第11話
それは波紋が広がるように。
かつてない不安が生まれ、溢れていく。
「弱虫はすぐに治らないものだね、栄真くん」
嘆かわしい、とばかりに溜め息を吐く
「これがなにか、わかるかい?」
奴の手の中には、コルクで栓をした小さなフラスコ。
そのフラスコのなかには、斑な肌色の長細い綿のようなものが液体に浸されている。
あれは……。
「そう、人間の脳髄さ」
たった二十センチにも満たない脳髄も、男が嗤う度に揺れ動いた。
「それっぽっち、どうする気だ?」
しかし
「それっぽっち? 我々にはこれで充分さ!」
「これをどう使うか……そちらのお嬢さんの方が知ってるかもしれないね」とさらに嗤いを拡げる男は、ショコラを眺めている。
「あなたたちは本当にゲスね」
「褒めてくれて嬉しいよ」
「エーシン」とショコラは栄真を呼び、手を握った。
そのまま窓際まで疾駆するとガラスを突き破って、身体は空中へ放り出される。
ショコラの膂力で隣のアパートメントの屋根に着陸し、
「時間がないわ」
そう呟いて、彼女は胸元のリボンをむしり取り、ヒラヒラしたフリルたっぷりのブラウスを引き裂くように脱いだ。
「な……っ、なにしてんだっ!?」
機械といえど、人間そっくりの名がつく通りに麗しい少女の外見。
一般的な青少年の栄真はドギマギする。しかしショコラは平然と長い髪をかきあげて、栄真に露わになった白い背中を向けた。
「肩甲骨のあいだ、手のひらで触れて。すぐに契約シークエンスが始まる」
「契約……って、俺はもう墓守じゃ……」
「っ早く!!」
促されるまま、栄真は彼女に言われた場所に右の手のひらを当てる。
するとショコラの吸いつくように滑らかな肌が、栄真の手の大きさと同じくらいに四角く凹んだ。同時に太い鋼線の束————コードが四本出てきて栄真の腕に絡みつき、先端の針型ドックが肘の裏に突き刺さる。
「ッ……!!」
鋭い痛みが襲いかかった。しかし痛がっている時間的余裕はない。
【接触確認 ショコラトル 001 契約シークエンス ニ 移行シマス】
と栄真の耳に直接、やや角張った女声でアナウンスが流れる。同時に緑色のフィルタがかかったようなノイズ混じりの視界の隅に、
【全シークエンス完了マデ 180 sec.】
というドット文字の羅列と、完了までの残り時間を意味する棒グラフが表示される。棒グラフがゆっくり一ドットずつ、左から右へ変動している。
「栄真クン見ィつけた」
という不気味にくぐもった声とともに、いつの間にかトゲトゲした凶悪なフォルムの斧型ドルチェで武装している
【視神経
【演算機能 初期化 起動シマスカ?→Y/N】
の表示とともに、ノイズのかかっていた視界は一瞬でクリアーになり、
周りの音がくぐもっているのは、いままさにコンピュータが栄真の体に張り巡らされた神経系の扉をノックして回っているからだと気づいた。
目だけ演算機能が働いているのは、おそらくショコラが気を利かせて優先的に操作してくれたからだろう。これで敵の次手を読むくらいはできるはずだ。
「このお人形さんは、彼女の代わりかい? よく似ているね……気持ち悪いくらいに」
斧を構えながら、
【敵機情報:パルフェ 014 OS バージョン 12.4.1 ユーザ名 leathercraft08】
【モードアックス起動中 接近注意】
と起動した演算機能が教えてくれるものの、栄真が持っているもので役に立ちそうなものは、いつものサバイバルナイフくらいだろう。だが————
ポケットのなかに手を入れて、ナイフを握りしめる。
————こんなちっぽけな得物で、コレが対応できるかよ……っ!!
いつも大事に持っていた自分が、こんなもので人を殺せると思っていた浅はかな自分が、馬鹿みたいだ。
「っ……おいっ、なんか盾になるもの……っ!」
コードで繋がっているショコラに助けを求めるが、彼女は簡潔に即答した。
「ない! できる範囲で避けて!!」
そんな馬鹿な、君は俺を助けに来てくれたんじゃないのか!? と叫ぼうと思ったが目の前には斧を振るう怪人。
演算機能のリードに従って体をひねり、どうにか斧は栄真の指を掠めるに留まる。薄皮を削られるだけで、ヒリヒリとした痛みが生まれた。
「コードだけは傷つけられないようにねっ!!」
コードをやられたら起動シークエンスも停止して、戦うどころじゃないから————という説明は省かれている。
「んな無茶な……っ!」
いまショコラと栄真はコードで繋がれて、身動きが取りづらい状況下にある。コードと彼女を守りつつ、自分の身も案じるというのは、相当な無理だ。
演算機能のリードは左側に四十三度後退、と示している。バックステップで対応するが、軸足がぶれてふらついた。足元は、屋根にぎりぎり載っている。
なるべく見ないようにしていたが、ここは三階建ての屋根の上。戦闘で欠けた屋根瓦が、一枚、二枚と路地に落ちる音が響いた。もしここから落ちたら、ただでは済まない。この場所が二重に栄真を苦しめた。
「こちとら……だいぶブランクあるっつうの……っ!」
と弾んだ息で脂汗をパーカーの袖でぬぐって毒づいていると、後ろからショコラがやや呆れた声をあげる。
「ブランクっていうか単純に運動不足じゃない? 息が上がってるし。ほら、次が来るわ!」
演算機能の言う通りに、屋根瓦の位置を注視して右側に跳んだ。
これ以上はジリ貧である。早いところまともな武器になるものを見つけて対応するか、逃げ道を作らなくては……屋根から落ちて重傷か、目の前の怪人に殺される。
————落ち着け……落ち着け、落ち着け。
深呼吸を数回繰り返す。
これでもそれなりの場数を踏んでいるのだから、絶対とはいわないが大丈夫。そう言い聞かせる。
【聴覚神経
【展開中ノ 演算機能ト リンクシマス】
『ワタシの声、聴こえる?』
先ほどまでとは違い、ショコラのすずやかな声が頭に直接響いてきた。
「……ノイズがある」
『アイツがジャミングしてるみたい。戦闘にはさほど支障ないと思うけど?』
「了解」
す、と栄真は背筋を伸ばして前を見据えた。荒かった息はもう、静寂の域に落ちている。胸の上下も、今はなんともない。緊張で白黒していた視界も、いまは落ち着いている。
斧が左から切り払おうとする。しゃがんで回避、すかさず潜り込んで
しかし
追撃に、右脚で払うような蹴りをお見舞い。————当たった。栄真の速さがわずかに上回ったのだろう。
ここで初めて吹き飛ばされた
いまの栄真はショコラとコードで制限されているのだから、自ら距離を詰める賭けには出られない。
————上等じゃん。
栄真は、ひとりでにほくそ笑んだ。
「……後悔させてやんよ」
栄真の横顔を見て、ショコラは不思議に感じる。
————……なんか、雰囲気が変わった? いや、これは……冴えてきたと表現すべき?
【右脚
【全シークエンス完了マデ 141 sec.】
栄真は足首を捻って、軽い準備運動を繰り返した。
いまのいままでコンピュータに精査されていた右脚の感覚が軽くなったのを感じる。ずっと付けていたウエイトを外したみたいだ。
栄真はそのまま真っ直ぐに疾駆、武器を構える
【左脚
精査が終わってクリアーな左脚で、
その威力といったら、まるで鋼鉄のような重みのある蹴りだ。
ショコラは栄真の変化の理由に気づいた。
————……違う。これが彼の、本来の姿……!?
栄真の位置はほとんど動いていない。踊らされているのは、白の
【右腕
左脚を軸に右脚で蹴りあげ、すかさず右腕で顎に食らわす。男の白い
「……!?」
「まったく……酷いことをしてくれたね、栄真クン」
男の顔には、
目も鼻も眉も耳もない。あるのはポッカリと開いた口のような穴と、耳の穴。それだけだった。
「栄真クン、ワタシがこうなった経緯は、いつかお話しよう。いまは————」
そう言って
【全シークエンス完了マデ 75 sec.】
ショコラ×ショコラ 雨霧パレット @palletz_amagiri
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