第2話 エセ失恋とショートヘア

 そもそも私は一体何してきて何をしているのだろう。

 自分で振った相手に振った後に恋心を抱いて勝手に失恋した。自業自得そのものである。自分でも痛いくらいにわかっている。ではなぜここまで落ち込んでいるのか。知るはずがない。むしろ私が知りたいくらいだ。

 誰か教えて欲しい。普通の恋愛はどうしたらできるのか、教えて欲しい。いや、普通に人と関わる方法が知りたい。寂しさを拭い去る方法が知りたい。寂しい夜に泣く方法を知りたい。泣いて、そして泣いて、全てを洗い流したい。木下くんに告白された時泣けたのに泣きたくなるはずの今私は泣くことができない。

 一年前木下くんが言っていた一週間の貴重な二日間は、今では木下くんにとってはただの普通のバイトの日であり、私にとっては苦しいものになってしまった。木下くんは私に惚気る。私はそれを茶化しながら聞く。地獄以外の何者でもない。そのとき私は息苦しくなる。それでも、きっとまた私のことを……とか少し期待してしまう。その期待は幸せそうな木下くんの惚気で一気に壊されてしまう。

 たまに考えるのだ。もしあの花火の日に木下くんの告白に応じていたら幸せなのかと最近ずっと考える。けれどすぐに幸せになるはずがないと直感でわかるのだ。きっとすぐに木下くんを私は突き放す。そしてお互いに傷付いて終わる。容易い想像である。木下くんの優しさを無下にする。木下くんの愛情を裏切る。木下くんのキスに吐き気を催すのだろう。今の私が欲している全ては叶って仕舞えば全てがガラクタ以下のむしろ気持ち悪いものに変わってしまう。それが更に私の寂しさを助長する。

 寂しい夜は木下くんの優しさを妄想しようとするけれどできない。それもそのはず現実的にあり得ることが絶対にないのだから。そもそも今の木下くんに私への好意はない。加えて、もし私と木下くんが付き合っていたとしたらそんな甘い関係を築くことは私にはできない。むしろお互いにとって辛いだけだろう。寂しい夜を寝るために私の寝る時間は遅くなっている。疲れてキツくなって倒れるようにベットに横たわる。意識が一瞬で遠のくのがわかる。死ぬ時もきっとこのように一瞬で意識が遠のくのがわかるのだろうかとか思う。そんなくだらないことを考える暇もなく眠ることができる。すぐに眠れるように薬を使ってしまったら自分がマセガキのように思えてしまう。だからと言って身体に無理をかけることも随分とませていることはわかっている。最近の睡眠時間は三時間。午前四時に寝て午前七時に起きる。そして大学に向かう。日に日にやつれていくのだろうかとか思うが実際は健康体そのものだった。笑顔も作れなくなるのだろうかと思ったが木下くんの前でも恐ろしく簡単に笑顔が作れる。


 大学が始まった。授業は正直全く面白くない。第一志望にしていたところに無事入ることもできたが、興味は全く無い。友人と自信持って公言できる人もいない。いつも入り口とは反対側の一番後ろの窓側の席に座ってぼんやりと教授の話を聞く。休み時間も移動が無いため他の人がざわざわしている中でそこまで面白くもない小説を開く。文字だけ追いかけて読む。読書は好きだが、本当に読みたい本は一人で部屋で読む。こうしていると誰も話しかけてこない。幼い行為だとわかってはいる。それでもこうせざるを得ないのだ。

 それでも物好きは話しかけてくる。例えば最近だと坂木くんだ。正直彼についてはよくわからない。強いて言うならサークルが同じということくらいである。サークルで私は美術部に入っている。とは言ってもそこまで本気で打ち込んでいるわけでもない。大体私は何をやっても飛び抜けているわけでもない。平凡という言葉で全て片付けられる。私は水彩画を主にしている。水彩でただの風景や動物を描く。最近ではアライグマを描いていた。好きとかそういうことではなくなんとなく描こうと思って描いた。色を迷いながら重ねていくため大概迷いが絵に現れる。どこか足りないのだ。生気がない。生きたものをモデルにしても私が描いたものは剥製をモデルにしたようなものになってしまう。

 坂木くんが話しかけたきっかけはこの剥製のアライグマに色を載せているときだった。

「大原さん、だよね?同じ学部の坂木って言うんだけどわかるかな?」

「ごめんなさい。まだ知らないの。」

「そっかぁ。俺、坂木。このアライグマの下絵、めっちゃ本物感あって今にも飛び出しそうで、俺、感激して、大原さんに話したいって思ったんだよね。」

そう坂木くんは頭に手を乗せて笑って言った。

「でも私、色を重ねるとどうしても命消えちゃうの。剥製を描いているみたいになっちゃうの。」

「そうなんだ。でも剥製も十分に凄いと思うけどなぁ。」

そう答えてまた坂木くんは笑った。そして続けた。

「命あるものが正義というわけでもないし、生き物の美しさって生きている瞬間というよりも死ぬ瞬間にあると俺は思うんだ。メデューサが本当に存在するならきっと彼女しか美しい世界を作れないと思う。」

「そうかなぁ。」

そう適当に頷いて私は営業スマイルで笑った。実際に面白いとは思ったが、人からこう変わった考えを聞くと些か興醒めしてしまう。普段私自身このような調子で思考を巡らせることが多くあるが、どうしても人のこのような思考は興醒めものである上にいつもの自分に恥を覚える。

 後期初日の授業は午前中で終わった。専門はやはり学習内容が深まるにつれて退屈に思う。ただでさえ睡眠時間が少なくキツいのに退屈な授業があったら睡魔が勢力を増す。それでもノートに意味もない先生の話を書き留めて目を覚ます。最近の窓からの風は物悲しさを孕んでいる。時期が悪い。ショートヘアで露わになっている首もとにすぅーっと風が当たると何かが奪われていく感覚になる。元から何も持ってはいないのだが。授業が終わり教科書やノートをざっとバッグに詰め込んで誰よりも先に教室をでる。廊下はまだ静寂を保っている。私一人の足音が響く。ぼーっと歩いているとけたたましく走る足音が聞こえて目を顰めた。

「大原さん、ちょっといい?」

後ろからの声は坂木くんだった。

「どうしたの?」

「もし良かったら俺の絵のモデルになってくれない?」

坂木くんの声は息が少し荒かった。

「それ、走ってまで言いたいことだったの?」

「いや、だっていつもすぐにいなくなるじゃん。」

「でも正直私モデルには向かないよ?」

というよりそもそもモデルなんてなりたくない。何も持っていないがらんどうな自分が目の前に姿を現してしまいそうで嫌だった。

「モデルというより、大原さんの纏う雰囲気の絵を描きたい。そのためにまず大原さんを描きたい。」

「それ、私じゃないとできないの?」

私の雰囲気に魅せられるとか可哀想な人と思ってしまった。私には何もない。そんな私に魅せられるような所はあるのだろうか?あるはずがない。あるのは下らない単細胞なエゴくらいだろう。

 いつも私に関わる人はどこか心に闇を持っている人である。そして闇が晴れてしまったら私を忘れたかのように別の人のところに行ってしまう。そう考えたら坂木くんも何かしら私に関わる理由があるのだろうかなどと思った。きっと彼もその絵を描くとしたら描いてしまったら私の目の前から姿を消すだろう。寂しくないと言ったら嘘になる。それでも本能はそれを求めている。

 それでも少し興味が湧いた。今の傷心している私は人から見る私が見たかった。

「いいよ。」

私がそう言うと坂木くんは目を丸くさせてぽかんと口を開けて驚いた。

「まじでいいの?」

「別に断る理由も特にないし。」

「じゃあ暇なとき教えてくんない?」

「わかった。」

坂木くんは嬉しそうに笑って、じゃあ、と言って去っていった。絵を描き終えたらきっとこんなふうに坂木くんは私のもとから去っていくのかと思うと少し物悲しくはなったが、今の私は自業自得な失恋の虚しさがこんな感情すらも上書きしていく。


 サークルにはこの日は行かずに一人大学の近くのカフェに入った。季節限定のフラペチーノを頼む。そして入店する前に目星をつけていた店内の端の席に向かう。サツマイモの甘い香りがふわっと漂う。胃もたれしそうで絶対にしない。甘すぎるけれどその甘さが良いのだ。優しい味で口いっぱいが満たされる。鼻腔も甘さは通る。フラペチーノを右側に寄せてパソコンを取り出して机に置き起動させる。起動に少し時間があるのでスマホも取り出して弄る。ツイッターの趣味垢を開いてタイムラインを少しずつスクロールしていく。

「あれれぇ、もしかして鈴香ちゃんじゃない?」

突然の声に顔をあげたら、サークルの先輩の明日香さんがいた。

「明日香さん、どうしたんですか?」

「いや、五時からね約束があるんだけど、それまで暇だなって思ってここ来たら偶然にも後輩いるから話しかけちゃったの。もしかして作業中だったかな?」

「いや、私も暇潰しですよ。」

「じゃあご一緒してもいいかな?」

「ぜひぜひ。」

そう応えて私はパソコンをぶち切りして片付ける。

「鈴香ちゃんはどうしてここ来たの?」

「なんとなくです。」

「あはは。なんとなくかぁ。鈴香ちゃん、私と同じの飲んでるね。」

「なんか美味しそうだったんで。」

「だよねぇ。秋にこんな罪なフラペチーノあったら頼まざるをえないもん。」

そう言って先輩はストローをカタカタ回して生クリームを混ぜる。先輩の混ぜるフラペチーノは徐々に色合いがまろやかになっていく。私のフラペチーノの生クリームは気付いたら自然と溶けていた。

「そう言えば最近冷えてきたよね。風がたまに冷たいから最近髪結びたくないもん。」

「そうですよね。首筋にあたる風が最近ひんやりしてますよね。」

ストローで混ぜながらわかるぅっと先輩は言った。背中まである先輩の髪の毛は店内の橙のライトで柔らかく発色している。

「鈴香ちゃんは髪のばさないの?」

「そうですねぇ……悩んでます。」

そう言って私は笑った。そもそもショートヘアにしている動機は不純であり、人に言えるものではない。きっとこのことを先輩に言ったところでケラケラ笑って次の日には忘れているんだろう。それでも自分のことを深く言う必然性もなく適当に濁した。

「もしかして、長い失恋かな?」

「え?どういうことですか?」

普通にストレートに聞かれて驚き、声が少し大きくなった。今口の中にフラペチーノを含んでいなかったことが救いとなった。

「もしかして図星だったりするのかな?」

そう言って先輩はニヤニヤしている。

「違いますって。私、そもそも恋愛したことないですもん。」

「へぇ。華の女子大生なのに。」

そう言ってケラケラと先輩は笑う。

「私ね、高校時代に失恋したとき髪切ったのね。ベタな話じゃん?よく聞く話だから私もそうしてみようって思ったの。でもね、悲しみなんて消えなかった。そんなもんよね、案外。」

先輩はまたケラケラ笑う。

「先輩は今確か彼氏さんいませんでしたっけ?」

「いるよ。」

そう言って先輩は目を細めて微笑む。

「大学入ってあった人なの。これからどうなるかなんてわかんないけど、もしいつかこの恋が終わっても髪は切らないかなぁ。」

「そんなに髪切ったの嫌だったんですか?」

「そういうのじゃなくて、髪切ったらむしろ長く引きずっちゃうの。相手を思って切ったってことじゃん?やっぱ一番の薬は新しい男だよ。」

「どういうことですか?」

「恋愛なんて上書きするのが手っ取り早いよ。恋愛ほど厄介な感情はないからね。」

そう言ってニヤっと先輩は笑った。


 そのあと先輩と他愛のない話をしてわかれた。

「鈴香ちゃん、髪の毛一度伸ばしてみたら?世界変わるよ?」

「そうなんですか?」

「だって鈴香ちゃんショートヘア歴長いじゃん?」

「でも大学入学当時はセミロングはありましたよ?」

「大学折り返し地点近付いてる今、髪じゃなくてもいいからいろんなことすべきだよ。来年はきっと自由な時間なんて今よりも少ないんだから。」

そう言って先輩はケラケラいつも通り笑った。

 ここで急に髪を伸ばすなんてしたら木下くんへの想いが明らか過ぎてしまう気がする。自分の思い込みにすぎないかもしれないが。それでも自分の中で引きずってしまいそうである。でも私には何か新しい恋なんてできない。自分から好きになることなんてない。だから木下くんは私の初恋だった。クズな私の恋愛は初恋だった。小学校時代の私の想像していたほど甘いものでもなんでもなかった。ただ自分から逃すだけのものだった。

 私はスマホを取り出して髪型シミュレーションのアプリを入れた。そしてロングの髪を選んで自分に合わせてみた。すごく違和感しかなかった。この違和感はアプリの中途半端な合成のせいであろうか。

 まだ私には時間が必要だった。いや、必要だと思いたいだけかもしれない。



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失恋した。だから髪をのばす。 藍夏 @NatsuzoraLover

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