第4話 結
図らずも奈一が盾になり、美嘉は、サーチライトの光を浴びず、卒倒もしなかった。しかし、奈一の体重に速度を加えた重みが、美嘉の背中を覆うようにのしかかり、まさしく彼女の目の前には、畳に顔を激突し、鼻血を流しながら白目を剥き、口から泡を吐く奈一の横顔が現れ、その反吐が出る程の醜悪さと痛みで、失神していた。
「…あれでございますか?」
白兎が、仏壇の前で重なる奈一と美嘉を指さしたので、茅利も後ろを振り返り、奈一の下敷きになった美嘉を認識した。
「ああ、そうよ。……って、あら? やだ。遅かったかしら?」
と、白兎に、問いかけた。
白兎は、鼻をヒクヒクさせ、
「…尿とともに、栗の花の如き臭いはいたしますが、それは、あちらの5体が漏らしたようですな」
白兎は、茅利に向かって首を下げ、
「
と、畏まって頼んだ。
茅利は微笑んで頷き、美嘉に向けて手をかざした。美嘉の肉体を浮かべる為に、奈一の肉体も浮かび上がる。しかし、奈一の肉体は、彼を浮かばせる美嘉の肉体が除かれると、美嘉のパンテイーとステテコを握ったまま、その場に落下した。
Tシャツ姿の美嘉が、茅利の足元へ、ゆっくりと仰向けに降ろされた。
「ほうほう。これは…」
と、白兎の黒い目が赤く変わり、大きく見開かれた。それから、耳の向きが忙しなく変わる。それで、何が解るのか、やがて、目は真っ黒に戻り、耳も後ろに垂れ下がった。
「大丈夫なようですな。これならば、この20年で干上がった、沼の水嵩を補う事ぐらいはできましょう」
人間の目には見えないが、月の海や湖には、宮主を源泉とする溢れる程の水が湧き出ていた。その飛沫が地球に流れ、地球の全ての生命の源となっていたのだ。しかし、本主となった元宮主が子作りを失敗し、宮主が不在の21年の間に、沼などは完全に干上がって地割れを起こし、湖も底が見え、海でさえも海水が減って陸地を多く作っていた。茅利が月へ戻ったとしても、減り続けた水の量を、一朝一夕で、元の量に戻す事は不可能であった。
「…ですが、よろしいのでしょうかね? 人の子にその役目をさせるのは、我々には、暇潰しの…良い見世物ですが…」
白兎が続けようとした言葉を、茅利は、唇の前で人差し指をたてて制した。
美嘉が目覚めようとしていた。
「ん……」
瞼を
「茅利!」
と、危険な目に合っていた愛しい相手の名を呼んだ。彼女が最初に見た物は、5人の男がそれぞれに昏倒している姿と、点在する茅利が来ていた服であった。痕跡から目を反らすように、右肩に向けて首を回すと、茅利の着た銀色の紗の裳裾が目に入り、美嘉は、恐る恐るといった風に、顔を上げた。
「茅…利?」
「美嘉様」
茅利は、美嘉に手を差し伸べた。美嘉は、その手を取って、立ち上がったが、茅利の、日本神話の中の尊い女神が着ている様な服を着ている姿を見て、その絵姿よりも、更に神々しい茅利に、言葉も無かった。
茅利が白兎に向けて左手を出すと、白兎は、袍の合わせ目から取り出した、幾つかに折り畳んだ
「美嘉様。私は、月へ行かねばなりません」
「えっ?」
突然の展開に、美嘉の頭は、全く、追いつかなかった。
「美嘉様…私と一緒に月まで来てくれますか?」
唐突な申し出であったが、考える事は何も無かった。疑問が無いわけでは無いが、ここで承諾しなければ、茅利とは二度と逢えない事だけは確かなのだ。と、解ったのだ。美嘉は、首を上下に何度も振り
「行く。行くわ。茅利。もちろんよ。私達、ずっと、一緒よ」
「では、地球の衣服は、全てここでお脱ぎください」
恥ずかしかった。が、言われるがまま美嘉は、Tシャツもタンクトップも全て脱ぎ、初めて美嘉は茅利に裸体を晒した。茅利は、満足気に領巾を纏わせた。
「では、駕籠の中へ」
白兎に促されるまま、二人は、蟇蛙の担ぐ駕籠の中へ乗り込んだ。
美嘉は浮かれていたが、やがて、その相貌は蒼褪める。
「美嘉。私もね。貴女の事が大好きだったの。そしてね。私も貴女が弄ばれ、悲痛な声で鳴く姿を、ずっと視たいと思っていたのよ」
そう言った茅利の微笑みは、今まで『艶っぽい』と思っていた表情さえ、おためごかしであったかの様に、美嘉が垣間見た事さえない程、悍ましい程妖艶に輝いていた。
■
暁色に輝く
ぞわぞわと、どこか落ち着かない心持ちになるだろう?
それは月の都の饗宴の燈火さ。
妙なる楽に合わせ、数多の蟇に
かぐや姫は月へ 久浩香 @id1621238
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