P's Diary

大地 鷲

Bridge of Seven Colors

「……あれ?」

 目を覚めたとき、僕は見たことのない場所にいた。何だか、ふわふわしてて、気持ちよくって、それだけでも幸せだなぁって感じる。

 そういえば、僕って誰だっけ?

 ……えーと、名前はP。オスの猫さ。札幌って街のがらくたや廃墟がたくさんあるところに住んでいる。でも、野良猫じゃないよ。僕は親父さんに飼われていて、MAXって喫茶店の看板猫なのさ。でも、どうしてこんなところに居るんだろう?

 頭の中にぼんやりと浮かんでくる場面。それと共に急に耳の奥に広がった大きな大きな音。

 ――バン!

 急に全身の毛という毛が逆立ちになる。

 ……こ、これは大嫌いな鉄砲の音じゃないか! 

 急にはっきりしてきた頭の中。そうだ、そうだよ! 僕はリコちゃんを鉄砲から守るために飛び出したんだ! そして――

「……あれ?」

 思わず声が出た。おなかの辺りをまさぐってみても、痛いところがなかった。それに、赤いものも出ていない。……おかしいなぁ。確かに僕はここに鉄砲の弾が当たった筈なのに。

 僕はそのふわふわした場所でごろごろ転がりながら、首を傾げたり、おなかを触ってみたりしていた。

「おや、Pちゃんじゃないか!」

 聴いたことのある声に、僕は振り返る。逆さまに映った顔?

「……あれ?」

「なーに遊んでるんだい! そんなでんぐり返ししたままだったら、アタシの麗しい顔もひしゃげて見えちまうよ」

「あ、そうか!」

 ころんともう一度転がって、ちょこんと座った僕の前には、にっこりと笑う知った顔があった。

 メラニーばあさん。

 親父さんのお店、喫茶MAXからちょっと離れた角にある雑貨屋さん。そこに飼われていた猫だ。メイクイーンって種類の猫だったような気がする。

 痛っ!

 ばあさんの前脚が鋭く僕の頭をこつんと叩いた。

「メインクーンだよ! メイクイーンならお芋じゃないか!」

 ……どうして僕の考えてることが分かっちゃうんだろ? それにしても、そのメラニーばあさんがどうして僕の前に居るんだろ? 確か、このところは病気が悪くなって、家にずーっと引っ込んだままだって、親父さんと奥さんが話していたのを聞いたことがあるような気がする。

 そんなことを考えて、うんうん唸っていたら、逆にばあさんが僕に質問してきた。

「Pちゃん、アンタはどうしてこんなところに居るんだい? アタシみたいに、病気に齢で死んじまったんなら、ここに居ても分からんでもないけど、アンタはまだ若いじゃないか? 間違って事故ったのかい?」

「……え?」

 流石にびっくりした。

 ……僕が死んじゃったって? そんなバカな! だって、この通り……そう言えば、おなかが痛くないのはどうしてなんだろう? 血が出ていないのどうしてなんだろう? あの時、撃たれたときは死ぬかと思うほど痛かったのに。

「ねぇ、メラニーばあさん、僕って死んじゃったの?」

 自信なく、恐る恐るばあさんに訊いてみると、ばあさんは大きな溜息を吐くばかりだった。

「アンタねぇ……そんなのも分からなくて、ここいらをうろうろしてんのかい。ここは『橋のたもと』だよ。つまりは、あそこに見える七色の橋を渡るための準備をするところさ。あの橋を渡ることが出来れば、晴れてアタシらは天国に行けるのさ」

 ……そっか。僕は死んじゃったのか。

 まだやりたいことはたくさんあったんだけどなぁ。でも、仕方がないのかなぁ。

 僕も一つ溜息を吐いた。

「ま、コレも何かの縁だ。アタシと一緒に橋を渡るかい?」

 笑いながら、僕を見ていたメラニーばあさんが急に真顔になった。

「でも、Pちゃん……。アンタ、運命に導かれてここに来たんじゃないんだね?」

「運命かどうかなんて分からないけど、僕はリコちゃんを助けるために、リコちゃんの代わりに鉄砲に当たっちゃったんだよ」

 ちょっと困った僕に、メラニーばあさんも顔を曇らせた。

「……そうかい、そのリコちゃんって子の代わりに弾に当たっちまったのかい。だったら、アタシと一緒に行くって訳にはいかないねぇ。……ほれ、アンタの尻尾を見てごらん。細ーい糸が繋がってるだろ?」

 ホントだ。よく見ると、僕の尻尾には糸がついていて、それはかすんで見えるずっと向こう側まで続いていた。

「この糸、なぁに?」

「それはアンタとあっちの世界を繋ぐ糸さ。その糸は、まだまだ生きることが出来たのに、間違ってこっちに迷い込んだ輩に結ばれるって言われているんだよ。それにしてもきらきら輝く立派な糸だねぇ。……Pちゃん、これだけ糸が立派ってことは、アンタを深く思ってくれる人がいるってことだよ」

 びっくりする僕に、メラニーばあさんは微笑んだ。

「ほら、聞こえないかい? アンタを呼ぶ声だよ。みーんなアンタを待ってるんだよ。……アタシかい? アタシゃもういいのさ。アタシのご主人様だって、ちゃあんと分かってくれている。これ以上あっちに居ると、アタシもご主人様もお互いに磨り減っちまうだけなのさ。……そりゃ、寂しいさ。もう二度と、ご主人様に遊んでもらうことも、ごはんをいただく事も、撫でてもらうことも出来なくなっちまうんだからね。いつまでもいつまでも、ずっと一緒に居たかったよ。……だけどね、身体以上に心が辛くなってきたのさ。アタシが一番辛いのは、病気で身体が痛かったりすることじゃない。そんなアタシを見て、ご主人様がアタシのために心を痛めて泣くのが辛いんだよ」

 そう言って、メラニーばあさんは向こうに見える七色の橋を見た。

「だから、アタシゃあの橋を渡る」

 ピンと背中を伸ばして、ぐっと橋に向かって飛び掛る格好になったメラニーばあさん。

「あの橋を渡って、ご主人様を安心させてやるのさ。……それが、アタシにとってもご主人様にとっても一番いいことなんだ。それにね、あの橋を見事に渡りきることが出来れば、アタシはご主人様の心の中で、永遠に生き続けることが出来るんだよ」

 ぴしっとそう言い切ったばあさん。固い決意を浮かべた目、誇り高さを感じさせる鼻……身体全体に力がみなぎってるように見える。

 ……何だか、往年のばあさんを見ているような気になったよ。僕の記憶のほとんどにあるばあさんは、いっつも縁側で丸くなって寝ている姿なんだもの。

「でもPちゃん、アンタは戻るんだよ! アンタがあの橋を渡るにはまだ早い。大体、アンタは天寿を全うしてないじゃないか。アンタはその何とかって娘を守るために、その娘の代わりに鉄砲の弾に当たったんだろ? だったら、こっちには間違って来ちまったんだ。だから、アンタはあっちへ戻るんだよ」

 メラニーばあさんの前脚が橋とは逆の方向のかすんだ方を示した。

 そっちの方からかすかに僕を呼ぶ声が聞こえてくる。

 あ、そうか。

 僕は戻らなくちゃいけないところがあるんだ。

 ……僕を待っていてくれる、親父さん、奥さん、それにクロスとユメ。そして、リコちゃん。みんな僕の帰りを待っていてくれるはずだよ。

 僕はかすんだ方の奥に、かすかに見える闇に足を向けた。

「メラニーばあさん、ありがと。……僕、戻るよ!」

「ああ、それがいい。アタシだったらまたそのうちに会うことになるさ。……それじゃぁね、Pちゃん。気をつけてお戻り」

「うん、メラニーばあさんも張り切り過ぎて、橋から落ちないようにね。……またね!」

 メラニーばあさんはにっこり微笑んだ。その顔が凄く綺麗な若々しい顔つきに戻っていた。そして、一気にダッシュして飛び出すしなやかな姿!

 あっという間にメラニーばあさん……いや、メラニーさんは橋の入り口に着こうとしていた。

 さぁ、僕も!

 まとわりつくようなもやを振り切り、尻尾に繋がっている糸を逆にたどって、糸が続いている闇の中心へ向かって僕は走った。暗闇に見えた部分に飛び込もうとした瞬間、それが目映い光に変わっていく――


「――Pちゃん! Pちゃん! ……親父さん! Pちゃんが目を醒ましたぁ!」

 最初に聞こえたのはリコちゃんの声だった。


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