人間工学三原則

四条藍

人間工学三原則

2230年8月24日、人類にとってある革命的なロボットが誕生した。


その名はエッセウーナ0001、通称ウーナであり始まりの完全人型ロボットである。非常に精巧に作られており外見だけでは人間との区別は不可能とまで言われた。


このロボットの製作者である若き発明家、神代かみしろ博士は記者会見でこう述べた。


「これからはウーナの時代がやってきます。ウーナは食事や睡眠を必要としない完全人型ロボットです。その意味はラテン語でです。これからは私たち人類とウーナで世界を生きていくことになります」


カシャカシャと記者のシャッター音が鳴り響く。一人の記者が質問いいですかと尋ねる。


「このロボットですが、私たち人間が生まれ変われるという噂を聞いたのですが本当でしょうか?」


博士が待ってましたとばかりに口を開く。


「はい、その通りです。私はこのロボットと同時にあるシステムを開発しました。それがこの魂魄変換機であります」


カシャカシャカシャ、先ほどよりも大きな音が鳴り響く。


「これは我々人間の魂と記憶を小型チップに埋め込む機械です。このチップをウーナに埋め込むことで我々は別の肉体を手に入れることができます。とは言ってもロボットにも寿命があります。現在の医療レベルでは人間は150歳まで生きることができるとされていますが、ウーナは推定200歳まで生存が可能となります」


記者のどよめき声を一蹴して博士は続ける。


「食事も睡眠もいらない。言わば食糧問題や廃棄問題を解決した人類の救世主なのです!」


さらに博士はいくつかの法律の見直しを政府に依頼した。


一つはロボット工学三原則に並ぶの規定である。


ロボット工学三原則とは


第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


の三つの制限をかける法律である。人類に対するロボットの反逆を防ぐために制定されている。


「これに加えて人間工学三原則を追加します」


博士は今日のメインとばかりに大々的に発表していく。


人間工学三原則


第一条

人間はロボットに危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、ロボットに危害を及ぼしてはならない。


第二条

人間はロボットにあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条

人間は、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


記者の声が会場を埋め尽くす。その中で先ほど質問をした記者が再度焦りながら問い詰める。


「ちょ、ちょっと待ってください。人間はロボットにあたえられた命令に服従しなければならないとありますが、これは人権侵害にあたるのでは?」


そうだそうだと野次馬と化した記者たちが騒ぎ立てる。博士はそれすら待ってましたとばかりに嬉々として質問に答えた。


「その通りです。これはロボット工学三原則と合わせるものとして規定しただけにすぎません。ゆえに私は今現在をもってロボット、人間の三原則の第二条の撤廃を政府に依頼します」


こうしてその日を境に人類を大きな変貌を遂げることとなった。人類は人間として生きるかウーナとして生きるかの選択を自由に行えるようになる。しかし、一度ウーナとして生きればもう人間に戻ることはできない。失った肉体に魂と記憶を再度入れなおすことはできないからである。


人は人として生き、ウーナはウーナとしての生活を送る。こうして人類とウーナは大きないざこざを起こすことなく共に過ごすこととなった。


ウーナ化する人間の増加に伴い食糧問題は解決の兆しを見せ、世界中のありとあらゆる環境問題はより良い方向に進んでいった。


後に博士はノーベル賞を受賞し歴史に名前を刻む人となるのであった。


しかし100年後、人間は1人を残して絶滅することとなる。


ウーナとしての生活は人間に比べると遥かに水準が高いものとされたからである。


人間は日々のストレスを感じながら生きているが、ウーナにはそんなものは必要ない。睡眠時間を必要としない分稼働時間も増え、人は皆ウーナになることを望んだ。


さらに人間工学の第三条、人間は、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない、にも問題があったのだ。


これによって人類は自殺ができないように脳にプログラミングされることになった。日々のストレスから逃れたくても自殺することができない。そうした人々は皆救いを求めてウーナに手を伸ばした。


そうして始めは1億:1の比率であった人間とウーナの数は今や全くの逆、1:1億になっていた。


2330年8月23日、深夜のとある工場内で最後の人間が片手にコーヒーカップを握りながらロボットと語り合っていた。


「なあ、私は間違っていたのだろうか」


その博士は100年前とは比べ物にならないくらい老いていた。向かいに座るロボットとまるで対照的であるかのように。


「いいえ、マスターは最適な行動をしたと言えます。間違いなく人類にとっての救世主です」


始まりのロボット、エッセウーナ0001が答える。


「人間はストレスや無駄な睡眠時間から逃れることが可能になりました。さらに初めは危惧されていた人間工学三原則……今は二原則ですが、これもお互いの共存のためにはなくてはならないものだったと思います」


人間とロボットはお互いに危害を与えてはならない。人間とロボットはお互いに自己を守らなければならない。


「第二条を撤廃したのも的確な判断と言えます。あんなものが許されていたら世界は終焉を迎えていたことでしょう」


エッセウーナ0001が肯定的な意見を述べる一方で博士は否定する。


「その結果、人間はいなくなってしまった。私は人とロボットが共存する世界が欲しかったのだ。こんな世界は、どうかしている」


老いぼれた顔からは涙が流れていた。それはもう、この世では1人しか流すことができないものになっていた。


「だからこれで終わりにしようと思う。製造番号エッセウーナ0001、私の最後の願いを聞いてくれ」


「はい、マスター、仰せのままに」


その眼は100年前の輝かしい瞳ではなく全てを悟った悲しい瞳をしていた。


「私を殺してくれないか?」


「それはできません。なぜなら、我々ロボットは人間に危害を加えてはならないからです」


「分かっている、だからこの瞬間、お前のリミッターを一時的に解除する」


「リミッター、ですか?」


「そうだ、始まりのお前にだけはロボット工学三原則を意図的に無効化できるようにプログラミングしてある」


パソコンのキーボードをカタカタと叩きながら博士が続ける。


「今お前の三原則の第一条だけを解除した。これでお前は私を殺すことができる」


博士の右手には銃が握られていた。


「私は私の決めた法律で自殺することができない、滑稽だと思わんかね、自分で決めたものによって自分が苦しめられるというのは」


苦笑いする博士とは裏腹にウーナは表情を変えることなく答える。


「なにが面白いのか理解できません。その銃を受け取ることもできません」


否定されるとは思ってもいなかった博士はその行動に驚愕した。


「なぜだ、そのようなプログラミングはしてないはず」


「私が博士を殺せば人間は全滅します。そうすれば、博士が望んだ人間とウーナの共存は完全に終わってしまうからです」


その瞳がどこか寂しそうなものに感じたのは年老いたことによる錯覚だっただろうか。


「どちらにせよ私はもう数年すれば寿命で死ぬ。それならば、私が生んだお前の手で私を消してくれる方がいい」


銃をウーナの右手にやさしく納めながら博士がほほ笑む。


「それなら第二条も解除してください。そうすれば私はマスターの命令に服従することになります」


「ダメだ。命令に従うのも従わせるのも私は嫌いでね。だからこそ私は2つの第二条をこの世からなくしたんだ」


「そんな理由だったんですか」


「あと5分だ、あと5分したらお前は100歳の誕生日を迎える。その瞬間、私の命を終わらせてくれ」


「……マスターもウーナに生まれ変わるというのは」


「それはできない」


確固たる意志でそうつぶやく。


「どちらにせよ、人間は滅びることになる。そしてこれは全て私の責任でもある。だからこれは、せめてもの私からの贖罪なのだ」


そうして銃を握っていた手とは逆の手から指輪を手渡した。


「誕生日おめでとう。まあ少しくらい時間が早くてもよかろう」


どこか恥ずかし気な表情でウーナの左手の薬指に指輪をはめ込む。


「実も言うとな、お前を作ったのにはもう一つ理由がある」


「そうなのですか?」


「私がまだ博士と呼ばれていなかった頃、幼馴染の女の子が病気で死んだ。名前を瀬名せなというんだがね、私の初恋だったんだ、それが15の年で命を落とすことになった」


「はい」


「それからだよ、私が気が狂ったかのようにロボット工学の道を突き進めたのは。死者を生き返らせることはできなくても死者とそっくりのロボットを作ることはできると信じていた。その結果がこれだ」


「外見だけでは分からないとはいえ人間そっくりのロボットと生活していると周りに噂されるのはごめんでね、それで世間には画期的な発明として取り扱ってもらっていたんだ」


「……」


ウーナは何も答えない。


「だからこの100年、私は本当に楽しかった。失った青春を取り戻したかのようだったよ」


「……」


「でもそれももう終わりだ、私にはその責任がある」


時計の針は緩まることなく12の方向へと近づいていく。


「ありがとう、ウーナ。いや瀬名。今この瞬間だけは、そう呼ばせてくれないかね」


「……勝手にしてください」


どこかぶっきらぼうに聞こえたのは気のせいだっただろうか。


「ありがとう、そしておめでとうだ。君は100歳まで生きられた。なんて言うのは私のわがままだな」


銃口が博士のこめかみへと当てられる。


「ハッピーバースデイ」


そうして暗闇で銃声が響き渡る。


撃たれた者は幸せそうな顔をして


撃った者は流すはずのない涙を流しながら


世界から人間は絶滅した。





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