研究者と昔の夢

信仙夜祭

研究者と昔の夢

 私は研究者だった。そう、今は研究者ではない。

 一応、博士の資格はあるのだけど、もう何処にも雇ってもらえず、数年が経過していた。

 ポストドクターとして、誰にも読まれない論文と履歴書を書き続けている日々だ。


 私の専門は、材料工学だ。90年代は、セラミック合成がとても流行った。

 私は、『常温超伝導』に惹かれて研究室を選び、そのまま修士・博士と進んで行った。

 今はもう、理論上出来ないと太鼓判を押されてしまった研究だな。


 『超伝導』と聞いても知らない人も多いかもしれない。極低温状態では、磁石は宙に浮く映像を見たことは無いだろうか?

 温度がとても低い空間では、電気抵抗が急激にゼロになる。

 この技術が確立されれば革命が起きる。エネルギーのロスがなくなる。またそれこそ、映画に出てくる『空飛ぶ車』なんかも実現可能かもしれない。

 『超伝導転移温度』が常温以上となる結晶体を見つけることが、私の生涯をかけた研究だった。いや、夢見ていたと言うのが正しいだろう。私なら見つけられると、若い頃は思い込んでいた。


 だが、もう誰も『常温超伝導』など口にしない。

 いや、世界の何処かでは実験され続けているらしい。


 大分前になるが、超高圧下で常温に近い温度での超電導が報告されていた。

 実用性には程遠いが、とても羨ましい。私もその研究に携わりたいと思ったものだ。



 始めの大学を追われた後、色々な研究室に赴いた。

 とにかく何処かに所属しなければ始まらない。その研究室が自分の専門外の分野であってもだ。

 声を掛けて貰える。席を作って貰える。とてもありがたいことだった。

 その度に、一から専門分野を覚える必要があったのだが……。

 それこそ、化学の研究室で薬品作りの手伝いや、物理学の研究室で数式の検証など、今思い返せば迷走しているとしか言えない人生だった。

 もう書ききれない履歴書の経歴欄を見て、ため息が出た。


 何処かの研究室に雇って貰えれば、ある程度の収入は得られる。だが、期間が1~2年となると長期的に見て安定しない。

 自分で言うのも何だが、とても不安定な生活だった。

 いや、成果が出れば何処ぞの研究所で雇って貰う事も可能だった。たしか世界的に出版さている科学雑誌に共同研究者としてでも名前が出れば、そんな機会もあると聞いたな……。

 結局、20年かけてそんな機会など訪れなかったというだけだろう。

 いや、認められるだけの論文を書けなかっただけか……。

 私には研究職は向いていなかった……、ただそれだけが理解出来た。もう少し早く決断していれば、また違ったのだろうか? 限界まで粘ってみたが、転機が訪れることはなかった。


 結婚も出来なかった。まあ、言い訳だな。

 自分で言うのも何だが、収入も安定せず、数年単位で転居する者に嫁いでくれる者などいないと思っていた。

 だけど、私と同じ境遇の研究者は、結婚をして子供まで作っている。

 話を聞くと、支え合って生きているのだそうだ。

 私はリスクを恐れて、女性を近づけさせなかっただけか……。



 私は、人生を失敗したのだろうか?

 今、自分の半生を思い返し自問自答をしてみる。

 私は、幼少期に体が弱くよく寝ていた。だけど、本が好きだった。とにかく本を読んだ。

 無意味に知識をため込んでいた。

 中学に上がり、学力が高いことが分かった。まわりから『羨ましい』と言われて、有頂天になっていたな。

 私からすれば、教科書を丸暗記すれば、テストで点数が取れる。ただ、それだけだったのだが……。

 地元で一番の進学高校に進み、そこそこ名のある国立大学を出た。

 だけど、その後が続かなかった。


 人生をかけると決めたテーマは、すぐに打ち切りとなり無職となった。

 その後の人生は、前述した通りだ。生活の糧を得るために、自分の専門とは異なる研究室に赴き、良く分からない研究を行なった。それを繰り返して、もういい歳だ。鏡を見ると中年の男が、そこにはいた。

 

 似たようなことは他の研究でも起きている。

 最近では、『核融合』が研究凍結となったと聞いた。出来る可能性はあるのだそうだが、数十年かけないと商業化は無理だと、何かの記事で読んだ。

 私の国では、まだ研究は続いているので、他国の話かもしれないが。



「ふぅ~……」


 履歴書を書き終えてため息が出た。

 今は、一般企業に履歴書を送っている。職業安定所からの勧めでもあった。研究者として登録しているデータベースには、もうオファーは来ないと判断して、相談したところ一般企業に就職する元研究者もいると教えて貰った。

 だけど、経歴めちゃくちゃの高学歴の中年を雇ってくれる企業など、そうそうないと思う……。


 セラミックを研究している企業には、ほぼ全て履歴書を送ったが、面接にすらたどり着けない。

 もう安定した生活を送りたいので、夢は諦めることにして、雇ってくれそうな企業を探している。

 唯一の強みは、場所を選ばないことだな。国内であれば何処でも良かった。

 もう、海外には住みたくなかった。





 少し時間が経ったが、一つの工場から連絡が来た。

 分析を専門にする人を探していると連絡が来たのだ。

 私は、『装置』と呼ばれる物であれば、ほぼ全て扱える自信がある。過去に色々な仕事を請け負った。それこそ広く浅くだ。それが強みになると言ってくれる人がいたのだ。この人事課長は、履歴書を見る目を持っていると思えた。

 面接では話がはずみ、就職が決まった。自分でも驚いてしまった。

 年収は、研究者時代と比べれば少ないが、長期的に見れば変わらないと思う。無収入の期間もあったのだから。

 それに、節制して生活する癖が抜けなかったので、結局のところ収入はどうでもよかったのかもしれない。


 その後は、順調だった。

 誰も分からなかった不良原因を突き止め、対策して結果を報告する。

 私からすれば、簡単な仕事だった。しかし、喜んで貰えた。工場の利益が上がると、数字で教えて貰い褒められた。

 朝起きて行く場所がある。仕事がある。やることがある。毎日少しだが、充実感があった。


 工場で働いている人達は、ほとんどの人が学歴が低い。偏差値の低い高校を卒業してそのまま就職した人がほとんどだ。

 たまに、何を言っているのか分からない人もいる。

 だけど、簡単な仕事とはいえ、ミス無く働こうとする人達を尊敬する自分が、そこにはいた。


 仕事の話であれば、共通の話題となる。工場にいれば会話には困らなかった。

 趣味のない私には、とてもありがたい環境だ。

 仕事の進め方で、数時間議論しても会話が途切れない事に驚いている。興味のない研究の会議など寝てしまった事があり、クビになった事もあった。まあ、あの時は精神的に追い詰められていたのだが。


 昇進の話も来た。だけど、管理職より『スペシャリスト』でありたいと言って実務職で止まっている。

 正直、仕事は一人で行った方が気が楽だったので、この環境を壊したくなかった。まあ、臆病なのだろうな。


 そして、お付き合いしてくれる女性が現れた。

 こんな中年と良く付き合おうとか、良く思えるものだ。だけど、今は楽しく過ごしている。一回り以上若い女性なので、周りからの冷やかしも多い。不思議と嫌な感じはしなかった。



 もう一度思い返す。

 私は、人生を失敗したのだろうか?

 学歴に比べて収入は低いだろう。たまに会う昔の研究者仲間には、『何でそんな金にならない仕事をしているんだ?』と言われた。

 自分でも何故今の環境にいるのかは、説明できない。


 だけど、気の許せる友人がいる。恋人がいる。仕事も気楽であり、成果が出ている。充実して……いる。

 後は、趣味と言えるものが欲しいくらいだ。


 私は、研究者を諦め、夢を捨てた。

 胸を張って、昔の友人と会う度胸はない。親兄弟とも疎遠だ。地元に帰る勇気もない。



 それでも、今幸福感を感じている。

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