第16話

 目が覚めると、早霧谷の部屋のソファの上だった。

 長い、長い夢を見ていた気がする。悪夢だ。クーパーで事故った。借金が100万あるままで、走行距離が13000kmで廃車。ぽつねん先生の運転するBMWに辺見ユウを奪取されまいと東名で時速200kmを出した挙げ句、無理な車線変更でぶつけないようにと飛び上がって一回転。ガラスが割れ屋根が割れ、電気系統が逝ってエアバッグを作動させてもなお、わたしに怪我をさせずアライメントが狂ったはずなのに、安全にわたしを辺見ユウのところまで、ぽつねん先生に先んじて連れてきてくれた挙げ句、動かなくなった。悪夢と言わずして何だというのだろうか。

「ちぃ、おはよ」

「う~ん、おはよう」

「もう夕方だよ」

 今日はハロウィンということで、早霧谷はカボチャ料理を作っていた。パンプキンパイ、パンプキンスープ、パンプキンプリン、かぼちゃとひき肉のそぼろ。わたし達程度の付け焼き刃人間たちにとって、かぼちゃの洋食は3品でストック切れ、天ぷらがまだ登場しないだけ頑張ったと思う。キッチンダイニングの上にはパンプキンビールというのが置いてあるが、数年前に飲んだことある。変なものをくわえたビールは風味が良くないからわたしはパスだ。普通のプレモルの薫るエールとかでいい。いや、薫るエールがいい。オレンジ色のかぼちゃを見て、わたしは夢の出来事を思い出した。

「クーパーは?」

「さっき警察が持っていった」

 夢じゃなかった……。だと。

「大丈夫? 病院に行く?」

「いいよ、寝たら元気に……元気になれなあい!」

 うわあん、と言いながら早霧谷に泣きつくわたし。クーパーが。わたしの初めてのクルマが、大切に10年乗ろうと決め惚れ込んだ大切な愛車をあんな風にしてしまった悔しさが涙となって溢れてきた。

「よしよし。でも、ちぃのおかげ。お姉ちゃん、続き書くって言ってくれたでしょ」

「うん……」

「ちぃのおかげ。やっぱりあんたは、くれないそのまんまだね」

「わたしが?」

「そ。自分を顧みずに、一番大切なものに一生懸命になる姿。ぽつねん先生言ってたよ。アカシア・レトリックに飛び込んでいったくれないみたいだ、って」

「ああ、あったねそんなシーン」

 第十五巻「夢」のラスト。斜方空間からの唯一の脱出方法、神さま不在のアカシア・レトリックの暴走を食い止めるため、必死のレトリックに身を投げるくれない。特攻賛美だ、と叩く奴もいたかもしれないが、しかしここに至るまで何度もくれないは斜方空間でふさぎ込み、やまぶきが来るのを泣きながら待っていたのだ。最後の最後で決めた覚悟。人類を、この宇宙をなんてスケールの大きいことはどうでもよかった。追唱の6人が愛した小さな世界を守るため、そしてアカシア・レトリックを動かす自分を見つけてほしいため。最高の引き、くれないベストシーン。

「わたしが似ているか……?」

「そう思うけど。むちゃくちゃ向こう見ずなところとか」

 手際よく野菜を刻む音と、ハーブの香りがふわりと広がった。次第に目が覚める実感がある。

「今夜、どうするの?」

「どうするって?」

「生放送。見るんでんでしょ?」

そりゃあ……。見るけれど。


 一時期はいろんなアニメの生放送ネット特番を見ていたが、最近ではそういうのをめっきりと見なくなった。最後に見たのは青ブタだったかな。

 晩ご飯で二人きりのハロウィンパーティをして、その流れでライトノベルとは全然関係ない世知辛い社会人の愚痴大会を行っていた。まわりは転職ばかりするけれど、自分の境遇を考えたらそのリスクを取りにいけないとぶーたれる早霧谷。わたしよりも全然お金もらっているくせに、何が不満なのか。

「むしろ、ちぃがそんなに文句ばっかり言いながらも続いているのがびっくりね」

「まあ、……好きな仕事だし」

「それよ、それ。それが羨ましい」

「嫌いなことをして仕事が続くとは思えないからね」

 しかも、わたしが転職をしたところで年収が1000万円くらい上がるとも思えない。そもそも学歴のスタートラインが京都と新潟じゃ全然違うしな。

「あ、そろそろ」

 時計は20時55分を過ぎていた。49インチのテレビをつけると、パソコンからHDMIケーブルで出力した生放送の映像が全画面に広がる。

「ムジカレ」「6年半ぶりだな」「四期くるか?」「何を映像化するって」

 そんな、未だに元気なファンたちのコメントが流れていく。ここまで見に来るファンはもう十年来の人ばかりで、全然アンチのコメントは無かった。声優さんもアイドル売りの人はほとんどいないのか、全然幼稚なコメントもない。

「老人会だね」

「そうね」

 21時。まあ、この時間になって初めて画面に「しばらくお待ち下さい」が写るのがお約束なんだけれどね。おっ、映った。

 画面右側には見覚えのあるどこかの局のアニメ系パーソナリティ。左側には3人、ラフな格好の男女と背広姿の男……、藤澤さんだ。

『みなさんこんばんは。ムジカ・レトリック最新情報、生放送でお送りします』

 この感じ、久しぶりだな。アナウンサーが順に、やまぶき役の白野武尊、くれない役の三笠晴子、FE文庫担当編集の藤澤さんを紹介していく。

『こんばんは。FE文庫の藤澤です。ムジカレについてどんどん宣伝して行こうと思いますので、どうぞよろしくお願いします』

『そして、ギリギリ間に合いましたかね、もうひとり、ゲストが来ました。サプライズです。コメント欄に拍手、お願いしますね。ムジカ・レトリックシリーズの原作者、辺見ユウ先生です。どうぞー!』

「お姉ちゃん!」

「おお、きたー!」

 出ることは知っていたわたしたち。でも、画面越しに見知った人間が映るとなんとも言えない高揚感を覚えるよね。

『こ、こんばんは。辺見ユウです。今日はよろしくお願いします』

 シックなワンピース姿の辺見ユウは、やや硬い表情でアナウンサーの隣に座る。コメントは一気に8で埋まった。ウザい、と早霧谷がコメントをオフにする。

『さ、さて、どうすればいいでしょう。辺見ユウ先生が来ましたよ、俺聞いてないんだけど!』

 アナウンサーが困った声をあげた。

『お久しぶりです、三笠さん、白野さん』

『こんばんは』

『こんばんは、先生』

『おお、やまぶきとくれないだぁ!』

 辺見ユウはただのオタクみたいな感想をつぶやいた。

『気を取り直して、今夜の生放送、重大発表がありますよ! 最後までお楽しみください』

 ここで一旦CMに入る。数年前に地上波TVで流されたムジカレ本編のCMが2つ。なんだか懐かしい気分になった。

『さ、みなさん。1つ目の重大発表です』

 しきりに、アナウンサーが手元のカンペを見る。今の時間に書きなぐったのだろうか。コピー用紙から透けて赤ペンの文字が見えた。

『では……、ムジカ・レトリックシリーズ累計1300万部突破、全集刊行けってーい!』

 えっ、といった表情で辺見ユウがアナウンサーの方を見る。そして、藤澤さんの方を見た。

『そうなんですか?』

『えっ、先生知らないんですか?』

『初めて聞きました』

 スタジオのあちこちからくすくすと笑い声が聞こえてきた。ちょっと杜撰ではないだろうか。

『いっせんさんびゃくまんぶ、という発行部数もですし、全集も。まるで私聞いてないんですけど』

『出るんですよ、先生』

『藤澤さん、どうして教えてくれなかったんですか』

『教えようとした期間、あなたカンヅメで誰にも会ってくれなかったじゃないですか!』

『そうだっけ』

 全集版についての仕様を淡々と説明するアナウンサー、そして藤澤さん。書店別のSSをすべて別冊「ムジカ・レトリックの籤』として付属するほか、豪華な専用ケース入、全冊ともに箔押しフルカラー布張りらしい。さらに、ぽつねん先生の初期ラフや制作秘話といった全部入りボックス。なんてものを出しやがる。28500円という価格、安い、安いぞ。

「それよりさあ、さっさと断筆宣言を解くって言えばいいのにね」

「ね」

 ところどころで、主演声優2人との思い出トークを挟んだり、聖者の行進についての興奮冷めやらぬトークが繰り広げられた。わたしと早霧谷はお酒を飲んでいたからどうにか耐えられたけれど、わたしとぽつねん先生が並んでコスしている写真が、それがまたよく撮れている写真で、余計に恥ずかしい。

 ただ、ミスリル経典テロについては誰も触れようとはしなかった。

 およそ一時間、FE文庫がKADOKAWA傘下に入ることや、それで懐かしの「そのライトノベルがすげぇ2010」ハルヒ&くれないダブルピンナップの画像といった老人会ならぬ同窓会トークが繰り広げられた。わたしはいちいちぶっ刺さるのでうんうん頷いていたが、この8月にはじめてムジカレを読んだばかりの早霧谷にはちんぷんかんぷん。そりゃそうだろ。2017年に公式がYoutubeに公開したアニメの全レトリック詠唱動画1時間21分なんてマニアックすぎる。そして、CMがいちいち懐かしい。もう、これを映画館で爆音上映とかやってほしい生放送だよ!

 と。放送本編に戻ると、スタジオの電気が消えて真っ暗だ。放送事故?

 いや、電気がついた。テーブルは動かされ、中央が周りより少し明るい。辺見ユウが上手側から、ぎこちない姿勢で歩いてくる。

「ご視聴のみなさん、こんばんは。辺見ユウです。担当編集の方、AONO動画アニメ製作スタッフのかた、みなさまに許可をいただきました。今ここで、少し話をさせてください」

 BGMは無い。テロップも入らない。作品の宣伝番組だとしたら大失態、放送事故だ。

『一月半前、とても悲しい事件がありました。私の、私たちの仲間が何人も、戻らぬ人になってしまいました。それを許すことは、一生できません。殺してやりたいと思っていないかといえば、嘘になります。そして、ムジカ・レトリックは危険を呼び込む温床ととらえられ、禁書と指定されました。禁書になったから、というニュースを見て、私は仕方がない、と思いました。これ以上犠牲が出ないのであれば、それでやむなしとも思いました。でも、その後禁書は解かれた。それは、デモ行進をしてくれたたくさんの人たちのおかげです。改めてお礼をいいます。ありがとうございました』

 深々と頭を下げる辺見ユウ。十秒以上も下げていた頭を元に戻すと、再び話し出す。

『もう、筆を折ろうと思いました。感謝があって、申し訳無さがあって、新刊予告はしたけれど、全然モチベーションもわきませんでした。聖者の行進があってもなくても、断筆宣言はしようと決めていましたし。新作を書けない作家は、断筆、引退と代わりありません。

 ですが、心変わりしました。今ここに、断筆宣言を撤回し、短編集「ムジカ・レトリックの守」の発売も撤回します』

『ええっ、ちょっと辺見先生どういうこふがもg』

 藤澤さんが一瞬画面に見切れて、誰かに引っ張られていった。

『ムジカ・レトリックシリーズは6年半前に、ムジカ・レトリックの織できれいに終わりました。自分でも、これ以上を書くのは蛇足だと思っています。

 なので。

 新シリーズを始めることにしました』

『辺見せんせい何言って!!!!!』

 画面外から藤澤さんの悲鳴が上がる。

『ムジカ・レトリックシリーズの15年後、次の世代による冒険小説です。ミラージュ・レトリックの守、というタイトルで、本当はムジカレの最新刊が出る予定の12月25日に、FE文庫から出ます』

『へ、辺見先生』

 アナウンサーがおそるおそる聞いた。

『なんですか?』

『できてるんですか?』

『いいえ、一文字も書いていません。ただ、すべての文章が思い浮かんでいます。だいたい10日くらいで書きますから、よろしくお願いします。ミラージュ・レトリックの守、です』

 スタジオの空気が重たくなってきたような気がする。生放送だ。言ったもの勝ちの世界である。

『イラストは出来てるんですか藤澤さん』

 アナウンサーは更に不安になったのか、ヤバめなことを言い出した辺見ユウをすっとばして担当編集に助けを乞うた。

『今日いきなり言われた作品のイラストなんてできてるわけないじゃないですか! ぽつねん先生だって忙しいのに!』

『ああ、それは頼んできました』

『……はい?』

『さっき電話で、ミラージュ・レトリックの守のあらすじをぽつねん先生に伝えたんです。そしたら、何枚かラフを描いて、生放送後には私まで送ってくれるようですよ』

 いや、作者じゃなくて担当編集者におくれよとわたしさえ突っ込んだ。

「有紀子さんフリーダムだな」

「知ってたでしょ」

『だいたい、ミラージュ・レトリックって』

『今から書きます。10日で出します。藤澤さんがつまらないと思ったら、そのままムジカ・レトリックの守を出版してください。そこが締め切りデッドラインでしたよね』

『ああ、……もうっ、わかりましたよ! じゃあ書いてください。今すぐ帰って書いてください。10日で書けるかも疑問だけど、さあ! もう、先生のせいで放送もめちゃくちゃですよ!』

『はいはい……。というわけで、よろしく』

 辺見ユウは軽く担当編集をいなすと、マイクをテーブルに置いて出ていこうとした。

『待ってください!』

『三笠さん?』

 呼んだのは、三笠晴子だった。顔だけで辺見ユウが振り返る。

『楽しみにしています! くれないを演じれて、ずっとそれが誇りでした』

『僕もです。やまぶきの役はずっと大切で、断筆宣言を撤回してくれて嬉しかったです』

 続いて白野武尊も想いを伝える。これ、本当に台本が無いのか、と思えてきた自分があさましいなと思った。

『いえいえ、こちらこそ』

 じゃあ、といって、辺見ユウが画面から消えていく。見送る主演声優二人の背中が寂しそうにこちらを向いていた。

『一旦コマーシャルです!』

 食い気味にアナウンサーがCMを挟んだ。

「うわァ……、ちぃすごいよツイッター」

「え? うわ、トレンドじゃん」


 日本のトレンド ミラージュ・レトリックの守 95621件

 エンターテインメント・トレンド ムジカ・レトリックの園 237401件


 ミスリル経典テロに先んじて、芙育出版が自主回収をしたときから、ケタが一つおおい話題性だ。聖者の行進時は、80万以上のツイートがされたらしいが、その様子はわたしは知らない。

「なんだかんだ、みんなムジカレが好きなんだな」

「あんたが頑張ったおかげでしょ」

 わたしが?

「ファンの鑑だよ。私が保証する」

「ありがとね」

「こちらこそ」


 いろいろなことがあったけれど、わたしの愛している作品は今後も元気に続いていけるようだ。辺見ユウの決意を見れたことだし、クリークビールをさっきから何杯も重ねて結構な酔いが回っている。辺見ユウからの重大発表も終わったし、番組もなんだかんだで二時間近く経っていた。なにより雲隠れしていた作家自身が無事だということもわかって大きな収穫となっただろう。ミスリル経典テロについても、ようやく本音を吐き出せたなぁ、と早霧谷が言う通りだ。

 あー、懐かしいな、織のコマーシャル、わざわざアニメ映像を新規で作っているんだよなあ、手が込んでいたよなあ、ムジカレ。

『えー、まもなくエンディングです』

 辺見ユウが予定になく登場し予定にないことを言いまくった生放送、舵取りができなくなってアナウンサーが可愛そうだった。ようやく解放される、といった安堵の表情を見せる。

『ですが、ここでもう一つご覧の皆さんに最新情報があります。三笠さん、白野さん、よろしくおねがいします』

 カメラが、二人を抜きのアングルを取った。もう一つの情報?

『みなさん、今日は最後までお付き合いいただきましてありがとうございます、白野武尊です』

『三笠晴子です。辺見先生の新作にはびっくりしましたが、もうひとつびっくりすることがあるんです。それは、せーの』

『『ムジカ・レトリックの鍵、劇場版アニメ化決定!』』

 …………。

 …………えっ。

「「ええええええええええええええええええ!?!!?!?!??」」

 わたしと早霧谷は同時に大きな声を上げていた。嘘だろ。

『あの、映像不可能と言われた作品、ムジカ・レトリックの鍵、2021年冬、劇場公開決定となりました。できんの?』

『俺に聞かないでよ』

 その後の放送内容は何一つ頭に入ってこなかった。


 登場人物がくれないとやまぶきのたった二人、全編にわたりオール二人称小説の「ムジカ・レトリックの鍵」が、アニメ完結から6年半が過ぎて映像化するだなんて、

「ありえない!」

 拳を振り上げて、そのまま後ろにこてんと仰向けに倒れる。

「でも」

 テレビ一期、劇場版、テレビ二期。すべてのムジカレのアニメはクオリティが段違いだ。その年に公開される他のアニメ全部と比較しても、全クールともに五本の指に入るのだとか。そのクオリティで、鍵が作られるとしたら。

「楽しみだなあ」

 来年の冬までは一年ちょっと。つまり、今から一年間ムジカレを楽しむことができる。しかも、間に合えばミラージュ・レトリックだって出版されるし、全体プロットがあるなら続刊もするのだろう。

「楽しみだなあ!」

 わたしの青春が詰まった作品。わたしが身体を張った作品。命をかけても惜しくない作品。何よりも推薦できる、最高のラノベだ。


 ムジカ・レトリックの園。そしてミラージュ・レトリックの守は、2020年代もあいも変わらず大人気である。

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