第3話

「だ……だずげで、ガレグジス。わた、わだっ…、ワダジのガオガ、ワダジノウヅグジイガオガァッ……!!」


 愛した女性が、ざらりとした耳障りな声で救いの言葉を叫んだ。

『熱い』『痛い』と、床にのたうち顔をかきむしる様は、何処か醜く無様に見えた。

 ボコりと不自然な皮膚の隆起は、最初は小さな物から始まり次第に大きく、絶え間なく全身に続き、その色は段々と気色の悪い色合いへと変化していく。


 その変化を止める手だても、その現象の行き着く先も見えないまま、数分とも一瞬とも取れない時間、ただ見守ることしか出来なかった。


 白く滑らかな肌は紫色のゴワゴワとした見た目で、所々に蛇の鱗の様な肌が見えている。細く柔らかな腕や足、まろみのある体は筋肉質で、アレクシスの胸の中にすっぽりと収まっていた身体は、最早俺よりも頭一つ分突き抜けて大きくなった。


 形の良い柔らかな唇は、馬の口ように突き出して、これではまるで怪物だ。

 口を開けば、中には黒みを帯た紫の肉厚な舌がデロリと垂れ落ち、湿り気を帯びた艶を放つ。

 アーモンドの形をした愛らしい緑色の瞳は、一際大きくなりギョロリと動いた。眼球が血走ってあちらこちらに視線が彷徨う様は、不気味としか言いようがない。


 これがリーシア。

 呪いをかけられ、醜くて割り果てたリーシアの今の姿だった。







「一体、同言うつもりで婚約破棄など…。あまつさえその元婚約者が、青い血を宿すとは……」

 玉座から響く重厚な声は、呆れたような諦めたような声音を溢す。国王らしく豪奢な衣装と白い毛皮を羽織るのは、眉間に深いシワを蓄えたアレクシスの父、リューディシス国王。

 玉座の造りは絢爛な意匠で、黄金で出来た獅子や鷹の像が背凭れに飾られ、金剛石や紅玉等の宝石がその身を支える脚に惜しみ無く飾り付けられていた。


「これは、呪いだ。永遠に解けぬ、赦されぬ罪の証。それを解くには、青き血の主が言うように、化物に変わり果てたリーシア嬢を愛するしかない。アレクシス解っているだろうが、何より重要なのは次代の血を残す事だ」

 リューディシス王が示す愛とは、男が女を愛する行為そのもの。肌と肌を重ね、深部まで愛でる行為。柔らかくも脆い部分が、深く熱く繋がる閨の営み。


「愛する!?そ…それは、まさか!!?私が愛したのは、愛らしい姿のリーシアです。あの様な姿の化物は……」

 リーシアは、目の前で姿を変えた。たとえ化物の姿になっても、アレは間違いなくリーシア。

 あの姿の彼女を愛することが出来れば、呪いはきっと簡単に解けるだろう。

 リューディシス王が言うそれは、アレクシスとて理解はしている。それが、リーシアの呪いを解く、早道の方法。そう、頭では理解していても、心が身体がそれを受け付けるかはまた別の問題だ。


「だが、アレが相手でないとそちは次代を成せぬのだろう?王家直系の血は、アレクシスそちしかおらんのだから、どんな者が相手であろうと王家の義務は果たしてくれなくてはな」


 そう。王位継承権のある直系男児はアレクシス一人しかいない。この国は一夫一妻制をとっている。その為、王の妃はアレクシスの母ただ一人なのだ。


「それに、これが政略故のものだとしても、相手の容姿がどうであろうと、それは変わらんだろう?」

 国内の統制を図るために政略結婚として結ばれたロザリアとの婚約。

 ロザリアとの婚約を破棄したが故に呪われ、リーシアとの間にしか子が成せないとなれば、それはアレクシスの意に無いロザリアから、化物姿のリーシアに変わっただけで本質は変わらない。


 アレクシスの目の前は真っ暗だった。父王と王妃との結婚も、停戦を条件とした政略上の結婚で、そこに愛はない。互いに相手を忌々しく思い、心通わせることの無い冷えた関係。

 その様子をずっと見てきた。間近で、ずっとずっと。

 それが嫌で嫌で堪らず、自ら心を寄せ愛したリーシアを妃にと、望んだのに……。



 結果は、悲惨なものになってしまった。


「い…嫌です。何故あんな変わり果てた化物と私が……」

「だが、お前の真実の愛の相手なのだろう?」

「ち、違う!!違わないけど、違う!私の愛したのは、化物の姿のリーシアじゃない……。私が愛したのは……愛したのは……」


 顔面蒼白で、ブルブルと震えるアレクシスは、おぞましい怪物のリーシアに近寄ることを拒んだ。


「……もういい。アレクシスを地下牢に。あの者と同じ牢に入れろ。結果が出るまで出すことは赦さん。連れていけ」

 痺れを切らした王が、諭そうとこの場を設けたわけだが、その真意は伝わらず、進展の無い応答に王が匙を投げたとも言う。





「どう思う?アレクシスは、呪いを解けると思うか?」

 王は、玉座の隣。王妃の座に座る王妃に、顔を向けるでもなく問いける。

「さぁ、どうでしょうか。私も陛下も、『愛』なんて不確かなものの為に結婚した訳では、御座いませんでしたから……」

 二人の間に愛はない。

 停戦協定の交換条件として、互いの王家の姫を人質にと差し出しただけだったから。

 それでも、妃の義務として王子を一人産み落とした。

 アレクシスが次代として使い物にならないのなら、自尊心も嫌悪も長年の蟠りも捨てて、打開策を講じるくらいには、為政者としての矜持は持ち合わせていた。

「妃よ。近々離宮そちらに渡っても良いか?」

 突然、この王が何を言い出したのかと妃はチラと視線を向ける。

「何を仰っているのです?」

「アレクシスが駄目なら、早急に次代を造らねばならんだろう。それとも、王妃の座を降りるか?」

 王妃の座を降りる。それは即ち離婚だが、この年で王と離婚して祖国に帰ったとしても、自分の政治的な価値は既に失われている。これがもう十年前で有るなら、ギリギリ他所へ嫁ぐことも可能だったろう。けれど、今の年齢の女が姫として帰国したところで、祖国のお荷物になるのは目に見えている。

「まさか、降りませんわ。降りるわけ、無いでしょう?」

「なら、そちが一肌脱ぐしかあるまい?私の妃はそちしかおらんのだから」

 王妃は、王の口の端が僅かに上がるのを確かに見た。それは、意地悪げな、拒否できないことを知っているからこその行動で。

「…………っ」

「……まだ、次を作れるだけの体力は持ち合わせておるよな?」


 国王リューディシス四十歳。妃シュライン三十四歳。

 出産を臨むには些か遅いが、決して不可能ではないギリギリの年だった。


「はあ。……まぁ、そうですわね。殊ここに至っては、早々に予備を作らなかった私達の落ち度でも有りますものね」


 何処か遠い目をして王妃は嘆息した。

 一人目のアレクシスの悪阻。それがあまりにも酷く、二人目を作るのを嫌煙したのは王妃自身だ。本来なら、「あと二人は」と王からも臣下からも求められていたのに、頑なにそれを拒んできた。


 王子がアレクシスただ一人だったのは、終戦後、国を建て直すのに忙しく、極端に交流が薄いせいで国王夫妻が、不仲ととられたこともあったが、それ以上に王妃が悪阻の苦しみを二度と味わいたくないと思ったのが、実のところ大きかった。


「今夜から、そちらちらに渡ろうかと思うが、都合はつくか?」

「……また、急ですわね(近々って、もっと後でしょうに!!)」

 チラリと様子を伺うように尋ねる王に、随分と急展開をかけるものだと王妃は半眼を伏せて睨んだ。

「我々も良い年だ。時間が無いと言うか、こう言うのは出来るだけ早い方が良いだろう?」

 何となく、リューディシスの視線が熱いのは何故か。

「…………それは、否定できませんわね」


 そう、結婚して早二十三年経つ二人だが、公式行事以外殆ど顔を合わせないせいで、実のところ未だに互いをあまり良くは知らないままだ。探り探りのやり取りで、出来るだけ速やかに二人目を作る必要が出来た為、可笑しな事になりだした。

 政略上、嫌々結婚した者同士。一人子を成して義務は終わったと思ったのに、その子供に問題が生じた為、また逢瀬を重ねるのかと思うと、少々気が重いと言うか今更な気もしたが、何故かこれを期に少しばかり心を通わせるのはまた別の機会で。





「ヴッヴ……ヴッヴッ……ヴゥー……」

 紫色の体色をした、巨体の化物。それが床に座り込み、自分の顔を両の手で覆い泣き啜る姿は、弱々しさよりもおぞましさを感じさせるもの。

 何ら、元のリーシアを思わせる要因は感じないが、それでもその見た目通り暴れたり、物を壊したりと言う暴挙は今のところ無かった。心優しい彼女のまま、自身の姿のあまりの変わり様を嘆いてはいたが、こちらの言うことも理解し大人しくしていてくれた。



「アレが相手でないと、そちには子が成せんのだろう?ならば、王族の務めだ。アレと夫婦の契りを交わし、さっさと呪いを解いて子を成せ」


 父王リューディシスの言葉と共に、リーシアのいる地下の貴賓牢に入れられたアレクシス。


 暗く湿った城の地下には、一つの怪物が鎖に繋がれている。


『ヴァァァー、ヴァァァー』


 身の丈は二メートルに達し、肌の色は紫色。腕や足の一部には蛇な様な鱗が有り、体毛はゴワゴワとした焦げ茶色。瞳の色はあ赤茶色で、頑丈な鉄格子で囲われた牢には、囚人に似つかわしくない豪奢なベットが置かれている。


『ヴババアアアァァーーー!!』


「リ、リーシア……お、落ち着いて……」


 先の尖った黒い爪の生える両手で顔を覆う姿は、まさしく年頃の女性めいているが、見た目はどう見ても怪物である。


 あの騒ぎの後、この怪物と成り果てたリーシア嬢をどうするべきか議論になった。

 一番良いのは呪いを解く事だが、『高貴なる青い血』の所有者が放った呪いは、決して解くことの出来ない種であった。

 だから、ロザリアの言った通り、この呪いを解くにはアレクシスが、この怪物となったリーシアを愛する事が手っ取り早いと、二人してこの牢に押し込められたと言う訳だ。


「リーシア……落ち着いてくれ、頼むから……」

 アレクシスは、焦っていた。


『真実の愛をもってしてリーシア嬢の呪いを解き、次代に王家の血を繋げよ』


 牢に入れられる前、玉座に引き立てられたアレクシスは、父王にそう命じられた。


 あの馬の様な口と口付けを交わし、黒みを帯びた肉厚の舌と己の舌を絡める。筋肉質でゴワゴワザラザラとした紫の肌と、肌を重ね熱を交わし合う。

 ふくよかな丸みも、滑らかな肌触りも失われた醜い化物。それを心から愛し、そして体を繋げる。そうしなくては、この呪いは解けることは無い。


 そう、それこそ永遠に。生まれ変わっても、何度でもリーシアと出会い、同じ年頃になればリーシアは、化物へと変貌を遂げる。

 けれどアレクシスはそんなリーシアが、相手でないと次代を残す事は叶わない。


 頭では理解している。

 この馬の口とキスをして、筋肉質な化物と男女の睦言をすれば良い。


 けれど、けれどだ。

 俺が愛したのは、こんな化物じゃない!!




 美しいリーシア。



 心優しいリーシア。



 誰よりも何よりも、俺の心に居る、美しい女性であって、こんな化物じゃない。


『ヴモモモモ……』


 鋭く尖った瞳をウルウルと潤ませ、化物は期待の眼差しをアレクシスに向けた。


 む、無理だ!!そんな、期待を込めた眼差しを向けられても……。


 意を決して出した息子もヘニャリと頭を下に向け、元気にはならない。

 当然だった。誰が化物相手に性欲など滾らせられるのか……。

「くっ、来るな!!……いや、えっと……だから……。や、やっぱり、俺達の身分は違いすぎたんだ。リーシア、君の姿も変わったままだし……」

『ガレグジス……?』


 リーシアは、アレクシスが何を言おうとしているのか理解できなかった。

「君だけを愛してる」そう、言ってくれたのに。!?


「だから、もう無理だ。今のリーシアじゃ、ヤろえなんて気も起きないよ。リーシアだって、わかるだろう?」

『ガレグジス、ダズゲテ…ダズゲテ、ガレグジス……!!』

「……はっ、化物を助ける?元がリーシアだったとしても、化物を俺に抱けって?冗談じゃない!!おい、ここから俺を出せ!俺は第一王子、この国の次の王だぞ!!」

 ガシャンガシャンとアレクシスが、鉄格子を打ち鳴らす。


 その後ろ姿に、リーシアは呆然とした。


 どうして、アレクシス?あんなに愛してくれたじゃない。

 愛してるって言ってくれたのに、今更どうしてそんなことを言うの!?

 例え姿が変わっても、私は私なのに。私を助けてくれるんでしょ?愛してるって言って。抱き締めて、口付けを頂戴。

 そして、元の姿に戻ったら……そうしたらまた一緒に、何処へでも行けるのに……。


『ガレグジス、ドウジデ?ドウジデ、アイジデグレナイノ!?』


「無理だよ、そんな化物の姿じゃ。例えリーシアだとしても、愛せるわけ無いだろ!?気持ち悪い!!……おい、看守!!そこにいるなら早く来い!俺を過去から出すんだ。今すぐに!!」


 酷い!私はアレクシスを愛してたのに。この姿だって、アレクシスと愛し合ってしまったから、呪われてなっただけなのに。

 自分だけ、この牢から出るつもりなの!?私を捨てるつもりなの!?


 アレクシスの態度に激昂したリーシアの腕を繋いでいた鎖が千切れた。


『ガレグジス!ガレグジス!!ガレグジス!!アアアアァァァァーーーッ!!!』


 リーシアだった化物が、不気味に叫びながら、アレクシスの体を抱き締めた。強く、強く、思いの丈をぶつけるように、自分の中の愛を、裏切られた悲しみを、罵られた悲しみを、怒りを全てアレクシスの細身にぶつけたのだ。



 ミシミシミシミシ……。


 リーシアに抱き締められたアレクシスから、ミシミシと耳障りな音が小さく鳴った。


「やめろっ……離せ、リーシア!!」


 嫌よ!私を置いていくんでしょ!?そんなことさせないんだから。絶対に、私もアレクシスとここを出るの!!だから解って、アレクシス。私には貴方が必要なんだから!!


 夢中になって抱き締めた。リーシアのアレクシスに向ける愛の強さを、憎しみの怒りの深さを解って貰おうと、全てを込めて抱き締めたのだ。


「やっ……めろっ!リ……シア……ー」


 だから、気付かなかった。途中でアレクシスの身体から、ボキッ、バキッと折れ、白目を剥いて気絶したのも、更に締め付けた事で、肋骨が肺に刺さり絶命していたのも。


『ガレ、グジス……?』


 気付いた頃には遅かった。リーシアは、王族殺しの罪で、化物姿のまま槍で突かれて死んでしまった。


 『ウゾよ、ウゾよ、ウゾよ!!』


 地下牢には、槍で突かれて絶命する瞬間まで、けたたましい怪物の悲鳴が響いていた。







『あ~あ。逃げちゃったわね』

(そして、死んだわね。二人とも……)


 結局、愛は見つからなかった。

 ロザリアが納得の出来る愛の結末は、ここには無かった。

 ローゼリアが求める、物語の結末でも無かった。


『もう少し、愛を探してみる?』

(そうね。結局、愛がどんなものか解らなかったし……。アレクシス様の『真実の愛』は、試練を乗り越えるほど強いものでもなかった。それなら、愛とはどんなものなの?)


 ローゼリアも、ロザリアも向けられることの無かった、愛。


 二人の短い人生の中で、ただの一度も得られなかった、向けられることの無かった感情。





「『愛とは、どんなものかしら?』」


















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青き血の呪い姫~愛とはどんなものかしら?~ モカコ ナイト @moka777

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