17-4

戦いが突然に、蹄の音を立ててやってきた。

剣戟の音は易々と屋敷を満たし、血の香りが悲鳴と怒号を連れて、カタリナの部屋へと、ひたりひたりと忍び寄る。


彼女の体はベッドの上で、緊張と恐怖でかたまり、自分でも気づかないうちに震えていた。

理不尽な暴力の気配。闇は彼女を安心させるどころか、過去を呼び覚まし、より一層の恐怖でカタリナの心をかき回していく。


彼女は両手で自身をかきだいた。

乱れる吐息。押さえようにも、吐き気はどんどんとこみ上げる。


どたどた、近づいてくる足音。カタリナの緊張が一気に高まる。

扉が開く。足音と気配が部屋を侵していく。


「ああ、お嬢様」


聞きなれた声に、緊張が解けるのをカタリナは感じた。

アレックスの声だ。彼女の両手がたまらず闇に伸ばされる。

誰かが受け止めてくれることを信じて。

ベスが愛娘の手を取り、しかと自分の胸に抱きしめる。


「襲撃です。すぐにここを出ます」


ベスの固い声。緊張が再びカタリナの体を固くする。


「安心して下さい、私たちがついてますから」


カタリナを車椅子へと移動させながら、アレックスが言う。

その声も、彼女の肩に乗せられた手も、はっきりとわかるほどに震えている。

誤魔化すようにアレックスは作り笑いを浮かべたが、カタリナには通じなかった。


震えが恐怖のせいであると、気づかないカタリナではない。

カタリナはその手の先を、アレックスがいるはずの闇を見上げた。

だが、彼女は何も言わなかった。


ただアレックスに向かって微笑み、うなずいた。

虚勢だとしても、言葉をかけてくるアレックスの好意を無下にするなど、カタリナができるはずもなかった。


「急いでください。猶予はありません」


少し離れたところから、女兵士の声がした。

促されるように、カタリナを載せた車椅子は軋みを上げ、部屋の外へと彼女を運び出す。


そして、ヴィオラに出くわした。


「無事ね」


その言葉が、その声が。カタリナの心に染み入る。

彼女の心に安堵の温もりと、さめざめとした罪悪感が広がっていく。


ああ、彼女は約束を忘れていなかったのだ。

なかったことにもできたはずなのに、またここへ戻ってきてくれた。

綺麗さっぱり忘れてしまっても良かったのに。

そうすれば、彼女がこんな危険な場所へ戻ることもなかったのに。


全ては自分と、ジムの残した手紙のせいで。

私のことなんか放っておいてくれ。

わざわざ死ににいくような真似を、しないでくれ。

あなただけでも、無事でいてくれ。


言い放ってしまおうか。

カタリナは悩んだ。だが、ついぞ言葉が出てくることはなかった。

それを言ってしまえば、ジムとヴィオラの覚悟を踏みにじってしまいそうな気がしたから。


いいや、それは単なる言い訳だ。

本当はほっとしているのだ。

自分に降りかかるはずの災難を、ヴィオラが肩代わりしてくれることに。

彼女の覚悟にすがりついて、惨めにも無事でいられることに。

だから、言い出せなかったのだ。


否定しようとすると、針でゆっくりと皮膚を貫くような、じわりとした痛みがカタリナの心に広がった。


兵士を無理やり説き伏せて、ヴィオラは残った。

男のうめき声。何かが倒れる重々しい音。剣戟の音。


ああ、ヴィオラが戦っている。


車椅子に押されるままに進むカタリナの耳に届く、戦いの音。

振り返ってみた闇の中に、ヴィオラの姿を思い浮かべた。


夜風を感じた。

明かりをつけるなと、女兵士の声がした。

敵に気づかれたくはない。静かに抜け出す必要があるのだと。


風に乗って血の匂いが漂っている。

ガタガタと車椅子が揺れた。

凹凸だらけの道を進み、傾斜を上る。

土と木の匂いが濃くなった。

森に入ったようだ。

車椅子で進めなくなると、カタリナはアレックスの背中に預けられた。


死を恐れて、彼女の体は暗がりを進み続ける。

あてもなく、どこに行くかもわからずに。

闇雲に、ただただ生きるために歩き続ける。

逃げてからどうするのか。どうなるのか。

それはこの場にいる誰にもわからなかった。


背後から一際大きな音が響いた。

皆が一同に立ち止まり、背後を見た。


「屋敷が、燃えています」


アレックスの絞り出したようなか細い声が聞こえた。

カタリナの手がアレックスの肩を掴む。

屋敷に残った兵士達の声が、ヴィオラの声が、カタリナの脳裏を駆け抜ける。


闇を照らし出す赤い灯火、燃え立つ火の粉、炎に包まれる屋敷。

カタリナの脳内で、霧がかった景色のように、ぼんやりと浮かび上がってくる。

絶望と悲嘆の空気が、重く周囲に漂っていく。


「ここで別れましょう。貴女たちは行ってください」


女兵士の声がした。手甲をつけた固い掌が、カタリナの肩に触れる。


「どうか、ご無事で」


それが最後に聞いた、彼女の言葉だった。離れて行く足音。

立ち止まっていたアレックスが、ベスに促され歩き出す。


緊張と恐怖、疲労によってアレックスの心臓の鼓動が、彼女の背中にピタリとくっついたカタリナの耳に届いた。


何もできない。何もさせてもらない。

無力な自分が、そんな状況になれつつある自分が卑しく、汚い人間のように思てならなかった。

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最強庭師の暗殺復帰 小宮山 写勒 @koko8181

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