第3話 転

 中庭に面した窓ガラスをガラリと開けたのは、衣冠姿の二本足で歩く白兎であった。

「よいしょっ。と」

 ほうの裾を持ちあげて、たゆんだ部分に乳白色の風呂敷を乗せると、ひょいと廊下に飛び乗り、座布団を踏まぬように、ひょこひょこと進み、畳の上に乗っかった。光を浴びた者達は、皆一様に卒倒している中、茅利はストッキングだけを身に着け、突っ伏した青年達の身体をよけながら、白兎に近づいた。

「おやぁ。まだ、そんな物を着けていらっしゃったのですか。どうか、その穢らわしい物は,早くお脱ぎくださいませ」

 白兎は、近づいて来る茅利が、ストッキングを履いている事に気が付き、顔をくしゃくしゃにした。

「まぁ、お待ちなさい。全て脱がさせるわけにはいかないでしょう。それとも、何? 私のここを、この人達に穢されても良かったの?」

 白兎は、ブルブルブルと小刻みに顔を横に振り、茅利がストッキングとパンティーを脱ぐのを待った。


 中庭には、背中に駕籠を担いだ巨大な蟇蛙ヒキガエルがいた。サーチライトの灯りは、蟇蛙の全開の目玉から発せられており、彼が、目を細めるにつれ、光は鈍くなり、やがて消えた。

「本当に良おございました。よくぞまあ、御身清らかなまま、なるべく姿におなり下さいました」

 白兎が、風呂敷の中から銀紗の衣を取り出して、茅利の肩に被せると、それは自然に茅利の身を包んだ。


 何処いずこかに、銀河の図書館を治める館主がいた。彼にとっては、天の川銀河系でさえ聖書の1ページ程の厚みしかない本の一部であり、星々が終止符の点だとすれば、惑星は、物語の最初に大きく書かれた一文字目の様なものだった。ただ、やはり、その一文字目をおろそかに扱うわけにはいかず、その周辺の文字を、次元の幕で覆って都を造り、宮を建てて代官を置き、それぞれの惑星を管理させていた。

 館主は、生物のいる惑星の監視をする宮には、自身の子供を宮主として住まわせ、惑星という文字や銀河というページの治め方を学ばせていた。そして、地球での1900年代に、月宮つきのみやに住む館主の子供が、ページの治め方を学び終えたので、館主は、その子に一冊の本を治める事を任せ、月宮の新たな宮主となる子供を、本主となったその子に作らせる事にした。本主となった子供は、初めての子作りに緊張しつつも、両手の指先に理想とする子供を思い描きながら、指先を重ねようとした。しかし、手が震えて指先は重ならずクロスさせてしまった。その為、それぞれの指先から、彼女の子供の素となる種が飛び出し、それは、地球へと落ちて行った。

 本主は、

「私は、本主となったので、この宮から去らなければなりません。嵐海宿禰あらしのうみのすくねよ。私の指先からこぼれた種が、人を身籠らせ、新たな宮主が生まれるかもしれません。その子供が、なるべく姿になったらば、その子供を宮主として迎えなさい。もし、そうなったとしても所詮は失敗作ですから、本主となる資格はありません。ですが、地球の生物を育ませ続ける事はできるでしょう」

 と、白兎の代官──嵐海宿禰に告げて去った。


 直輝は、衝動にかられて美奈代を穢したわけでは無かった。

 1999年7月。彼は、雨粒に紛れた本主の子供の種を飲み込み、本主の子供の種は、自身が育つ母体に向けて、直輝に自分を植え付けさせたのだった。


「嗚呼。本当にお美しゅうございます。交信でも申し上げましたが、貴女様だけが、月の海の水源を濁らす事なく、御育ち下さったのでございます。貴女様の他にも、三人もの御子が生まれになられ、皆、蝶よ、花よ、と育てられましたものを、嘆かわしくも、自ら汚染物とまぐわい、月の海を潤わす為の源流の飛沫しぶきを、澱ませたのでございますよ」

「ふふっ。私が、こうして水源を守ってこれたのは、全て、美嘉様のお陰なの。…あら? そういえば、美嘉様は? 美嘉様はどうしたのかしら?」

 茅利は、キョロキョロと周囲を見回した。

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