 ゴキゲンな早霧谷の声も聞こえてくる。どこかの駅で会ったのだろうか。

「改札前で待っています。じゃあ」

 特に長話の必要も無いので電話を切った。車内での通話はマナー違反だからな。このクリスマスは、というかクリスマス休暇&冬休みは、もろもろ片付いたためのお疲れさま会をやることになった。参加者は、わたし、ヒビナ、有紀子さん、周さん、藤澤さん、ベータさん。聖者の行進後に五次会まで飲んだムジカレ関係者である。わたし以外は東京から一路福井を目指して向っている最中であり、集合は夜の七時。ちょうどその時刻に福井駅に特急しらさぎが到着するので、乗っているのであればその中だろう。ホームに列車が到着しました、というアナウンスが流れる。

「おーい!」

 改札の向こうには、ヒビナ、藤澤さんとベータさんが並んで歩いてきている。もこもこの黒いダウンを着た小柄なヒビナと、クリーム色のトレンチをふわりと着こなしている背の高いベータさんとでは親子のようにも見える。藤澤さんはスーツ姿。きっと荷物の中には仕事道具が入っているのだろう。かわいそうに。

「やあ、井守さん」

「ちぃ、来たよ」

「ようこそ、福井へ。三人ともメリークリスマス……、って辺見ユウとぽつねん先生は?」

「メリークリスマス」と三人が声をかけると、ヒビナが駅舎の外を指さした。二人はお揃いの真っ赤なトレンチコートを来て、珍しく腕なんて組んでいる。サンタクロースのようだな、と思った。

「みなさん、メリークリスマス。ホワイトクリスマスですね」

 まるで自分が福井県民のように、辺見ユウが頭を下げた。流麗な所作におもわず全員がお辞儀をする。はらはらと白雪の舞う中、ぷっ、と吹き出してしまった。

「辺見ユウ先生」

 わたしは、まっすぐ話しかけた。

「はい、なんでしょう」

「ミラージュ・レトリック、読みましたよ」

「それは、ありがとうございました。それで、どうでしたか?」

 もう自分ごとでは無い、というように、辺見ユウは言った。しかしそのメガネの向こう側にある大きな二重の眼は、わたしの顔から視線を外しはしない。

 一言では言い表せない作品だ。レビューになんてしたら、文庫本一冊以上のことばを費やしても、まだ語り明かせないかもしれない。

 でも。

 このことばでレビューを締めくくろうと思う。


───面白かったです。


 と。

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非実在ライトノベルをレビューする会 井守千尋 @igamichihiro

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