有線で出来ること、無線で出来ること

宇部 松清

最後は必ず私が勝つ

 世の中は、便利になった。


 なんて、高校生の俺が言うことじゃないのはわかってる。俺はもうさんざん便利になった時代に産まれ、この便利さの中で生きている。だから、俺達にとって、『便利』は『当たり前』だ。『便利』は、当たり前のように世界に溢れている。


 俺の父さんと母さんは自分達のことを『オタク』という。二人の部屋の壁にはぎっしりと漫画や、アニメのDVDボックスが並んでいて、決して多くはないものの、何とかっていうロボット(「『ロボット』じゃない! 『モビルスーツ』だ!」と怒られたけど)のプラモなんかもディスプレイされてたりして。


 だけど、言うほどオタクか? と、俺は思っている。

 だって、晃広あきひろン家の父ちゃんも何とかっつう野球の漫画を全巻持ってるって言ってたし、裕二の母ちゃんも今期のアニメをチェックしてるって言ってたし、義弘ン家なんて、自分達が見るために有料のアニメチャンネルに登録してるって言ってたし。


「昔の大人はね、こんな風に、漫画とかアニメなんて見なかったのよ」


 母ちゃんはそう言った。


「昔の大人っていうのはな、野球とか、ニュースとか、ドラマとか、ワイドショーを見て、新聞や週刊誌を読む生き物だったんだ」


 父ちゃんはそう言った。


 皆が皆、というわけじゃないんだろうけど、と付け加えて、二人は笑った。ほんとかよ、と晃広と裕二と義弘の親にも聞いてもらったけど、似たような答えが返ってきたらしい。時代は変わったのだ。


 そんな環境にいたからか、俺は、いわゆる『ひと昔前』の男女の恋愛が描かれた漫画やアニメを好むようになった。だってそういうのが家にたくさんあるのだ。新しい漫画を買う金がない時は、両親の部屋に忍び込んで、こっそり借りていくのである。


 1990年代、なんていう、社会の教科書とか、お菓子のパッケージでしかお目にかからないような時代というのは、もう本当に信じられない話だが、スマホやタブレットが存在しない。その代わりにすげぇ小さいポケベルとかいう機械があったり、それより時代が進むと、家のコードレスホンみたいな電話が登場したりして、それで連絡を取り合っていたらしい。


 もっと前の時代は、それすらもなくて、待ち合わせに遅刻しそうになってもそれを伝える方法がなかったり、「今度の日曜にどっか行こうぜ」なんてお誘いも、わざわざ家の電話にかけなくちゃいけなかったらしい。えっ、そんなん、向こうの親とか出たらどうすんだよ。そりゃ晃広の父ちゃんとかなら全然良いけどさ。


 不便過ぎんだろ、昔の人達。


 そう思いつつも、そのもどかしさが何か良かったりする。それを全部体験したいとはさすがに思わないけど、こうやって見る分にはちょっとドキドキして、それも良いかな、なんて。


 だけど、これはちょっとやってみたい、というのはある。


 自転車の二人乗りと、有線イヤホンを二人で片方ずつ使うやつである。


 俺達の同年代が主役の、恋愛が絡んだ青春アニメや漫画では、必ずといって良いほどによくあるシチュエーションなのだ。


 真っ青な空の下、汗だくになりながら坂道を立ち漕ぎで上る男子高生の後ろに、ちょこんと座る女子高生。彼女は、何か涼しい顔をして横座りをしているのだ。長い髪が風に吹かれ、乱れているのを押さえていたりして。

 平坦な道の場合は、彼女が控えめに彼の腰に手を回していたりもして、見ているこっちの脇腹がちょっとくすぐったくなるほど。だけど、それが良い。


 しかし、残念なことに、自転車の二人乗りは禁止されている。これはもうガチで駄目なやつなので、そんなリスクを冒してまでしたいわけではない。しかも、一度自転車の荷台に横座りしてみたのだが、めちゃくちゃ痛かった。とてもじゃないが、あんな涼しい顔をしていられない。それとも何? 女子ってその辺の痛みに強いの? それとも実はあの下にクッションとか敷いてんの? あっ、そうか、昔は二人乗りがOKだったわけだから、クッションが標準装備だったんだな。


 というわけで、二人乗りは断念せざるをえない。これは仕方がない。


 ならば、とあきらめきれないのが有線イヤホンである。

 カップルでも、まだ付き合う前でも良いけど、とにかく、良い雰囲気の二人が、ひとつのプレーヤーに接続した有線イヤホンを、それぞれ片耳ずつ使うのだ。有線イヤホンは基本的に一人で使うためのものだから(有線に限らずだけど)、線はそう長くはない。だから、おのずと二人の距離は近くなる。肩なんか、もう当然のように触れちゃうのだ。


 増す、親密度。


 もう増すしかないのである。この距離では。むしろ増さない方がどうかしてる。


 カップル未満でも、限りなくカップルに近づいてしまう。音楽だけじゃなく、お互いの鼓動までも聞こえてしまいそうなくらい。


 というわけで、俺は、決意した。

 今日こそ、幼馴染の亜由美と、ただの幼馴染という関係から、『カップル未満』、いや、あわよくば『カップル』へランクアップさせるのだ。これを『ラブラブ有線イヤホン大作戦』と名付けた。ネーミングセンスが壊滅的なのは気にしないでほしい。


 亜由美とは、幼稚園からの付き合いだ。

 俺の方では、かなり早い段階で恋心を抱いていたのだが、あいつの方はたぶん、全然なのだ。ていうか、俺のこと、男だと思ってないんじゃないのかな、って最近じゃあちょっと悲しくなっている。俺の前でも平気でげっぷやおならをするし、家が近いからってアポなしで来て、ノックもなしに部屋に上がり込んでくるし。静かになったと思ったら、俺のベッドでいびきかいてるとか、マジかよ。でも、そんな亜由美が好きなんだから、仕方がない。


 だけど、例えば、この『ラブラブ有線イヤホン大作戦』を実行することによって、だ。いつもとは違う、なんかこう……良い感じの? 雰囲気っつーの? そういうのがあれば、だ。亜由美だって俺のこと、ちょっとは意識してくれるかもしれないじゃないか。ていうか、意識なんて小さいことは言わん! 俺にドキドキしやがれ、亜由美!!


 というわけで、用意した。

 有線イヤホンである。


 すげぇ、みっじけぇなぁ、おい。このYの形の線の先にあるイヤホンを、これから俺達は並んで耳に差すのだ。いやもう、どう頑張ってもこれは肩が触れる。触れちゃう。臭いとか言われないように、制汗スプレーもしたし、制服に布用消臭剤も振りかけた。完璧。香りが混ざって逆に悪臭、なんてことにならないように、制汗スプレーはシトラスフレッシュ、消臭剤はフレッシュシトラスで揃えた。フレッシュの位置がそれぞれ逆なのが少々気になるが、とにかくシトラスがフレッシュでフレッシュなシトラスなやつなのだ。さすがに喧嘩はしないはず。



琥太郎こたろう、あたしに用って何?」


 くっくっく、のこのこと現れたな亜由美よ。これから俺にドキドキするとも知らずに。


「いや、ちょっとどうしても亜由美に聞かせたいやつがあってさ」

「聞かせたいやつ? 何?」


 亜由美は疑う様子もない。

 というか、別に疑われるようなこともしてないが。


 人気のない教室である。

 いつもはここに誰かしらが残っているのだが、もうほんと頼むから、と拝み倒して帰ってもらったのである。

 

 亜由美はごく自然に、自分の席の椅子を引き、ちょこんと座った。あー、そこ座っちゃったかぁ。俺の予定では、並んで聞くわけだから、机の方に軽く腰掛ける感じだったんだけど。


 まぁ、それは後ででも良いか、と、俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、それに有線イヤホンを差した。頼むぜ、有線! 俺の恋、応援してくれよな!


「わぁ、何それ。変なの!」


 亜由美はどうやら有線イヤホンの存在を知らなかったらしい。いや、まったく知らないことはないだろうけど、実物を見るのは初めて、ってやつなのだろう。俺らの周りじゃ無線が当たり前だから。


「昔のイヤホンだよ」


 ちょっと得意気にそう言う。

 有線イヤホン自体は別にいまも売っているから『昔の』という表現は間違っているのだが、何を隠そう、これは俺の母ちゃんのイヤホンなのだ。大丈夫、ちゃんと除菌ウェットティッシュ(アルコール99%)で拭いてきた。


「へぇ~、すごい。昔のって線があるんだ~。それで? 何聞かせてくれんの?」


 良いぞ良いぞ、亜由美のテンションが上がって来た。しめしめ。

 曲はちょっと元気が出る感じのやつだ。歌詞が良くて気に入っている。といっても、これも俺の父ちゃん母ちゃん世代のやつだけど。


 スマホの音楽アプリを起動させ、イヤホンを片方だけ渡す。よし、ここからだ。『ラブラブ有線イヤホン大作戦』、スタート!


「はい、こっち」

「へ?」

「へ、じゃなくて」

「いや、それ、片耳だけじゃん。両耳分ちょうだいよ」

「いや、それじゃ俺が聞けないじゃん」

「え? だってあたしに聞かせたいんだよね? 琥太郎聞く必要ある?」


 確かに――――――――!!!


「な……ない、けど」

「でしょ? はい、ちょーだいっ」

「お、おう」


 ああ、渡したさ、両耳分な。

 負けだ。

 俺の負けだよ。

 何が『ラブラブ有線イヤホン大作戦』だ。


 そっか、漫画やアニメだと、最初に俺が聞いてて、


『何聞いてるの?』

『何でも良いじゃん』

『えー、気になるー。私にも聞かせてよー』

『ったく、しゃあねぇな。ほらよ』


 みたいな流れで片方だけ貸してたじゃないか。


 こんなかしこまった状態で、


「じゃ、この有線イヤホン片方ずつ使って音楽聞こうぜ」


 ってのはよく考えたらおかしいのである。

 ましてや、聞かせたい曲がある、なんて言ってしまったら、そりゃあこうなるよな。


 がっくりと肩を落としていると、何やら亜由美がニヤニヤと笑いながら俺を見ているのに気が付いた。


「……何だよ」

「べっつに? 何か見てて面白かっただけ」

「ああそうかよ」

「ねぇ、本当にこれ、あたしに聞かせたかったやつ?」


 と、亜由美が不思議そうに首を傾げた。

 あれ? 再生させるやつ間違えたかな? とスマホを見たが、『トラック5』としか表示されていない。あれ、5だったっけ? それとも6だったか? 確か、昔の怪獣映画のインストも入れたからなぁ、もしかしたらそっちを流してしまったかもしれない。やばい、失敗したかも。いや、亜由美なら昔の怪獣映画でもアリっちゃーアリだけど、ってそうじゃない! ムードのかけらもねぇじゃん!


「ちょ、ちょっと貸して!」

 

 そう言うと、亜由美は右につけていたイヤホンを俺に差し出してきた。慌ててそれを自分の右耳に差す。流れてきたのは、やはり、昨日録音したあの曲。


「何だよ、ビビらせんなよ。これで合ってるって」


 ホッとしながら顔をあげると、そこにはいつもより近い亜由美の顔。亜由美の左耳と俺の右耳が細く短い線で繋がれている。あ、あれ? ちょ、これ。


「……琥太郎、顔真っ赤じゃん」

「う、うるさいな。ていうかな、亜由美だって赤くなってるからな」

「このヘタレ。下手くそなんだよ、誘い方が」

「な。何だよ。バレてたのかよ」

「バレバレだよ、琥太郎へったくそだから」

「ちくしょぉ、マジかよ」

「それで? どうすんの?」

「どうすんのって何が」

「こんなに顔が近いんだよ? なんてひとつなんじゃない?」

「えっ? ひ、ひと、ひとちゅ、って?」


 すげぇ――!

 有線イヤホンってマジすげぇ――!!


 ここからまさかのキス展開――――!!

 ありがとう有線イヤホン、俺、今日から神棚に祀るわ!


 こんなことなら臭いケアを口の方にもしとくんだった。ごめん亜由美、今日の弁当唐揚げだったんだ。一応レモンも添えられてたけど、あれも食えば良かった。胃の中にもフレッシュなシトラス送り込んでおくんだったよ。


 よっしゃ、やってやんぜ、と瞳を閉じかけた、その時。


「だーるまさん、だーるまさん、にーらめっこしーましょ」

「……は?」

「わーらうーと負ーけよ、あっぷっぷ!」

「ぷ、ぷぅ?!」


 やめろ。

 こんな0距離で全力の変顔とか、マジで。

 ただでさえお前の変顔は強烈なのに。0距離はまずいって。


「ぷっ!? ぐふっ! んふふふふふふふふ!」

「ぃよっしゃあ、あたしの勝ちぃ! いえい!」


 と、亜由美が拳を高々と振り上げて立ち上がる。その勢いで、イヤホンが彼女の左耳から外れた。

 

「ま、負けた……」


 しょんぼりと肩を落とす俺の右耳には相変わらず曲が流れている。


 ああ、途中まで良い感じの雰囲気だったはずなのにと思いながら、スマホに触れる。『停止』をタップしようとすると「ちょい待ち」と止められた。


「もっかいしよ」

「やだね、もうやんないからな。あのな、亜由美の変顔って――」

「違うわ、馬鹿。ほら、片っぽ貸して」

「え?」

「したかったんでしょ、片方ずつ聞くの」

「うん、まぁ……」

「でも、あたしは無線のが好きだな、やっぱ」


 そう言いながら、亜由美は俺の隣に並んで机に腰掛け、再びイヤホンを右耳に差した。ぶらぶらと足をばたつかせている。


「マジか」

「機動力に欠けるからさ」

「機動力? 何の――」


 と、隣にいた亜由美が、よっ、と言って机から降りて俺の前に立ち、さっとおでこに唇をつけてきた。やはりイヤホンは、すぽん、と彼女の耳から外れてしまっている。


「ほら、やっぱすぐ外れちゃう」


 不満げにそう言って、それを再び右耳に押し込む。


「ちょ? え? え? えぇ?」

「えーえーうるさいなぁ、これくらい五歳の時にもしたじゃん」

「た、確かに!」

「あーもー何かお腹空いちゃった。さっきにらめっこで勝ったから、肉まん琥太郎の奢りね」

「ええ」

「返事は『はい』、一択!」

「は、はい!」

「よろしい」


 そんなやりとりをしながら、俺達は並んで歩き出した。イヤホンを片方ずつ差したまま。そ、そうか、でこチューなんて五歳の時にもしたもんな。何だよ、ドキドキしたの俺だけかぁ。


 流れてきたのは、ムードのかけらもない怪獣映画のインスト。

 だけど、やはりこっちの方が亜由美は好きなんだろう。ほら、その証拠に何か知らんけど、手を繋いできた。てのひらが汗で濡れている。そうかそうか、手に汗握るほどこの曲が好きか。わかる。俺もさ――……、

 

 そう言うと、亜由美はなぜか怒って、


「いい加減にしろ、このヘタレ。何でわかんないんだよ」


 と俺の脇腹に重いパンチを入れてきた。何でだよ。

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