能動的スケープゴートの計画

古川

丘の上にて


 人間でありながら神への道を進む私は、今日も患者の両耳に音波を撃ち込んでいる。

 それはさながら銃の発砲のようで、時々自分のしていることが治療ではなく殺人であるかのように思えてくる。人を生かしも殺しもするのが神だというのなら、私は今まさに正しく神へと向かっている。


 本日三人目の患者は痩せ細った男だった。土のような顔色で目はうつろ。ひどく疲弊しており、ほとんど生気など感じられない状態だった。激しい頭痛に苦しみ、何人もの医者をあたったが原因特定に至らず、心身共に限界に達する中、人づてに聞いた情報をなんとか拾い集め、ようやくここへ辿り着いたのだという。

 私はそれを、問診票に書かれた弱々しい筆圧の文字から知るが、それ以上の質問を投げかけることはしない。私の聴覚はヘッドホンからの爆音により外界から遮断されているので、そもそも会話自体が不可能なのである。

 喋るかわりに患者の頭部に異音波探知機を当て、異音波のレベルと波形、発生源の位置を特定する。センサが探知した数値はそれほど高いレベルではなかったが、他者への空気振動感染を十分に引き起こし得るものだった。


 私は患者へ説明する。頭の中に振動源が根付いていることが全ての原因である。振動源は、人の可知覚域外に存在する異常な音波を常時発生させており、それが脳内を揺さぶるために頭痛を引き起こしている。

 対処法は、ひとつだけ。先程の異音波探知機のセンサが受け取った波形に対し、逆方位波をぶつけて相殺の形に持っていくこと。波と波の打ち消し合いによって動的な現象が終息し、異音波が振動源ごと消滅するのである。

 私は聴覚を遮断してはいるが、それ以外はただの医者である。よって患者は、ヘッドホンを装着した状態の医者から説明を受けることになるのだが、とにかく頭痛から解放されたい一心の患者はこの段階において不信や猜疑を投げかけたりはしない。したがって私は、スムーズに処置の段階へと移行する。


 立ち上がり、異音波投射機を掲げる。拳銃に似たその道具を目にするとどの患者も驚くのだが、身を任せるより他ない患者は実に従順である。私がそれぞれの銃口を両耳にあてがうと、まるで呼吸までも止まったかのように静止する。そこへ撃ち込まれる異音波の衝撃に患者は一瞬だけ意識を失うが、次の瞬間には新しく生まれ直したかのような顔で目覚める。そして明度や彩度が格段に増したであろう視界の中心で私を捉え、輝ける意識の元で感謝の念を述べる。それはまさに、崇拝する対象に向ける目である。医者になって以来、何度も見てきた目である。

 神とは、そのように容易く構築され得るものなのか。その理論が通用するのなら、神が人を作ったのではなく、人が神を作ることになるのではないか。それが私の中で恐ろしく不可解な命題となったのは、もう随分と前のことだ。


 本日四人目の診察を始める前に、ヘッドホンの側面を触って音量を上げる。

 聴覚を激しく打つその音楽の名前を私は知らない。そもそも音楽と呼べるものではないのかもしれない。打楽器の音だ。

 とにかく振動だけを求めた結果偶然見つけ出した音源であり、どんな形状の物を打ち鳴らすことによって発生している音なのかすら不明である。調和と不協、清と濁を行き来する、激しい音の連なりだ。

 それはおそらく、神へ捧げるための音である。どこかの部族による、彼らの神への祈祷の音であると推測する。

 力強く何かを打ち鳴らす彼らは、神を信じるがゆえにそうしているのだろうか。否、そうすること自体が、彼らの頭上に神を形作っているのだろう。

 おそらく信仰とは、思想よりむしろ、行為の側により強く発生するものなのだ。私が行為によって患者を救い、彼らが私に神を見るように。


 取り留めもなく思考しながら、机上の端末画面に地図を表示する。受診患者の個人情報の中から、先程処置を行った患者の住所を確認し、地図上にマークする。空気振動感染者の居住地の記録である。それから、感染の速度と広がりを可視化したデータを確認。予想通りの方角へ向け、予想以上のスピードで広がってきている。

 計画が進行していることに安堵しながら、ヘッドホンを両耳へとしっかり装着し直す。打ち鳴らされる神への音の中、四人目の患者へと入室の許可を出した。




 一日を終え、軽い食事を済ませた後、外へ出る。あたりは夜である。

 ここは小高い丘の上であり、眼下に広がる町を一望できる。かつては整備された展望台だったらしいが、今では心許ないフェンスがあるのみだ。私はそのそばにある小さな休憩所らしき建物の内部に手を加え、そこを現在の仕事場としている。

 およそ医者がいるとは思えない外観であるがゆえ、未だに認知度は低い。しかし、私の処置を必要としている患者は、様々な回り道の後、彼ら自身の力で辿り着くのである。


 そこにある、一本の鉄柱の根元に立つ。その上部には、四方を向いた四つのスピーカーがついている。かつてはこの町へ音声放送を降らせていたか、あるいは景色を眺めに訪れる人々にささやかな音楽を提供していたか。人口自体が減少しているこの町で、今では冴えないモニュメントと化している。

 その足元に取り付けた箱を開ける。私によって細工を施されたそこは軽々と開く。電源を入れ、増幅器の出力を最大値まで上げる。同時にヘッドホンの音量を上げ、打ち鳴らされる爆音で内耳を満たす。これにより、外部振動の脳内への侵入回路を封鎖する。

 それから異音波投射機を操作し、波形の設定を行う。そして箱の中心部に開いた穴へと銃口を押し沈め、撃つ。

 振動は鉄柱を一瞬にして駆け登り、頭頂部にあるスピーカーの拡張部分から放射される。一瞬の衝撃の後、有り余る余韻のために、鉄柱は揺れ続ける。それが収まる頃、投射機を引き抜く。そのようにして今日もまた、私は自作の異音波を町へと降らせるのである。


 それは町の人々の内耳へと侵入し、振動源へと発展して頭の中で定着する。そこから生まれる異音波は感染者の頭蓋骨内部を揺さぶり続けると共に、耳の穴から絶えず漏出を続ける。それは空気を媒介として他者の内耳へと拡散され、新たな振動源を作る。そうして音もなく着々と、空気振動感染は広がっていく。

 やがてはこの町を越え、そのまた隣の町を越え、ますます広がっていくことだろう。人々は強烈な頭痛から逃れるため、縋り付くように私の元を訪れ、静かに投射機に撃たれ、救われ、再び生まれ直し、私を崇めることになる。

 そうして私は、地上の神となる。苦しみに堕ちる人々を、私が救うのだ。信仰が行為により形作られるように、神もまた行為により発生する。


 ヘッドホンを外し、黒い空に向かって、私は言う。

 さぁ神よ、私を裁いてみせてくれ。人間でありながら神になろうとする愚行を犯す私を、お前のその指先ひとつで、地獄へと叩き落としてみせろ。お前が人間に信仰されるに値する存在なのか、私は私の行為によって問うているのだ。

 答えろ。そして証明せよ。お前が真に神ならば――。



 解放された聴覚に、夜はひたすら無音であった。私がこの町を選んだのは、この静寂ゆえである。騒々しく揺れ動く空気の中では、異音波は弾かれ、その波形を乱す。死をも感じさせる静けさの中で、計画は遂行されていく。


 私はヘッドホンを装着し直し、操作して音楽を変更する。一日の終わりに相応しい、全てを救済するかのような音楽が流れ出す。それに許されたような気がして、ふと小さな解答を得てしまう。

 神に向かって叫んでいる私は、何かを強く打ち鳴らし、頭上に神を描くどこかの部族と同じことをしているのかもしれない。その意味ですでに私は、信仰の只中にいるということになる。そうなのだろうか。


 静かに侵されていく町は今、夜の底に沈んでいる。

 神からの返答はまだない。


〈了〉

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